けものがいるのレビュー・感想・評価
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スローターハウス5×マトリックス×D・リンチ風が錯綜する迷宮世界を、レア・セドゥとバッドトリップ
初見でまず、主人公がいろいろな時代に移って異なる人生を体験する筋がカート・ヴォネガット原作のSF映画「スローターハウス5」っぽいと感じた。デイヴィッド・リンチ風味も複数あって、ロイ・オービソンの楽曲が印象的に使われているのは「ブルーベルベット」、2014年のLAで売れていない女優志望の女性がくすぶっているのは「マルホランド・ドライブ」、ダンスクラブ内のカウンターバーがある一画のインテリアは「ツイン・ピークス」などを想起させる。
観終わっても謎が解決されずに残り考察を促す感じ(それがまたリンチ監督作に似ているポイントでもある)があって、英作家ヘンリ・ジェイムズの原作小説に手がかりを求めて野中惠子訳「ジャングルのけもの」(審美社刊)を読んで、茫然とした。映画とは別次元の難解さというか、男性主人公のジョン・マーチャーとヒロインのメイ・バートラムが長い年月にわたり延々と禅問答のような会話を繰り広げ、劇的なことはほとんど何も起こらず、いっこうに2人の距離が縮まらないままなのだ。原作における「けもの」とは、主人公が自分の人生にいつか起きると予感する何かしら重大なことの比喩。訳者あとがきで紹介された、原作者ジェイムズによる主題の説明では、「彼は定められた通りの運命に出会っていた――それはおよそどんな事件も起こることのない人間という運命だったのである」。
とはいえ、いくつかわかったこともある。ベルトラン・ボネロ監督を含む映画の脚本チームは、主人公と運命の相手の性別を入れ替え、主人公をガブリエル・モニエ(レア・セドゥ)、運命的な異性であるルイ・ルワンスキ(ジョージ・マッケイ)を配置。序盤の1910年のパリの屋敷で2人が再会するシークエンスでの状況や会話の内容に原作小説の一部が反映されたほか、2044年の指導役のAIとの対話でも、ガブリエルが「破滅的な何かが起きる予感があり、たとえ怖くてもその場に居合わせるべきという根深い感覚がある」と告白する台詞が原作から引用されている。一方で、それ以外のパートのほとんどが映画オリジナルであり、原作の禅問答のような会話劇を、よくもここまで映画的なメリハリの多い重層的なストーリーに翻案したものだと感心させられた。
幸い、試写で2度目の鑑賞ができ、また原作とプレス向け資料の助けも借りて、全体の見通しがだいぶよくなったことで気づいた点もいくつかあった。
映画「けものがいる」の前提はこんな感じだ。2044年、AIが人間を管理している社会で、単純作業でない知的な職業に就くには、DNA浄化センターでのセッションを経て不合理な人間の感情を消去する必要がある。セッションを受けることにしたガブリエルは黒い粘液で満たされたバスタブ風の台に横たわり、ロボットアームの先から伸びる針を耳に挿入され、1910年と2014年の2つの前世を訪れる。それによって前世で潜在意識を汚染した古いトラウマを消去できる、と説明される。
2044年現在のパリ、そして前世の1910年のパリと2014年のロサンゼルスでも、ガブリエルはルイと出会う。それ以外にも、ナイフ、人形、鳩、予知能力者/占い師、ダンスクラブなど、複数の時代に登場する思わせぶりな要素がちりばめられている。これらの要素は、ガブリエルの現世と2つの前世が個々に独立したものではなく、相互に何らかのつながりがあることを示唆している。
先に映画の前提として書いたが、指導役のAIが語る前世とDNA浄化についての説明は、そもそも素直に信頼していいものだろうか。ミステリ小説などのよく知られた叙述トリックで「信頼できない語り手」というのがあるが、2044年の人々(と映画の観客)に対してAIが全知全能のガイドのごとく語っていることが実は真実ではなく、人間への支配を維持強化するための巧妙な虚構という可能性はないだろうか。
いくつかの気になる点から推論し、こんな仮説を立ててみた。AIが説明する「DNA浄化セッション」の実態は、AIに備わっておらず厄介な人間固有の特性である感情を調査研究するための「人体実験」であり、同時にその実験から得た知見を利用して人間から感情を奪う「洗脳」なのだ、と。セッションで前世を再訪するというのも表向きの方便で、仮想現実(VR)とブレインマシンインターフェイス(BMI)を組み合わせてリアルな夢を見させる未来技術によって、AIがシナリオを書いた「1910年の悲劇」と「2014年の悲劇」を被験者に疑似体験させて感情のデータを収集して分析し、洗脳に役立てているのでは。
複数の時代にいくつかの要素が繰り返し登場する点も、それぞれの時代に現実に起こったことではなく、すべてAIが書いたシナリオだと推論する根拠の1つになる。さらに、時代を超えたある2つのシーンの類似性も気になる。2014年にダンスクラブを訪れたガブリエルが、3人組の女性客から同席を却下される。そのセッションを終えた2044年の晩に訪れるダンスクラブでも、やはり3人組の女性客から同席を拒否される。この反復から、もしかすると2044年の「現世の体験」すらもAIに見せられている「夢」なのではと想像してしまう。
そんな仮説に立つなら、映画「マトリックス」との類似性も明白だろう。ますます高度に、便利になっていくAIに依存しすぎることに警鐘を鳴らす意図も確かに認められる。2044年のガブリエルも悲劇的な結末を迎えるように見えるが、感情を奪われなかったからこその悲劇だと思えば、AIによる洗脳に屈しなかったガブリエルは勝利したとも言える。
技術革新が進む20世紀初頭にジェイムズが書いた原作小説は、劇的なことが起きる予感を抱いたまま何も起きないのが自分の運命だったと悟り絶望する主人公の話だった。これをAIの普及が進む2020年代に翻案したボネロ監督は、AIに管理される社会でいくつもの悲劇を経験しながら感情を失わなかった主人公を通じて、感情こそが人間らしさの源なのだと訴える。ままならないことも含めて人生を、そして悲しみも含む感情を、受け入れて肯定する点で小説と映画は響き合っているのかもしれない。
タイトルなし(ネタバレ)
2044年、AI支配の社会。
働くために人間は、DNAに刻まれた過去の記憶を消さねばならなかった。
「浄化」と呼ばれるその工程のなか、ガブリエル(レア・セドゥ)は、1910年に出会ったルイ(ジョージ・マッケイ)との甘美で残酷な記憶を消すとともに、2014年の残酷な記憶を思い出すのだった・・・
といったところからはじまる物語で、ヒネった幻想譚のような映画。
輪廻や運命といった興味深い題材で、かつ、すべての出来事は実はAI世界の世界の出来事ではなかろうかしらん、というのは面白い。
が、いかんせん展開や演出がまだるっこしく、いささか退屈を覚える。
この手の作品は、90分ぐらいの尺で、短くまとめてほしいものだなぁ。
幾度か登場する部屋の中の鳩。
それは死の徴(しるし)。
なるほど、このイメージは面白い。
ヘンリー・ジェイムスの中編『密林の獣』の脚色・改変だとのこと。
小説は、どのような感じなのか興味を覚える。
エンドクレジットは二次元コードから、とは新しい試みだが、スマホの電源オンから起動するまでの間に二次元コードは消えました。
やはり、すべては仮想現実の出来事だったのかしらん。
連想した作品は、ファスビンダー『あやつり糸の世界』。
「けもの」とは人間の感情の部分?
原題はLa bête(けもの)というフランス映画。パンフに載っている中野京子さん(作家)のコメントにもあるように、いかにもフランスらしい恋愛映画です。
主演は、バッサーに(が?)似ていると言われているレア・セドゥ。
タイムスリップものに入ると思いますが、2044年(たぶん技術的特異点が起きた後)、1910年(セーヌ川の氾濫のあった年)、2014年(ロス大地震)の3地時点での、主人公ガブリエルとルイ(ジョージ・マッケイ)の間でおこる物語です。人は、災害では極めて感情的な反応をするということで、1910年と2014年を選んだように思います。そのときそのときで、撮影に工夫があり、素晴らしいです。
1910年のシーンで、破滅的未来を予兆させるシェーンベルクを弾くのは、また、2014年での結末は、本編のラストシーンとつながっている気がします。
邦題は『けものがいる』で、たしかに「けもの」は何か所かに効果的に現れますが、「いる」というより人間の心の中に「ある」という方が的確な気がして、その意味では、原題通り「けもの」でもよかった気がします。まあ、それじゃあ、あまりキャッチーでないけど。
説明が下手な人が哲学を語っている、そんなテイストの映画でしたね
2025.5.6 字幕 アップリンク京都
2023年のフランス&カナダ合作の映画(146分、G)
原作はヘンリー・ジェームズの『The Beast in the Jungle』
近未来のパリにて、感情浄化と向き合う男女を描いたSF風ラブロマンス映画
監督はベルトラン・ボレロ
脚本はベルトラン・ボレロ&バンジャマン・シャルビ&ギヨーム・ブレオー
原題は『La bête』、英題は『The Beast』で、ともに「獣」と言う意味
物語は、グリーンスクリーンをバックに演技をするガブリエル(レア・セドゥ)が描かれて始まる
ナイフを手にした彼女は、何かを見て叫び、映画は1910年のフランス・パリへと場面を展開させていく
1910年では、ガブリエルは著名なピアニストとして活躍し、夫ジョルジュ(マルタン・スカリ)とともに人形工場の経営に乗り出していた
サロンにて夫とはぐれたガブリエルは、そこで若き青年ルイ(ジョージ・マッケイ)と再会する
その後、美術展のフロアに出向いた二人は、6年前の話で盛り上がっていった
場面は変わり、今度は2044年のパリにて、面接官(グザヴィエ・ドラン)の質問を受けるガブリエルが描かれる
この世界のガブリエルは単純労働すらさせてもらえない身分で、仕事に就くためには「DNAの浄化」をしなければならないと言われる
一度はトライしたものの挫折し、それでも生きていくために再度挑戦することになっていた
浄化を終えた友人ソフィー(ジュリア・ホール)に励まされるガブリエルは、その装置にて1910年と2014年へと行くことになる
さらに、AIアシスタント人形のケリー(ガスラージ・マランダ)は、彼女を緩衝地帯と呼ばれる1960年〜1980年のクラブへと誘う機能を有していた
映画は、1910年の夫を捨ててルイに走るガブリエルと、2014年のストーカーと化しているルイとの交流が描かれていく
そんな中で緩衝地帯のクラブに行って、そこでルイと出会ったりもする
ほとんどのシーンがAIが見せている想像の世界となっていて、それらが目まぐるしく変化する印象があった
実際にはそこまで時系列シャッフルではないのだが、2044年に時折戻り、脈絡もなく1910年と2014年に行くので、その意図というのはほとんどわからなかった
映画はエンドロールがない作品で、その代わりにQRコードが表示されるのだが、さすがにスマホを立ち上げてかざしている猶予はなかった
だが、鑑賞したアップリンク京都では配布用のQRコードがあったので、それによってエンドロールと「ポストクレジット映像」を観ることができた
ポストクレジット映像には占い師・ジーナ(マルタ・ホスキンス)が登場し、ガブリエルに対して「警告」を発している
ざっと説明すると「241と書かれた部屋には入らないで! そこに入ったら後悔と悲しみが残るから」という感じの警告が発せられていた
2014年のジーナが見たガブリエルの未来というもので、現代パートの30年前の時点でそれを行なっているというテイストになっている
物語はそこまでややこしくはないが、ざっくりと「感情を無くしたら人間ではなくなる」みたいなメッセージになっていて、愛する人の感情が失われることが最大の悲劇のように描かれている
このテーマを時系列をシャッフルしつつ、様々な時代をもって描いていくのだが、1910年、2014年である理由についてはわからない
緩衝地帯のクラブのシーンもイメージショットのような感じで、どこにいても孤独みたいな感じに描かれていたように思えた
結局のところ、ソウルメイト的な出会いを果たしても、時代の流れに逆らえずに絶望するという現代風刺になっているのだと思うが、それにしてはややこしい映画を作ったなあと思う
また、原題に使われる獣の意味がよくわからなかったが、おそらくは「恐怖のメタファー」「感情を失うと人間ではなくなる」みたいな意味になるのだと思う
獣に感情がないとは思わないのでどうなのかなと思うが、人間的な複雑な感情を浄化で捨てるということは、生物的な感情を有するだけの獣になってしまう、という意味合いなのかなと感じた
いずれにせよ、難解ではないけど難解に感じる作品で、哲学的な側面があるのだと思う
人間的な感情とは何かを考えるとしても、欲望は獣のようなものであり、それに支配される人類は獣に他ならないとも思う
なので、獣と人間を隔てるものは何かと考えた時、本来有するものに手を加える傲慢さに警鐘を鳴らしているのだろう
そして、その傲慢さがもたらすものは後悔と悲しみしかない、と結んでいると感じた
現代的な価値観において、人間らしさを捨てた先にあるものは何かみたいなところまでは踏み込んでいないので、感覚的に捉えて、悲恋だったなあ、ぐらいに思えれば良いのかもしれません
3つの時代の恋の行方を描くSF。1910年の二人の俳優がイイ。
1910年、2014年、2044年、3つの時代で描かれる同じ男女のSFラブスト―リー。
主演のレア・セドゥ、ジョージ・マッケイのミステリアスな雰囲気がいい。
特に1910年の時代の優雅さ、人形工場とその製造過程、水没する都市などを背景に、謎を秘めながら進むエピソードが面白い。
二人の微妙な関係、距離感など、この時のセドゥ、マッケイ魅力的。
これに反して、2014年のマッケイが演じるサイコキラーは通俗的で残念。
2044年、年号を店名にしたバーが面白い。
結局、彼は感情を消してしまったあとで、愛は成就できないというバッドエンドは近年のフランスのホラー映画的で、二人の恋は最後まで悲劇的に終わるのは自分としては非常に残念でのれないところです。
ラストカットにいきなりQRコード、エンドクレジット以降は配信で各自チェックという、何ともあっさりと冷たく終わるのもSF的。
実際観たら、エンディングの音楽が「ブレードランナー」のテーマ曲っぽい安い打ち込み系の音楽があり本編とは違う印象で、エンドロールで聴かなくて良かった、と複雑な心境。
最後に蛇足で、本作鑑賞直後、新宿シネマカリテ正面の通りの道端(新宿ランブリングロードと言うらしい)で、リアル鳩の亡骸が落ちていてショック!(映画の様に家に飛び込んできたわけではない)
まだきれいなお姿でしたが、なんという偶然でしょう…合掌。
レア・セドゥの魅力に酔いしれる傑作
今年のベストの一本となる、そしてレア・セドゥの代表作となる傑作。
AI中心の社会となった2044年、人間の感情は不要とされ、職を得るために感情の消去(=浄化)が求められた。
感情を消去し仕事に就くことを決意したガブリエル(セドゥ)はDNAに刻まれた前世の記憶を浄化するために1910年と2014年に遡り、それぞれの時代でルイという青年(ジョージ・マッケイ)に出会う。
そう、100年以上の時を超えて転生を繰り返す女と男、そして悲劇。決して幸せにはなれない二人の数奇な運命にゾクゾクする。
感情さえも失う2044年が最大の悲劇なのだろうが。
2044年、1910年、2014年の3つの異なる世界観が秀逸。そして何よりレア・セドゥの圧倒的な魅力に酔いしれる。
美しい手だ
こないだ鑑賞してきました🎬
結構難解なストーリーでしたね😅
主役のガブリエルにはレア・セドゥ🙂
マーゴット・ロビーとは違ったベクトルの金髪超美人さんです。
今作では様々な髪型を見せてくれますが、どれも似合っていてため息がでますね😀
私は現代(2044年)の髪型が一番好きです👍
それはさておき、やや切れ長な瞳に危うさと強さを秘めた雰囲気を出すのが超絶上手く、男ならほっとけなくなるのは必至。
まばゆいほどです🫡
ガブリエルと何世代も親密になる男、ルイにはジョージ・マッケイ🙂
世代ごとで性格が違うのですが、演じ分けはなかなかのもの。
一見何も考えてなさそうに見える、空虚な視線が印象的でしたね。
正直よくわからない部分が多かったのですが、この2人の結末はある種パターン化されてるという理解でいいのでしょうか❓
現代ではようやくハッピーエンドかと思いきや、あれでは…。
私の頭では理解できないので、レア・セドゥの様々なお姿を拝める映画という位置づけになりそうです😥
感情をなくして生きてゆく苦しさは現代人の寂しさそのもの
SF映画とのことだがノスタルジックな昔の場面のほうが断然多い。
なんだかよくわからなかったけど、レア・セドゥとジョージ・マッケイの青い瞳コンビに魅了されたので、面白かったと言うべきなんでしょう···
セルロイドのフランスアンティーク人形工房が燃えてからのレア・セドゥの水中映像はステキでした。ちょっと目が覚めました。
感情を消去しないとまともな職に就けない近未来という設定は黒人のAIロボットの見下したような態度から察せられるものの、事前に解説を読んでないと全然わからん。
アンティーク人形工房の作家や社交界の奥さんなどはモデル兼女優、空き家のハウスキーパーのガブリエルの前世の記憶なのか?
アダモの雪が降る貴方は来ないは1963年らしい。
感情をなくして生きていかないといけない苦しみ。
感情が伴わない記憶に人生の意味はないと思う。
近未来ではドーテー設定のジョージ・マッケイ。よくわからないけど、このフランス人男性の監督はもっと男にはガツガツしてほしいと主張しているのか?近未来は環境ホルモンのせいで男性ホルモンが減退するとか、温暖化で海水位が上がるとかの設定はSFというよりも近未来の現実で、あまり目新しさはないような。
けものがいるという題がわからん。
ラストは、
叫んだっていいじゃないか。人間だってケダモノだもの。てか?
ハトに怯えるガブリエル(レア・セドゥ)。
フライヤーのレア・セドゥに引っ張られて鑑賞。レア・セドゥの陰の形がいわゆる大人の玩具に見えちゃうんですけど、ゲスの勘ぐりでしょうか。
ガブリエルは何を恐れたのか
深読みしないといけない難解な映画。
夢か現実か分からない展開が続き、時系列もぐちゃぐちゃ。
初めの方はひたすら会話だけが続く展開が続き、かなりしんどい。
でも見終わってみると、なぜかもう一度観てみたくなる不思議な映画。
2044年の世界ではAIが支配していて、人間の感情が不要とされている。2025年になんらかの大災害が起こり、それがきっかけでそういう世界になったことが示唆されている。主人公のガブリエルは抵抗を感じながらも、職に就くために「浄化」を受けることにする。これは、転生を繰り返すうちにDNAに刻まれたトラウマを浄化して、感情をなくす処理らしい。
もちろん、転生とか、トラウマがDNAに刻まれる、といった設定は現実の科学にはなく、この映画でのSF的設定である。
主人公は1910年のパリと2014年のロサンゼルスでの生で大きなトラウマを経験しており、それを浄化で除くことを試みる。1910年パートと2014年パートでの出来事は主人公の過去であると同時に、「浄化」の過程における主人公の精神世界でもあるので、非現実的なことも起こる。
1910年のパリでの洪水、2014年でのミソジニストによる殺人は史実である。監督は2014年の事件を忠実に再現した、とインタビューで言っている。
1910年、2014年、2044年の3つの時代で、ガブリエルとルイはどの時代でもお互いにひかれあうものの、常に結ばれることはなく、悲劇的な最期を遂げる。1910年では洪水で二人とも溺死し、2014年ではガブリエルはルイに殺される。
この映画にはさまざまな謎がある。分かりやすくは示されておらず、解釈は観客にゆだねられている。1910年のガブリエルが恐れていたものはなんだったのか。2044年のガブリエルが最期に叫んだのはなぜだったのか。人形、ハト、占い師が象徴しているものは何か。なぜどの時代でも同じようなことが繰り返されるのか。そして、「けもの」とは何か?
ここからは個人的な解釈。2044年パートにおいても、(主人公のトラウマを象徴してるっぽい)ハトが登場し、ダンスホールに客がいない、などの非現実的なことがおこるので、主人公の精神世界である可能性がある。
1910年では、地位や家柄にしばられた結婚が普通で、女性は貞節に人形のようにただ美しくあることを求められる時代であり、ガブリエルも、ルイに求められながらもルイと結ばれることを「おぞましいこと」と感じてしまう。
2014年では、自由恋愛の世界になったが、その時代に適応できなかった人間たちが恋愛難民者となってしまった。この時代ではルイは逆に自分の願望を「おぞましいこと」と語る。人形はしゃべり、人間にアドバイスを与える役割となっている。
2044年では、「感情」自体が社会に不要なものだとされており、ガブリエルは「浄化」により感情を失くそうとするが、その試みは失敗する。ガブリエルはむしろそれを喜び、今こそルイと結ばれようとするが、時すでに遅く、ルイは「浄化」により感情を失ったあとだった(ルイが偽の記憶を語ることで判明)。ガブリエルは、この先転生を繰り返しても二度とルイと結ばれない(愛し合えない)運命を悟り、その永遠の孤独に対する恐怖に対して叫び、映画は終わる。人形(AI)はもう人間と見分けがつかない見た目となるだけでなく、人間を実質的に支配する存在となっている。
1910年のガブリエルが恐怖していたのは、2044年のこの結末だったのかもしれない。
強く惹かれ合う男女が、運命の呪いによって決して結ばれない悲劇、というのは古典的なモチーフだと思う。たとえばギリシャ神話でいえば、アポロンとダフネの物語とか。この映画での占い師は、「変えられない呪わしい運命」を象徴しているのだと思う。
転生を繰り返し、何度もひかれあい、どの生においても悲劇で終わる、というので連想したのは、梅図かずおの「イアラ」だ。たぶん他にも同じ類型の物語があるだろう。
この映画を観て思ったのは、強い感情、渇望というものは、「欠乏」から生まれるのではないか、ということ。プラトンの「饗宴」では、男女が互いに惹かれ合うのは、互いに自分の欠けた半身を取り戻すために惹かれ合うのだ、という考え方が出てくる。
ガブリエルはどの時代においても満たされない思いを抱えている。その欠乏を埋めることを望みながら、しかしそれが実現してしまったとき、それを求める強い感情も失ってしまう、という恐怖も感じているのではないか。
願望の成就を強く望みながらも、それが叶えられた時、感情を失ってしまうのだとしたら。その強い感情をもっているが故に自分が自分でいられるのだとしたら、願望の成就とともに自分が自分でなくなってしまうのではないか。
ガブリエルのその思いは呪いとなり、ルイと夢の中でしか結ばれない運命になってしまったのではないか。
もう一度映画を観たら、また何かつかめるかもしれないと思いつつ、もう観ないでもいいかなー、とも思っている。
期待度○鑑賞後の満足度◎ “何のこっち”と思う人が少なからずいるだろうけれども、私には大変面白かった。何よりレア・サドゥを観ているだけで飽きない。
①かなりいじくり倒したストーリーテリングというか描き方というか映画の撮り方だけれども、ラストはSFによくある幕の降ろし方で、“何やそういうオチかい”という印象ではあるが、そこが却って可愛いというか面白かったぞ。
②“感情”を持つということが人間(というか人類社会)にとって幸せなのかどうかというのが本作に秘められたテーマだと思うし、感情をなくした人間というのは“動物(原題の『La Bête 』もそういう意味でしょう)”と同じ(“動物には悪いけど”)というのが題名が暗示していることだと考えるけれども、これからAIが人間の代わりに殆んどの仕事をすることになるだろう人間の未来を考えると絵空事とは思えないな。
人間の判断(冷静な判断とか言うけれども)が全く感情に影響されないかというと疑わしいものだし、AIの私情などない論理的かつ客観的な判断が結局正しい歴史を作るかもしれない(随分味気ないものになるだろうけれども)。
そこら辺を考え合わせるとアメリカのSF映画とは違う欧州らしいSF映画と言えるだろう。
【”Fade to Grey。そして時を越えても色褪せぬ恋。”今作は、レア・セドゥがマアマア、大変な事になるシーン多数の超難解SF恋愛映画である。今作、脳内フル回転でみたけれど、ナカナカだったなあ。】
ー 私は映画鑑賞前には、殆どフライヤーは見ない。だって、面白さが減るじゃない?けれど、今作は前半”ちょこっと、読んどけば良かったなあ・・。”と珍しく思った位、難解だった。後半、物語の構成が分かって来た時点で、漸く追いついたモノである。ふう。-
■粗筋
AIが発達し社会を管理する近未来、人間の仕事は激減し、ガブリエル(レア・セドゥ)は、仕事を得るために前世のトラウマにより内なる恐れを抱えている彼女は”浄化”実験を受ける決意をする。そして、過去のトラウマの原因となった幾つかの時代に遡り、時代ごとに青年ルイ(ジョージ・マッケイ)と出会うのである。
・今作は、心理小説の傑作を多く残したとされる(読んだ事はない)英国の文豪ヘンリー・ジェイムスの「密林の獣」をベルトラン・ポネロ監督が、大胆に翻案した作品だそうである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・冒頭、普段着のレア・セドゥがグリーンバックを前に、今作の映画監督であるベルトラン・ポネロからイロイロと指示をされている。そして、テーブルの上に置いてあるナイフを手に取り”キャー!”と叫んでイキナリ、時代は1900年代前半へ。
そこでは、美しい衣装に身を包むレア・セドゥ演じるガブリエルと青年ルイを演じるジョージ・マッケイがビシッと当時の衣装を身に纏い、ダンスパーティに出席しているのである。
そして、この作品では、1980年、2000年代のナイトクラブシーンも登場するのである。
・だが、序盤はシーンの切り替えが早く、且つ時代がポンポン飛ぶし、ムムム、と思いながら鑑賞続行。
そして、ガブリエルと青年ルイは1900年代のパリで人形製作工場見学中に、火災に巻き込まれ、脱出しようとするも水中で死んでしまうのである。<トラウマその1>
・その後、2000年代であんまりパッとしない服装を着たガブリエルは、”独りなの、一緒に飲まない?”とクラブのお客のお姉さんたちに話しかけるも”何、アンタ?”と冷たく言われてしまうのである。(涙)<トラウマその2>
■さらに1980年代のロンドンのナイトクラブ。大音量で”ヴィサージ”の当時、超イケメン、スティーブ・ストレンジ(化粧したアーティストの走りの1人である。)が儚く歌うエレクトロポップの個人的名曲”Fade to Grey”が流れるのである。イキナリ、脳内でムッチャ盛り上がる。〇坊時代、中古CD屋で買って良く聴いたもんな。
映画で、時代感を出すためにちょこっと流れた事はあるが、あれだけしっかりと爆音で流れたのは初めてだと思う。あの選曲をしたのは、絶対に共同プロデューサーのグザヴィエ・ドランだと思うね。
けれども、ここでもガブリエルは、”独りなの、一緒に飲まない?”とクラブの80年代ファッションのお姉さんたちに話しかけるも”何、アンタ?”と冷たく言われてしまうのである。(涙)<トラウマその3>
・そして、2000年代のロスで、お金持ちの家のハウスキーパーになっているガブリエルは青年ルイと出会うのだが、彼は”俺は、30だけども女にもてない。童貞だ。”と言っている屈折した青年になっているのである。
そして、ルイはお金持ちの家の家に銃を持って潜入するのだが(と言っても、この辺りの描き方も可なり分かりにくい。)ガブリエルは、一度は逃げるが、戸を開けるのである。そして・・。<トラウマその4>
<今作は、、レア・セドゥがマアマア、大変な事になるシーン多数の超難解SF恋愛映画なのである。あー疲れた!
あとさ、帰りの列車の中でフライヤーを読んだのだが、”各界から絶賛の声!”と書いてあるが、ホントかなあ。いや、面白かったけどね。
又、ドラァグクイーンの方がキチンと”ヴィサージ”の”Fade to Grey”に触れているのである。これからは、鑑賞前に難しそうな映画は、ちょこっとフライヤーを読もうかなあ。じゃーね!>
「けもの」の正体は
「ねじの回転」で有名なヘンリー・ジェイムズの中編 The Beast in the Jungle(ジャングルの猛獣)を「自由かつ大胆に翻案」したという作品。
以下は、ワタクシの解釈によるストーリー。
* * *
時は2044年。
世界はアメリカ内戦等の大惨事を経て、
「感情」は社会秩序の邪魔でしかない、
だから意思決定はAIが行い、
感情を持つ人間は意思決定にかかわる仕事には就かせない、
という体制がとられていた。
そんな中、
ガブリエル(レア・セドゥ)は、単純作業の仕事に甘んじる生活から脱したくて、
知的労働への転職を希望し、面接を受ける。
転職の条件は「浄化」。すなわち、
感情に左右される状態からの脱却。
そのためのセッションの中身は、「前世」のシミュレーション。
生き延びることができれば、浄化完了。
ガブリエルは、浄化を受けるかどうか迷いを捨てきれないが、
「悪いこともリスクもない」と説得され、受けることにする。
これと前後してガブリエルは、
自分と同じく「浄化」を受けようか迷っているルイ(ジョージ・マッケイ)と出会う。
そしてシミュレーションには、必ずルイが登場する。
まず選ばれた時代と場所は、1910年、大洪水直前のパリ。
このセッション冒頭、ルイとの会話に、原作の台詞が盛り込まれている。
「何か奇妙でとてつもなく恐ろしいことが起こる、という予感にさいなまれているが、それが何なのか、わからない」
ただし、原作ではこれが、男性主人公の台詞だが、映画ではガブリエルの台詞になっている。
このセッションを、ガブリエルは成功裏に終えることができず、
日を改めて2つめのセッションを受けることになる。
舞台は、2014年のロサンゼルス。
アイラビスタ銃乱射事件の直前。
最終的にガブリエルは、
セッションで生き延びることに失敗する。
それは、めったにないこと。
だがガブリエルはむしろ、感情を捨てずにいられたことを喜ぶ。
そして、現実世界のルイとの愛情を確かめようとするのだが、
ルイは、浄化されて感情を失っていた。
むしろ、
一貫したモチーフとして存在していた「人形」に、感情の兆しが……
* * *
結局、「けもの」とは何だったのか。
原作には、こういう台詞がある。
「それは結局、恋に落ちることへの恐れ、なのでは?」
う~ん、大山鳴動して……という気もしないでもないけど。
まあ、いろいろと想像を巡らして楽しめる作品でありました。
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