「ハルストレム監督の言ったとおりの映画」ギルバート・グレイプ 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
ハルストレム監督の言ったとおりの映画
アイオワ州の架空の小さな街、エンドーラ、父の遺した古い家を守っているのは、次男のギルバート。彼は、ほぼ一人で、18歳になる知的障害の弟アーニー、二人の姉妹、何よりも父が亡くなってから過食症に陥り、部屋を出ることもない肥満した母ボニーを養っている。長男は学士として既に、家を出ている。毎日の食料だけでも大変な量で、料理は失職中の姉のエイミーが専らこなす。
ギルバートは、父親が、かつて共同経営者であったらしい、今は経営が傾いている食料品店で働いている。アーニーは共同社会の一員として一応受け入れられていた。昼間は、ギルバートと一緒に、店にいる。昔の日本でも、そうしたことがあったっけ。今なら、きっと施設に入らざるをえないか、訓練施設に通っていることだろう。ボニーだって、周囲の好奇な目に晒されてはいるが、病院に閉じ込められているわけではない。今なら、介護があるが、この二人をみている家族の負担は、生半可なものではない。
何も起きないこの街で、狂言回しが二人。一人は、食料品店の有力な顧客で魅力的な既婚女性、ギルバートと不倫関係にある。しかし、ちょっとした事故で夫を失い、この街を去ってゆくことになる。なんと「お前に(ギルバートを)譲る」と言い残して。譲られたのは、祖母が運転するトレーラーを牽引する車が故障したため、街に止まらざるを得なかった美しい娘、ベッキー。しかし彼女は、幼い頃に両親が離婚し、二人の間を何度も、たらい回しされたことから、社会の実相を見知っている。彼女は、家族への奉仕に、ほとんどの時間を費やしているギルバートに、「あなたは(本当は)何をしたいの(what do you want to do)?」とやさしく問いかける。しかし、彼の自立は、家族の運命を変えることになるのは明らか。私は最初、ギルバートと彼の庇護の元にいるアーニーが喧嘩するのではないかと恐れた。しかし、それは軽く済んだ。そうすると、起こることは、ただ一つ。その通りの展開だった。
こうした物語の背景には、大規模農業への展開を含む産業化の波があるのだろう。あの見渡す限り大平原の広がるアイオワだって、とうもろこしと、何度も出てきた「カリカリ・ベーコン」の源、養豚の土地だ。白人中心で、暴力は目立たないように見えたけど、やがては難民を含む労働者がやってきて、ギルバートは、あのまま住んでいたって、新しいスーパーマーケットやバーガーのチェーン店で働かざるを得なかったことだろう。あの心優しき米国人たちは、その後どうしたのだろう。
楽しいけれど、どこか悲しい、まさにハルストレム監督の言ったとおりの映画だ!
