市子のレビュー・感想・評価
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ラストの詰めが甘い
市子を追っている刑事は市子の顔を知っている
そして北にも会って事情聴取をしている
北の身元はすぐ判明するはずだから、身代わりの女性が市子でない事はわかるはず
そしてその後、パティシエの友人の所で働いていれば捕まりますよね
ここは、速攻で全ての関係を絶って消えるべき所です
小泉にしても自殺と処理されるのは疑問が残る
刃物傷があるはずなのに、電車の飛び込み自殺にはならないと思うんだけどね
なので
ラストは市子の逮捕で終わるべきではないでしょうか
でないと、真の殺人者になった人間を野に放つだけの結末になります
これが娯楽作品、例えば”ジョーカー”みたいな作品なら爽快感を持つことが出来る
でも、これは違うでしょう?
日本映画はこういうのが多い
”怒り”とか、“閉鎖病棟”とか
観客に反社会的な行動を正当な行為と思い込ませようとしているように思える時がある
今回も彼女にシンパシーを持ってしまうような作りです
ちゃんとした大人なら、作品から問題提起できるんですが、単純な若者には毒にしかならない
今回なら、ヤングケアラーの問題、無戸籍の問題、狭間の人達への援助の必要性とかが見えてくる
主役を杉咲花にすえる事は良くもあり悪くもある
彼女の不幸な少女の演技は観客にくい込み、
同情を誘ってしまう
しかし、実はヒロインの女性はしたたかな魔性の女なんです
ストーカーの北との交流も自然発生的に感じられてしまうが、あれも作為的なんでしょう
小学生の時から男の子をたらしこんでいましたからね
とはいえ杉咲花にとっては、主演女優として最高の作品となりました
日本アカデミー賞なんて、レコード大賞と一緒で会社などの思惑としがらみで決まるつまらん賞です
主演女優賞の安藤サクラは確かに上手い役者だけれど、”怪物”は彼女が主演じゃない
助演女優賞だって”ゴジラ-1.0”で助演と言うほど演技していない
そのあたりは安藤サクラがいちばんよくわかっていて、挨拶のぎこちないこと
今回はダントツで杉咲花が主演女優賞だと思いました
世にも過酷な市子の半生
市子は暗い出自です。
重度障害者の妹。
母親の離婚直後に生まれたらしい市子。
その為に戸籍がない。
市子は儚いです、ミステリアスです。
無邪気さは皆無ですが生い立ちを知ると当然です。
リアル存在してるのか心配になる程、希薄。
戸籍がない。
死んでも殺されても気付かれない。
そんな淡い存在を杉咲花は完璧にに演じました。
長谷川(若葉竜也)の愛に答えたらダメですか?
あの秘密も、この秘密も
話せませんか?
やはり母親(中村ゆり)の存在は許せなかった。
子供の幸せ・・・
少なくとも自分の死後の市子、
市子はどう生きれば良いの?
道すじ位は、つけてあげるのが親の務めです。
正直言って見てるのがしんどかった。
過去のシーン、回想のシーン、蝉の鳴き声、
蝉の鳴き声は十回は聞きました。
常に夏だよね、この四季ある日本で・・・
正直言ってリアルでない。
ラストの方で海に落ちた車に20代男女の遺体、
それって誰のこと?
市子は生きているのでしょうか?
とても心配になりました。
市子のアイデンティティー
この作品は、主人公のアイデンティティと素直な自己表現を、映画を通して人々に問いかけている。「あなたは彼女の生き方に何を感じた?」
市子のあの黒い服は、心の闇を表現しているのではなく、裁判官と同じく「私は何者にも染まらない」という決心の現れなのではないだろうか。決心したとき着る服なのだ。
汗が滴り落ちる暑い夏が、年代問わずに同じように背景にある。朦朧とする思考…
市子の鼻歌は、月子の人工呼吸器を止めたとき、無意識に母のした鼻歌だった。
限界からの開放… 「ありがとね」思いもしなかった母の言葉
無戸籍だから小学校にもいけない市子と戸籍はあるけど筋ジストロフィーで寝たきりの父親が違う妹月子。
そして3歳遅れで「月子」の戸籍を利用して入学したのは、母の知恵だったのだろう。
この物語は細部や結末まで描かれていない。そして、この物語がどこへ向かうのかも描かれていない。視聴者が自分で感じて考えるのだ。
私は月子ではなく市子だ。これが彼女の心の叫びとなり変化のきっかけとなる。
多くは、どうしようもなくなって、そうしていわゆる「犯罪」は起きるのだろう。
そのある種の狂気を暑い汗の滴る暑い夏に乗せている。
母は2度目の離婚で、生計のためにスナックで働く。離婚が、幸せな日々を奪ったのだろう。長谷川が見せた家族写真を奪い、胸に押しつけて涙する母のシーンは、振り返ってみればあの時が一番幸せだったことを伝えている。
どれだけ振り返っても返ってこない過去。母が感じている犯してしまった数々の失敗と隠し通したい犯罪。彼女の思いは至極一般的で、だから徳島の小さな島に移住したのだろう。罪悪感と後悔が彼女を包みこんでいる。
でも市子という人間は彼女とは違った。市子は勇敢で積極的で恐ろしく狡猾だ。北に対し「何を思ってもいい」というシーンがあるが、これこそが市子の心の声だ。だから私の思ったとおりに生きてゆく、のだろう。
市子は貧困で無戸籍であるにも関わらず、彼女を放ってはおけなくさせるオーラが、彼女の人生の時々で友人となって現れるが、北のように窮地を救うものが今度は市子を困らせる役となる。
そして婚約者の長谷川もまた、北と同じように彼女を追いかけることでこの物語が紡ぎ出されていく。
市子の母が長谷川の乗るフェリーに深々と頭を下げるのは、「娘をよろしくお願いします」という意味だろう。それが彼女の清楚な服装に現れている。
長谷川は、刑事からの電話に出なかったように、今後も出ないだろう。
市子という人間の過去を知り、その人生に同情と共感で泣いたところで、本当の彼女を知ることはできない。彼女は常にその先へと動いているからだ。
長谷川は、どこかで北の事故死を知るだろう。その時彼は初めて市子という人物を知ることになると思う。
彼女にとって一番いいのが、母が言ったように追いかけないことになる。
そうして長谷川は彼女をリリースすることができて初めてこの問題に決着できると思われるが、盲目になってしまえば…
この作品は、人が犯す犯罪というものの視点ではなく、どうにもならない運命でもなく、社会や法律や恋人よりも「私」という存在が一番上にあるのだということを見る人に伝えたかったのかなと思った。
犯罪とかではないが、市子のように常に自分が一番上に立った物の考え方は、私は正しいと思う。
普通に…生きたいだけ
市子のような存在
TVで聞いたことがありました
今の時代に戸籍を
持てない事に驚きです
法からすり落ちた人たちの哀しみ
この人たちは
戸籍のないことで名前も本来は無い
市子とは親から呼ばれていた
ニックネームのようなもの
市子の苦しみは計り知れない
ここに。今。存在しているのに
…今との繋がりあっても
社会との繋がりがなく
常に不安を抱えながら
生きている
戸籍のない人たちは
戸籍のある人たちと
同じ世界で生きているのに
全く違う世界なのだろう
日常の世界に色があるとしたら
市子の世界は色のない世界
そして妹を殺めた
…二重の苦しみで 自分は
幸せになれないと思いながら
…生きてきた
生まれながらにして
不幸を背負ってしまった運命
どうすることも出来ないのが悲しい
…だから
自分を必要としてくれる
彼からプロポーズを受けた時は
手で拭うほどの涙が
流がれたのだろう
…生きてきて
一番しあわせを感じた時
生きる場所を探し求めてきた市子
…市子の苦しみは
戸籍を持つ人にはわからない
戸籍を持っているだけで
…しあわせだから
杉咲花の
悲しげで脱力感、無気力な表情が
…心に残る
"花火を見たい"と言った
皆おなじ夜空を見上げて見る花火
願いは…叶うのかな
面白いんだろうけど
相手を諦めないということ
演者は素晴らしいのだが・・・
願ったわけではない環境や背負わざるを得なかった
深い業がつくる闇に翻弄される人生が描かれる
わけですが・・・。
なんだろうな、全体的に
「こういう境遇だからこうなるよね」
「こういう背景があるからこうなっちゃうよね」
と少々乱暴な展開と描かれ方をしている気がしました。
夢見つけたり、小さな幸せを見つけそうになるのも
全て梯子を外すために用意したものなんじゃ?って
思っちゃいたくなります。
市子の気持ちをもっともっと丁寧に描いてほしかった。
彼女の葛藤、心の揺らぎはもっともっと表現できた
のでは?最後まで市子の気持ちに寄り添えなかった。
演出上の問題というか、僕の理解力が乏しく
わかることができなかったのが、市子の決定的な行動が
いつ行われたことなのか?がわからなかったのです。
演出上、時間軸や視点をころころ変えているのですが、
一番のキーポイントである市子の行動が何歳の時だったのか
がよくわからないので、物語のピースがばらけたままで
終わっちゃったんですよね。
演者さんたちが熱演されていたので非常に残念な
一作でした。
あと、答え合わせ的なエピローグはいらなかったなぁ。
市子という名の女の子は悪魔なのか?
この映画は、スタートシーンから最後に繋がっています。
彼女の鼻歌を歌いながらスキップするシーンが記憶に残ります。
彼女が生きて来た、人生は全くの悪なのか?彼女が魔性なのか?
それだけとは、思えませんでした。
どんどん、”市子”に吸い込まれそうになりました。
【”最高や‼全部流れてしまえ!と驟雨の中、彼女は叫んだ。どのような環境下でも自分の存在と向き合い続け、世間的、法的に存在を認められない女性のキツイ生き様を見事な構成で描いた作品。】
ー ご存じの通り、今作は戸田監督が率いる劇団が演じた「川辺市子のために」を底辺としている。-
■市子(杉咲花)は、3年間一緒に暮らして来た長谷川(若葉竜也)からポロポーズをされた翌日に失踪する。
長谷川は市子の事を何も知らなかった事に気付き、刑事の後藤(宇野祥平)を含め、市子を知る人達の証言を集める中で、彼女の壮絶な過去を知るのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・観ていて、キツイ映画である。楽しい気分にはならない。
・市子の失踪の理由はTVから流れた東大阪市生駒山で白骨化した遺体が見つかったというニュースである。
■市子は母なつみ(中村ゆり)となつみの恋人(渡辺大知)と妹で難病筋ジストロフィー症を患っている月子と徳島で幸せそうに住んでいた事が、市子が肌身離さずにいた写真を見れば分かる。
だが、時は残酷でなつみの恋人は市子に手を出す様になり、市子も月子の看病に疲れ月子を殺してしまう。(直接的な描写はない。)そして、月子を生駒山になつみの恋人と共に埋めるのである。(ここも、直接的な描写はない。)
・今作を見ると、300日問題により無戸籍児になった過程は、鑑賞側の推測に任されるが、市子が病気になっても”病気は嫌い。”と言い絶対に病院に行かないシーンや、市子のバックの中にあった時子の保険証を長谷川が見つけるシーンから容易に推測できる。
ー 故に、市子は友人のキキ(中田青渚)に”私は、夢を持っちゃいけないんだよ。”と言うのである。-
・市子が、時子に成りすまして生きて来た半生が明らかになる過程は、サスペンス要素もタップリである。
<それにしても、市子を演じた杉咲花の悪魔的と言っても良いほどの虚無感漂う姿は凄い。
こんな、杉咲花は見た事が無い。
市子は、自殺願望のある首筋に火傷の跡がある女(石川琉華)と、一時期はなつみの恋人に乱暴されそうになり、その男を刺した市子を匿ってくれた北(森永悠希)を自動車に乗せて断崖から突き落として殺すのである。
彼女の”自分の人生を歩みたい。”と言う思いがあのような行為をさせたのだろうか。
何とも、切ない作品である。>
<2024年2月18日 刈谷日劇にて鑑賞>
生きることへの渇望
市子は市子として生きたかったんだよね。
人は簡単には変われないとも思うし、二面性・三面性もあるとも思う(家族の前での自分、友達の前での自分、職場での自分…)。本当の「市子」はどの時だったのか?を考えてしまった。
幼き頃の家族写真に写る市子は間違いなく市子であった。そこから20年弱の時を経て、現在28歳の市子が市子として生きていけることを望みたかった。
しかし、物語終盤、彼女に想いを寄せ彼女を助けたかった高校の同級生と、自殺願望のある女性が乗った車が海に沈む。(何らかの方法で市子が車を沈めた、または死を仕向けたと思われる。)
誰かの死と引き換えにしなければ身分さえ手に入れられないという闇。でも、そこまでしても市子は生きたかったのだと。
独りよがりの生への渇望とも思えるが、オープニングとエンディングで市子が鼻歌で歌っていた童謡「にじ」。自ら殺めてしまった障がいをもつ妹の寝床の天井に描かれていたのも虹。それが繋がった瞬間、自分のためだけじゃない、死んだ妹の分も生きたいのではないかと思った。
市子の母親もにじを口ずさんでいた。徳島を訪れた長谷川とのシーンからも分かるように、愛する娘を殺したくなんてなかったはず。でも、介護に疲弊しきっていた。
月子が息を引き取ったあと、母親が市子に掛けた「ありがとう」が何とも重く切ない。母親のためというのもあったのだろうか。月子の呼吸器を外す前、月子の身体を拭いた後「暑いな」と声をかける市子の顔には滴るほどの汗。
劇中はどこをとっても夏のシーンなのだが、この汗が、生きることへの苦しみも表現しているように思えた。月子をこの苦しみから解放してあげたかったと同時に、自分への解放でもあったのだろうか。
同棲する長谷川の家で作ったクリームシチューを少しずつ頬張る市子。小学校の同級生梢の家で出されたショートケーキを上品に食べる市子。(大人になってから下宿先のキキがくれたケーキを食べる時もとても丁寧。)長谷川と初めて会った場面で、縁日の焼きそばを静かに口に運ぶ市子。
それとは対照的に、自分の弁当を溢され「夕飯どうしてくれんねん」と激昂する小学生の市子。涼しい顔して万引きをする市子。高校の時の恋人宗介との熱い口付け。夕立の雨に打たれながら「最高や」と叫ぶ市子(乾ききった市子への潤い)。
冒頭にも書いたが、どれが本当の市子なのだ?となる。観終わって思うのは、長谷川の前での彼女は取り繕った市子なのでは?ということ。それとも、本当の市子として生きられていると感じていた矢先、長谷川からのプロポーズによって自身の身分の闇に改めて触れてしまったのか。
母親が働くスナックで、市子ではなく月子と呼ばれているシーンで、市子は戸籍がないのでは?と推測し、婚姻届を拒んで失踪した理由とも繋がった。でもここではまだ月子との関係がわからない。
そして、刑事さんが長谷川の家を訪れたシーンで市子は87年生まれという情報が出てからは、自分より3歳年上ね、という視点で観ていた(私自身が90年生まれ)。しかし、高校生のシーンで記された西暦におや?と思う。ゆうに高校生である年齢を越えているはずでは…。一瞬、計算を間違えたかと思ったが、月子のことを含めて後にそういうことだったのか!という伏線回収に繋がった。構成が秀逸である。
現在も過去も、描かれているのは夏。その描写がじわじわと身体に入り込んでくるようで、観終わったあととても喉が渇いていた。乾くということは、潤いを求めて生きているということだ。
かわいければ何でもOKという者も一定数いるということ
生い立ちが分かったあとの絶望が…
「傑作の中の傑作」
高校の時に付き合ってた彼にも、長谷川くんにも、市子は自分の秘密をひ...
ファムファタール。
今年初の映画館での鑑賞作品。池袋で映画を見るのは恐らく50年ぶりか?映画館の入っているロサ会館という建物は建物全体が昭和でびっくりした。作品は兎に角悲しい。国籍の無い子供の話を何度かメディアで耳にしたことはあるが本作もそれがメインテーマ。僕は関西弁を話す女性と付き合ったことはないが、長谷川(市子のフィアンセ)に感情移入してしまった。彼の演技は実に良かった。可哀想な環境とはいえ実に逞しいファムファタールを完璧に演じている。北(高校の同級生)は幸せだったと思う、彼女のヒーローになるという目的を果たしたのだから。
散漫
予告編はかなり既視感のあるものだったが、
だからこそどう落とすのか気になって足を運んだ。
だが、早々にほぼ結論ありきでサスペンス性は乏しく、
想定を超えるような展開はほぼなかった。
また、各々のエピソードに深みがなく、
十分に咀嚼しないままで回収されずモヤモヤが残った。
ラストも然り、こういうのがゲージツなのだろうか。
さらには杉咲花の熱演には魅入られたが、
違和感や稚拙さを感じてしまう共演者も散見され、
映画に没入できない要因のひとつとなった。
これらが相俟って少々ウトウトしてしまう場面もあった。
映画とは関係ないが、
派手さのない作品のせいか観客がすべて中高年のお一人様だった。
整然と適度な間隔を空けて席を取り、
上映中はもちろんその前後もほぼ余計な物音はなく、
エンドロールが終わって明るくなるまで誰一人席を立たなかった。
実に理想的で快適な空間だった。
観賞者たるものかくありたいものよと映画より感銘を受けた。
怖くて不気味な映画
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