「非・物語のふしぎな空気」彼方のうた comeyさんの映画レビュー(感想・評価)
非・物語のふしぎな空気
「なにかの喪失感に耐えて生きている人たち」の物語なのは前作と同じ、それがいったい何の喪失なのかはまったく分からないのも同じ。
この映画の監督は美術や照明や撮影でひとつの世界をつくりあげようとはせず、カメラの前で日常とは異なる空気感が現れることだけを狙っていて、それが画面に定着されている。要するに一般的な意味での「映画」とはまったく別の方法で作られている。
普通そういうやりかたは単なる独りよがりに陥るものだけど、この映画の画面は、ところどころでやはり素通りしがたい不思議な強度をもっている。明るい光に満たされた電車内で扉にもたれて立つ女、山へ向かう二人乗りのバイクのドライブショット、キッチンに立つ女二人の後ろ姿、わすれがたいショットはいくつもいくつも登場する。ここは評価されるべき美質だと思う。
でもさ、作り手自身が「これが一体何の映画なのかを手探りしつづけている」「完成したあとでも何の映画だったか考え続けている」感があって、それは監督が意識的に選びとった手法というよりは、映画という表現形態が積みかさねてきた「分からせる技術」を単に彼がきちんと習得していないからでもある。
ここには構造が存在しないし、だから「物語」にもなっていない。なんか素敵なCMのようなゆるい短編が延々と羅列されているかのよう。そういうのはいくら国際映画祭に出したって賞レースではどうしようもない。だって分からないんだから。
これはこれで作品の世界だとは思うけど、もう少し映画の技術的ベースをていねいに学び直したうえでこの空気を組み立て直したら、意外な名匠が誕生するかもしれない。本当はそういうふうに導くのがプロデューサーの役目だと思うけどね。
それにしても池袋の映画館、さっぱり人が入ってなかったなあ。