「32年前の名作から考えさせられる、地域社会の崩壊とそこに住む人たちの今」ギルバート・グレイプ ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)
32年前の名作から考えさせられる、地域社会の崩壊とそこに住む人たちの今
「12ヶ月のシネマリレー」という企画で上映中の本作を新宿武蔵野館で観た。初見である。
1993年公開の32年前の映画で、当時19歳のディカプリオの才能は、本作で広く世に知られることになったのだそうだ。イケメン美少年としてデビューしたと思い込んでいた。
ジョニーデップの主演は知っていたが、ディカプリオが出演していることさえ知らなかった。正確な病名は語られないが、知的障害者を完璧に演じていると思う。
僕の知り合いの娘さんも知的障害者で、ディカプリオ演じるアニーと同様、人なっこく、無邪気で明るく、時にこちらの心のうちを見透かしているかのように鋭いことを言ったりして、僕も大好きだった。過去形なのは20歳で亡くなってしまったからだ。
アニーも10歳まで生きればいいと医者に言われていたが、この映画では19歳まで生きたことが描かれた。たった30年ほどだが現在は医療の進歩でずいぶん改善されているそうだ。喜ばしいが、もう少し早くなんとかならなかったものか…。
いろいろ考えさせられて、感想になかなか入れない。
舞台は90年代のアメリカ内陸の、商店が数軒しかないような小さな街。ギルバートは雑貨屋でアルバイトだし、友人は葬儀屋。もう1人は、この田舎町にマイナーなハンバーガーチェーンができると聞いて、そこに就職することを心待ちにしている。
街の産業というものがないのだ。おそらく農業地域だったが、80年代の農業危機後にそれが失われた街というような設定なのではないだろうか。
ラストベルトと同じく、産業の空洞化により地域経済が回らなくなり、静かに滅び始めている街の出来事なのだ。
ジョニーデップ演じるギルバートは、健康な若者らしく都会に出ればいいのだろうが、アニーがいるし、まだ成人前の妹もいる。最大の問題は母親だ。父の自殺後に精神的に病んでしまい、過食による肥満で家から出られない。
だからこの家族、母と4人の子供たちはおそらくギルバートの雑貨店での稼ぎだけで食べていっているのだろう。家族は仲違いしながらも、その絆はびっくりするほど強い。
ギルバートはスターウォーズ4の冒頭のルークのようだ。夕日を見つめて、僕はこれから先も、どこにも行くことができないのだ、心踊るような出来事などやってこないのだ、と諦めている。
そこに新たな可能性として現れるのが、祖母のキャンピングカーで通りかかった少女である。少女といってもおそらくある程度の学歴があり、裕福な祖母の旅のお供をしながらモラトリアム中。彼女の登場は別世界との出会いなのだが、だからといってその別世界に出て行くという選択肢はギルバートにはない。
…となかなかに厳しい状況なのだが、この取り残されたような侘しい田舎町がなんとも美しい。70〜80年代に活躍したアメリカンニューカラーの写真家たちの作品に出てくる街のようだ。
その美しさが唯一失われる場面が、最近街にできたという大規模スーパーマーケットの場面だ。蛍光灯に照らされた店内は、この田舎町の中で唯一、都市の匂いのする輝かしい場所なのだが、この場面だけが美しくない。
そう感じるのは、このスーパーが資本の論理による地域社会の破壊であることが描かれているからかもしれない。
アメリカではこの映画の90年代、あるいはそれ以前の80年代にも、こうした産業の空洞化による地域社会の破壊が起こっていたのだ。
しかし、それに対する異議申し立てとしての政治運動は2010年代中盤を過ぎて、ようやくトランプによって行われたということなのかもしれない。
主人公を演じたデップも今や62歳。主人公のギルバートも、これから産業の国内回帰を目指す政治がうまくいって、失われた産業が元に戻ることがあったとしても、年齢的に間に合わない。
完全にネタバレになるが、ラストシーンでは、ギルバートを地元に縛り付けていた家族の重しはかなり軽くなったら状態で、1年ぶりに戻った彼女との嬉しい再会がある。
もうすぐ19歳の知的障害者アニーと共に彼女のトレーラーハウスに乗り込み、街を出ることが示唆される。
おそらくギルバートには手に職も学歴もない。彼女とは、社会階層もかなり違う。それにアニーは成人に近づき、面倒を見るのはさらに大変なはずだ。
ギルバートがもし実在で今も生きていたら、このエンディングの先、どんな人生を送ったのだろうか。そしておそらく60歳を過ぎた今どのように過ごしているのだろうか。
公開当時、まだ20代だった僕がこの作品を見たなら、全く違う感想を持っただろう。
アメリカというと西海岸と東海岸沿いの都市をイメージするが、その内陸にある広大で人口密度の少ない地域に住む人々が、自由主義経済の中で翻弄され、踏み付けにされた時代の貴重な記録にもなっていると感じた。
この作品の再映に感謝したい。