オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
全218件中、141~160件目を表示
長い・冗長・そして難解
総論
中間管理職の悲哀と、個人的な恨みをこじらせた人の物語。そして難解でした。特に、ストローズの恨みをこじらせた部分は不要にしか思えません。はっきり言って自分には冗長でした。できることならば、原爆投下の半年後ぐらいで物語を終わらせて欲しかった。(もう少し短かかったら+0.5です)
余計なコメント・個人的な意見
①アイアンマン(ロバート・ダウニーJr)も老けたな。。。メイクのおかげなのか地なのかはわかりませんが、老けたとしか思えませんでした。
②武器・兵器の開発者が責任を感じる必要は無いというのが自分の考えです。その人が開発を行わなくても、かわりに開発を行う者がいずれ出てくるはずですから。。。そういう意味で言えば、ハリー・S・トルーマン大統領の言は共感できました。
<主な基準(今後のためのメモ)>
4.5 観て良かったと感じた映画
4.0 おすすめできる映画、何かしら感慨を感じる映画
3.5 映画好きなら旬なうちに見てほしい映画
3.0 おすすめはできるが、人により好みが分かれると思われる映画
んんー
私レベルで正直な感想は、長くて難しい。では、あったが、オッペンハイマーの苦悩、などは伝わった。が、かなりの変人なことも伝わった。ただ、日本人として、実験段階であの威力があるものを落とされた国の国民としては、実験シーンあたりから見てるのが辛くなった。(そっからも長いし)家だったら途中でやめていたかもな。感じたのは、この監督の作品とは相性が良くないということ。
アメリカ目線のドキュメンタリーみたい
かなり話題作なのでそれなりに期待して鑑賞しました。
結果、ワタシ的にはあまり感動を得るものは無かった作品でした。
主人公は新型兵器によりどのような結果をもたらすのか充分理解した上で原爆開発を行った。
ビーカー?フラスコ?にビー玉を投げ込むシーンが私はとても不愉快だった。
どうみても彼は開発することに嬉々として参加している。
実験から日本への投下作戦が成功し、喜ぶ人達が足を鳴らすシーンは正にアメリカらしいとも感じた。大統領の言葉が正にそのことを感じさせられる
逆の立場で当時の日本人なら足ではなく手を叩きバンザイするでしょう。
戦争とは人間を破壊しおかしくしてしまう愚かな行為であると強く思います。
ここまでの急かされた気持ち、その後の後悔の念までよく描いている、映画としてはよくできているもののやはり私は不愉快さしか残らない。
いくら真実に近づくとはいえ観ていて不愉快な作品に共感もしないし讃美を送る気にもならない。
ただ作品としてはよくできていると思うので星3とします。
そうですか
私ら(日本人)のこととかどうでもいいんすねー。
私らがどう思うかとかどうでもいいんやなって思った。
大量に人殺した奴らにも悩みとか苦しみあったとか、知るかって思った。ましてやそんな奴らの権力争いとか。原爆開発を扱うのに、フォーカスするのは加害や被害じゃなく、あくまでオッペンハイマーその人で、それを評価するアカデミー賞。
他に語るべきことがあるはず。アメリカでこそ語るべきことが。
原爆投下時の被害状況は、開発者たちはリアルタイムで認識してないから描写がないのはわかるけど、その後に被害を認識する場面でも自分らがやったことまともに映さんとか舐めてんの?としか思えへん。
直接的な描写じゃなく、それを見た・知った人のリアクションでいかに酷かったかわかるでしょ?て、そんなぬるいことばっかしてるから、原爆が戦争終わらせたとか、必要やったって思ってる人が少なくないんじゃないの?
NOPEとか、自分らのこと刺してくる作品は無視するアカデミー賞が選ぶ、自分らの殺戮は直視せんとふんわり反省してるポーズは取れる都合のいい映画。
ロバート・ダウニー・Jrが、アカデミー賞でナチュラルにアジア人差別的な振る舞いするのも納得。そーゆー人らが作ってるんやなって。
広島や長崎はお前らのおもちゃじゃない。
それでも、ここから何かが変わっていくきっかけにはなるかもしれへんから、作られた意義がないとは言い切れへんし、こんな大作で加害に向き合おうとしてるだけ日本よりはマシ。
映画作品としてはアカデミー賞も納得の出来!
キリアンマーフィーの主演男優賞は納得!この人、名脇役の印象が個人的にはあったんだけど、すごくよかった!
ロバート・ダウニー・Jrも「脱アイアンマン」できてたし、今後の活躍にも期待だね(個人的には「トロピックサンダー」のお下品コメディが好きだけどね)!
助演女優賞が取れなかったのか不思議なくらい妻役のエミリーブラントも良かった。それ以上にフローレンス・ピューのジーンが良かった!魅力的な女性像だったなあ。「ミッドサマー」からMCU入りして、アカデミー賞作品に出演と確実にキャリアアップしてるね。マットデイモンも良かったし、脇役陣も皆ハマってた。そりゃあ作品賞取るよね。
人類の歴史の中で最も直近なワールドウォーだからこそ物議を醸すのは仕方ないかな。結局誰かの正義は誰かの悪なんだってこと。だからSFで架空の異星人たちが戦うってコンセプトが人気あったりするのかもね。対岸の火ならば、安心して観ていられるし(表現が適切かわからないけど)
後半いわゆる「政局」争いのようになっちゃって結局オッペンハイマーは「すごい人」ってことになるのは賛否が分かれるかもなあ、と思って。そしてあの「醜い争い」は映画じゃお馴染みの陳腐なプロットになりかねないし、少し長かったよ、あの部分が。あそこがもう少しコンパクトなら作品も締まるし長時間化も緩和できたような。そこで、少し食傷気味になったんで、−0.5で。でも俳優陣が素晴らしかったので、パンフレットは購入!(今年は★5をつけたらパンフは買う!)
主役脇役が抜かりなく良い演技をしてる映画は当然「いい映画」だと思う!
シーツを入れろ
こないだ鑑賞してきました🎬
「マンハッタン計画」にリーダーとして参加したキリアン・マーフィ演じるオッペンハイマー。
3年と莫大な資金を費やし、ついに原爆を完成させた彼ですが…ナチスに使うはずだった原爆は日本の長崎と広島に投下されます。
多くの民間人が犠牲になり、結果的に大量破壊兵器を生み出してしまった彼は、ロバート・ダウニー・Jr演じるルイスの根回しによりスパイの嫌疑までかけられ…。
ラストのなんともいえぬ表情のカットなど、オッペンハイマーの苦悩と葛藤がキリアン・マーフィの演技に体現されてました。
アカデミー賞も納得の演技です🙂
ロバート・ダウニー・Jrも、色々根に持つ性格のルイスを熱演。
オッペンハイマーを追い詰める為に、あれやこれやと奔走しています。
今回オッペンハイマーの妻キティを演じたエミリー・ブラントは、厳しい表情が多めでした。
ここぞというときに、オッペンハイマーをしっかり支えてくれます。
ジーンが亡くなって、森がなんかでうずくまっている彼を叱咤するシーンや、後半では意地悪な質問を繰り返すジェイソン・クラーク演じる検事にうまく反撃したり。
精神的に不安定なジーンを演じたフローレンス・ピューも、危うい部分がよく現れた演技でしたね。
「あなたは用があると私のところへきて、また去っていく」
そして、マット・デイモン演じるグローヴス。
なんだかんだ、最後までオッペンハイマーと計画を実行し、原爆開発に成功します。
「世界を破壊するな」という台詞は印象的です。
日本人として、長崎と広島に原爆が投下された事実を考えると複雑な部分もあります。
しかしこれは1つの映画ですので、アカデミー賞7冠に輝いた本作をスクリーンで観ることが出来たのは良かったと思っています。
3時間の長さも、あまり感じませんでした。
ノーラン監督好きの方は、問題なく楽しめると思います🙂
映画として面白かった。日本人としてはしんどかった。
能力や地位、権力、競争、手に入れるところに上がれる天才の傲慢さと実現出来てしまう環境が全て揃った時に発生する前進力の凄さと恐ろしさを感じました。
あれだけカリスマ性を発揮した彼の栄光も終わった後の現実の前には尊大で矮小に見える。オッペンハイマーの身体が他の人より小柄なのもあってか輝ける時期は実際より大きく、罪を自覚してからは小さく見えたのが印象的。
アメリカが繰り返してきた核投下への実行のための大義名分と罪への言い訳の在処をできるだけ写し出した映画だと思います。この時期に日本を含め何処の国でも核爆弾の開発を競走していた事を考えると複雑だけど、あの実験まで踏切る為に彼が取った行動は異様でありつつ証明する事の誘惑や衝動の強さは人間の心理としての説得力があり歯止めの効かなさがすごくて…鉄塔に爆弾をあげていく辺りから自分たちの高揚感に呑まれるあり様に正直怒りと反感が込み上げてきました。
当時はベトナム戦争はまだ起こらず一般の人達はTVでの戦争報道はまだ先、ラジオからの限られた情報が戦況を伝えている世の中だし、情報伝達の解像度も今とは比べものにならないほど低いでしょう。SNSや動画サイトのある今ならあんなに他人事として喜べる筈はなく、あの時代であれば立場が同じならどんな人種でも同じ様に反応したのだと思う反面、映画を見てる時に主人公に自分を重ねて味わえるアメリカ人としての視点や仮面みたいなものは今回は嫌な気分でしか味わえなかった。
そして罪というのは犯すまでは理論として分かるものだけど、背負った自覚をして現実になってからはどうしようもなく心が感じとって分かるものだなともしみじみ思いました。そこはオッペンハイマーが理論の人であるから尚更。呵責に責め立てられてからの彼は過去の自分の言葉に振り回される姿が辛く、理論に覆い被さって動かない現実の大きな力を感じました。
何となくノーラン監督の作風は複雑状況下を言葉以外の力で説得してくるイメージがあったので、今回は周到な会話劇として作り込まれているのは最初ら意外でしたが圧倒的な現実を描くのにはこの対比が必要だったんじゃないかとも思います。言葉ってほんと怖いね波であり粒子である作中の光の本質と似た物を感じる。
そして語られなかった日本については、罪の意識があればこそ被害者側についてあちらの立場から創作するというのは気持ちとしてできるものでは無いし、それをする事自体が白々しさを感じるので無くて良かったと安心しました。それやってたらノーラン嫌いになっちゃったかも。
タイトルなし(ネタバレ)
午前中見てきました。
入りは4割程度、年齢層も高めでした。
この映画、物理とか専攻する予定の理系の学生に見てもらいたい。
自分も理系でしたが、学生の頃に習ったであろう有名物理学者が目白押しです。
最後に原爆の実験で皆歓喜していたのは痛いほどわかりました。
理系学生なら理論を実証するための実験は重要であり、成功したときの喜びは後に大量破壊兵器となるとわかっていてもうれしいものだと思います。
ただ自分の勘違いでしょうが、アインシュタインが原爆実験に関与していなかったのにはびっくりしましたが。
気になった点としては、
浮気の描写とか必要かな?なんか中だるみしたような気が。
ただでさえ長い映画なのに不要だと思いました。ごっそり削れば2時間半くらいにはなったのでは。
あとはオッペンハイマーの言動がやたら日本人的なのはウソ臭かった。
日本人に見てもらう前提でつくったのかな。
原爆実験の際、音と衝撃波が30秒くらい後にくるんですが、何度も同じシーンでびくっとなるのでもう少し考えてほしかった。
とにかくいい映画だと思います。アカデミー賞を総なめするのも納得です。
マット・デイモンもいい感じで老けたね。ボーンシリーズの時のお坊ちゃんみたいな感じがみじんもなかったです。
時系列が最初飛びまくって意味が分からないかもしれませんのでそれだけ気を付けて視聴するのをお勧めします。
確かに賛否はある。が、ノーラン好きは見る価値あり。
日本では公開されないだろうな。と思ってたが、
賞をとったおかげなのか、公開されましたね。
ノーラン好きとして、ありがたいことだが、内容は非常に怖い映画だった。
幾つか賛否ある表現もあるので、大きく評価も分かれる気がした。
ある程度、歴史上の出来事が分からないと「? 」マーク続出なので、
これから見る方は是非、予習して視てほしい作品です。
2回、3回観に行く前提のノーラン好きの方には
『ネタバレありの予習』しても良いと個人的には思います。
分かった上で映像、音、演技に集中して視ると、違った印象になるはず。
全体を通して「音」これが凄い・・。
心理描写が、ダイレクトに頭に入ってくる。
是非 IMAX で「演技」「音」の仕掛けを感じてほしい。
個人的に (主人公以外で) 思ったのはストローズの演技。これは凄味がある。
そして、ゲーリー大統領のク〇ぶり、ある意味、素晴らしい。レオンを思い出した。
核拡散のキッカケになったであろうフックスも、また不気味さが素晴らしかった。
怒れるアインシュタイン、これも見どころがある演出。
時代、戦争、野心、思想に翻弄されながらも、
不器用ながら、ここまで、真っ直ぐに生きた方も、少ない気がする。
拍手を送る気持ちには、とても、なれないが、
おっぴー自身に同情、共感できるところは多々あった。
私は、この作品をみたあと、
妻に「シーツをとりこめ」と連絡しました。
皆さんは、どうだったろうか・・。
世界が変わる潮目に
差し掛かった今だからこその映画。
だと思う。
ナチスのユダヤ迫害はアーリアン思考から生まれた
ものだった。
そして、太平洋戦争の根底にあった対立は
イデオロギー戦争だった。
実は全てが、欲深いコーカソイドの民により起こった
不安だった。
その事実にも気付き、コーカソイド社会に嫌気を抱き
オリエンタルへと憧憬を深めていったアインシュタインや
ボーアは時代とは乖離していった。
つまりは世紀の天才科学者達は、もう既に
今の潮目の到来を見出していたのだろう。と
時代に乗り飲み込まれたオッピーで
表現したのだろうと思う◎
オッピーはオッパッピーだったんだね。って
尺の割には軽めで締めるが
ノーランらしい作品に及第点
欧米人の、欧米人による、欧米人のための原爆映画
私は長崎の人間です。また一時期、広島に住んでいた事もあります。
クリストファーノーラン、すごく好きな監督でした。メメントで知って今まで色々な作品を見てきました。でも...今作を観るのはすごくすごく悩みました。。。
ただ元々映像の仕事に携わっていた事もあり、長崎の人間である前に、ノーラン監督の最新作かつアカデミー受賞作品としての出来栄え・テクニックをインプットしようと、先入観を抑えて劇場に臨みましたが...、無理でした。今まで聞いてきた親戚知人の被爆体験が脳裏をよぎり、嗚咽が止まらず、映画どころでは無かった。
それは原爆の恐ろしさの演出に泣いたのではなく、その悲惨さを描く・残すことからノーランが逃げたこと、またそういう逃避の映像にアカデミーを与えた米映画界に悔しくて涙が止まらなかった。しかし日本の映画ファンも「この映画は伝記映画で、被爆の悲惨さを入れる意味はない!ノーラン最高!」というが...どこまでお花畑なのか。
オッペンハイマーが原爆の父である視点を抜き取り、いかにエキセントリックで変わり者だったか?だけを描く映画ならそれでいいが、世界初の原爆開発に責任者として携わったオッペンハイマーを描く映画で、実戦で使われた原爆の残虐さを正面から伝えず間接照明のようなフンワリ表現でお茶を濁すやりかたは、正直言って卑怯だと思った。
あれだけエロティックなシーンに拘泥した割に、そこは逃げるのかと。誤魔化すのかと。結局はアカデミーが欲しかっただけの、俗物監督だったのかと...
そういえば今作のスタッフリングは男女比などすごく苦労したそうです。なぜか?それは2024年から「スタッフ内の男女比率がアカデミー受賞の評価対象」になったから....
そう、ノーランは兎に角アカデミーが獲りたかった。欧米人の威光の源である原爆の父を題材に、平和・反核風な装飾で固めた戦略的商品の本作で「獲りに」行っただけ。
被爆国・日本人への配慮などない。ゴジラの山崎監督に「ぜひアンサー映画を撮ってくれ!」と白々しく話す対談が、逆に本作が被爆国と向き合わなかった証左でもある。
ただ一応、気を使った形跡はある。オッペンハイマーが原爆の被害を嘆く妄想シーンの中で、白人女性が被爆者のように焼けていくシーンがある。
その白人女性はカメオ出演したノーランの娘だそうだ。いわく「核兵器はいつか身近な人を奪うかもしれない恐ろしさを表現した」らしい...はぁ...
その程度の特撮シーンを差し込んだ位で、被爆国の溜飲も下がるだろう!と思い付いたノーラン親娘の能天気さを想うと...なんて傲慢な白人なんだとヘドが出る。
というか、そういう意味不明で歪曲したオブラート表現で塗り固めた本作が「反核映画の金字塔」のように定着・固定化することが非常に危ういと思った。
まだ日本人は「血の通った」被爆体験を語り継ぐことで、本当の核兵器の恐ろしさを知っている。しかし欧米人は、結局本作のような、原爆の悲惨さと同等に1人の白人科学者の呵責を描いてしまう価値観が正当化され、かつアカデミー賞という「世界共通のイイモノ」フレームに収められた事に、いわば第二の東京裁判のように感じた。
やはり歴史というものは、戦勝国が作り上げていくものなんだと、思い知らされた...
個人的には、もうノーラン作品だからと○○みたいに諸手を上げて有難がる気はないです。ただ、そういう欧米・マスコミの価値観を無意識に是としてきた自分自身を振り返る契機になったのは、学びの1つになりました。
天才って本当に人間として欠落している
冒頭シ-ンからして、何て高慢で嫌な奴なんなだろうと思った。これじゃ敵を作っても仕方ない。浮気はするはで、人間としては魅力がない奴だ。レッドパージでフ-バ-長官が権力を握っていた時代で、世間知らずな科学者なんて、政治家にとっては陥れ易い。ドイツにかなり競争意識し原爆を製造したが、使用する前に降伏してしまったために、投下目標地を日本に変更されたのは不運だった。衝撃的な場面なんて皆無でし、アカデミ-賞を取るような作品だと思えない。
科学のセールスマンオッペンハイマー
オッペンハイマー博士は理論物理学者である。
しかし彼は、数学能力においても発想においても秀でたものはない。
だが弁舌。科学者たちを動かす優れた弁舌の才があった。
世界大戦が人類の大義を作り出すとき、彼はその能力を縦横無尽に発揮しロスアラモスに王国を作り出す。
そしてプロメテウスとも預言者とも擬えられるのであった。
三時間もの大作を飽きさせず惹きつける作りは圧巻であり、流石の名監督であると言える。
しかしラストあたりは正直蛇足という印象を否めない。史実の重みにドラマチックな潤色は余計となった。
実際、史実だから彼は贖罪すらまともに果たせぬのだろう。
一人の日本人としては、本来ドイツへの対抗として作られた原子爆弾が日本への投下にすり替わっていく問題をもう少し掘り下げてほしかったという思いもあるが、
まあ現実でもこんなノリであっさりとすり替わったのかもしれない。
色々とケチをつけようと思えば可能だが、それはこれが間違いなく名作だからであり、不満を抱くのである。
映画館で見て損と感じる人間は少ない作品だろう。
時系列に整理してみました
日本でフルサイズのIMAXが見られる劇場は大阪万博記念公園と東京・池袋のグランドシネマサンシャインの2箇所だけである。
4月1日(月)
「オッペンハイマー」池袋グランドシネマサンシャインのIMAXで。
本作は、「原爆の父」J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)が
1942年から関わったマンハッタン計画、
1954年のオッペンハイマーの聴聞会、
1959年の仇敵ルイス・ストラウス(ロバート・ダウニー・Jr)の上院公聴会、
を主軸にオッペンハイマーの栄光と没落、そして彼の苦悩を描いた作品である。
クリストファー・ノーラン監督は、例によって時間軸をいじっているので、Wiki、ニューズウィーク日本版、エスクワイヤ等を参考に映画で描かれた事象等を時系列に整理してみた。
1922 ニールス・ボーア(ケネス・ブラナー)ノーベル賞受賞
1926 ハーバード大学卒業
イギリス ケンブリッジ大へ留学
ドイツ ゲッティンゲン大へ留学
1929 カリフォルニア大バークレー校に助教授として戻る
1936 ジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)と出会う(30年代後半ジーン・タトロックと非公式に婚約)
1940 キテイ(エミリー・ブラント)と結婚(キテイは4度目の結婚)
1942.6 ルーズベルト大統領極秘にマンハッタン計画を開始、総括責任者にレズリー・グローブス准将(マット・デイモン)を任命。グローブスがオッペンハイマーを開発責任者に抜擢
1943 .3 ロスアラモス国立研究所設立
オッペンハイマー所長に就任
1943.6 ジーン・タトロックと再会。別れた後でジーンはうつ病となる
1944 ジーン・タトロック自殺
1945.5.3 ドイツ降伏
1945.4.12 ルーズベルト大統領急死
副大統領トルーマン(ゲイリー・オールドマン)大統領に就任 原爆投下を決断
1945.5.10 投下地広島に決定(候補地に小倉、新潟、京都等が上がる)
1945.7.16 トリニティ核実験成功
1945.7.24 ポツダム会談(チャーチル、トルーマン)
1945.7.24 長崎、予備目標地に決定
1945.8.6 広島に濃縮ウラン型原爆(リトルボーイ)投下
1945.8.9 B29小倉に向かうも上空視界不良のため予備地長崎に変更。長崎にプルトニウム型原爆(ファットマン)投下
1945.8.15 日本無条件降伏
戦後、プリンストン高等研究所の有力な理事ストラウスはオッペンハイマーに研究所長就任を懇願
その後、委員会等で恥をかかされた恨みで水爆推進派のストラウスは水爆反対派のオッペンハイマーに反発
1951 オッペンハイマー、原子力委員会総合諮問委員長任期満了
オッペンハイマー相談役に留まるもストラウスにより断たれる
1953 アイゼンハワー大統領によりオッペンハイマーは科学諮問委員会に復帰
1953〜58ストラウスは原子力委員会委員長を務める。大敵と思われていたオッペンハイマーが輝きを取り戻し、復帰したのを喜ばないストラウスはオッペンハイマーからセキュリティ・クリアランス(機密情報を扱う適格性)の剥奪を諮る。
冷戦中であり、共産党シンパはソ連のスパイと同等と思われ、ソ連に情報を流した疑いで聴聞を受ける
1954 オッペンハイマー聴聞会開催
(映画では聴聞会の公開記録がほぼそのまま再現されている)聴聞会後に剥奪され政府の仕事から追放される
1959 アイゼンハワー大統領がストラウスを商務長官に指名した件で上院公聴会開催
マンハッタン計画にも参加していた(嘆願書に署名した)デービッド・ヒル(ラミ・マレック)の証言により聴聞会がストラウスの個人的復讐である事が明かされる。
(これは原作の「アメリカン・プロメテウス」には無く、クリストファー・ノーランが公聴会の記録から掘り起こした)2ケ月に渡る公聴会で上院から指名は拒否され、以後ストラウスは公職に付く事はなかった。
1963.12 ジョンソン大統領の時に(アメリカの物理学賞)エンリコ・フェルミ賞受賞し名誉を回復する(前年の受賞者は水爆推進論者だったエドワード・テラー)受賞式でオッペンハイマーはテラーと握手するもキテイは拒否(当時は賞金5万ドル、現在は37.5万ドル)
1960.9 オッペンハイマー来日
東京、大阪のみで広島、長崎には行かず
1967.2.18 オッペンハイマー咽頭ガンで没 62歳
アメリカ人がこういった事実(歴史)をどこまで認識して映画を見ていたのかは判らないが(タイムやライフの表紙にもなった位だから認知はされていたはず)、少なくとも日本ではオッペンハイマーとその人の歴史は認識されていなかったのではないか。
本作中でもトルーマン大統領の台詞に「日本は誰が原爆を作ったかなんて気にしない。誰が落としたかだ。」と言うのがあった。私はイノラ・ゲイは知っていたが、オッペンハイマーは知らなかった。
オッペンハイマー、ストラウス、グローブス、テラーそしてアインシュタイン!みんな写真を見るとそっくりか極めて寄せているのがわかる。
本作は、原爆の災禍を描いた作品ではないので広島・長崎の原爆被災の状況は描かれない(私はそれも有りだとは思う)。
もし、全米が目を背けるほどの原爆の災禍や被爆者の姿が描かれていたら、果たしてこの作品はアカデミー賞を取ったか?
山崎貴監督が「この映画のアンサーは日本側が創らなけばならない」と言う記事を読んだ。(あれ、違う監督だったっけ?)
アメリカと日本では原爆に対する理解、意識が違う。インディー・ジョーンズは冷蔵庫の中で原爆から逃れる位なんだから。
話がつまらない
原爆の開発についての描写は前のめりで見入るのだけど、アカかどうかとかスパイかどうかはどうでもいい話題だ。本人にとっては重要なポイントなのだろうけど、内容がつまらない。特に尋問の場面は字幕を読むのが大変だ。IMAXで見ようとしていたが時間が合わず、普通の上映で見て大正解だ。
原爆開発のために町を作るし、オッペンハイマーに全権をゆだねるなど、アメリカのこうと決めたらとことんやる姿勢がすごい。これはかなわない。
吹き替え要りますよ
アカデミー賞受賞ののちに上映開始なんて日本的すぎんかねと思った。
昨年の、しかも8月直前に公開するのに怖気付くのはわからないでもないが、それでも意図的にぶつけて批判なり炎上なりした方が世界的にもヒロシマナガサキの理解が進むチャンスだったのではと思う。
日本人としても開発側や実行側の背景を少し知ることができてよかった。
ところで、なんで吹き替えがない?VOD公開時にはできてますように。
複雑な感情
自分の祖国の被害はもっと世界に知らせてほしかった。ナチスにも使いたかったってセリフでは救われない。
アカデミー賞でのロバート・ダウニー・Jrを思い出すと彼の演技がまぁ鼻につくこと。
爆発実験の準備を見て成功する様を見たいと思ってしまう自分の気持ちはなんなんだろう。。。
冷静になって最終的にモヤモヤするのは何十万人もの被害者を出した事件の当事者が1番苦しむのが良心の呵責じゃないってことかな。
とはいえ、ノーラン印の質の高い映画ではあると思います。ドルビーのど迫力も凄かった。
壮大な天才科学者オッペンハイマーの人生を描いた傑作
この映画は、天才科学者の内面に迫る体験ができます。
ノーラン監督は、オッペンハイマーの視点をカラーで描き出し、一方で彼と対立するアメリカ原子力委員会の委員長であるストローズの視点をモノクロで表現することで、視覚的にも興味深い対比を生み出しています。また、時系列的な情報を点として提示し、それを線としてストーリーに綴っていく手法は巧みです。さらに、キャストの感情を観客に伝えるためのアップショットが効果的に使用されています。
物語は、オッペンハイマーがナチス・ドイツに勝つために原爆開発に関与し、その後若手研究者、アメリカ政府やソ連のスパイ、共産党員に巻き込まれていく過程を描いています。彼の内面に迫る核実験や聴聞会のシーンは、彼の不安と孤独を見事に表現し、観客に深い衝撃を与えます。彼の影響力が大きい一方で、ストローズの陰謀も恐ろしいものです。
また、オッペンハイマーの妻が典型的な良妻賢母ではなくても彼の栄光や転落を支え続ける姿が印象的です。
アインシュタインとオッペンハイマーの対話シーンは、物語に深みを加えるうまい配置がされています。特に、科学者の視点から組織や時代に対する深い洞察力が示されています。
私と同じく予習なしで、先入観を捨てて鑑賞することをお勧めします。
原爆フロンティアのモーツァルトとサリエリ
( IMAXレーザーにて鑑賞 )
まるで筋書き通りじゃないか!
原爆開発は、アメリカが余裕をもって進めていた訳では決してなかったようだ。
それは、まるで
朝刊最終版入稿締切前の特ダネ記者のように、
あるいは、
展覧会開始前夜の学芸員のように
あるいは、
初日が迫るなか台本が遅れて最終場の原稿が前日に間に合った脚本家のように、
人類最初の核実験となったトリニティ実験も、大雨にも関わらず強行され、たまたま幸いにもといった感じで成功。
それは、まさしく大戦処理を決定したポツダム会議(1945.7.17-8.2)の直前7月15日のことであり、
本作では、すでに8.6の広島初投下も、8.9の長崎投下の日程も決まっていた上でのことだったと描かれていた。
トリニティ実験が成功すると、
核爆弾は、
科学者たちの手からも、
そして、
オッペンハイマーのコントロールからも
離れ、
あらかじめ定められた通りに、
8.6 ヒロシマに、
8.9 ナガサキに、
まるで筋書き通りに、
投下されてしまったのだ。
本作、前半は、いろいろイメージ的な映像は流されるものの、肝心の核兵器そのもののリアリティが全く伝わって来ず、何か、せいぜい手の込んだ絵本程度の描写ではないか、と疑念を抱きながら、
睡魔と戦いつつ観ていた。
ところが、中盤、
実際に原爆を投下することを、
それも日本に投下することを決定した会議のシーンから、
急に、
核兵器の、
原爆の恐ろしさが身に迫って来て、
落涙をとどめることが出来なくなった。
京都は文化的な意義があるから対象から外そう、新婚旅行で行ったが良い街だ、ハハハ、‥
だって?
恐ろしいことを、冗談のように話す米軍の幹部に
こんな場面を日本人が観ることを知りながら撮影したノーラン監督に
腹が立って、
悲しくて、
涙を流すしかなかった。
おかげで原爆は投下されてしまったのだ。
広島に、
標的だった小倉の視界が悪かったので
代わりに長崎に、
まるで筋書き通りに‥‥
本作は、ワーグナーの楽劇の無限旋律のように、終始、強迫観念のような、精神を直接威圧するような音楽や音響が、切れ間なく続き、頭が痛くなりそうなほどだったが、
唯一訪れた無音。
世界初の核兵器の爆破、
爆発の瞬間から、
爆破の轟音と
凄まじい爆風が襲うまでの
ほんの僅かの時差のような時間。
その無音は、
その轟音は、
その爆風は、
8.6 に広島を、
8.9 に長崎を、
同じように襲ったのだ。
まるで筋書き通りに‥‥
核兵器の本当の恐ろしさは、
科学者たちも、
開発責任者だったオッペンハイマーも、
理解していなかったのだ。
事後に、その事実に戦慄するオッピー、
遅いゼ、おっさん!
もう手遅れだヨ!
おそらく世界中で、
本作の恐ろしさに、
最も身を震わせるのは、
最も涙を流すしかないのは、
広島の、
長崎の、
同朋を思う日本人に違いない。
だから、日本人は本作を観るしかない。
怒りに震えながら、
涙を流しながら、
優秀な科学者たちかも知れない、
だが、核兵器という絶対悪をこの世に創造してしまった罪人たちの姿を
目に焼き付けなければならない。
***
あらかじめプログラムを買って多少予習したせいもあってか、
町山智浩さんの言うようには、分かりにくい映画とは思わなかった。
いや、むしろ(ノーラン監督にしては)至って普通の劇映画だった。
劇薬という意味での「劇」映画でも、もちろんあるのだが。
たとえば、ヒロシマ、ナガサキの惨禍を経て、日本が降伏し、終戦を迎えたあと、
オッペンハイマーがトルーマン大統領と面会する。
この大統領、本当に、こんなアホのような呑気な会話をオッピーとしたのか。
立ち去るオッピーを泣き虫と侮辱したのか。
年だけ取って、大した能力も無さそうなこの大統領の戯画は、バイデン批判の一種なのか。
‥‥要は、所詮、その程度のリアリティしか保証しない「劇」映画だというサジェスチョンなのだろう。
終盤は、核兵器をこの世に産んでしまった罪を自覚したオッピーに対する、
聴聞会という名の政治的断罪劇。
赤狩りという名の魔女狩りによる、「ソ連のスパイ」という無実の罪を着せての。
ところが、同時進行の原子力委員長ストローズの公聴会の表・裏を見せるなかで、この濡れ衣が、彼による奸計であったことが明らかになる。
まるで、モーツァルトの天才に嫉妬したサリエリのように。
まるで、ムーア人将軍オセローの英雄ぶりが許せなかったイアーゴーのように。
古くから、舌出しおじさんとして、人間ミームの元祖的なアインシュタイン。
世俗から離れた世捨て人かと思いきや、いちばんオッペンハイマーの犯した罪の本質を理解していた。
ダンテの『神曲』のように、
原爆投下の煉獄を映像化し、
シェークスピア劇のように、
罪人としてのオッペンハイマーの
来し方行末を描いた本作、
やはり、
どうしようもなく
悔しいけれど、
問題作にして、
傑作である。
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