劇場公開日 2024年4月26日

「そして僕は途方に暮れる」悪は存在しない tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0そして僕は途方に暮れる

2024年5月11日
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薪を割ったり、水を汲んだりといった、自然の中での日常生活が、長回しの映像で延々と描かれる冒頭は、正直言って眠くなる。
だが、グランピング場の開設に関する地元説明会の場面になると、ドキュメンタリータッチの映像が独特の緊張感を醸し出して、俄然面白くなってくる。
ここでは、利益を優先して自然を破壊しようとする開発者と、自分たちの生活を守ろうとする地元住民の対立構造が明確になり、前者が「悪」で後者が「善」という、物語としての構図もはっきりしてくる。
やがて、モブキャラだと思われた開発者側の担当者にスポットが当てられ、彼らが悪い人間ではないということが分かってくると、人間は単純に「善」と「悪」とに区分できないということが実感できて、映画のタイトルが意味するところも理解できたような気になってくる。
さて、それでは、この開発計画をどのように着地させるのかと思っていると、突然、少女の失踪騒ぎに物語が転調し、最後は、呆気にとられるような形でエンドロールとなる。
一体全体、この結末は、どのように解釈すればよいのだろうか?
一度薪を割ったぐらいで、自然の中での暮らしを理解したように思っている芸能事務所の男を、自称「何でも屋」の男が、不快に感じていたのは間違いないだろうが、それだけで殺意を抱くとは思えないし、ましてや、「どうしてあのタイミングで?」という疑問も残る。
もしかして、何でも屋は、不用意に手負いの鹿に近づこうとした芸能事務所の男を助けるために、彼を制止しようとしたのかもしれないが、その前に、まず、自分の娘を助けようとするのが普通だろうし、制止するにしても、気絶するまで羽交い締めにするのは不自然過ぎる。
それとも、自分の娘を犠牲にしてまで、芸能事務所の男を救おうとしたということなのだろうか?
まあ、いくら考えても「正解」はないのだろうし、作り手側も、作品の解釈を観客に丸投げして、「正解」を提示する気がないのだろう。
ただし、「起承転結」の物語としては完全に破綻しているし、そういう意味では、良くも悪くも、観客の期待を見事に裏切る映画であるということは間違いないだろう。

tomato