愛を耕すひとのレビュー・感想・評価
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愛を耕すひとというよりは
18世紀デンマーク開拓史で実在した退役軍人の活躍を描いた歴史ドラマ。
物語は主人公ケーレンの幾つかの闘いを描いている。
荒地を支配下に置きたい残虐地方領主との血みどろの闘い。荒地開墾による自然との闘い。当時の封建社会の身分・出自や偏見との闘い。家族を守る闘い。錦の御旗だけで有力な後ろ盾も無い不器用なケーレンは、いずれにもかなり苦戦するのだ。
これらの闘いがまさに怒涛のように主人公を襲い、127分尺が長く感じた程、各々の闘いが確り描かれ、お腹いっぱいになった。
ケーレンは、最初は出自を覆す為に野心に燃え、気位貴族だったが、困難に直面する度に、最初は距離を置いていた未亡人と親から見捨てられた少女とも、家族にも似た関係へ変化していく。特に少女の健気さは観る者をホッとさせる。
鑑賞後感想は、正直言うとちょっとひんやりとしている。本作は一流の歴史ドラマだが、当時の封建社会の厳しさと残虐領主のせいで、現代人目線からは救いの無い展開が、映画のエンタメ性を下げていると感じた。邦題の愛を耕すひと、というホワッとしたタイトルより、原題Bastardenの殺伐感の方が腑に落ちるかもしれない。
この世的な栄達ばかりを求めていた男が、模擬家族と触れあうなかで心の潤いを取り戻し、そうではない人生の価値に気づく話なのです。
マッツ・ミケルセンが母国デンマーク開拓史の英雄を演じた歴史ドラマ。デンマークの作家イダ・ジェッセンが史実に基づいて執筆した小説を原作に、「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」でもミケルセンとタッグを組んだニコライ・アーセル監督がメガホンをとり、ミケルセンとは長い付き合いの監督で、風変わりな物語が得意のアナス・トマス・イェンセンが脚本に参加しています。そのためか、本作も一筋縄ではいかない仕上がりとなっています。デンマークのアカデミー賞たるロバート賞で作品賞、主演男優賞など9部門を受賞しました。
●ストーリー
1755年デンマーク。貧窮にあえぐ退役軍人ルドヴィ・ケーレン大尉(マッツ・ミケルセン)は、ユトランド半島の荒野の開拓に名乗りをあげます。見返りとして、貴族の称号の特権を宮廷に要求するつもりでした。
その土地は全くの不毛の大地。草木も乏しく、わずかな下草は土ごと凍りついています。暖かくなればマシになるかと思われましたが、大雨が虚しく地面を荒らし、とても肥沃な改良は望めそうにないのです。
そんな不毛な地を望むなど無謀にもほどがあると他の貴族たちは半ば呆れ、半ば見放していました。
それでもついに努力が実ったのか、土壌に改善の兆しがみられます。そこに牧師アントン(グスタフ・リン)の紹介で、良い人材がいるとして紹介されたのが、小作農民のヨハネス・エリクセンとその妻アン・バーバラ(アマンダ・コリン)でした。この若夫婦はワケあって以前の雇用主から逃げ、隠れていたのです。
ある夜中、アンマイ・ムス(メリナ・ハグバーグ)という少女が盗みに入ります。少数民族ロマ(蔑称タタール人)の出自の子のようです。どうやら近くにロマのキャンプがあるようでした。
そんな中、近くのハルド荘園の地方判事であり、このケーレンのいる荒野の所有権を独占しようとしている地主であるフレデリック・デ・シンケル(シモン・ベンネビヤーグ)が、ケーレンの耕作の話を聞きつけます。ケーレンが成功する保証は全くないとしても、自分のあずかり知らぬところでそんなことを勝手にされるのことに、腹の虫が収まらなかったのです。彼はサイコパスのような冷血漢で手段を選ばない人間でした。そしてケーレンを妨害するために嫌がらせを行い、それは非道な暴力にまで発展していきます。
ケーレンは自然の脅威とデ・シンケルの非道な仕打ちに抗いながら、シンケルに夫を殺されたアン・バーバラとケーレンの元に身を寄せてきた少女アンマイとの共同生活によって、まるで家族同然のような生活を過ごすことになります。それはケーレンの頑なに閉ざした心に変化が芽生えてゆくことに…。最後にそれぞれが見えた希望とは?
●解説
『愛を耕すひと』の英題は「The Promised Land」で、オリジナルのデンマーク語のタイトルは「Bastarden」です。これは「私生児」を意味しており、主人公のルドヴィ・ケーレンが地主とその女中の間に生まれた私生児であったことに由来しています。
彼が貴族の身分に執着したのも、自らの出生が原因でした。なので損得抜きにして、がむしゃらに誰もが不可能と思っていた荒野の開拓に取り組んだのでした。
ケーレンは、そんな過酷なことに自分を追い詰めていく無感情で、孤独なストイックに徹した人物でした。
そんな彼が、アンマイという差別された民族の少女を囲い込み、未亡人となったアン・バーバラと関係を持ってしまう展開は、貴族になるという目標とは真逆の選択をしてしまうのです。貴族になりたいのなら、ケーレンに恋する、シンケル邸に身を寄せる令嬢エレル(クリスティン・クヤトゥ・ソープ)を妻に迎えた方が有利だったでしょう。
けれども、あの開拓の人生の中で、ケーレンは最終的にはそこに価値を感じなくなっていきます。本当に自分がなりたかったのは貴族ではないということ。出生のコンプレックスから、この世的な栄達ばかりを求めていた男が、模擬家族と触れあうなかで心の潤いを取り戻し、そうではない人生の価値に気づく話なのです。出自や身分を超えて慈愛を抱いていく展開が面白いところ。
荒野を覆いつくす冷たい氷がやがて溶けていくかのような、繊細なニュアンスで内面の変化を伝えるミケルセンの演技はさすがです。言葉以上に多くを物語る豊かな表情ひとつひとつに誰もが息をのみ魅了されることでしょう。
●感想
後半はさらなる残酷な試練が降りかかり、過ちを犯したケーレンは失意のどん底に突き落とされていきます。登場人物の狂気や怨念が、血生臭い殺りくと復讐を招き寄せるストーリー展開には愕然としました。甘さや感傷は一切ありません。ゆえに、最後のかすかな希望に胸を打たれたのです。
鑑賞動機:ただひたすらにマッツ10割
子供の頃に、ユトランド半島の荒地を開拓する話を読んだことがある。マッツのことだったのか!(違います)
寡黙な人物ではあるものの、色々と思うところがあるのは観て取れる。矜持や野望と愛情の狭間で揺れ動くマッツ…。汗まみれ泥まみれついには血まみれのマッツ…。
悪役の小物感が強い割に、作を弄したり懐柔しようとしたり、押し引き緩急つけてくるのやらしいが、それも結局は受け手となるマッツあってこそ。マッツ以外見どころに欠けるのが難点かな。
マッツを称して「北欧の至宝」って言うけれど、全く違うと思う。マッツはさあ…「世界の至宝」でしょ?
血塗られた開拓史
【”不撓不屈の男、荒地と愛を開拓する。”今作は北欧の至宝マッツ・ミケルセンの喜怒哀楽を僅かな眼の動きで表現する演技の凄さと、他の俳優達の演技も見応え充分な重厚なデンマーク歴史映画の逸品である。】
■1755年。異国ドイツで大尉にまで昇進したルドヴィ・ケーレン(マッツ・ミケルセン)がデンマークに帰国し、国王の愚かしき取り巻き貴族たちに、荒地(ヒース)開拓を求め、許可される。そして、荒地開拓に成功した暁には、貴族の称号を求めるのである。
独り、荒地開拓をするケーレン。だが、そこに愚かしき領主フレデリック・シンケル(シモン・ベンネミヤーグ)の元から逃げて来た使用人夫婦や、黒い肌をした女の子アンマイ・ムスが集うのである。
◆感想
・一言で言えば、今作は重厚なるデンマーク歴史大作である。ルドヴィ・ケーレンが貧しい出自ながら、愚かしき領主フレデリック・シンケルに対し、卑下する事一切なく対等に会話する姿が、小気味よい。
彼は、偏見や差別に敢然と立ち向かって行くのである。
・器の小さいフレデリック・シンケルを演じるシモン・ベンネミヤーグの、金と地位でなんでもなるという尊大な態度と、それを軽蔑する一応婚約者のエレルを自分のものにしたいという屈託した狂的な姿を演じる様が凄い。ルドヴィ・ケーレンが開拓する国王領をあくまで自分の領地と言い張り、様々な嫌がらせを酒を呷りながら行う猜疑心と嫉妬心に駆られた姿は、胸が悪くなる。が、悪役のキャラが立っている映画は、面白いのである。
- シンケルが逃げ出した使用人夫婦の夫を捕まえ、熱湯を何度も掛けて殺害するシーンや、エレルが自分の意にならない時は、彼女の侍女を窓から突き落とすシーン。ー
・夫を殺された、且つてシンケルに乱暴されていた使用人の妻アン・バーバラ(アマンダ・コリン)が、徐々にルドヴィ・ケーレンに心を開いて行くシーンの流れの描き方も巧い。アンマイ・ムスが病気になった時に、たった一匹の山羊を殺してスープを飲ませるケーレンの姿と、それにより回復したアンマイ・ムスの姿を見たアン・バーバラ。そして、三人は”家族”になるのである。
・ケーレンがドイツから持ち帰ったジャガイモを土の質を調べて畑にした土地に生め、漸く芽が出るシーンは、希望と歓喜の瞬間である。だが、この物語はそれでは終わらない。王に認められ、開拓団がドイツから入居して来るも、執拗なフレデリック・シンケルの嫌がらせは終わらない。彼が雇った囚人たちに、家畜を殺され、それによりやって来た狼により、開拓団の女性二人が亡くなり、開拓団の男達は黒い肌をした女の子アンマイ・ムスを”不吉だ”と言い、放逐を求めるシーン。ケーレンは苦渋の選択をし、囚人たちに復讐を果たすのである。
だが、フレデリック・シンケルの配下の男は再び、やって来て止めようとしたケーレンを常に支えて来た神父アントンを撃ち殺すのである。
ー このシーンでの、アンマイ・ムスが荷車に乗せられて、孤児院に連れていかれるシーンは哀しいが、このシーンが後半に効いてくるのである。
又、神父アントンの毅然とした崇高な姿や、神父アントンの仇を打つケーレンの姿が沁みてしまうのである。-
■アン・バーバラが”もう、戻らない。”というメモを残し、再びシンケルの屋敷で働くシーン。ケーレンが囚人たちに復讐した際に、高貴な者も手に掛けたため、シンケルに捕らえられ鞭打たれ絶対絶命の時に、エレルとアン・バーバラの連係プレイによりシンケルに痺れ薬を入れたワインを飲ませ、アン・バーバラが夫の仇を取るシーンは、実に爽やかであった。だが、アン・バーバラはその為に捕らえられてしまうのである。
そして、ケーレンは孤児院に預けたアンマイ・ムスを”あの時の判断は間違いだった・・。”と詫び、再び迎えるのである。アンマイ・ムスがケーレンの胸に飛びつく様は、沁みる。
■数年後、大きくなったアンマイ・ムスは、修繕の仕事でやって来たジプシーの青年と恋に落ち、ジプシーたちと共に旅立つ。
独りになったケーレンは、何度もアン・バーバラの嘆願書を出すが、全て拒絶されている。そして、彼の元に昔から彼に便宜を図って来た男が、アン・バーバラがコペンハーゲンの過酷な刑務所に移送されることを告げると、ケーレンは漸く手にした国王からの貴族の称号を認める手紙を残し、アン・バーバラを救出し、彼女がずっと行きたがっていた海に、助けた彼女を馬に乗せて行くのである。
<今作は、北欧の至宝マッツ・ミケルセンの喜怒哀楽を僅かな眼の動きだけで表現する凄さと、他の俳優達の演技も見応え充分な、重厚なるデンマーク歴史映画の逸品なのである。>
人並みで十分に満ち足りている
孤独な王様
耕されたのは主人公の心ですね。
寡黙な元軍人の主人公が意地と反骨心で不毛の荒野を耕す話だが、結局、耕されたのはその本人の心だった、ということですかね。
決意を持って復讐を成し遂げるアン・バーバラがカッコいいですね。返り血にまみれる姿はその決意を表しています。
大作で、見応えもあるよい映画です。
現代の目線から見ると主人公の動機に共感ができにくいところが、個人的にはマイナス0.5点です。とはいえ、見て損のない映画であることは確か。
封建制度
ついこの前見た太陽と桃...に出てきたスペインそしてフランスは意外にも食料自給率が100%だと聞いてびっくり しかし同じヨーロッパでもデンマークがまさかそれ程荒涼としていてやせた土地だったとは知りませんでした そしてサディスティックな領主様と酷使される労働者、南部🇺🇸の綿花畑みたいで昔はどの国でもそう変わらないのかなと思った
登場人物は全員実在しているのか、また劇中起きた事もすべて事実なのかは分かりませんが、マッツ・ミケルセン演じる土地ガチャや嫌がらせに屈せず、苦労して育てたジャガイモ畑には胸が熱くなりました 恵まれない環境で、物事をゼロから始めるには不屈の精神が必要なのだ
良い作品だったけど結末だけモヤった
結末だけ、本当に結末だけ、主人公の動機が本当に理解できなくてモヤモヤした、、
10数年掛けたであろう野望をようやく叶えた矢先、娘(同然に育てた子)が独立して1人で孤独感に押し込まれたから、やっぱ全てを投げ捨てて自分を助けた恩人のアンを脱獄させるくだり…
なんか動機がそこだけ「1人で寂しいから」に見えて主人公が一気に自己中に見えたんだよね…
なんでこんなモヤモヤしたんだろうって自分の中で整理したくて殴り書きだけど、
1.そもそも命の恩人であるアンを助い出したいのならいつでも出来たのに、タイミングが娘が独り立ちした何年も後。その間アンはずっと投獄さてれていた。
そこは娘を一度送り出したのと同じ理由で、命の恩人を救いたいより、土地開発を優先してただろう。
2.仮に娘が独立しなかったら、アンを助けに行ったのか?
3.アンの釈放を求めた時はまだ農民扱いだから取り扱って貰えなかったけど、貴族になったのならもっと特権を使えたじゃ無いのか。(奴隷にされるタイムリミットはあっただろうけど、話を聞かされるタイミングは娘の独立前だから、そこも彼女が独立して無かったら助けに行ってないのでは)。
4.結局娘にも何も残せないよね…遊牧民?とこの先結婚したとして、貴族の称号があるならもし何かあった時も助けてやれたじゃないのか。娘の人種問題もこの先何かしら打ち当たるのだろうから、そこも貴族として助けてやれたのじゃないか。後娘が帰郷した時に誰も残ってない…
5.物語冒頭よりも更に一文無しになっててこの先アンとどうやっていくの?
6.1を踏まえてだけど、アンを助けたいの理由も見えない。「命の恩人だから」ならもっと早くに助けて、娘と家族同然に3人で暮らす世界もあった。「愛する女だから」にも見えない(貴族の娘にも気があったように読めた)。ただ「1人で寂しいから」にしか行動原理が読めなかった…
ここまでで衝動的な描写もあるけど、行動原理がしっかり読める主人公だったから、ラストだけ急に短絡的で後先何も考えてない感じがした。
1時間20分は良い映画だったのに最後の2分で全部ひっくり返された気分。
やっと手に入れた称号も何の役にも立たず、それにより命を絶たれたアンの元夫の命も報われず…
因みに実話の方は貴族になってその土地で寿命を迎えたらしい。
ただ1時間20分は本当に良い映画だったのよ。
構成も人物描写もとても丁寧で、情景と心情が上手くマッチングした撮り方してるし、各登場人物に移入出来る作りだった。
マッツが短髪でイケメンでHANNIBAL再来並みに人を家畜のように殺めて馬乗りで人をぶん殴って頭をぶたれて跪きで縛られて髪を掴まれて鞭打ちされて地下牢に物のように放り投げられて惨めに泣き叫ぶあたりも置いといて。
複雑な人間ケーレンはマッツしか演じることができない
頑固で軍人魂が体と生活に染み込んでいるケーレンは、全くもって開墾不可能な国王の所有地ヒースの開拓をし成功したあかつきには貴族の称号を得たいと願い出る。肥沃とは程遠い、ただただ広大な北の寒々しい土地。見ただけで倒れそうな、不毛を絵に描いたような大地だ。軍人の前は庭師だったケーレンはたった一人であちこちで地面を掘って土の様子を見る。やっと黒いほっこりした土を見つけるが大地そのものがやっぱり広すぎて倒れそうになった。
何度も倒れそうになった私は、マッツ演じるケーレンが頑固で冷徹一辺倒でないことにだんだんと気がつく。誠実で嘘を言わない。人を見る目がある。若い成り上がり貴族からの嫌がらせも邪魔も拷問も耐え抜く。その姿に使用人のアン・バーバラとダメ貴族のいとこで婚約者とされているエレルはケーレンを助ける。二人ともケーレンを愛しているが対立せず協力するところがいい。
ケーレンは冒頭でタタール人の少女アンマイ・ムスに既に出会っている。肌が浅黒いのは不吉だとドイツ人入植者に忌避されて仕方なく彼女を修道院に入れ、その後彼女を引き取りに行くという何回かの別離と再会を経て、ケーレンは彼女の「小さいパパ」となる。ケーレンの開墾と測量を手伝うアンマイ・ムスとの出会いはケーレンを確実に変えた。もともと備えていた優しさと愛がケーレンの中でほっとしながら花開いたようだった。セリフ少なく、以上のことをマッツは表情と目で説得力もって表現した。
この映画を見ていて、ドイツの作家クライストの小説「ミヒャエル・コールハース」を思い出さざるを得なかった。そのコールハースをマッツが演じた映画があるようだがまだ見ていない。見なくては!
おまけ
1)ドイツ人は「ジャガイモ食い」であると自虐的に表現したり言われたりする。でもどの国にもジャガイモを使った美味しい料理がある。この映画でもジャガイモとドイツ人の入植者が大きな役割を果たしている。
2)この映画では大尉としての退職軍人で年金(18世紀にも年金あったのか!軍人だから?)を開墾に使うマッツ。Netflix配信「Polar」でマッツはあと1週間で定年を迎え退職金を貰えるはずの殺し屋。マッツの実年齢と近い設定が面白い。両方の映画にマッツが老眼鏡をかけるシーンがある。とても好きな箇所だ。
マッツに耕せないものはない!北欧の荒野と観客の心をマッツ・ファミリーが力強く豊かにするエピック
今度のマッツは、開拓不可能な荒野開拓ミッション!"王の家"で見捨てられた人々が身を寄せ合う反骨の ― そして18世紀でありながらまさかの ― 疑似家族モノ。
成功した際の見返りとして貴族の称号と引き換えに、大尉が年金から自腹をきって開墾の命を名乗り出る。つまり、アクション映画おなじみ設定「伝説の〜」系な元軍人の余生(眠れるライオンを起こすな!←前フリ)からの、疑似家族からの、そして娘が嫁ぐ小津作品?そんな彼に、「人生はカオス」を口癖モットーに人の命を屁とも思わず平気で人生をブチ壊す横暴で報いを受けるべき有力者が、妨害工作の横槍を執拗に入れてくるストレスフル不愉快指数な展開が続く。中でも熱湯のシーン、本当に耐え難かった…。
映画は対立と障壁=葛藤があってこそ、より豊かになる!『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』『特捜部Q』シリーズ脚本家ニコライ・アーセル監督 ✕ 我らが"北欧の至宝"マッツ・ミケルセン主演 = 『ロイヤル・アフェア』コンビ( & マッツ作品おなじみアナス・トマス・イェンセン共同脚本)による壮大かつ雄弁な本作は、マッツのフィルモグラフィーとしては恐らく『偽りなき者』に次いでストレスフルな観賞体験で、気軽には見直せないタイプの作品であるが、一見の価値はたしかにある力強さだ。
言わんとすることはわかるけど、これ見よがしにクサい邦題はご愛嬌。それは家族を手放してまで叶えたい(叶える価値のある)夢か。…最後に彼がたどり着いた答えとは?マッツが観客に北欧の荒野を案内してくれ、最後には観客の心までも耕して豊かにしてしまう。
小さいパパ、お兄さん
「南方の子は不吉」
勝手に関連作品『愛を積むひと』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
一体 どんな結末じゃァ💢 でも 雰囲気は最高でした。映画館で確認を
こういう作品は 芸術🎨臭が漂ってお客様入らないのが定番
予想どおり 観客一桁
でも 芸術作品というより 大人なら 誰でもわかる 共感❗️作品でした。
マッツ・ミケルセン&デンマーク🇩🇰
007『カジノ・ロワイヤル』 と言うより 一瞬『慰めの報酬』かと思ったら 違った。
非常に 人間臭い 人間の強さ 弱さ 孤独 が感情を揺さぶった。
善🆚悪の図式が明白 なのがわかりやすく 共感。
鉄面皮の俺的には泣くほど😭じゃないけど 『惹きつける力のある』とっても共感 やレェ やレェ🫵🫵作品。
18世紀 デンマーク🇩🇰北欧の開拓の厳しさ 農家の大変さが身に染みた。
仮の家・的な 結びつき 子役が良かった。
尺は適切です。
マッツさんの表情から感じとる作品。
悪役がコレまた すごい畜生 悪い奴なんだわ コレが 詳細は映画館で
時代背景も デンマークの自然 気候も 誰でもわかるようにできている
マジ 『頑張れぇ』って思ったよ❗️
🈶有料パンフは@1,650円で 『パンフというより 普通の本📕プチ写真集的な』
ほぼほぼ 写真集&コラム多数 コラム読まなくても写真集でいいんではないですかね❗️写真集ですよ 清々しい
まあ 気持ちを感じる作品 叙情的ともいう🎯
どういう結末じゃァ💢 皆さん映画館で確認して❗️芸術的ですが 『芸術作品では無い』ように感じました。
普遍的作品とも言います。大人なら 誰でもわかる 感情移入できます。たぶん🤔だけどね。
あっ‼️有料パンフ🈶読んで無いけど 写真集眺めただけで満足です。
まあ ポップコーン🍿は似合わないけど 普通に応援したくなる作品でした。
マッツの深さを改めて知る
マッツ・ミケルセン主演ニコライ・アーセル監督による、壮大なデンマーク開拓史物語。
脚本には「ライダーズ・オブ」のアナス・トマス・イェンセン。それとグスタフリンも一緒でしたね。そういえば本作もマッツは軍人役です。
果てしなく厳しい大地と自然が美しく、そこにある人間のドラマが分厚い作品。
貴族の称号をかけ、手付かずの荒地を開拓する。
その無謀とも言える野望の裏にあるのは、きっと自分たちを捨てた父への「成り上がり」という復讐心だったのでしょう。
暴君と言える執拗な有権者との争いの中で、小さな灯りが灯っては消えを繰り返す生活。
思いやりなど無い彼がそんな暮らしの中で、逃亡中に夫を亡き者にされた使用人や、家族に捨てられた少女と生活を共にするうちに温かみを知る。
その中でみせるマッツの芝居が素晴らしすぎるんですよ。
特にシワの刻まれた表情が実に良い。
一番印象的なのは少女アンマイ・ムスとの別れ。
一度目の別れの悔しさもですが、二度目の別れは寂しさを堪え笑顔で送り出すその心情はものすごい響きました。
そして再び孤独になって思い知る家族の大切さ。
彼の一番大切な事は何かに、そこでようやっと気付いたよう。
積み上げたものを捨てそこへ向かう彼に、ようやっと平穏が訪れたように見えました。
その波乱に満ちた人生の描かれ方、とても素晴らしかったです。
何より、マッツ・ミケルセンの深さを改めて知る作品でもありました。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 何でも「愛」をつけりゃ良いという邦題の悪しき伝統?実はデンマーク版『修羅雪姫』とでも云いたいアナーキーでハードボイルドな歴史寓話でした。
①邦題とか、予告編とか、原作ありきとか云った先入観を引き摺って、クライマックス直前までは未開の地の開墾に初めて成功した元軍人の御苦労話かと思いきや、クライマックスからラストに至るツイストの効いた展開で、「こりゃ、“必殺仕事人”か“修羅雪姫”かい」とガラリと鑑賞後の印象が変わる或る意味トリッキーな映画。
②マッツ・ミケルセン(ミッツ・マングローブと間違えちゃう)の、ヴィトルという男の内面・喜怒哀楽・正の感情・負の感情をほぼ表情だけで演じ分けてしまう懐の深さ。
さすがデンマーク映画界の至宝と云われるだけはある役者さんではある。
ただ、彼が主役なのは、殆んどサイコパスの領主シンケルにとうとう殺されそうになるところまで。
③このヴィトルとシンケルという二人のキャラクター。両極端の様でもあり或る点では共通している様でもあり。
シンケルを憎らしく思えば思うほどヴィトルに肩入れする、という作劇上の巧みさはもとより、この二人のキャラクターとその背景を通して当時のデンマーク王国の社会構造や特権階級の傲慢さ・階級意識・差別意識等々が炙り出される。
領主のお手付きで私生児として生まれて幼少期から苦労し比較的身分差別の少ない軍隊で何とか社会の階段を25年かけて登ってきたヴィトル。(封建社会や階級社会における権力者のお手付きの話ってホント世界の何処でも、どの時代でもあるね。)
それだけ爵位を貰い貴族になり、自分の土地を持つ領主になることがヴィトルにとっては執念となっている。
そしてそれが、シンケルからの犯罪レベルの数々の妨害にも耐えて開墾し続ける動力となっている。
④他方、シンケルは領主の正式な跡取りという特権的立場に加えて生来の殆んどサイコパスな性格もあり、封建社会の特権階級の旨味を存分に味わいながら、デンマーク王国中枢から遠い土地であるため政府の目がなかなか届かない地理的優位も利用してやりたい放題。
しかし、このシンケル、口先では虚無主義者めいたことを嘯きながら、自分の特権・所有するものを侵されることを何よりも恐れ、それを守るためには殆んど病的と云える執念を見せる。
貴族・爵位・土地、と共通のものを巡って同じような執念を燃やす二人の男達。手に入れようとする、守ろうとする、と違いは有ってもコインの裏と表の様でもある。
⑤また、あくまで国王のご威光をシンケルの横暴に対する盾にし続けるだけのところが、ヴィトルも結局まだ封建社会の枠内に留まっているという限界を示している。
ジャガイモ栽培に成功(普通の偉人伝であれば此処をクライマックスにするところを通過点にして、更に主人公達をサディスティックスにいたぶる流れからして本作が単なる感動的なサクセスストーリーを目指したものではないのが分かる)したご褒美として国王の思し召しで入植してきたにも関わらず、そのドイツ人入植者達を襲って女子供を殺したシンケル一党。
マッツの演技が素晴らしすぎる!
愛を耕してきました〜!
デンマーク版プロジェクトXの豊饒な物語
待望のマッツ・ミケルセン主演作品でした。個人的に「アナザーラウンド」以来でしたが、またまた素晴らしい演技でした。
日本での題名は「愛を耕すひと」と上品なものですが、デンマーク語の原題「Bastarden」には、「ろくでなし」や「私生児」「非嫡出子」といった意味があるそうです。ルドヴィ・ケーレン(マッツ・ミケルセン)は貴族の私生児として生まれた設定で、原題はその境遇を端的に表しています。英題は「The Promised Land(約束の地)」で、原題・英題・邦題の異なる視点がユニークながらも、いずれも作品の本質を捉えた好題だと感じました。まあ原題を直訳した邦題にしたら、日本では敬遠されそうですが。
物語は18世紀中頃のデンマーク辺境が舞台。国王の許可を得て、不毛の地を開拓するルドヴィ・ケーレンの姿を描きます。史実を基にした小説の映画化で、開拓の苦難はデンマーク版「プロジェクトX」とも言えるかもしれません。
物語を彩るのは、地元領主デ・シンケル(シモン・ベンネビヤーグ)との対立。不毛の地ながらも国王直轄地であるこの地を横取りしようと画策するデ・シンケルに、ケーレンは敢然と立ち向かいます。ミケルセンの姿は、まるで日本映画の“健さん”的なヒーロー像を彷彿とさせました。
恋愛要素も見どころでした。デ・シンケルのところから逃散してケーレンの下で働くことになった小作人夫婦の妻アン・バーバラ(アマンダ・コリン)は、夫をデ・シンケルに惨殺され、その後もケーレンの下で働くうちに彼と結ばれます。一方、デ・シンケルの許嫁エレル(クリスティン・クヤトゥ・ソープ)もケーレンに惹かれ、複雑な三角関係が物語に人間味を添えました。2人が最初に出会った場面では、女同士のバチバチした緊張感にゾクゾクさせられました。
さらに、タタール人の娘アンマイ・ムス(メリナ・ハグバーグ)の存在も重要。ケーレンの下で働くことになったものの、地元住民の偏見や差別にさらされ、一時はケーレンもやむなく手放してしまうことに。それでも再びケーレンのところに戻り、やがて成長し伴侶を見つけます。この辺りは愛娘を嫁に出す父親像として描かれるケーレンでしたが、この出来事が”土”ではなく”愛”を耕すひとになるきっかけとなりました。
そして一番の山場は、デ・シンケルをアン・バーバラとエレルが連係して討ち取るシーン。観客の憎悪を集めた悪役が成敗される瞬間は実に爽快でした。
そんな訳で、史実を基にした緻密な物語構成や、不毛な大地の風景も味わい深く、何よりマッツ・ミケルセンの演技も素晴らしかった本作の評価は、★4.6とします。
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