「まだ若いアダム・ドライバーが、初老のエンツォ・フェラーリを演じる必然性はあったのだろうか?」フェラーリ tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
まだ若いアダム・ドライバーが、初老のエンツォ・フェラーリを演じる必然性はあったのだろうか?
クラシカルなレーシングカーによる迫力のあるレース・シーンは見応えがあるし、凄惨なクラッシュの場面からは、ドライバーだけでなく観客にとっても、カーレースが死と隣合わせであることが実感できる。
ただ、この映画が焦点を当てるのは、エンツォ・フェラーリの私生活であり、しかも、妻の他に愛人と隠し子がいるという、ありきたりといえばありきたりな話で、そうした家庭のゴタゴタには、今一つ入り込むことができなかった。
むしろ、印象に残るのは、ペネロペ・クルスが演じる妻のキャラクターで、夫に向けて銃を発砲するという気性の激しさを持ちながら、その夫のために、自分が保有する会社の株を譲ったり、それで得た50万ドルを差し出したりと、関係が冷え切っていようが、裏切りが発覚しようが、結局、夫のことを愛しているのだということがよく分かる。
その一方で、アダム・ドライバーが演じる夫のエンツォは、そんなに魅力的なキャラクターには見えないし、どうして妻から愛されるのかもよく分からない。
そもそも、40歳そこそこのアダム・ドライバーが、初老のエンツォを演じる必然性はあったのだろうか?
最初は、「回想」という形で、アダム・ドライバーが、自分の実年齢に近い頃のエンツォを演じるシーンが多いのだろうと思っていたのだが、蓋を開けてみれば、そうしたシーンは、オベラを観劇する場面でわずかに出てきただけだった。
むしろ、エンツォが現役のレーサーだった頃の活躍とか、戦争中の苦労とか、会社を起業した時の経緯とかをもっと知りたかったし、闘病の末に亡くなった息子のことも含めて、そうした描写が全くなかったのは、物足りないとしか言いようがない。
どうして、アダム・ドライバーが、わざわざ老けたメークをしてまで、エンツォを演じなければならなかったのかが、最後まで納得できなかった。