フェラーリのレビュー・感想・評価
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まだ若いアダム・ドライバーが、初老のエンツォ・フェラーリを演じる必然性はあったのだろうか?
クラシカルなレーシングカーによる迫力のあるレース・シーンは見応えがあるし、凄惨なクラッシュの場面からは、ドライバーだけでなく観客にとっても、カーレースが死と隣合わせであることが実感できる。
ただ、この映画が焦点を当てるのは、エンツォ・フェラーリの私生活であり、しかも、妻の他に愛人と隠し子がいるという、ありきたりといえばありきたりな話で、そうした家庭のゴタゴタには、今一つ入り込むことができなかった。
むしろ、印象に残るのは、ペネロペ・クルスが演じる妻のキャラクターで、夫に向けて銃を発砲するという気性の激しさを持ちながら、その夫のために、自分が保有する会社の株を譲ったり、それで得た50万ドルを差し出したりと、関係が冷え切っていようが、裏切りが発覚しようが、結局、夫のことを愛しているのだということがよく分かる。
その一方で、アダム・ドライバーが演じる夫のエンツォは、そんなに魅力的なキャラクターには見えないし、どうして妻から愛されるのかもよく分からない。
そもそも、40歳そこそこのアダム・ドライバーが、初老のエンツォを演じる必然性はあったのだろうか?
最初は、「回想」という形で、アダム・ドライバーが、自分の実年齢に近い頃のエンツォを演じるシーンが多いのだろうと思っていたのだが、蓋を開けてみれば、そうしたシーンは、オベラを観劇する場面でわずかに出てきただけだった。
むしろ、エンツォが現役のレーサーだった頃の活躍とか、戦争中の苦労とか、会社を起業した時の経緯とかをもっと知りたかったし、闘病の末に亡くなった息子のことも含めて、そうした描写が全くなかったのは、物足りないとしか言いようがない。
どうして、アダム・ドライバーが、わざわざ老けたメークをしてまで、エンツォを演じなければならなかったのかが、最後まで納得できなかった。
エンツォには共感できず・・・
エンツォ・フェラーリという人物の生き様を描いた作品です。
共同経営を始めた奥さんを裏切り、愛人及び愛人との子どものところへ足げく通うエンツォ。
こういう倫理観始め、奥さんとお母さんへの扱いが酷く、
もう本当にレースのことしか頭にない人物なんだなと感じました。
そのことを表す顕著なセリフが「レースをするために車を売っている」です。
もう、レース狂というべきクレイジーさなわけです。
したがい、全く共感はできず、終始客観的に鑑賞しました。
とはいえ、ひょっとすると奥さんとの息子、ディーノが亡くなった1年後から
物語は描かれているので、ディーノの死が、エンツォをそうさせているのかもしれないとも思いました。
ディーノの死が夫婦の亀裂にもつながったのかな・・・と。
レースシーン始め、車がFeaturingされるシーンは、
ギアチェンジの動作やエンジン音、タイヤのグリップする音など、
実に臨場感にあふれていて、魅入ってしまいました。車好きにはたまりません。
まさにフェラーリの車の魅力全開といったところです。
当時はマセラティがライバルだったんですね。
このあたりのレースバトルも面白かったです。
俳優も素晴らしく、主人公エンツォを演じたアダム・ドライバーはもとより
奥さん役のペネロペ・クルスが迫真の演技をしており、本作の俳優陣の中では
もっとも迫力のある演技をしていました。
今後も要注目ですね。
ラスト近くの事故のシーンは胸が痛みました。
驚くほど冷静に、しかしながらあっさりと人が亡くなっていく様は
本当に恐ろしかったです。
そりゃレーサーもやめたくなるのも道理ですが
それでもレースを続ける(今もなお)フェラーリはすごいですね。
レース映画ではなく、ヒューマンドラマではありますが、
エンツォ・フェラーリという人を見事に描き出した作品だと思います。
エンツォ・フェラーリという男の話
車成分よりどちらかと言えばエンツォ・フェラーリという人物の話。
エンツォ・フェラーリの事、皆さん基本は分かってますよね??
って所からスタートして説明もほぼ無い為に私の様な浅学な者には
半分くらいしか理解できなかったかもしれない、
詳しい方が観ると全然感想が変わるかもしれませんね。
それにしても昔のレースやべーっすね事故は即ドライバー死亡とか
まぁドラム缶みたいなのに滅茶苦茶なエンジン載ってるんだろうし
安全対策あんま無さそうだからそうなるんだぁ…とか思いました
でもデザインはめちゃかっこいいですよね
マイケル・マン監督らしい骨太感は良かった
【”フェラーリ家の血と光と影”「ミッレミリア」でのマセラティとの熾烈なレースシーンと起きた悲劇。そしてフェラーリ家創業夫婦の愛憎を描いた作品。ペネロペ・クルスのやつれた顔の演技が物凄い作品でもある。】
■今作は、1950年代後半に次々に起きたエンツォ・フェラーリの身に降りかかった数々の不幸を描いている。
だが、驚くのは、エンツォ・フェラーリはその不幸に対し、苦悩の表情を見せながらも果敢に立ち向かって行くし、息子ディーノを亡くした事で冷え切っていたフェラーリの共同経営者であった妻ラウラが、フェラーリ存亡の危機の際に取った行動である。
そんな、エンツォ・フェラーリをアダム・ドライヴァーが抑制しつつも貫禄ある演技で魅せ、更にはラウラをペネロペ・クルスが狂気性さえ感じる表情で演じ切っているのである。
エンツォ・フェラーリは、妻に内緒で愛人リナ・ラルディ(シャイリーン・ウッドリー)との間に幼き息子ピエロを設け、自宅と愛人宅を行き来しつつ、社業でも社長として敏腕を振るっている。
だが、ライバルのフォード、フィアットなど量産車を売り上げる会社の台頭により、フェラーリの車は年間100台も売れなく、経営不振にも陥っている。
ー ご存じのように、企業方針としてフェラーリは少量生産体制を貫いている。尚、この辺りの企業方針の違いは、「フォードVSフェラーリ」で詳しく語られている。ー
そんな中、エンツォ・フェラーリは起死回生の一作として、公道レース「ミッレミリア」での優勝を目指し、ドライバーを募り参戦するのである。
◆感想
・1950年代のイタリアの法制度の関係(制度上、離婚は出来なかった。)もあろうが、ラウラが愛人リナ・ラルディ宅から朝帰りするエンツォ・フェラーリに向けて、拳銃を撃ち放つシーンにまずは度肝を抜かれる。
この時のラウラを演じるペネロペ・クルスの眼の下に隈を作りながら”外に泊まるのは良いが、珈琲の時間までに戻れと言っているでしょう!”と言い、拳銃を撃つ姿が凄いし、怖すぎる。こんな、ペネロペ・クルスは観たことが無い。
・更に驚くのはアダム・ドライヴァー演じるエンツォ・フェラーリの胆の据わり方である。会社も結婚も破綻寸前。リナからはピエロの認知も迫られつつ、全てレースで挽回すべく没入する姿である。普通はメンタルがやられそうなものだが、会議の際もコーナーで競っている時にブレーキを踏んだドライヴァーを首にするは、その化け物の様な精神力には驚嘆する。
・一番凍り付いたのは、勿論「ミッレミリア」で、アルフォンソ・デ・ポルターゴが運転するフェラーリ335Sが、道路上の異物を踏んだために吹っ飛び、子供を含む観客9名を薙ぎ倒すシーンである。
公道レースの恐ろしさを際立たせるシーンであるし、エンツォ・フェラーリが更に追い込まれる原因となったシーンでもある。
■だが、ここでラウラは窮地に立ったエンツォ・フェラーリの為に、自身が保有する株を現金化して彼を助けるのである。
このシーンのペネロペ・クルスも凄かった。
自身の血を引く息子ディーノ亡きあとに、彼女が守るモノは夫と立ち上げたフェラーリ社のみだったのである。その決然とした覚悟の表情が凄い。
又、終盤にエンツォ・フェラーリが、初めてピエロをディーノが眠る霊園に誘うシーンも、心に沁みるのである。
<今作は、1950年代後半のフェラーリ家の危機を描いた作品である。
共同経営者でもあったエンツォ・フェラーリと妻ラウラの間の冷戦や、共闘する姿を演じるアダム・ドライヴァーとペネロペ・クルスのひりつくような駆け引きと愛憎に引き込まれる作品でもあるのである。>
面白さも中くらいなり
前半の女性にだらしない私生活部分は非常に退屈であった。フェラーリと言えばレース、エンツォの愛人や隠し子にあまり興味がわかず、いつまでやるんや?状態。
しかし、後半のレースシーンは俄然、盛り上がる。爆音轟く、テールトゥノーズ、これがフェラーリですよ、これが。
前半部分の魅せ方が薄味でダラダラ長く感じ、後半一気の追い上げで少し溜飲を下げたがもう少し上手く編集できなかったのか残念感が残った。
モデナFCはイタリア2部所属
エンツォがああいう人だからこういうそれなりの映画に仕上がったんだろうな。ヘンリー・フォードや本田宗一郎では教訓話になってしまうだろうから。
それにしても、言っても仕方ないけど、イタリア人達が英語で喋るってのはどうも…
子どもを巡る、惜別と受容の3か月
初めて予告を観た時抱いた印象は「勝利へ執念を燃やす男のドラマ」だった。だが、鑑賞を終えた今、どうしても考えてしまうほどに印象的だったのはエンツォ・フェラーリではなく、ラウラ・フェラーリの方だ。
そして思った。この映画はエンツォとラウラの「子ども」が焦点なのだと。二人の「子ども」とは既に喪失したアルフレード(愛称ディーノ)だけでなく、「フェラーリ」という会社も含まれるのだと。
映画館から帰って来て、調べたところによるとこの映画で描かれている期間は1957年、夏の3か月間。
この3か月こそ、エンツォとラウラの人間性が、愛が、執念が最も色濃く出た時期なのだと思う。
エンツォの人生について、ラウラはこう言う。
「工場での闘いで、あなたはすり減っていった」
それは長いレースの中で、徐々に傷んでいくレーシングカーと同じだ。駆ける姿の美しさ、それに魅了される人々の視線から外れたところで、痛み、傷つき、悲鳴を上げながら、それでも全速力で進んでいく。
その先に待ち受けているものは、栄冠かもしれないし、鋭く尖った小石かもしれない。その運命だけはどんなに強く美しいものでも、覆すことなど出来ないことなのだ。
ミッレ・ミリアでの事故を受けて、ラウラはやっと最愛の息子の死を受容したのだと思う。事故が事故であるように、息子の死がエンツォにもコントロール出来ないことであったことを受け入れたのだ。
そしてもう一つ、重大な事が起きていることも悟っていた。エンツォと自分の間に残ったもう一方の「子ども」であるフェラーリが死にかけている。
今度こそ「子ども」を失わない為に、ラウラはエンツォも、運命も、何もかもを受容し、これが最善だと信じる道を突き進んだ。そして願わくば、エンツォにも自分と同じようにディーノこそ息子であると示してほしい、それだけを望んだのだと思う。
久々に観たマイケル・マン監督の映画は、マイケル・マンらしいカメラの近さが演者たちの表情の奥まで捉え、複雑に葛藤する心を切り取ろうとする一方で、レースシーンでもまるで車自体が肉体であるかのような振動を捉えて迫力があった。
観る前に予想していた印象とはかなり違ったが、見応えのある良作だったと思う。
レースに優勝する事で車が売れた割と何でも有りな時代のお話
アダム・ドライバーは演技派だがあまりイケてる役者と言う認識がないのだが、白髪でオッサン歩きにもかかわらず彼史上一番かっこよく見えた。
イタリアと言えば種馬らしくエンツォ・フェラーリも例に漏れずでしっかりと愛人を囲い子供まで作っており、何となく亡くなった息子のお墓での涙は嘘臭く見えた。
ペネロペ・クルスの完全に美しさを消しおばちゃんに成り切ったカメレオン女優ぶりは衝撃的だった。
フェラーリの妻で共同経営者だが家の中で拳銃を発砲し、息子の死をエンツォのせいにするぶっ飛んだイタリアのおばちゃんである一方で、銀行でのやり取りでは冷静で隙のないやり手ぶりを見せる振り幅の大きさは印象的だった。
法や道路の整備ができてない時代に公道を使ったシートベルト無しが当たり前だった時代のレースは命懸けで犠牲者もたくさん出したのだろうが、いくら心の中に壁を作ったとは言え、エンツォはもう少し凹んでもいいのではないか。
レースに勝つ事以外に何の感情も持たない欠陥人間にしか見えなかった。
大のフェラーリ好きを公言すふマイケル・マンの熱い思いがありながらクールで俯瞰した目線の演出がしっかりと効いているなかなかの佳作だと思った。
まあまあハードル高め
私、カーレースはおろか車そのものに関してもそれほどの興味がありません。そのため、本作品も見送ろかと思っていたのですが、期間限定の誕生月クーポンがあったのと、「フェラーリ×マイケル・マン×アダム・ドライバー」はやはり観ておかなければと思い、109シネマズ木場へ。客入りは少なめ、(私を含め)オジサンが多かったと思います。
と言うことで、情報も知識もほぼない私が観た印象としては、まあまあハードル高めに設定されており、ボーっとしていると置いて行かれます。説明的なことは一切せず、主要登場人物はけして多くないのに人間関係を理解するためには集中力が試されます。とは言え、本作で扱われる話は短い期間であるため、寝落ちさえしなければ(正直、前半は何度か気を失いそうになったけど)全く解らないということはないため、初心者でもそれなりに楽しめると思います。
特に、何といってもフェラーリの走行シーンはそのフォルムの美しさに目を奪われ、更には最大の魅力であるエンジンサウンドを聴いていると、元々興味はなくてもついついウットリします。そして、後半にはたっぷりレースシーンが続きますが、ドライバーの視点と様々な角度からの映像が巧みに編集されておりとてもダイナミックです。そこからの本作最大のクライマックスシーンが終盤に控えているわけですが、流石のマイケル・マン、結構凄絶(せいぜつ)ですので、PG12ですが一応大人も注意。
と言うことで、けして万人に向けてお勧めはしづらいですが、見所は十分ですし気になる方はやはり劇場で観るべき作品。アダム・ドライバーがエンツォ・フェラーリに見えるかはさておき、フェラーリが好きなら観て損はないと思います。
フェラーリ
レースメインの映画ではなかったけどフェラーリ社長の人生を知ることができた。
レースありきの冷たいのか愛情あるのか分からない人。
奥さん役のペネロペが心に残る。
1人じゃ足りなかったのよって母親の言葉に驚いてしまった。
これは慰め?皮肉?
レーサー達が愛する人に万が一のことを考え手紙を書いてからレースに挑む様。
死ぬことを恐れない走り。
恐ろしい事故。
あんなに次々とレーサーが亡くなることもあるんだ…。
沿道の人達を巻き込むこともあるんだ…。
あっという間の2時間でした。
フェラーリ創業期はこんなに苦難だった?
会社の存亡を賭けて公道を走る過酷なレース(1000マイル)に挑戦するチーム(ドライバーは死を覚悟して望む。)の姿を追いながら、フェラーリの自らの複雑な家庭(亡き息子の事で争う不仲な妻とそして愛人とその息子。)環境を描くストーリー。
ブレない経営理念と情熱。
1957年代イタリア自動車メーカーフェラーリ社創業者エンツォ・フェラーリ59才の私生活と会社経営の話。
会社の共同経営してる妻ラウラと愛人リナ・ラルディと息子のピエロ、車も売れてなくレースもいい成績が残せてなくで会社経営も上手く行かないなか、タイムアタック中に専属ドライバーの死と入れ代わりで専属ドライバーとなったデ・ポルターゴを交え公道レース「ミッレミリア」出場を描く。
とりあえずエンツォさんのブレない前向きな姿勢が今に繋がってるんでしょうね。息子の死を乗り越え、レース中に亡くなった親友達、専属ドライバーが亡くなっても、すぐ気持ちを切り替える感じとかミッレミリアの事故での会見での開き直りではないけどメンタルの強さも含め。
ただ本作観てて思ったのは公道レース中のギャラリー達のケガや死って、本作では道路から出てた金属がタイヤに引っ掛かりが原因と分かったから責任を免れたけれど、車輌に不備、不具合があった場合ってレース主催側、レースチーム側に責任を問われるんですかね?ギャラリーは勝手に集まってるのに…。
にしても本妻よりもリナ・ラルディの存在はエンツォさんにとって心の拠り所ではないけど大きな存在だったんでしょうね。てか、この当時のレースって半ヘルにゴーグルスタイルだったんですか?だったら恐いわ(笑)とりあえず音にシビれました!
イマイチ
初日に観ました。
エンツォフェラーリの90年の生涯を描くのなら
面白かったと思いますが、数年?くらいの
短期間を切り取ったストーリーで
つまらなかったです。
マイケルマン監督は好きなので期待してましたが
「え?終わり?」という感じ。
Wikipedia読めば、中途半端具合が分かるかと。
エンタメを求めるならフォードvsフェラーリの
方が面白いです。
タイトルはダサいですけど。
全然痛快じゃない
うっとりするほどかっこいいフェラーリがスリリングなレースで競り勝って大興奮する、みたいな映画を想像していたら全然違う。むしろ安全運転をしたくなるし、フェラーリ欲しくならない。
エンツォ・フェラーリがアダム・ドライバーだったことにエンディングロールで気が付く。50代半ばの役で、オレと変わらないくらい。エンツォが高慢な男でなかなか嫌な感じだ。しかしブランドとはそいうもので、不遜であるくらい自分が一番であると思っていなければ他者を魅了することはできない。レースでの勝ち負けにこだわるのも、自分が誰よりも強者であると示したいという強い意志によるものだ。そんな人が奥さんを始めとして周囲の人と軋轢を生むのは必然だ。よく続いている。
子どもが無邪気に「パパーパパー」と呼ぶのが切ない。どんなに嫌な人間でも大切なたった一人のお父さんだ。子どもにエンジンの設計図を見せて、子どもが興味を示すと嬉しそうにする。
奥さんに詰められて、愛人にもけっこう詰められて、経営も大変だし、苦い。さっぱりうらやましくない。レースで優勝しても代償が大きすぎてつらい。
エンツォが、レーサーが二人死んで事故に巻き込まれた人が何人も死んでいるのに、特に死者を悼んだり憐れむ描写はない。そんな徹底ぶりが改めて腹が座ったハードな表現ですごい。
レース映画と誤認していたので…
予告のみ視聴して、通常上映にて鑑賞。
ジェームズ・マンゴールド監督作品「フォードVSフェラーリ」のような作品を期待して観に行ったので、伝記映画だと分かった時は少し冷めました。
ですが、レースのシーンの迫力、音響、特にエンジン音はファンには堪らないものになっていたと思います。
エンツォ・フェラーリの様々な葛藤が素晴らしい演技で表現されていたので、違和感なく楽しめたと思います。
もう一度「フォードVSフェラーリ」を観たいと思える作品でした。
秀逸の人間ドラマ
面白かったです。
レースやエンジン開発がテーマの映画ではないことは分かっていた。
にも関わらずフェラーリという車やその存在を愛するインフルエンサーが絶賛していた。その時点でこの映画に惹かれ鑑賞。
エンツォ・フェラーリという天才を取り巻く幾重にも重なる人間模様。
エンツォの妻、愛人、母、愛人の子、皆が彼に振り回され憎しみ、彼の引力に吸いこまれる。その葛藤を見事に表現した秀逸のドラマだ。
自動車メーカーのフェラーリを取り巻く個人や企業、レーサーを知っていれば、もっと深い感動が得られよう。勉強してもう一度見る。
とても小さなシーンだが、レース中のデ・ポルターゴがかじったバナナを、彼のファンらしい少年がもらった時の笑顔が忘れられない。
一本のバナナで少年は一生フェラーリを愛するのだろう。
サングラスに花束に真っ赤な車
アダム・ドライバーがとてもかっこよかった。初めて映画で見たのは「スター・ウォーズ」のカイロ・レイン役だと思うけれどその時は見て思わず笑ってしまった。そういう場面ではないのに。それから何本か見たけれど、こんなに内面と外見を見事に作って役になりきったアダム・ドライバーはとても素晴らしくていい俳優だ!と初めて今更ながら思った。
20代の息子を亡くしたら誰だって悲しいがとりわけ家族愛が強いイタリア、フェラーリの継承者としても大切だった長男への墓参りを欠かさないエンツォ、花束持って。教会のミサと同時進行で映し出されるカーレース指示はまるで映画ゴッド・ファーザーだった。
グレイヘアのオールバック、サングラス、スーツが高身長のドライバーにぴったり合っていた。自分の母親と妻ラウラ、一方で可愛い息子までいる密かな愛人リナ(「スノーデン」の彼女と同じように可愛く理性ある役!)との間で苦しみ、会社の危機を抱えつつ、自分の美学を曲げないエンツォという人間がそこにいた。
ペネロペはCHANELの映画CMではがっかりしたが、この映画では最高だった。このスペインの女優はフランスでなくイタリアにぴったりなのだ!目の下は隈、顔色悪く、髪の毛ボサボサ、言いたいことははっきりと強烈に言う。彼女もサングラスかけて、エンツォと同じように脚が開き気味の歩き方をする。イタリアによくある家族での企業展開の感じが伺われた。
ミッレ・ミリアってあんなに長い距離の公道を真夜中に出発して走るんだ!おっかない。美しい風景、トスカーナかなあ、ローマのコロッセオかなあ位しかわからなかったがとにかく凄い。どんな風に撮影したんだろうと感銘を受けた。美しかった。近辺の人達が総出で応援していた。昨年ほんの少しだけ滞在したトリノで、旧市街ど真ん中の公道を凄いスピードで走るレーシングカーを見たことを思い出した。確かにすごく興奮した。観客もみんな大興奮。でも事故は常に紙一重。レーサーはみんな、愛する人に手紙を書いたり万が一のことを仲間に頼むんだろうか。
映画の冒頭、白黒のニュース映画のような映像で若きエンツォのレーサー姿が映る。その笑顔はアダム・ドライバーだった。
おまけ
エンツォが早朝に愛人の家を出て妻のいる自分の家に戻る際、息子を起こさないよう、隣家(あったかな?)に顔見られない(または迷惑かけない)よう、エンジンかけずに静かに車を出したところに胸が痺れる程の感動を覚えた。車を愛し車を知り尽くしている男🚗
クライマックスは
どこだ? 事故の大惨事か、スタート前のマセラティとの丁々発止か、それとも虎の様な奥さんか?散漫になっていたのは否めない。でもペネロペクルス良かったなぁ、推しになっちゃいましたよ。
イタリア人と言えばカイロレンなのかな? 今回は面長に見えなかった。赤い車体が美しいね。
あくまでもエンツォの伝記映画なのだが、ミッレミリアの再現度が強すぎて引いてしまう
2024.7.5 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のアメリカ&イギリス&イタリア&サウジアラビア合作の映画(130分、PG12)
原作はブローク・イェーツのノンフィクション『Enzo Ferrari: The Man, the Cars, the Races, the Machine』
実在の実業家エンツォ・フェラーリの1957年頃の激動を描いた伝記映画
監督はマイケル・マン
脚本はトロイ・ケネディ・マーティン
物語の舞台は、1955年頃のイタリアのモデナ
モータースポーツのカーメイカーのエンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)は、妻ラウラ(ペネロペ・クルス)と共にフェラーリ社を経営してきたが、業績は下降傾向で資金繰りも悪化していた
エンツォはモデナ郊外に愛人のリナ・ラルディ(シャイリーン・ウッドリー)を囲っていて、彼女との間にピエロ(ジュゼッペ・フェスティネーゼ)という息子がいた
ラウラとの間にもアルフレッド、ディーノ(ベネデット・ベネデッティーニ、幼少期:ガブリエル・ノト&エドゥアルド・ブラルディ)がいたが、共に若い頃に亡くなっていた
ある日、フランスからジャン・ベーラ(デレク・ヒル)というドライバーがやってきて、ライバル会社のマセラティと契約を結ぶことになった
彼は新車で最速タイムを叩き出し、一躍時の人となった
業績悪化が叫ばれる中、フェラーリはミッレミリアと呼ばれるイタリア北部のブレシアからローマを往復する1000マイルを走破するレースに参加することを決意する
このレースで優勝すれば多大な宣伝効果になることが見込まれ、それに全てを賭けようと考えるのである
だが、その一方で、ピエロの認知問題が放置できなくなり、銀行家のうっかり発言でラウラに知られてしまう
ラウラは権利の譲渡と引き換えに金を要求するものの、小切手を現金化すれば破産手続きに入られてしまう
そこでエンツォは条件を提示し、レースで勝つために全力を投入することになったのである
映画は、ミッレミリアについて知っているかどうかで印象が変わるのだが、その再現度は凄まじいの一言である
レースはイタリア車同士が争い、結果としてフェラーリがワンツースリーを独占してしまうので、誰がどうなったかは分かりにくい
スペインから自分を売り込んだデ・ポルターゴ(ガブリエル・レオーネ)と、彼のナビゲーターとして同乗したエドマンド・ガンナー・ネルソン(エリック・ヒューゲン)が乗った車が大事故を起こし、観覧者9人(うち5人が子ども)が犠牲になってしまう
レースはこの事故を受けて開催中止となり、デ・ポルターゴの体は車体の下敷きになったあと、真っ二つになっていたそうだ
このあたりが結構リアルに描かれているので、心臓の弱い人は注意されたほうが良いのではないだろうか
映画は、モータースポーツの華々しい開発競争とかレースを描いているのではなく、この時期にまとめて起こったエンツォの事情を余すところなく再現している
それゆえにヒューマンドラマの側面が強く、伝記映画として見る分には良いが、モータースポーツ映画として見ていると結構しんどい内容になっている
ちなみに、ピエロは無事に認知され、フェラーリ姓を名乗り、今では副社長クラスの幹部に名乗りをあげているので、エンツォの母アダルジーザ(ダニエラ・ピッペーノ)の見立ては正しかったのだろう
いずれにせよ、個人的にはミッレミリアの詳細は知らなかったので、事故のシーンがリアルすぎて引いてしまった
コントロールを失った車がどうなるのかという怖さと、避けようがない瞬間的な出来事なので、観戦する方も命懸けなんだなと思う
ドライバーは死を覚悟して乗るが、観客はそうではない、という言葉が印象的で、その他にもエンツォの経営哲学や人生訓がさらっと登場するので、全てのセリフに重みがある
成功者としての哲学は素晴らしいのだが、戦時中のいろんなことがあったとは言え、下半身をちゃんとコントロールしないと大変なことになるのだなあと感じた
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