「ある日、一人暮らしの老人・陽二(藤竜也)が警察に逮捕・保護された。...」大いなる不在 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
ある日、一人暮らしの老人・陽二(藤竜也)が警察に逮捕・保護された。...
ある日、一人暮らしの老人・陽二(藤竜也)が警察に逮捕・保護された。
身元引受人は息子の卓(森山未來)。
妻・夕希(真木よう子)を伴って東京から暘二の暮らす北九州まで赴いた。
会うのは数年ぶりか。
卓は母とともに暘二から棄てられたという思いがあり、以前会ったのも十数年ぶりだった。
陽二には、再婚相手の直美(原日出子)がい、学究肌の暘二の世話を甲斐甲斐しくやいていたはずだった。
保護施設に入れられた暘二は傍から見ても認知症になっており、妄言妄想にとりつかれているようだった・・・
といったところからはじまる物語で、タイトルの『大いなる不在』は「永の空白」といったところだろう。
父と息子に横たわる長らくの空白時間。
その父との空白の時間、その間に父が何を思っていたかを息子の卓が埋めて、自身の腑に落としていく話・・・と思って鑑賞に臨んだ。
本筋はそうなのだが、なんだが、よくわからない。
暘二と直美の話は、息子が紐解いていった父の物語なのか、父自身の回想なのか・・・
そんなことはどちらでもいいという向きもあるかもしれないけれど、そこんところは実は重要で、映像で見せられれば観客にはすべてわかる。
けれど、登場人物がわかっている・知っている物語なのか、知らない物語なのか、それによって観方が変わって来る。
息子は父の物語を知らないのだろう。
空白の期間の物語を、彼が知ることで、こころのわだかまりが解ける、腑に落ちる、ということになろうが、そこんところが甚だあいまいで(というか、わたしが気づかないだけかもしれない)、空白期間を埋めるカタルシスが得られない。
映画の終局で語られるのは、映画冒頭のショッキングな出来事の顛末であり、それはこの映画では些細な出来事なので、余計にそう思った。
藤竜也の演技は認知症というよりも別の何かのようで、これも観ていて居心地が悪かったです。