「少女だったと いつの日か 思う時が来るのさ」プリシラ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
少女だったと いつの日か 思う時が来るのさ
ほんの数年前にエルヴィス・プレスリーの伝記映画があったばかりだが、また。
と言っても今回はエルヴィス視点ではなく、彼の最初の妻“プリシラ・プレスリー”の視点から。
彼女の回顧録『私のエルヴィス』を基にし、彼女から見たエルヴィスの物語であり、ある日突然世界的スーパースターと恋に落ちた少女の物語である。
母親と再婚相手で将校の義父の下で暮らすちょっと内気で平凡な女の子、プリシラ。
ある日軍人に誘われ、行ったパーティーで出会ったのは…
エルヴィス・プレスリー。世界中の女性が恋するスーパースター。
二人は意気投合し、やがて恋に落ち…。
と、さらりと書いたが、よくよく考えればスゲー話。
普通の女の子が人気スターと恋に落ちる。しかも相手はあのエルヴィス・プレスリー!
夢みたいなシンデレラ・ラブストーリー。
“エルヴィスの恋人”となるが、それは波乱の始まりでもあった…。
古今東西、周囲の好奇の目。
女性からは羨望と嫉妬。
プリシラは日に日に、彼への思いが募る。
ピュアであるが、世間知らずな面もある。
エルヴィスから一緒に暮らそうと誘い。
両親は大反対。無理もない。この時、プリシラは14歳、エルヴィスは24歳。娘はまだ10代の女の子だし、一回り歳が離れているし、何より世界的スーパースターと…。
が、プリシラも思った以上に頑固。私はエルヴィスの下に行く。止めたって行く。
両親も折れ、プリシラはエルヴィスの家に行く事になるのだが…。
夢に描いたようなもっと蜜月な暮らしを想像していたのだが…。
彼はスター。歌に映画に超売れっ子。家を空ける事が多い。
その間エルヴィスの家族らと一緒なのだが、結構規則が厳しい。唯一の慰め相手は可愛いワンちゃん。
転校した学校でも好奇の目。家の外には常にマスコミ。
気晴らしにバイトしたいが、エルヴィスはそれを許さない。帰ってきた時、いつも家に居て欲しい。
雑誌や新聞などではエルヴィスの話題。共演女優と噂…。
悶々悶々。居ても立ってもいられなくなり、遂にはエルヴィスの下へ押し掛け…。
内気で平凡だった女の子が大胆行動。
どうやらプリシラは恋で変わる女性のようだ。
ヘアスタイルやファッションもエルヴィス好みに。
支えてあげられるように、いつも見てくれるように、彼に愛されるように。
奮闘するが、当のエルヴィスは…。
プリシラの事は愛しているのだが、自己チューが目立つ。
プリシラより仕事優先。
マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンのような真の役者になりたい。
なのに、俺の所に回ってくるのはクソみたいな映画ばかり。うんざりしているのに、プリシラがそれを言うと激怒。他人には言われたくない…?
常に友人らとどんちゃん騒ぎ。
ヤクに手を出したり、怪しいカルト宗教にのめり込んだり…。
普通はそういうのは相談するものだが、エルヴィスが相談や言うこと聞くのは、かの“大佐”のみ。
私の存在って…?
やがて正式に結婚し、娘も産まれ、これで変わると思ったが…。
口論。エルヴィスのDV気質。溝やすれ違い。埋まる事はなく…。
ゴシップや暴露的な話ではなく、スーパースターの妻となった少女の心の揺らぎ。
瑞々しく、幸せの光差し込むも、不信や苦悩…。
少女の内面を描く事に長けるソフィア・コッポラだからこその手腕。
映像美、ファッション/ヘアスタイル、楽曲もこだわり。
でも特筆すべきは、ケイリー・スピーニー。
まだ少女だった盲目さ、少女から女性への変化、複雑な内面を繊細に的確に体現し、ヴェネチア国際映画祭女優賞。
演技力もさることながら、そのキュートさや魅力。『エイリアン:ロムルス』も良かったけど、遥かに圧倒的に!
本作が出世作となり、今引っ張りだこなのも納得。
…と、ここまでは良かった。
ジェイコブ・エロルディも悪くはないが、“あっち”のオースティン・バトラーを見た後だと…。
視点やアプローチが違うと分かっていても、物足りなさも感じてしまう。
興味惹かれる題材ではあるし、ケイリーの熱演やソフィアの洒落たセンスはいいのだが、如何せん中身が伴ってこない。
エピソードは豊富。が、一つ一つが浅く、月日が経つのも早く、ダイジェスト的。
“あっち”のようなショーアップとまでは言わないものの、ビジュアル以外でもっと魅せられるものを期待したが、意外と淡白だったのが残念。
出会いは1959年。正式に結婚したのは1967年。離婚したのは1973年。
夢のようであり、波乱の14年。
この期間、プリシラは何を思ったか。
名曲の一節が頭に流れた。
♪︎少女だったと いつの日か 思う時が来るのさ