「【”人間は大脳皮質だけの存在ではない。”今作は元大学教授が認知症に罹患しつつ、愛した女を本能的に想う姿と、父に捨てられた息子が父の生き方を追う重厚な物語である。藤竜也さんの演技が物凄い作品でもある。】」大いなる不在 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”人間は大脳皮質だけの存在ではない。”今作は元大学教授が認知症に罹患しつつ、愛した女を本能的に想う姿と、父に捨てられた息子が父の生き方を追う重厚な物語である。藤竜也さんの演技が物凄い作品でもある。】
ー 結論から書くと今作はやや難解ではあるが、大変面白く琴線に響いた作品である。
認知症をテーマにした映画は近年大変に多いが、今作はアンソニー・ホプキンスが認知症になった知的だった男を演じた「ファーザー」を想起させる作品であった。-
■俳優の卓(タカシ:森山未來)は、ある日長年音信不通だった父の陽二(藤竜也)が警察に捕まったという連絡を受ける。
そして、卓は幼い時に自分と母を捨てた父が一緒になって暮らしていた女、直美(原日出子)と父と25年振りに会った日のことを思い出すのであった。
陽二と直美は仲睦まじく、相変わらず卓は陽二から俳優という不安定な仕事について意見されるが、直美は陽二のいない時に、テレビに出ている卓の番組を陽二が録画して観ている事を楽し気に告げるである。
だが、その後、陽二が事件を起こし、卓が5年振りに訪れた家には直美の姿は無かったのだ。そして、卓は妻夕希(真木よう子)の支えもあり、5年の間に父陽二と義母直美との間に何があったのか、調べて行くのであった。
◆感想
・今作は、時系列を行き来しつつ展開する、切なくも魅入られる骨太なヒューマンストーリーである。
■心に沁みたシーンは数々あれど、特に印象的だったシーンを記す。
1.陽二が卓が産まれた後に直美に出していた手紙の文章。
そこには、陽二の自身の決断の誤りを後悔する文と共に、直美に対する想いが切々と綴られているのである。
そして、その手紙は直美の日記に挟まれており、その手紙が切っ掛けで陽二と直美がお互いの家庭を捨て、一緒になった事が分かるのである。
だが、その後、認知症が進行しつつあった陽二は、直美がその手紙を読んだ時に激昂し、日記を投げ捨ててしまうのである。
又、直美がスーパーで倒れても、彼女の帰りを待たずに歩き去る陽二の背中を見る直美の哀し気な表情も切ない。
ー 直美が、悲しみの余りに家を出るきっかけになったシーンである。-
2.施設に入居した陽二を卓と夕希夫婦が訪れるシーン。陽二は口調も足取りも矍鑠としているが、話す内容は施設を牢獄と思い込んでいる。卓と夕希は呆然とする。
だが、そんな面会の中、陽二が語った言葉。
”卓は心根の優しい子でした。ですが、私はそんな彼に酷い事を言っていたのです。赦してくれますか・・。”卓は”覚えていないし、赦すよ。”と返すのである。
ー このシーンでは、認知症になって漸く赦しを求める陽二の姿が切なくも沁みる。そこには、大学教授としての厳格な姿はなく、人間としての善なる姿があったからである。-
3.陽二が認知症が進みつつも、恩師の女性を偲ぶ会で行った見事なスピーチのシーンで言った言葉。
”人間は大脳皮質だけの存在ではない。”
この台詞は、前後の展開と併せても、実に印象的であった。
4.それまで、直美には車を運転させなかった陽二が、直美に車のキーを渡すシーン。
ー きっと、陽二は直美は自分を置いて出て行く事を知りつつ、これ以上迷惑を掛けられないと思ったのだろう・・。ー
・卓が漸く直美が妹(神野美鈴)の元で暮らしている事を知り、妹が営む陶磁器の工房を訪れるシーン。直美の日記を妹に渡し、深く深く頭を下げる卓。陽二は義母の代わりに面倒を見ていた妹にも、誤って怪我をさせていた事が分かるシーンも、観ていて辛い。
■冒頭とラストで描かれるで卓が”瀕死の王”を演じるワークショップのシーン。ラストでは、卓は持ち物が散乱する中を徘徊するのである。まるで、父のように・・。
<今作は、作品構成が時系列を行き来しつつ陽二の元を何故に義母直美が去ったのかを探る卓の姿と、その中で浮かび上がる陽二が大脳皮質が壊れていく中でも、潜在意識で直美を愛する姿が心に沁みる、重くて深いヒューマンサスペンスドラマなのである。>