市子のレビュー・感想・評価
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市子という名の女の子は悪魔なのか?
この映画は、スタートシーンから最後に繋がっています。
彼女の鼻歌を歌いながらスキップするシーンが記憶に残ります。
彼女が生きて来た、人生は全くの悪なのか?彼女が魔性なのか?
それだけとは、思えませんでした。
どんどん、”市子”に吸い込まれそうになりました。
【”最高や‼全部流れてしまえ!と驟雨の中、彼女は叫んだ。どのような環境下でも自分の存在と向き合い続け、世間的、法的に存在を認められない女性のキツイ生き様を見事な構成で描いた作品。】
ー ご存じの通り、今作は戸田監督が率いる劇団が演じた「川辺市子のために」を底辺としている。-
■市子(杉咲花)は、3年間一緒に暮らして来た長谷川(若葉竜也)からポロポーズをされた翌日に失踪する。
長谷川は市子の事を何も知らなかった事に気付き、刑事の後藤(宇野祥平)を含め、市子を知る人達の証言を集める中で、彼女の壮絶な過去を知るのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・観ていて、キツイ映画である。楽しい気分にはならない。
・市子の失踪の理由はTVから流れた東大阪市生駒山で白骨化した遺体が見つかったというニュースである。
■市子は母なつみ(中村ゆり)となつみの恋人(渡辺大知)と妹で難病筋ジストロフィー症を患っている月子と徳島で幸せそうに住んでいた事が、市子が肌身離さずにいた写真を見れば分かる。
だが、時は残酷でなつみの恋人は市子に手を出す様になり、市子も月子の看病に疲れ月子を殺してしまう。(直接的な描写はない。)そして、月子を生駒山になつみの恋人と共に埋めるのである。(ここも、直接的な描写はない。)
・今作を見ると、300日問題により無戸籍児になった過程は、鑑賞側の推測に任されるが、市子が病気になっても”病気は嫌い。”と言い絶対に病院に行かないシーンや、市子のバックの中にあった時子の保険証を長谷川が見つけるシーンから容易に推測できる。
ー 故に、市子は友人のキキ(中田青渚)に”私は、夢を持っちゃいけないんだよ。”と言うのである。-
・市子が、時子に成りすまして生きて来た半生が明らかになる過程は、サスペンス要素もタップリである。
<それにしても、市子を演じた杉咲花の悪魔的と言っても良いほどの虚無感漂う姿は凄い。
こんな、杉咲花は見た事が無い。
市子は、自殺願望のある首筋に火傷の跡がある女(石川琉華)と、一時期はなつみの恋人に乱暴されそうになり、その男を刺した市子を匿ってくれた北(森永悠希)を自動車に乗せて断崖から突き落として殺すのである。
彼女の”自分の人生を歩みたい。”と言う思いがあのような行為をさせたのだろうか。
何とも、切ない作品である。>
<2024年2月18日 刈谷日劇にて鑑賞>
生きることへの渇望
市子は市子として生きたかったんだよね。
人は簡単には変われないとも思うし、二面性・三面性もあるとも思う(家族の前での自分、友達の前での自分、職場での自分…)。本当の「市子」はどの時だったのか?を考えてしまった。
幼き頃の家族写真に写る市子は間違いなく市子であった。そこから20年弱の時を経て、現在28歳の市子が市子として生きていけることを望みたかった。
しかし、物語終盤、彼女に想いを寄せ彼女を助けたかった高校の同級生と、自殺願望のある女性が乗った車が海に沈む。(何らかの方法で市子が車を沈めた、または死を仕向けたと思われる。)
誰かの死と引き換えにしなければ身分さえ手に入れられないという闇。でも、そこまでしても市子は生きたかったのだと。
独りよがりの生への渇望とも思えるが、オープニングとエンディングで市子が鼻歌で歌っていた童謡「にじ」。自ら殺めてしまった障がいをもつ妹の寝床の天井に描かれていたのも虹。それが繋がった瞬間、自分のためだけじゃない、死んだ妹の分も生きたいのではないかと思った。
市子の母親もにじを口ずさんでいた。徳島を訪れた長谷川とのシーンからも分かるように、愛する娘を殺したくなんてなかったはず。でも、介護に疲弊しきっていた。
月子が息を引き取ったあと、母親が市子に掛けた「ありがとう」が何とも重く切ない。母親のためというのもあったのだろうか。月子の呼吸器を外す前、月子の身体を拭いた後「暑いな」と声をかける市子の顔には滴るほどの汗。
劇中はどこをとっても夏のシーンなのだが、この汗が、生きることへの苦しみも表現しているように思えた。月子をこの苦しみから解放してあげたかったと同時に、自分への解放でもあったのだろうか。
同棲する長谷川の家で作ったクリームシチューを少しずつ頬張る市子。小学校の同級生梢の家で出されたショートケーキを上品に食べる市子。(大人になってから下宿先のキキがくれたケーキを食べる時もとても丁寧。)長谷川と初めて会った場面で、縁日の焼きそばを静かに口に運ぶ市子。
それとは対照的に、自分の弁当を溢され「夕飯どうしてくれんねん」と激昂する小学生の市子。涼しい顔して万引きをする市子。高校の時の恋人宗介との熱い口付け。夕立の雨に打たれながら「最高や」と叫ぶ市子(乾ききった市子への潤い)。
冒頭にも書いたが、どれが本当の市子なのだ?となる。観終わって思うのは、長谷川の前での彼女は取り繕った市子なのでは?ということ。それとも、本当の市子として生きられていると感じていた矢先、長谷川からのプロポーズによって自身の身分の闇に改めて触れてしまったのか。
母親が働くスナックで、市子ではなく月子と呼ばれているシーンで、市子は戸籍がないのでは?と推測し、婚姻届を拒んで失踪した理由とも繋がった。でもここではまだ月子との関係がわからない。
そして、刑事さんが長谷川の家を訪れたシーンで市子は87年生まれという情報が出てからは、自分より3歳年上ね、という視点で観ていた(私自身が90年生まれ)。しかし、高校生のシーンで記された西暦におや?と思う。ゆうに高校生である年齢を越えているはずでは…。一瞬、計算を間違えたかと思ったが、月子のことを含めて後にそういうことだったのか!という伏線回収に繋がった。構成が秀逸である。
現在も過去も、描かれているのは夏。その描写がじわじわと身体に入り込んでくるようで、観終わったあととても喉が渇いていた。乾くということは、潤いを求めて生きているということだ。
ファムファタール。
今年初の映画館での鑑賞作品。池袋で映画を見るのは恐らく50年ぶりか?映画館の入っているロサ会館という建物は建物全体が昭和でびっくりした。作品は兎に角悲しい。国籍の無い子供の話を何度かメディアで耳にしたことはあるが本作もそれがメインテーマ。僕は関西弁を話す女性と付き合ったことはないが、長谷川(市子のフィアンセ)に感情移入してしまった。彼の演技は実に良かった。可哀想な環境とはいえ実に逞しいファムファタールを完璧に演じている。北(高校の同級生)は幸せだったと思う、彼女のヒーローになるという目的を果たしたのだから。
淡々と
進んで良かったんですが・・ラスト近くなり、はっきりと失速。あんな幸せそうな、思わせぶりな音声を被せるなら鼻唄で終わった方が良かった。
宇野祥平が最高。ちょっと気がかり、杉咲花キャストかぶりの予兆。
『誰も知らない』の後日譚?
主演の二人は、朝ドラ『おちょやん』で共演していた覚えがあった。パンフレットの森直人氏評のように、『砂の器』や『ある男』との近似性も感じたが、無戸籍で育ち、死体遺棄を行うという展開は、『誰も知らない』の後日譚とも思われた。「安楽死」や自殺幇助問題も含んでいる。楽天的な面しかみせなかった YOU 氏の演じた母親と比べると、中村ゆり氏の演じた母親は、転落気味だけれど、良心の片鱗をみせてくれる。市子の義父はソーシャルワーカーだったらしい。残念である。成り済ましを続けようとする市子に、義則がいつか追いつけると良いだろうな。
今期ベスト映画
無戸籍なうえ、家庭にも恵まれず、神様にも見放されたような一家の物語であり、胸が締め付けられた。
そんな非力な市子がそれらを跳ね返すように強く生きていく様が描かれていた。
だがそのキャラとは一変するシーンが数多くあり、とても恐ろしく感じた。
親の血からは抗えないとは言うが、ストーカー北くんに対しての扱いというのは本当に残酷だった。その立ち振る舞いはまるで水商売主の母親譲りだった。
そんなギャップもありハラハラした。
問題は長谷川くんがどうなってしまったのか。
長谷川くんの気持ちを考えるとやるせない。
戸籍問題や、悪い家庭環境が無ければ2人は望む通り結婚できていたと思うと本当に辛い。
市子の生き様
久しぶりに有楽町のマックで昼食を取り、日比谷シヤンテで杉咲花の熱演が話題の「市子」を観る。
プロポーズの翌日に失踪した市子を探す恋人の視点を中心に、彼女の過去と現在が交錯して市子の生き様が見えてくる。
日本社会が抱えるシングルマザー、無戸籍問題が根底にあり、決して彼女ひとりの話ではない。日本は国民皆保険であるが、戸籍が無ければ保険証も手に入らず、病院にもかかれないのである。
高校生から30歳までを演じる杉咲花はさすがである。
あの子なんか気になる…
最初はちょっと気味悪い少女だと思って観ていたが、だんだんと惹かれ、中盤からは彼氏と同様に本当の彼女はどんな人物なのか真剣に探しながら鑑賞していた。
唐突につぶやかれる意味深な言葉や大きくて黒い眼差しによって、彼女は今何を思って何を感じているのか、過去に何があったのか知りたくなってしまう。
ラスト以降に彼氏は市子を見つけることができたのか?また見つけたとき市子はどのような行動を取るのか?考えただけでぞくぞくする。
この作品を2023年内に観なかったことを後悔している。
確実に年間ベスト10に入っていた。
生きて欲しいと思ってしまう
たとえ人を殺していたとしても市子には市子として生きて欲しいと思ってしまった。
杉咲花が個人的にはとても良かった。
今までも素敵だと思っていたが、より魅力を感じた。
始まりの関西弁とプロポーズでの涙にきゅんとした。
物語が進むに連れて家庭に問題のある過去がわかってきた。
欠落した感情と彼女の儚さと取り乱さない姿に惹かれる。ミステリアスだけど可愛らしい。
関西弁で言う彼女のありがとうは痺れた。
雨の中、雨に打たれに行く彼女。
花火を、みんながが上を見るから良いと言う彼女。
ケーキ屋で働くクリスマス仕様の彼女には思わず可愛いと言ってしまいそうになる。
神社でゆっくり焼きそばを食べるのもいい。
こうなってくるとただの杉咲花ファンになってしまう。
でもそれが市子。市子を好きになってしまうのは仕方がないし、殺人を犯してるなんて誰も思わないだろう。男性陣が俺が守ると言いたくなるのもわかる。
必死という感じでもない、すこんと生きることができている。全てを知った長谷川はどうなるのかな。
物語はベビーな内容だけど、疲れなかった。
最後までどうなっていくのか気になって面白かった。
知ろうとすればするほど離れてしまう心
とても悲しい映画でした。
途中まで関西弁のサイコパスってこんな感じなのかな、というような気分で見ていましたが、中盤から彼女の持つ特性が分かった後は本当に物悲しく、最後は泣きそうになりました。
中盤、市子が北と再会したシーンで、殺人幇助のことは触れずに何でもないように放っておいてくれ、自分には夢があるというシーンで彼女の特性について分かって来ます。
市子にとって北含め大抵の男は利用出来るかどうか程度の価値しかないのでしょう。
これは決して市子に感情が無いわけではなく、感情のしきい値が異常に高く、滅多なことでは心の琴線が動かないせいだと思います。
また、普通に生きるためには"過去の自分"を切り捨てる必要があるため、北は過去の自分を繋げてしまうピースになってしまうことも、邪険に扱っている理由だと思います。
北は
「市子を救ってやれるのは自分しかいない」
と言っていましたが、市子にとってはむしろ逆で、最後に車ごと入水させて殺してしまっていることから分かる通り、今の自分を過去の自分に縛る重しでしかなかった、というところが悲しいところです。
その点、長谷川は市子にとって過去を聞かれないで付き合い続けられる点で救ってくれる人物になり得たと思います。
しかし、生駒山で月子の遺体が見つかってしまったことから逃走を選んだ時点で、長谷川も自分の過去を探る人物になってしまい、彼は市子にとっての救世主では無くなってしまったと思います。
市子は普通の人生を送ることが目的となっていますが、周りの人間は市子のことを知ろうとすればするほど、彼女から遠ざけられてしまうという矛盾があり、それがこの映画が観客に突き付ける業となっていると思います。
この業に想いを馳せた時に感じる悲哀が、この映画の魅力だと感じました。
儚げで大人しそうな美女
突然失踪した恋人の市子を探す男性の行動を軸にストーリーが進む。最初は多くを説明せず、ストーリーが進むに連れて、市子の人物像や過去、事件の全貌が徐々に明らかにされる造りになっているため、最後まで緊張感を持って観ることができる。
妹、義理の父親、自身に執着する高校の同級生、自分と見た目が似ている自殺志願者の女性と、市子は作中で4人を殺害している。この事実だけで判断すると、市子は自分の都合で人を殺した連続殺人犯となる。
しかし、幼少期より苛酷な生活を強いられた上に、存在自体が国に認知されないといった状況でも、人並みの幸せな人生をを諦めずに懸命にもがく市子を責めることは難しいのではないだろうか。
終盤の市子が鼻歌を歌いながら歩くシーンでは、儚げで大人しそうな市子から、何がなんでも生きて幸せになろうとする強い意思を感じられる。
強く生きる、ということ
舞台劇が原作。気になってはいたのですが、11月からロングラン、とのことで年明け1作品目で鑑賞。
面白いです。プロポーズの2日後に失踪したヒロイン、市子を逃げられた彼氏と、市子をある事件の参考人として追う刑事が、探す話。二人が市子を探す過程で浮かび上がる彼女の過去が話のメインになります。
市子には戸籍がなく、難病で自宅から出れない妹の月子の戸籍を使って生きてきた。彼氏からプロポーズされ、いざ結婚となるとそれが発覚するので逃げた、という設定。
この設定は凄く面白い。市子を、可哀想な境遇に生まれた女の子、と描かずに、そんな境遇にも強く生き抜く女、と描くのも好感が持てます。ヒロインの杉咲花も、地味だけど意外とモテる、って感じが上手く出ていますね。
自らの不遇に馴染めず月子で生きることに抵抗を感じている小学生時代、月子と義父を葬り月子を乗っ取り生きると決めた高校時代、月子から市子へと乗換を果たし過去と決別する時代、とそれぞれで市子の感情の違いを出すのが、この映画の見せ所かな。
全くストーリーは違いますが、自分のなかでは「白夜行」と「嫌われ松子の一生」が浮かびました。この2作品に比べてしまうと、1・2枚落ちると思いますが、まあ楽しめる作品ではあります。
『PEARL』との親和性
興味はあったが、どうしても後回しになってしまい、公開終了間際に映画館に駆け込み鑑賞。結論、見てよかった最高の映画でした。杉咲花さんは言うまでもなく、脇を固める俳優陣の演技も最高。個人的に出てる映画に外れなし!の宇野祥平さんも眼福の演技を見せてくれていました。
作品の中で重要なテーマとなっている「無戸籍児」「貧困」「ヤングケアラー」などの問題を、声高に叫ぶことなく我々に突き付けてくる。そこに、「介護疲れによる殺人」「女性搾取」「自殺ほう助」といった目をそむけたくなる問題も絡んでくる。今あげた問題は、それぞれ一つだけでも解決の糸口すら見えないような社会問題であり、それらの問題について自分は何ができるのかと考えると気が遠くなるくらい己の無力さを痛感してしまう。これらの問題を、違和感なく「市子」というキャラクターに落とし込んでいる作劇に、そのキャラクターを完璧に表現しきった杉咲花さんに最大限の賛辞を贈りたい。
ここからは賛否が分かれるかと思うが、私はこの映画、さらには市子というキャラクターと、同年に公開されたタイ・ウエスト監督、ミア・ゴス主演の『PEARL』との親和性を感じた。市子が作中で犯す「犯罪」はもちろん彼女の環境がそうさせた面が多分にある。生まれた瞬間から「無戸籍」という「罪」を背負った市子が、そのことを「罪」と規定する世界、つまり我々を憲法、法律で守っている「日本国」で生きるために他者の命を奪うことは、至極まっとうな真理のようにも思える。しかし、作中、呼吸器を外されたことで死にゆく妹の視点として抜かれた市子の顔、その彼女の目の奥にある深淵は、そういった外的な要因を一切省いたとしても残るであろう彼女の「闇」を映しているように見えた。ミア・ゴスさんが演じたパールと、杉咲花さん演じる市子の「無表情の異常な怖さ」は、同じ「闇」を持っているもの同士のように私には思えたのだ。彼女の犯した「罪」は社会のシステムがそうさせたのか、それとも彼女たち自身の持つファム・ファタール的側面がそうさせたのか、繰り返し見て考え続けたい作品である。もちろんファム・ファタールというキャラクター像自体が「男を惑わす女性」という、男性側の視点で切り取った差別的女性像であるから、そういった彼女の面もまた男性優位な社会視点へのカウンターであるといえることは補足しておきたい。
作中で、他の人の意見を聞きたいと思った部分は二点ある。一つは市子のプロポーズの答えは「イエス」だったのかということ。「一緒になりませんか?」という長谷川のプロポーズに「うれしい」と答えた市子。流れからいって「イエス」だと解釈したいし、彼女の涙は本当のうれし涙だと思う。しかし「うれしい」=「イエス」ではない。婚姻届を提出するということは文字通り「籍を入れる」ということである。そのために戸籍謄本が必要であることは市子もわかっていたであろう。彼女は「市子」としての人生を歩み始め、彼女自身のありのままを好いた長谷川にプロポーズをされた。これは自分自身として生きることを許されなかった市子が最も欲した「自己の肯定」だと思う。しかしその愛した人からある意味突き付けられた結婚届によって、彼女は再び社会によって自己を否定されてしまう。その悲しみの涙と解釈すると、彼女の涙が重く心に突き刺さる。
二つ目は、長谷川はあの後市子を探し続けるのかということ。これに関してはまだ答えを出せていない。これを読んでくれた方のご意見をぜひ伺いたい。
魔性の女
浴衣とかメガネ君が口を割らないワケとかチャラい彼氏とか、だいたい気になった伏線はきっちり回収されているように、構造が非常によくできている。
市子は、一見世捨て人のように見えるが実は(人狼風にいうなら)生存意欲は高いほうで、同性はドン引きされ、異性には懐かれる傾向があるのでキキちゃんは非常に貴重な存在。
姿を晦まさなければ何も起きなかったのでは・・・とも考えたが、普通の幸せ以上の目的があって着実に執念深く達成していくのを紐解いていくというある意味ヒトコワ。
というのがだいたいの自分の解釈ですが、作品中に明言されているわけではないのでネタバレじゃなくてもいいかなとは思ったが、まあ一応ネタバレにしときます。
こういう見る側の解釈に委ねる部分が多い作品は見終わったあとに引きずるのが良いです。
家庭崩壊で名前まで偽って学生を続けるメンタルの強さ。
市子の家庭はほぼ崩壊していて、筋ジストロフィーの妹、月子の世話をしながら母親の内縁の夫、小泉との関係にも悩んでいる。
月子には戸籍があるものの、市子には戸籍がない。無戸籍である。
月子になりすまして学生時代をおくるものの、高校生までの関係を断ち切って市子と名乗り始める。
話を進め方に工夫を感じる。
時系列でもなく、市子に関わる人物の目線で順に描くというのは面白い。
最後に男女が車ごと海に突っ込んで男女が亡くなったが、市子ではない気がする。
それを明確にしなかったことで、鑑賞後にいろいろ周りで話ができる余韻まで残している。
鼻歌
同じ鼻歌なのにラストシーンは
何とも不気味というか、恐ろしいと言うか…
自殺願望の彼女と北くんを
市子が海に沈めてしまったのか。
彼女の戸籍を奪って別人として生きていくのか。
戸籍があれば、妹が健康であれば、
たらればだけど色々考えてしまった。
杉咲花さん、いい女優さんですよね。
引き込まれました。
重いテーマなのに
個人的には観に行ってよかった作品でした。
内容は社会問題を扱っていてとても重いです。生まれた時から巻き込まれていた無戸籍の問題。ヤングケアラーにならざるをえない家庭環境。どちらも市子の意思とは関係ない問題です。でも母親も追い詰められてやったこと。わかっているから家族のために、市子は必死に取り繕って生きるしかなかったのでしょう。
でももがけばもがくほど、綻び辻褄があわなくなっていく。どんどん苦しい状況に追い詰められていく。全編にわたって息苦しさが流れています。
それにも関わらずこの映画には、抱えきれない問題を押し付けられて心がずっしり重くなる感じがあまりありません。(社会派の映画を見ると時々感じます)
理由をいくつか推察すると、ひとつは映画と鑑賞者の距離感にあると思います。映画はサスペンスとドキュメンタリーの中間くらいの視点で進んでいきます。なので鑑賞者は、第三者の目撃者、もしくは近くても市子もしくは市子の恋人の友人。でも演出・音響・演技には妙なリアリティーがあり遠すぎもしない。絶妙な距離に観客を置いています。
ふたつめに善悪の議論がないところ。市子も市子の周りの人もしばしば非常識、非人道的な行動を取ります。でも映画の中で良い悪いを語ることはありません。事実がやや淡々と流れていきます。鑑賞者はいろんな感情に揺さぶられますが、映画側からの明確な主張は無いようにみえます。
最後に、市子自身に視点をむけると妙な爽快感があるのです。もちろん悲惨な現実にもがき、平穏な日々をおくれないことを悲しんでいます。でもとてもしぶとく強かに見えます。映画の最初と最後で、真夏の日差しの中を市子が鼻唄を歌いながら歩くシーンがあります。絶望的なシーンですが、市子はどこか楽しげで、なにかから解放されたように見えます。
ながくなりましたが、重いテーマでありながら押しつけがましくなく、適度な距離感で観客にいろんなことを考えさせる映画です。
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