あの歌を憶えているのレビュー・感想・評価
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おっさんを誘拐してもKidnap
しかも誘拐した方が子供だしw
ジェシカ・チャスティンで、地味に現代文学作品です。ホアキンのカモン・カモンと同じ位置付け。ハリウッド女優のアンチ・ハリウッド映画ってだけで萌えますもん。
一回のキスは100万語の口説き文句に勝る。ってのは、脚本家の手抜きにも見えなくはないけれど。あそこが、良かったです。
原題はシンプルに Memory です。邦題は「あの歌を憶えている」
コレは違うと思うんですよ。邦題が指すのは、プロコルハルムの青い影。認知症になった彼が憶えている、歌の事。
忘れられないトラウマ
赦せない母親の仕打ち
大好きな歌
家族の顔と、彼らに対する感情
高校時代の友達
レストランのウェイトレスと料理
憶えている事と、憶えていない事が、ソールとシルビアの間を行き交います。
冒頭、憶えていられなかったシルビアの事を、ソールは忘れていませんでした。アナの事も、あの家の事も。規則性の無いソールの記憶。その記憶に残るのは愛と言うフィルターを通過するものだけなんだ!って言うだけのラブストーリー。
画的な美しさもなく、美男子が出てくるでもなく、ドラマティックな展開があるでもなく。
主人公がトラウマを乗り越えて行けたのも愛ですし、ソールが家出するのも愛。って言う。だから、青い影だけを強調するのは止めろよw
ハリウッドの大物が、演技勝負の小品に挑む。系のヤツが、結構好きなんで。
良かった。
結構。
あえて苦難の道を行くのね
いま読んでいる本が事故の影響で数時間しか
記憶を保てない、事故前の記憶はある。
という設定のため既視感あり(物語は全然違うけど)
ソール(ピーター・サースガード)への誤解は解けたが
正直、恋愛に発展するとは思わなかった。
過去に様々なトラウマを抱えたシルヴィアは
(ジェシカ・チャステイン)
男性不信にもなってると思ったし
そもそもふたりの行く末に明るい未来が見えない。
ソールの収入源ってなに?生活出来るの??
シングルマザーで副業もしなくてはならないお財布事情だったのに?とか
現実ばかり見てしまった🤣
おばあちゃん(シルヴィアの母親)も言ってたけど
娘アナ(ブルック・ティンバー)が本当にいい子
シルヴィアの母親としての愛を感じる
複雑な状況下でのラブストーリー
主人公シルヴィアの幼少期のトラウマ、
そこからのアルコール依存、
そして13年経った今、平常を取り戻しつつある。
認知症の男性ソールと同窓会で出会う&ストーキング疑惑
から始まるラブストーリー。
シルヴィアの心情がかなり複雑で実に感情移入しづらい。
ソールも認知症ながら、そこが強調されることがなく
辛さみたいなところは感じづらい。
シルヴィアの場合、
自分に性暴力をしていた父親を庇う母親も憎んでいるし、
妹とも微妙な関係。
ただ、娘のアナはいつも味方だ。
ラストもアナあってのハッピーエンドだ。
それにしても、シルヴィアがソールに恋愛感情を抱く
変遷をもっと丁寧に描いて欲しかった。
ストーカーと思い込んでいた男性を好きになるのには
違和感。いくら仕事でソールの面倒をみるとは言え。
そこで重ねた時間が恋に発展したとは言え。
ちょっと無理があるというか、自然ではないと思う。
非常に複雑な状況下ではあるが、
ハッピーエンドであるがゆえ、鑑賞後感は良かった。
ただ、この邦題はどうなんだろう?
的を射ていないように感じた。
音楽がキーには必ずしもなっていないと思う。
演劇を知らない人には分からない例えだけど、平田オリザの静かな演劇みたいな映画でした。
映画が演劇みたいというのは、よくある悪口の一つです。昔の行定勲監督の映画で、役者の喋りが小演劇の、
私は、今、何なんと思っている!
とか、見れば分かる事をいちいち台詞で伝えるという変な台詞で気になってしょうがなかった。今の映画はそんな台詞回しは無いので、あの時、つるんでいた脚本家が悪かったのでしょう。
さて、この映画だが、確かに鑑賞した筈なのに、レビューがなくて、全く記憶になかったけど、つまらなくはなかった、「 ニューオーダー」 の監督だから、そんなに、変な映画ではないと思っていたが、意図が分からない映画なのだ。縦の意図も、横の意図もさっぱり分からないのだ。
まず、撮影方法だが、カメラの役者には一切、寄らないで10メーターくらい離れて固定カメラで撮影をしているから、役者がどんな表情で台詞を喋っているのかが分からない。
だから、映画の終盤の主人公の過去のトラウマを語るシーンも、トラウマの原因になった役者の表情が見えないから、感情移入できないのだ。演技をする役者の表情を見せないのは、どんな意図?斜めの意図か?
押井守神が制作した全六話のテレビアニメ、「 ご先祖様万々歳!」 というアニメは、小演劇の芝居をそのままアニメにしているという気のふれたような意欲作で、一体、俺は何を見ているのか自問自答しまくった作品だが、損したとは思わなかった。また、見たいとは思わないけどw
見た事がない人は一度、見る事をお勧めします。すっごい、変な、演出だよ?ちゃんと、舞台みたいに、上手から、役者が登場して、下手にはけて、いくのだ。細かいにも程があるNE!
でーだ!ずっと、遠巻きに据え置きカメラで役者の演技が分かりにくくて、まるで、小演劇の芝居を劇場の一番後ろの席で見ているような気分になるわけ?アンダースタン?
で、主役のアルツハイマーの男優は、この映画で賞をもらったそうだが、アルツハイマーらしき演技はしない、させない、何も引かない、何も足さない。
記憶がなくなる病なのに、往年の名曲「 青い影」 をずっと、歌っているし、徘徊もしないし、部屋でウンコしたりもしないし、吐いたモノを食べたりもしない。
生活を弟に管理されていて、弟にカードを停止される以外は何も波瀾万丈、銀河万丈な事も無く、主人公の女性とイチャコラしている。あまりにも、イチャイチャしすぎて、娘は家出をするが、これもすぐに解決する。
90分と短い映画だが、映画が始まって、主人公の女性がアルコールの断酒会の談話に参加してから、アルツハイマーの男と、付き合って、イチャコラするのが、75分続く。
このシーンが、特に事件もなく、平田オリザの芝居のように、演出を放棄して、ただただ、役者が日常会話をしているだけ。つかこうへいみたいに、暑苦しいオーバーリアクションで役者だけが楽しい芝居の方がまだマシ。
女性がされていた、トラウマの原因となった「 あの事」 の影響で、フラッシュバックする事も無い。
唐突に、終盤15分で怒涛の展開が繰り広げられるわけだが、そんな伏線あったか?お笑いでも、そうだけど、ネタ振りは必要じゃね?
繰り返し流れて、EDロールでも流れる青い影だけど、歌詞をググってみたが、ヒャッハーしているパリピが女と出会ったけど、その女が青白い顔をしていたという歌詞で、特に何とも面白くない歌詞です。バックに流れるオルガンの音色だけはいいけどね。
選曲にセンスが無いよな?ジュード・ロウのレポジェッション・メンと、キス・キス・バン・バンで、使われた、ニーナ・シモンのフィーリング・グッドとか、
オデッセイのアイ・ウィル・サバイブとか、ロボット・ドリームスと、最強のふたりのセプテンバーとかさ?映画の内容にハマっていたじゃん、
ビートルズとオアシスしか聞いていないから、そうなるんだ!もっと、CDをジャケ買いして、失敗しながら、経験値を積め!お金がないなら、Applemusicのランダム再生でもいいからさ?
監督は、ファーザー、私の頭の中の消しゴム、ペコロスの母に会いに行くなどの、役者の認知症の演技を見て、面を洗って出直してこい!
何も学ぶ事がない映画、見る必要なし!出来ないんだったら、やるな!迷惑だ!
親たちは最低の毒だがきょうだいは温かい
アルコール依存症の自助会に参加していて、娘に対する異常な心配性と過保護、住まいの厳重すぎるセキュリティなど、シルヴィアが病んでいそうなのがありありで、彼女と絶縁状態の訳有りげな母がことあるごとに口汚い言い方で口にする長女シルヴィアの異常性を、やっぱり、と信じそうになったが、そういうことだったのか。この両親の人でなし性に絶句した。
事情があからさまになった時に、オリヴィアの夫がすぐさま毒母・サマンサに「出ていけ」と怒鳴ったところですっとした。
ようやくシルヴィアの訴えが全面的に信じてもらえたのだと思った。
この毒母は、夫が娘にしているおぞましいことより、彼が自分ではなく長女を求めたことが許せないのだろう。だから「事実」と認めない。嫉妬と女としてのプライドからか。執拗に長女を貶め、絶縁状態なのにしつこく近づくチャンスを狙い続けるは、シルヴィアの心のよりどころの孫娘アナを丸め込もうとするは、長女を幸せにさせてたまるかという執念を感じる。
もっとも、普通の会話にもサマンサの言葉の端々には何とも言えない醜さ、いやらしさを感じるし、妹オリヴィアからも心理的に距離を置かれているところから、彼女の人間性は、外ににじみ出てはいる。
シルヴィアがティーンエージャーのころは荒れて、さらにはひどい男どもからの性被害に遭い、そこからのアルコール依存症というのは、なるべくしてなった流れだ。
こんな毒母は、オリヴィアの家から出て行った足で地獄に落ちてしまえと思う。
唾棄すべき父親はとっくに落ちてるけど、彼女を待ってはいないでしょう。この世と同様に毒妻をないがしろにするんでしょう。
穏やかで優しいソールは、過酷なシルヴィアの人生で唯一、温かく安心できる人なのだろう。ソールにしても、シルヴィアに何か感じるものがあって同窓会の帰りについ、ついて行ってしまったのだろう。(ちょっと寝てしまったのでその間について行った理由が語られたかも)相性というのは、その二人の感覚のみで、理屈じゃないし、他人には分からないものなんだと思う。
若年性認知症の中年男性と過去のトラウマから逃れられないメンヘラ気味のシングルマザー、若くもないふたりの今後となると問題山積みで長くは続かないと思われるが、人生は長いようで実は短いかもしれない。ふたりが幸せなら、その瞬間以上に大事なことはないような気がする。
ソールの弟アイザック、シルヴィアの妹オリヴィアと、保護される立場の年少のきょうだいが兄姉の保護者になっているのが面白い。アイザックは口やかましくするがソールが心配でたまらないだけ。オリヴィアは、姉が父の毒牙にかかっていることに気づきながらなにもしなかった自分、姉の犠牲で自分は無事だったことに罪悪感を抱きながらも、母に自分を愛してほしかった気持ちがないまぜになって複雑だが、それ以上に姉を愛している。
弟妹にとっては、ぽんこつだろうが何だろうが今やただひとり幼いころの自分を知っていて思い出を分かち合える、遠慮が不要な親しい肉親だ。
そういう唯一無二感と、年少ゆえの無力感と、兄姉に対する幼いころの畏敬の念をいまだ大事に持っているような二人に見えた。
幼いながらも母の保護者のようなアナが、健気でかわいい。
あの年にしてはできすぎていてかわいそうな気もする。アナの父親のことは誰も何も言わないし、子供に責任はないが、13歳という年齢から、アナ自身何か思うところもあるのではないか。
また、いくら認知症とはいえ、男性一人の家に女性ヘルパー一人を送り込んで一晩面倒見させたらその手のトラブルはありがちだと思う。認知症だけど男性としての体は何ともないし、欲もあるんだから。
登場人物たちが住む家が、どれもいい感じに温かみがあり居心地が良さそう。
この家々の佇まいが、弟妹と兄姉、シルヴィアとアナの母子の関係とシンクロするように感じました。
ソールの好きなプロコル・ハルムの「青い影」が心に残るが、いづれこの曲も忘れてしまうんでしょうか。
有りがちな物語だけれど悪くはないです
話の筋としては、40代の男女が同窓会で何だか出会っちゃって、何だか恋をしちゃって、色々あるけど結ばれたよ、っていう有りがちな物語だけれど、悪くはないです。
すごく地味な映画だから人気は出ないと思うけれど。
主役のシングルマザーは、最初は全く魅力が無いけど、段々と輝いてくるのが不思議。
当然そういう見せ方を映画としめ計算している訳だけれど。
原題は英語の「Memory」。
そのまま原題を使うか、「記憶」というストレートな邦題にした方が良いと思う。だって、歌のことは重要なシーンで全然出て来ないのだから。
あなたのことを憶えている
過去の忌まわしい記憶に苦しみ続ける女性と、過去の記憶を失いつつある男性の恋物語。
ミシェル・フランコ監督、大きな路線変更でしょうか。人間の中の闇を描くことで定評ある彼の作品。前作の「ニューオーダー」は強烈な作品だった。それだけに今回の人間ドラマにはそのふり幅に驚かされた。ただやはり人間が抱える心の闇を本作も見事に描いていた。
主人公シルヴィアが持つ心の闇は深刻であり、それがどのように癒されてゆくのか。幼少期に実の父親から受けた性的虐待。そのトラウマから逃れるために十代の頃から酒に溺れアルコール依存症に。
自身が命を授かったのを機に断酒を決意するが、それはアルコールで紛らわせていたトラウマと対峙せざるを得ないことでもあった。
愛する我が子のためには断酒をしなくてはならない、でも断酒をすればつらい過去に苛まれる。そんな苦しみを背負いながらも単身で娘を育て上げ、障碍者施設で働く彼女があるとき奇妙で運命的な出会いを果たす。
同窓会で出会った男がずっと自分をつけてくる。この男は何者なのか。一晩雨に打たれながら朝まで玄関前でたたずんでいた男は寒さに打ち震えていた。尋常でない彼の家族に連絡を取ると若年性認知症なのだという。
記憶が唐突に失われるソール、つい今しがたまで普通にしていたのが突如として記憶が飛んで気がつけば知らない場所へ。
彼のように記憶を消し去ることができるならどんなにいいだろうか。どれだけ浴びるようにお酒を飲んでも消せないつらい記憶を持つシルヴィアは次第にけなげな彼に惹かれてゆき二人は愛し合う中に。しかし彼は四六時中目が離せない状態であった。
シルヴィアが仕事中に再び記憶が飛んでしまったソールは部屋を抜け出し路上で倒れていたところを発見され病院へ運ばれる。
彼の弟によって引き離されてしまう二人。そんな二人をシルヴィアの娘のアナが引き合わせる。再会を果たし抱き合う二人の姿で唐突に作品は終わる。
このラストが良かった。二人がその後どうなったのかを描かず観客の想像にゆだねた終わり方がより余韻を残す。
二人はあれからどうなるのだろうか。おそらく頑固な弟を説得して娘のアナと三人でこれからも共に暮らしていくのではないだろうか。
シルヴィアが心に負った傷はきっと三人で暮らす生活の中でゆっくりと癒されていくはず。ソールの認知症もその症状自体は努力すれば遅らせることができる。
脳は容量に限界があり、古い記憶やつらい記憶は新たな記憶により上書きされて消え去るか記憶の奥底に押し込められるという。彼らが共に暮らす生活の記憶がシルヴィアの過去のつらい記憶を心の奥に押し込め、またソールはシルヴィアとの記憶を忘れ去ったとしても彼女とい続けることで新たな記憶が上書きされていくのかもしれない。きっと彼は彼女のことをこれからも憶え続ける。そんな前向きな二人の未来を想像させるラストシーンだった。
邦題にもなっているあの歌、誰もが一度は聞いたことがあるプロコル・ハルムの「青い影」がとても印象的。この曲を聴くたびにこの映画を思い出すのだろう。私の記憶に本作は上書きされた。
極めて厳しい状況下の話なのだが…
過去のPTSDをかかえ、アルコール依存症から抜け出す努力を続けている、13歳の娘をもつシングルマザー(ジェシカ・チャスティン)と、若年性認知症の中年男(ピーター・サースガード)の話。
ジェシカの母親との不和の原因や、妹とのしっくりしない関係の原因が、次第に明らかになってゆくあたりは、なかなか。
極めて厳しい状況下の話なのだが、結局は中年男女のラブストーリーで締めくくられたのは意外だった。
ハッピーエンドのラストだが、リアルな目では、実はその後が大変、と思ってしまう。
タイトルなし(ネタバレ)
米国ニューヨークのブルックリン。
13歳の娘アナと暮らすシルヴィア(ジェシカ・チャステイン)は、普段はソーシャルワーカーとして働き、夜はAA(アルコール依存症自助グループ)に通っている。
妹オリヴィア(メリット・ウェヴァー)の薦めもあり、高校の同窓会に参加した。
シルヴィアにとって、高校生活はある忌まわしい記憶があり、同窓生との接触はできれば避けたいところだった。
早々に帰路についたシルヴィアを、会場からひとりの男性(ピーター・サースガード)が尾けてきて、彼女の自宅前で一夜を明かしてしまう。
持ち物から彼の名はソールとわかり、書かれてあった緊急連絡先に連絡すると、ソールは若年性認知症による記憶障害があることがわかる・・・
といったところからはじまる物語。
ポスターデザインとタイトルからやや甘ったるい系の映画を予想していたが、かなりシビアな映画で、ぶっきらぼうな演出。
冒頭のシルヴィアのAAシーンから心を脅かされる。
ソールとの初会合、好演で過去の性被害を告げるシーンあたりから、「どうなるのか」が気が気でなくなる。
彼女がソールに惹かれていくのは、彼が彼女の過去を告げられても憶えてない、頓着しないということだろう。
憶えている/憶えてない、ということの差異は大きいように思うけれど、未来に向けばそれほど差はないのかもしれない。
映画は終盤、さらに重く衝撃的な展開となるが、そのことはここでは書かない。
日本版タイトルの「歌」を「こと」に変えて「あのことを憶えている」とすると、格段にシリアス感が増し、内容がストレートに伝わるかもしれない。
が、観客は減るかもしれない。
やや甘ったるいところは、繰り返し繰り返し断片が流れるプロコル・ハルム「青い影」だけ。
過去に頓着しない男ソールによって、シルヴィアの暗い過去の記憶が、うっすらと白くぼんやりとしていく・・・
という意味での選曲でしょう。
Pale
曲は大変有名であり、『「G線上のアリア』との近似性も本作にさりげなく登場させている
でも・・・ ストーリーとこの曲との関係性は薄い そこが非常に悔やまれる 単に認知症の男が好きな曲ということで、女の方には何もその曲との思い入れはない 単なる好きな男の好きな曲という位置づけである
誰でも一度は聞いたことのある、そして沢山のミュージシャンがインスパイアし、オマージュした曲なだけに、そのストロングな曲をもう少し織込んでくれれば良かったのにと、残念である 話自体もヘビーなのだから、女の側にも過去にこの曲に纏わる出来事があったら良かったのにと...
ラストのあっさり感も含めて、題材とドラマの盛り上がり度の乖離があったかなぁと・・・
でも、総じてシッカリした作品であったのは確か!
青い影
幼い自分の身体いっぱいになった怖さはその後も感覚と記憶で支配し続ける。
その罪の深さがシルヴィアにある影をもたらしていたことにソールは気づいたと思う。
それは、自身も病を持つ人生を生きている彼だからこそ。
そして彼女がようやく自分の本音を吐露できたのは、苦悩があっても自分の心に向き合いありのままに生きているソールの姿に触れ安らぐ自分をみつけることができたおかげだったか。
あの日をきっかけに年頃の娘も母を1人の人間としてみつめるようになり厳しい躾の理由がわかるとわだかまりもすっと消えた。
その成長はとても頼もしく素敵だった。
ソールが好きなプロコル・ハルムの「青い影」が劇中に
悲しく美しく響く。
だんだんとこの大好きな歌さえも思い出せなくなる日が彼には来るかも知れない。
だけど今度はシルヴィアが彼を支え、この歌がそっとそばにいてくれるのだろう。
影の切なさがあるからこそまぶしい喜びをより感じられる。
そのすべてが人生。
自分のために、どんなときも目をそらさずに
そんなふうに聞こえて来る。
病んでるな、アメリカ
アルコール依存に、性虐待、認知症に拘束介護。
アメリカ、病んでるな〜
苦しさを抱えて必死で生きたご褒美が、ちゃんとあったよね。
当たり前のことを、ちゃんと口に出せる娘が素晴らしい。
その子を育てたのは、間違いなく彼女だ。
それにしても、毒母はどこにでもいるんだね。
J線上のアリア
ミシェル・フランコ監督は扇情的なテーマを乾いた視線で描く印象があります。今回は少し違うのかなと思ってましたが、やはり主人公シルヴィアのトラウマの真因は扇情的でした。
ストーリー的には、二人(シルヴィアとソール)が惹かれ合う描写にやや唐突感があり、もう少し丁寧に描いて欲しかったところではあります。
「青い影」は名曲で大好きなのですが、劇中は断片的にしか使われず、もやもや感が残りました。二人の会う瀬のシーンでフルコーラスで使って欲しかったなあ。
でもシルヴィアと娘のアナの関係は素晴らしく😀、アナが傷ついた大人二人を救済します。ここはミシェル・フランコに円熟味が出てきた部分では。
ソールの弟役でジョシュ・チャールズが出ていました。「いまを生きる」の高校生がいいおっちゃんになってました。まあ、ジュード・ロウがぶよぶよになるぐらいですから仕方ないですね。
一方シルヴィアの母役は「サスペリア」のジェシカ・ハーパー❗️当時の面影を残しつつ、シルヴィアのトラウマを決定付ける保守的な毒親を好演しています。
追記 素っ裸にならないと着替えが出来ない人ってやっぱりいるんですね。
久々の邦題詐欺だけど、設定が後半で放置されている方が気になってしまうかも
2025.2.25 字幕 MOVIX京都
2023年のアメリカ&メキシコ合作の映画(103分、G)
忌まわしい記憶を忘れたい女と直近の記憶を失くす男との出会いを描いた恋愛映画
監督&脚本はミシェル・フランコ
原題の『Memory』は「記憶」という意味
なお、邦題に使われている「歌」は、おそらくはProcol Harumの楽曲「A Whiter Shade of Plale」のことを指すと思われる
物語の舞台は、アメリカのニューヨーク
ソーシャルワーカーとして働いているシングルマザーのシルヴィア(ジェシカ・シャスティン)は、13歳の娘アナ(ブルック・ティンパー)と暮らしていたが、時折妹のオリヴィア(メリット・ウェバー)に彼女を預けていた
オリヴィアには夫ロバート(トム・ハモンド)との間にマーク(ジャクソン・ドルフマン)、アシュレイ(ブレイク・バウムガーター)、ルーシー(アレクシス・レイ・フォルレンザ)の3人の子どもがいて、アナは彼らよりも年上だった
シルヴィアは13年ほど通っているAA会(アルコホーリクス・アノニマス=断酒会)があって、職場の同僚タリナ(タリナ・ウェブ)、カレン(カレン・ローチ)とともに誓いを守ってきた
ある日のこと、オリヴィアとともに高校の同窓会に出向いたシルヴィアだったが、場の雰囲気に馴染めず、また奇妙な男(のちにソールと判明、演:ピーター・サースガード)が接近してきたために帰ることにした
だが、男はその後もずっと後をつけていて、さらに家の前で野宿をして待ち続けていた
シルヴィアは彼から携帯を借りて、迎えに来れる人に連絡を入れた
ほどなくして、兄のアイザック(ジョシュ・チャールズ)が駆けつけて事なきを得た
それでも、ソールの事が心配なシルヴィアは彼の家へと出向いてしまう
その縁から、アイザックの娘サラ(エルシー・フィッシャー)のアイデアもあって、週末はソールの面倒を見るために来訪することになったのである
映画は、忘れられない女と忘れてしまう男を描いていて、当初は「過去の性暴力の加害者と被害者」という立ち位置だった
それが誤解とわかってからは距離を縮めるに至るのだが、ソール側の執着(妻に似ている)はわかっても、シルヴィアが彼に傾倒していく理由はよくわからない
幼少期の父からの性的虐待、高校での上級生からの性的虐待があれば男性に対する警戒感はものすごいものになる
事実、彼女の家は4重ロックで防犯システムも入っている徹底ぶりなので、よほどの事がなければ男性と深く関わろうとしないと思う
また、ソール側の短期記憶が定着しないというものが本物ならば、日を跨ぐ度に記憶はリセットされていくものだと思うだが、後半はその設定がなかったかのように、シルヴィアに起きたこと、自分に起きたことを憶えているように描かれているように見える
妻に似ているシルヴィアに執着を持っても、アナに関してはそう言ったものもないと思うので、見かける度に「誰?」みたいな感じになりそうに思う
ラストは、アナによってシルヴィアと再会を果たすことになるのだが、「私を信じて」でソールが動くとか、「監禁されている」とアナに訴えるところはどうなんだろうと思ってしまった
いずれにせよ、強烈な邦題詐欺で、歌が二人の何かを結びつけるというものはない
単に流行歌で二人が知っているとか、パイプオルガンの音が好きなんだというソールの趣向を示しているだけで、それ以上の意味もないように思える
これならば、実は本当に高校時代に会っていて、ソールの一方的な一目惚れがあったぐらいの事があっても良いと思う
そして、どこかでシルヴィアがあの歌を歌っているところを見たとか、彼女が好んで聞いていることを知って好きになった、というぐらいの関わりはあった方が良かっただろう
邦題で「歌」を強調したゆえに鑑賞のポイントが変わってしまっているので、この邦題はミスリードすぎやしないかと思った
個人的な勝手な解釈で
張り詰めた中に不安定な脆さを感じさせる主人公、得体の知れない不気味さでストーキングする男性、主人公の妹家での場面に漂う居心地の悪さや距離感など、不穏な緊迫感のある描写が印象的でした。
そこから段々と主人公と男性が心を通わせてゆく様子も、淡々と日常を追う映像と俳優陣の繊細な説得力のある演技でとても良かったと思います。
しかし終盤、男性が自ら飛び降りたと思われますが、何故あんな行動をしたのかというのがよく分からず。
男性が主人公を尾行したのは、主人公に亡き妻を重ねたからかと解釈していましたが。
もしや、主人公妹の男性についての説明は主人公をなだめるための嘘で、男性は本当は暴行したグループの一人だった、その記憶を思い出して罪の意識からとか。
それとも、何かしら男性の過去に死を願う程の辛い記憶があり、それを思い出したとか。
そんな解釈で、ラストシーンは不穏感が強くモヤモヤしてしまいました。
が、ラストシーンの終わり方や音楽など肯定的なニュアンスを感じるし、肯定的な感想も多いようだし、と考えていたところ。
あの行動は認知症からの異常行動などで、認知症が悪化しているという描写だったのだろうかと。
認知症が悪化しても主人公との愛情の記憶はある、主人公も職業柄認知症の悪化を理解しつつ愛情を確かめ合っている、というラストシーンなのかと。
そう考えると、やはり希望のあるラストシーンだったと思います。
疑り深い性格や知識が薄いことなどから、個人的に勝手な解釈をして無駄に不穏感を覚えていただけなのかも知れません。
人生の悔いとはなんだろう。
人は必ず死ぬ。私も、あなたも。親は衰え、自分も若い時代は過ぎた。仕事をし、アルコール依存症からの回復の会に出る。過去の性被害は学校内と、家族内の両方もあるなんて地獄だ。それも母親は理解してない、嘘つきな子と思われながらずっとやってきたなんてシルヴィア…よく生きてきたね。記憶がなくなる恋人、過去の記憶に振り回される自分。ソールに惹かれたのは、誠実さがわかったから。それはソールに対してシルヴィアが誠実に対処したから。そこからシルヴィアは自分の傷を告白するまでに至った。信頼できる、心が満たされる人がいるから。だから対決できた。母親に言いたかった事を言えた。自分の傷をえぐるぐらいの痛みをともないながらも。シルヴィアの告白する様は本当に苦しさが伝わって来て、映画館中がヒリヒリした。シルヴィア、生きててよかった。これからの人生、ソールとどう生きるのか。お互いに悔いなく生きて欲しい。
【”夫々の記憶・・。”過去の辛い記憶によりアルコール依存症になった女性と若年性認知症になった男との恋物語。】
■幼き時に、父親からの行為により心に傷を負っている女、シルヴィア(ジェシカ・チャスティン)と若年性認知症の男、ソール(ピーター・サースガード)は高校の同窓会で、ソールが一人でぽつねんと過ごし途中で帰ったシルヴィアをストーカーの様に追いかけた事から知り合いになり、シルヴィアはソールの兄から週に数回ソールといて欲しいという願いを渋々引き受ける。
◆感想
・ソールがシルヴィアを追いかけた理由が、ハッキリとしないが、ソールがシルヴィアに自分と同じ孤独の匂いを感じたからだろうと、勝手に解釈し鑑賞続行。
・シルヴィアが娘のアナに、日ごろの過ごし方を厳しく指導する理由も徐々に分かるし、彼女の過去の忌まわしき出来事を忘れられない事も、分かって来る。
・シルヴィアと実母が絶縁状態だった理由も明らかになるが、実母が夫の行為を見て見ぬふりをしていたのか、強制的に自身の記憶を捻じ曲げていたのかがやや曖昧だが、シルヴィアの妹オリヴィアの涙を見れば、どちらが本当か分かるよね。
・ソールとシルヴィアが惹かれ合った理由は、夫々が傷ついた弱者という事だったのだろうな。
只、もう少しミシェル・フランコ監督は物語の細部や、演出を練った方が良い気がするな、「母と言う名の女」や、「ニューオーダー」を観てもね。
<邦題の解釈次第で、今作の観方が変わるかなと思った作品。でもって、ちょっと投げやりレビューである。>
忘れたい記憶と薄れゆく記憶。
過去の記憶を忘れたい障害施設で働き断酒中な女性シルヴィアと、若年性認知症と記憶障害で記憶があやふやな男性ソールの話。
同窓会の席で隣に座ってくる独りの男性ソールを避け、その場から立ち去るシルヴィアだったが…、過去の事で男を避け、娘のアナにも男との付き合いを許さないシルヴィアだったがソールとの再会で心情に変化が…。
なぜ断酒?!と、いきなり始まるセミナー的な集まりから見せていき、10代前半の頃、5歳年上のベンという男と、ベンの仲間でもあった同窓会で再会したソールからレイプされていたという過去、…父親からも性的虐待を受けてたと分かっていくなかで。
男を避け、怯え生活してたものの、男との壁が無くなれば男ソールに走るシルヴィアの姿に、娘のアナには男友達との関係は散々ダメと言ってたのにと思うけれど、娘アナの察しの良さ、母シルヴィアの心情の変化に気づき母への気遣い、ソールへの優しさとか、13才の娘アナが1番大人だったかもね。
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