オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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複雑な感情
自分の祖国の被害はもっと世界に知らせてほしかった。ナチスにも使いたかったってセリフでは救われない。
アカデミー賞でのロバート・ダウニー・Jrを思い出すと彼の演技がまぁ鼻につくこと。
爆発実験の準備を見て成功する様を見たいと思ってしまう自分の気持ちはなんなんだろう。。。
冷静になって最終的にモヤモヤするのは何十万人もの被害者を出した事件の当事者が1番苦しむのが良心の呵責じゃないってことかな。
とはいえ、ノーラン印の質の高い映画ではあると思います。ドルビーのど迫力も凄かった。
壮大な天才科学者オッペンハイマーの人生を描いた傑作
この映画は、天才科学者の内面に迫る体験ができます。
ノーラン監督は、オッペンハイマーの視点をカラーで描き出し、一方で彼と対立するアメリカ原子力委員会の委員長であるストローズの視点をモノクロで表現することで、視覚的にも興味深い対比を生み出しています。また、時系列的な情報を点として提示し、それを線としてストーリーに綴っていく手法は巧みです。さらに、キャストの感情を観客に伝えるためのアップショットが効果的に使用されています。
物語は、オッペンハイマーがナチス・ドイツに勝つために原爆開発に関与し、その後若手研究者、アメリカ政府やソ連のスパイ、共産党員に巻き込まれていく過程を描いています。彼の内面に迫る核実験や聴聞会のシーンは、彼の不安と孤独を見事に表現し、観客に深い衝撃を与えます。彼の影響力が大きい一方で、ストローズの陰謀も恐ろしいものです。
また、オッペンハイマーの妻が典型的な良妻賢母ではなくても彼の栄光や転落を支え続ける姿が印象的です。
アインシュタインとオッペンハイマーの対話シーンは、物語に深みを加えるうまい配置がされています。特に、科学者の視点から組織や時代に対する深い洞察力が示されています。
私と同じく予習なしで、先入観を捨てて鑑賞することをお勧めします。
原爆フロンティアのモーツァルトとサリエリ
( IMAXレーザーにて鑑賞 )
まるで筋書き通りじゃないか!
原爆開発は、アメリカが余裕をもって進めていた訳では決してなかったようだ。
それは、まるで
朝刊最終版入稿締切前の特ダネ記者のように、
あるいは、
展覧会開始前夜の学芸員のように
あるいは、
初日が迫るなか台本が遅れて最終場の原稿が前日に間に合った脚本家のように、
人類最初の核実験となったトリニティ実験も、大雨にも関わらず強行され、たまたま幸いにもといった感じで成功。
それは、まさしく大戦処理を決定したポツダム会議(1945.7.17-8.2)の直前7月15日のことであり、
本作では、すでに8.6の広島初投下も、8.9の長崎投下の日程も決まっていた上でのことだったと描かれていた。
トリニティ実験が成功すると、
核爆弾は、
科学者たちの手からも、
そして、
オッペンハイマーのコントロールからも
離れ、
あらかじめ定められた通りに、
8.6 ヒロシマに、
8.9 ナガサキに、
まるで筋書き通りに、
投下されてしまったのだ。
本作、前半は、いろいろイメージ的な映像は流されるものの、肝心の核兵器そのもののリアリティが全く伝わって来ず、何か、せいぜい手の込んだ絵本程度の描写ではないか、と疑念を抱きながら、
睡魔と戦いつつ観ていた。
ところが、中盤、
実際に原爆を投下することを、
それも日本に投下することを決定した会議のシーンから、
急に、
核兵器の、
原爆の恐ろしさが身に迫って来て、
落涙をとどめることが出来なくなった。
京都は文化的な意義があるから対象から外そう、新婚旅行で行ったが良い街だ、ハハハ、‥
だって?
恐ろしいことを、冗談のように話す米軍の幹部に
こんな場面を日本人が観ることを知りながら撮影したノーラン監督に
腹が立って、
悲しくて、
涙を流すしかなかった。
おかげで原爆は投下されてしまったのだ。
広島に、
標的だった小倉の視界が悪かったので
代わりに長崎に、
まるで筋書き通りに‥‥
本作は、ワーグナーの楽劇の無限旋律のように、終始、強迫観念のような、精神を直接威圧するような音楽や音響が、切れ間なく続き、頭が痛くなりそうなほどだったが、
唯一訪れた無音。
世界初の核兵器の爆破、
爆発の瞬間から、
爆破の轟音と
凄まじい爆風が襲うまでの
ほんの僅かの時差のような時間。
その無音は、
その轟音は、
その爆風は、
8.6 に広島を、
8.9 に長崎を、
同じように襲ったのだ。
まるで筋書き通りに‥‥
核兵器の本当の恐ろしさは、
科学者たちも、
開発責任者だったオッペンハイマーも、
理解していなかったのだ。
事後に、その事実に戦慄するオッピー、
遅いゼ、おっさん!
もう手遅れだヨ!
おそらく世界中で、
本作の恐ろしさに、
最も身を震わせるのは、
最も涙を流すしかないのは、
広島の、
長崎の、
同朋を思う日本人に違いない。
だから、日本人は本作を観るしかない。
怒りに震えながら、
涙を流しながら、
優秀な科学者たちかも知れない、
だが、核兵器という絶対悪をこの世に創造してしまった罪人たちの姿を
目に焼き付けなければならない。
***
あらかじめプログラムを買って多少予習したせいもあってか、
町山智浩さんの言うようには、分かりにくい映画とは思わなかった。
いや、むしろ(ノーラン監督にしては)至って普通の劇映画だった。
劇薬という意味での「劇」映画でも、もちろんあるのだが。
たとえば、ヒロシマ、ナガサキの惨禍を経て、日本が降伏し、終戦を迎えたあと、
オッペンハイマーがトルーマン大統領と面会する。
この大統領、本当に、こんなアホのような呑気な会話をオッピーとしたのか。
立ち去るオッピーを泣き虫と侮辱したのか。
年だけ取って、大した能力も無さそうなこの大統領の戯画は、バイデン批判の一種なのか。
‥‥要は、所詮、その程度のリアリティしか保証しない「劇」映画だというサジェスチョンなのだろう。
終盤は、核兵器をこの世に産んでしまった罪を自覚したオッピーに対する、
聴聞会という名の政治的断罪劇。
赤狩りという名の魔女狩りによる、「ソ連のスパイ」という無実の罪を着せての。
ところが、同時進行の原子力委員長ストローズの公聴会の表・裏を見せるなかで、この濡れ衣が、彼による奸計であったことが明らかになる。
まるで、モーツァルトの天才に嫉妬したサリエリのように。
まるで、ムーア人将軍オセローの英雄ぶりが許せなかったイアーゴーのように。
古くから、舌出しおじさんとして、人間ミームの元祖的なアインシュタイン。
世俗から離れた世捨て人かと思いきや、いちばんオッペンハイマーの犯した罪の本質を理解していた。
ダンテの『神曲』のように、
原爆投下の煉獄を映像化し、
シェークスピア劇のように、
罪人としてのオッペンハイマーの
来し方行末を描いた本作、
やはり、
どうしようもなく
悔しいけれど、
問題作にして、
傑作である。
鑑賞動機:観ないことには何も言えない8割、ノーラン2割
IMAX鑑賞。
いろんな要素があって、中々考えがまとまらず、感想の羅列みたいにしか書けないのだけれど。
あのイメージは原子(電子/中性子)ということかな。アインシュタイン以外にもボーアとかハイゼンベルクとか名前のわかる人がいて、何とかついていけたのでよかった。ブラックホールや核融合、核分裂など、大雑把なイメージでもいいので知っていると、映画への没入度がかなり違ってきそう。オッペンハイマー本人についての知識はほぼなかったし、睡魔との戦いも覚悟していたけど、意外と大丈夫だった。
ラミ・マレックはおいしい役。なんか妬みって怖い。
モノクロとカラーの使い分けに加え、時系列上でほぼ固定の2つと彼の半生をなぞる部分があるから、6つのパートを行き来する描写になっているように思った。夢/幻想みたいなインサート映像も随所にあるし、これは鬼編集。
『TENET』に引き続きルドウィグ・ゴランソンが音楽で、前作のイメージは「ネトネト」からかなり変わって、こちらは何だろう…「ゴウンゴウン」だろうか。とにかく重力が二倍になったような圧力を感じた。
無音からの…アレの演出は、思考を追体験させられているように感じて身震いした。
ただそれでも、黒く炭化した遺体らしきものくらいしか描写がないのは、どうしても引っかかってしまう。
あとやはりIMAXで観るならセンター近辺の座席じゃないとダメかなと思った。画面もスクリーン下いっぱいまであるので、スタジアムタイプの劇場でも前に誰か座ると画面にかかってしまう可能性が高いのですよね。中々難しい。
物理学的な連鎖反応による世界滅亡はなかったけど、現状は別な意味での連鎖反応によって拡散は起こっているわけで。さらにまた別の連鎖反応を想起させる映像にも見えるので、暗鬱とした気分になる。
有名な科学者や歴史上の事件が描かれ、知的興奮に満ちた作品でした。...
有名な科学者や歴史上の事件が描かれ、知的興奮に満ちた作品でした。
3つの主要な時間軸が並行して流れる、クリストファー・ノーラン監督らしい、トリッキーな見せ方です。その内、ストローズ氏の閣僚指名の公聴会が白黒で、これは恐らくドキュメンタリータッチで第3者視点を表しているのでしょう。それ以外のカラーの部分は、全てオッペンハイマーの主観映像です。この主観映像は嘘や幻も描くし(スピーチの幻視やコミュニストの恋人の他殺を仄めかすインサート)、重要な場面を描かなかったり(彼が実際には見ていない広島・長崎の爆撃)します。
日本人にとって主な興味は、原爆の開発秘話や悲惨な結果、それに対する開発者の懺悔の日々・・・なので、戦後の政治闘争劇など余分。しかし、これはオッペンハイマーの伝記映画なので、そこが日米の観客の受容のギャップが生まれる(と興業主が心配した)所以かも知れません。
で、日本人として引っかかる点は他にもあって、オッペンハイマーは核廃絶論者では無いという事ですね。彼は、リアリストであり、生まれてしまった核兵器をなくす事など不可能であり、それはコントロールすべきだ、と考えている。(この後、それについてあれこれ書きましたが、映画と関係ないので省略します。)
些細な事ですごいなと思ったのは連鎖反応の話です。「核分裂で空気が連鎖反応を起こすと、被害が限りなく広がり世界が滅亡する・・・なーんて可能性は限りなくゼロに近いので多分大丈夫だろう」と言って、トリニティ実験にゴーを掛けてしまう。我々は原爆というものがどういう物か知っているから良いけど、この程度の安全意識で危険な実験を行っていた科学者たちに恐怖を感じます。
そこかしこに非人間的な感覚も挟みつつ、それでも人間としての苦悩を併せ持つオッペンハイマーという一人の人物を丁寧に描いた作品でした。
最後ですが、この映画のヴィランであるストローズ氏。映画の後でWikipediaを見ていたら、マンハッタン計画には携わっていなかった彼ですが、原爆の攻撃目標に関しては「最初は威嚇攻撃をすべきである。例えば日光のような象徴的な場所で」と発言していたらしい。(英語版wikiなので誤読でなければ。) 彼もまた複雑で面白い人物と感じました。
この男が世界を変えてしまった。
共産主義や反ナチの思想を抱えながら、原子力の研究に没頭したオッペンハイマーは原子力爆弾の開発に携わることで様々な思惑に晒されることとなる。
開発チームに入ることを躊躇うメンバーは、物理学の成果が兵器であっていいものかと吐露するが、それをもつ最初の者がナチスであってはいけないと言い説得するシーンからもこの時点では前向きな姿勢が強い。
実験の成功のために注力し続けるが、いざ兵器が完成してそれらが生み出す犠牲を実感する。
一時は戦争を終わらせた英雄とされるものの、過去に公の場で恨みを買った男に立場を追われる謀略を進められる。
結果的に謀略は不当と世間に知られることとなるも、ある種原爆を作った報いとも言える業を消化するにはとても長い時間がかかったことがラストシーンからもわかる。
アインシュタインとオッペンハイマーが池のほとりで会話するシーン。研究が世界に与える影響と受ける報いを理解した上で、全てを受け入れる。
開発中に計算上現れた大気の連鎖爆発、"ほぼ0"は実験により"0"とされたが、核ミサイルの乱発による世界滅亡というあまりにも大きい"ほぼ0"を生み出してしまった。
所詮日本人は蚊帳の外
オッペンハイマーはマンハッタン計画の責任者だったため有名だが、プルトニウム原子爆弾の圧縮起爆原理を創案し、最も原爆の完成に貢献し、共産主義の理想に忠義を示した故にソ連に情報を流してしまったドイツ人科学者クラウス·フックスのほうが苦難に満ちたヒューマンドラマにふさわしい人物だと思う。クラウス·フックス役のクリストファー·デナムはそっくりだった。しかし、最後のほうでちょっと出ただけ。丸眼鏡の顔も丸い色白の人。パンフレットには掲載なし。残念。
そりゃ、キリアン・マーフィはいい男だし、興行的にも見込める。おいらもキリアン・マーフィー目当てで観たもの。実際のオッペンハイマーもキリアン・マーフィーに負けず劣らずの色気があるいい男でキャスティングは申し分ない。オッペンハイマーの父親はユダヤ系ドイツ人。この話はアメリカ原子力委員会の私怨に絡む内輪揉めがメイン。しかも長い。
日本人はまったく蚊帳の外。ロスアナモス研究所はいまなお先端科学技術の要所で、多くのアメリカ人の誇り。原爆は肯定的にとらえられている。オッペンハイマーのみならず、携わった科学者は少しは人命を奪うことに良心の呵責を感じていたかもしれないが、映画のシーンにあるように成功した喜びの方がはるかに勝っていたにちがいないのだ。第二次世界大戦中に原子爆弾の開発に着手したアメリカがイギリスと協定を結び、ドイツからイギリスに亡命した科学者などをオッペンハイマーのロスアナモス研究所に送り込み、原子爆弾の開発を促進したことには触れずに、オッペンハイマーと不倫関係にあった共産党員の精神科医ジーン·タトロック役にすぐ脱いじゃうフローレンス·ピューを当て、まったりした話にエロ場面を入れ、眠くなるのを防いだ感が強い。
フローレンス·ピューの固太りの体は嫌いじゃないけどさ、こんなエリート不倫男の開発した大量殺戮兵器にやられたと思うと悔しさ倍増。
ドイツが降伏したから、日本に使ったなんて言い訳。開発はかなり前から着々と行われていて、1943年には日本に落とす目的で開発を急いでいたんだから。水爆を作る余裕もあったし。しかも、オッペンハイマーはユダヤ系ドイツ人で、ドイツを故郷と感じていた。彼もまた時代の被害者であったと思うが、映画としてはあまりにアメリカの正当化に寄与し過ぎではいないか? クリストファー·ノーランの観るものを混乱させる時系列のいじりも悪意に思えてくる。
ソ連への牽制が一番大事で日本はただの舞台だった。黄色人種での人体実験だったんだと思う。爆心からの距離や被曝線量と人体への影響が測り易い都市を選んでいたんだから。ロスアナモスはもともとネイティブアメリカンの居留地だし。朝鮮戦争やキューバ危機で核が使われなかったのはクラウス·フックスの機密漏洩によりソ連がアメリカに遅れをとらずに核兵器を実戦配備したため、冷戦下の均衡が保たれたためだと指摘する人も多い。割を喰ったのは日本人だけ。そして、瞬く間に中国が核を保有し、北朝鮮がロシア、中国の鉄砲玉になって、極東アジアの平和を脅かしている現実。この映画を観るためのお金があったら、赤十字やユニセフに寄付したほうがいいと思う💢それと、ロバートダウニーJr(ストローズ役)のアカデミー賞授賞式の振る舞いも嫌だよね。早く終映にしてほしい。
【追記】1200円もするパンフ買ってしまった。読んでもピンとこない内容だった。
NHKがアメリカのテレビ局が作成したマンハッタン計画を正当化するような内容の番組を独自の解説を添えることもなくタダ流しするのは怠慢過ぎると思うのである。
指導者の機嫌で核が使われそうになってる今このとき、「後ろ向き」の人類を思い知る映画
結局人類の多くは後ろ向きに歩いているのではなかろうか。
と言う意味ではなかったんだろうけど→TENET。
事前情報何も入れずに見に行った。
マット・デイモン?マット・デイモン?マット……デイモン!
あらまー。
フレディ(マーキュリー)やった人しかわからなかった。
ミスター・ロレンスなんてわかるわきゃないでしょ。
トルーマン、一瞬ゲイリー・オールドマンが中の人?と思ったがそんなことはなかった、と思ったらやっぱ本人だった!遠視のメガネ効果。
ほんの数分あるかないかのカットのためにとんでもない予算が投入されている。
が、IMAX専用カメラ史上最も狭い部屋(推測)は予算削減のために組んだんじゃないよね?
そして現物主義の監督がモノホンを爆発させてたりしないよね?
するわきゃないとはいえ、現物を落っことされた我々からしてみると「それじゃスケール感が伝わらない」「ショボい」と思えてしまう映像だった。
音響はエグい。
「わー!すご〜い!」というより「うわぁぁあぁ」という感じ。
音に過敏な方々は注意が必要。
東京大空襲で10万人死んだ、という情報の提示は予期していなかった。
広島と長崎が風化しそうで、日本人ですら現在の港区青山あたりも焼け野原、ってのを知らない人が増え続けてる状況でこの情報はアメリカ映画の脚本として何を意味しただろう。
「この世界の片隅に」がまことに日本らしい日本側視点としたら、オッペンハイマーはまことにアメリカらしいアメリカ側だったのかもしれない。
ケネディ情報はダサい蛇足だと思った。
恐ろしい作品でした。
決して投下肯定作品ではなかったし、氏を美化もしてない。ノーランを信じててよかったという部分と、いや原爆の悲惨さはこんなものじゃない…という気持ちとで心がぐちゃぐちゃに。映画として素晴らしかったのは間違いない。投下のタイミングからは涙止まらず。投下の報告でこんなに泣くとは自分でも驚きでした。わたしも親も戦後生まれ、身内にも被爆者はいません。それでも、まぎれもなくわたしは被爆国に生まれたひとりなんだと思った。
「広島・長崎」と誰かの口から出るたびに胸がえぐられる思い。2度とこんなことで(攻撃目標として)日本の地名が出ることがないように心から願う。直接凄惨な被害を描かないからこそ「彼ら」にとっては開発のある時点、軍事作戦のある時点に原爆投下があったにすぎないのだ、そして「敵国」へのその成功を熱狂的に賞賛する人々…それらが逆説的に原爆や戦争の恐ろしさをかえって増す。…が、「直接的に描かないことで恐ろしさや重大さが伝わる」のは被爆国のわたしたちだからかも…?この描写で米国や非被爆国の人たちに恐ろしさが伝わるか…はわからないな。実写にこだわるノーランだけど、実験爆破シーンはCGを使った方が良かった気もする。あんなものじゃないと思うで。
原爆を落とす都市、日時、爆破高度までを、落とされる側と同じ「人間」が決める、という究極の傲慢さと恐ろしさに身震いした。そんな権利、世界中の誰にもないのに。「目を背けた」オッペンハイマーの一瞬の描写。死傷者の数。壮大な「過ち」「愚かさ」を描いた作品でもあると思う。
ただ、戦後の部分が少し長いようにも感じたのと、フローレンス・ピュー氏が胸をさらす必要があったかな?というのは気になりました。これは他の作品でも感じることで、エロスやヌードをテーマにしている作品以外で、女性のバストトップをさらす必要性があるのか、最近はいつも思っています。オッペンハイマーの生々しい人間的な部分を描写したかったのかもだけど、それなら別に裸の背中を映す、とかでも充分伝わるだろうと思うので。
ただの伝記映画でなく、観客のリアリティを突き崩す紛れもないノーラン映画
ノーラン作品といえば、観客に何とも言えない後味の悪さを残すものが多いと思うのですが、今回の映画は今まででダントツの後味の悪さだと感じました。
史実であることや日本人であることも原因の1つではあると思いますが、それ以上にノーランの演出によるところが大きいような気がしました。
まずテンポがとてつもなく早い。そして音楽が延々と鳴り止まない。余白や余韻が全くない。
李相日監督もパンフレットに書いていましたが、オッペンハイマーに感情移入するよりも、出来事だけがパズルのように並べられていくような演出でした。
しかも3つの時代が交互に描かれるので、仮に史実を知らない観客でも、原爆や水爆が成功したことや、オッペンハイマーが戦後名声を得たこと、後に失墜することなど、結論が予め先取りされています。
また時代的背景がオッペンハイマーから選択肢を奪っていく様子が描かれることで、オッペンハイマーがどれだけ葛藤しようが、予め結論が出ているような印象を受けます。
ノーランの演出によって感情移入を阻まれ、結論が先取りされることで、最初から全て織り込み済みというような印象を受けました。
そしてアインシュタインがオッペンハイマーに伝えた言葉が衝撃でした。
あの一言がオッペンハイマーが何故水爆に反対するようになったのかという疑問の答えになっているのだと思いますが、そこには葛藤だけでなく、打算的なもの感じ、何とも嫌な感じがしました。
実際そのことを検事や奥さんに問い詰められるシーンもあります。
ノーランはこの映画をオッペンハイマーの主観に寄り添う形で作ったそうですが、感情移入する隙を一切与えないにも関わらず、オッペンハイマーの主観体験映画として成功していると感じます。
量子力学では全ては確率としてしか存在せず、未来は完璧には予測できません。
アインシュタインは最後までこれを受け入れませんでしたが、オッペンハイマーが当時どういう立場だったのかは知りません。少なくとも映画の中には学生に不確定性について語るシーンがあったかと思います。
どちらにしろ量子力学の方程式は不確定性を織り込み済みで、全ては確率でしか存在しませんが、その確率分布は正確に予測できます。
原爆が地球全体を破滅させる僅かな可能性に科学者たちが気づくシーンが出てきます。これが量子力学の不確定性に関係するものなのか分かりませんが、少なくともここでは地球が壊滅するかどうかは可能性としてしか言及されていません。ですがどのくらいの可能性かは計算によって分かっています。
"ほぼ"ゼロです。
オッペンハイマーはこの不確定性を織り込み済みで、原爆を作り、トリニティ実験を遂行しました。
彼はアインシュタインの助言も同じように聞いたのではないかと思います。
全ての批判を受け入れれば、世の中はいつか許してくれるだろう。
その僅かな可能性を織り込み済みで、彼は敢えて闘うことを辞めたのではないでしょうか。
オッペンハイマーの苦悩を描いた映画という前評判でしたが、私にはむしろオッペンハイマーの苦悩が全くの虚無に帰してしまうような、そんな映画だと感じました。
彼があれだけ苦悩したことに何か意味があったのか、彼が苦悩しようがしまいがどのみち世界はそうなったのではないか、それどころかオッペンハイマー自身そのことを織り込み済みだったのではないか。
これがこの映画から受けた強烈な後味の悪さの原因だと思います。
ラスト近く。年老いたオッペンハイマーが何かの賞を受け取るシーンが出てきます。
アイシュタインの"予言"通り、彼は名誉を取り戻したようですが、その表情は虚で、心ここに在らずといった感じです。
あの表情を見て、私が感じた後味の悪さは、オッペンハイマー自身が感じたものなのではないかと思いました。
ここまでは映画を見て直感的に感じたことですが、ラストのオッペンハイマーのセリフの意味だけが、映画を見た後もしばらく分かりませんでした。
確かに核は戦後の国家間のパワーバランスを決定的にしたという意味で、旧来の秩序を破壊したという比喩的な意味で言っているのかなと最初は思ったのですが、ラストの地球破壊描写からすれば文字通りの意味で言ってるんだろうなと思い直しました。
理論物理学者であったオッペンハイマーには恐らくあの悲劇的な結末が相当な確率で起こる未来がはっきりと見えたのかもしれません。
【追記】
鑑賞からしばらく経って、言語化が難しかった部分がハッキリしてきたので追記しておきます。
ノーランのインタビューを読み、自分の鑑賞時の感触はある程度正しかったと思いました。
クロ現のインタビューを見ると、核について息子に聞いたエピソードは派生的なものに過ぎず、ノーラン本来の関心は一発の原爆で地球全体が壊滅する僅かな可能性を科学者たちが知っていながら、それでも開発を実行したことだと言います。
つまりノーランの関心は原爆の恐ろしさより、そのような異常な状況に置かれた科学者たちのリアリティにあるのだと思います。
ノーランはメメントやインセプションで、我々が現実だと思っているものは本当に現実なのか?という疑問を提示しました。他の映画もその変種です。
全てに共通しているのは人間の主体性は虚構であり、私たちが普段意識しない何かによってコントロールされているのではないかという感覚だと思います。
オッペンハイマーはこのことを意識せざるを得ない状況に追い込まれたのではないか、とノーランは解釈したのではないでしょうか。
それがある種免罪符として機能しているように見え、一部で強烈な反発を招いているのだと思います。
被爆地の惨状より科学者の葛藤の方が重要なのか?と言った論調が典型です。
しかし私たちが主体性を発揮したくらいではどうにもならないという状況は、原爆の完成後より強化されたと思います。
オッペンハイマーが当時の時代的条件から原爆開発に邁進せざるを得なかったのと同様、いやそれ以上に、現在の私たちは主体性を失って、核をコントロールするのでなく、核を巡る見えない力学にコントロールされているような気がします。
そう考えると、キューバ危機などを経験したノーランのような世代にとって身近なリアリティと、息子のリアリティの乖離にノーランが関心を持ったのも頷けます。
アメリカ映画&ノーラン監督は一度観ただけじゃ全部は分からない
なんとも言えないけど、ノーラン監督の映画を初めて映画館で、IMAXで観られて、まあ予想してたけど、難解で、途中わけわからんくなるし、でもときどきワクワクするし、後半は実験が苦手のオッペンハイマーが、人類史最大の実験成功させて、人間変わっていって、でも最後までなんだかゆらゆら心理的にザワザワしていく
あゝ懐かしいアメリカ映画らしい、強さと弱さの激しさ、葛藤が昔から映画好きだなぁって、青臭さや人間臭さが、退屈なのに、なんだか映画館で観て良かったなぁって、後から満足したりします。
3時間みっちり台詞の雨嵐
物理や理数系の得意な人ならなるほどなるほどとなるんでしょうか?
原爆を作った人らしいとだけで全く予習せず
全部観ていても理解が追いつかない笑
観る前に人物相関図だけでなく、あらすじもざっくり目を通しても良かったかな…
すごくすごく疲れました
本来6時間位の話を3時間に圧縮したような台詞の多さなので長いとは感じなかったです
本当にずっと台詞字幕が出てます
オッペンハイマーが原爆投下を「神の力の啓示になるだろう」と言った時に、なんてなんておこがましいのか、傲慢な発言なのかと、怒りでもない恥を知れのような気持ちが湧きました
これだけ尽力した人物でも回りが口裏合わせて陥れようとする海外映画・ドラマでは良くある展開には心底ウンザリしました
嫉妬も妄想から…知ったことか!
己の脅威は叩き潰す思想は今も健在ですね
ゲイリー・トルーマン(にはびっくり)の言った「作った者ではない、落とした者だ」は間違いない
それにしてもアイアンマンは演技がいつも同じでこの役もお似合いです
助演男優賞受賞はハテナ?です
キリアンはとても良かったと感じました
作品としては面白く観ることができました
プロメテウス自身が開けたパンドラの箱
ノーラン監督が次回作として、オッペンハイマーに関するものを準備中とアナウンスされた少し前、偶然オッペンハイマー自身が「我死神なり、世界の破壊者なり」と話す映像を見て、驚愕した事があります。
そこには死神がいました。
写真ではなく映像の中の彼は、間違いなく常人では無い気がしました。
ノーラン監督は、オッペンハイマーの半生を描くにあたり、主に3つの時間軸と2つの視点(オッペンハイマーとストローズ)を織り交ぜながら、カットアップを用い、まるでオッペンハイマー自身が死直前に見た走馬灯の様に、本作を仕上げています。
そもそもノーラン監督は時間軸を交差させる編集を好みますが、伝記映画を作るには適さないんじゃないかと、観ながら思ってました。
実験物理から理論物理に移行し原爆を製造、実験成功から実戦投入と結果。
所謂オッペンハイマー事件と言われる公職追放となる聴聞会。
ストローズの商務長官指名においての上院の公聴会。
それらをなるべく説明を省いた描写で繋げていく様を観ながら、ノーランは何を表現したいんだろうと考えてました。
オッペンハイマー自身の自意識過剰で、精神不安定で内省的な部分を点で置き、原爆投下後の後悔の念さえ唐突な感じにし、冒頭で書いた「我死神なり、世界の破壊者なり」と話す彼の記録映像さえ、自意識過剰な演技だったんじゃ無いかと思い始めました。
(今作でこの言葉の初出が、性交中だった事も影響)
そこで思ったのはノーランは登場人物の誰一人に対しても、観る者が感情移入しないように描いているのではないかと。
プロメテウスの様に罰を受け続ける悲哀をオッペンハイマーに向けるでも無く、
バカバカしいマッカーシズムや、ストローズの狡猾さも、アインシュタインの慈恵の念も、
ドラマにするのでは無く、点描し続けて提示しエモーショナルにならない様にしていると。
人々の愚かさが、線で結ばれる事なく蠢いた結果、世界を何度も破壊出来る火を手に入れたと言いたかったのかなあと。
そうだとしたら失敗してないか?
恐ろしい火を表現出来ているとは言い難い。
あくまでオッペンハイマー視点だから、広島や長崎の描写が無いのは理解出来るが、トリニティ実験の描写がショボ過ぎた。
残っている記録映像の方が禍々しい。
(CG嫌いで本物志向ならいっそ記録映像を加工すれば良いのに。なのにラスト地球が燃え上がるのは当たり前だけどCG)
ノーランは、所謂Z世代が核問題より環境問題の方に関心がある事にショックを受けて本作を撮ろうと思ったそうだが、だとしたら核兵器の恐ろしさを観る者にトラウマ級に、植え付けて欲しかった。
パンドラの箱からあらゆる災いが飛び出した様に。
そしてその核兵器の箱には、希望が残る事もなく、存在さえしない事を。
あとついでに
常々洋画を見て思うことだが、
原水爆の破壊力(TNT火薬の何倍とか)から被爆効果を表現する事はあっても、放射線被曝の恐怖が皆無な事。
巨大な敵のいる都市に、核ミサイルを平気で撃つ無神経さに呆れるし、某考古学者の冒険野郎が核実験に巻き込まれた時に、冷蔵庫に入って耐えるのを見た時に、コイツら核兵器作るクセに何も知らんのかって愕然とした。
そんな事も思い出しました。
狂人的天才はその総てに措いて征服感が勝っており、そして最後に自らを 貶める。
今年のアカデミ-最優秀作品は、或る意味素晴らしかった。
なぜ?この作品を恐れて 日本公開に直に至らなかったのか。”原爆”と言う言葉に私たち日本人は余りにも脆弱で脆く、本当は正しく理解し向き合う事が世界の誰よりも必要不可欠で凛とした姿勢で無くてはならなかったであろうと 私はそう感じます。
今日は大本命の「オッペンハイマー」の鑑賞です!
本作上映3時間でしたが決して長くは感じられませんでした。
とにかく話が入り組んでて登場人物も多いし、感情移入も極めて難しいかも知れません。タイトル”オッペンハイマ-”ですが、実はこれ ”オッペンハイマ-事件”が正解なんですね。その事件を描いています。
彼の性格、思考、本性、そして愛。
この堅物で物静かな人物が、如何にして”原爆の父”と言われるように成ったのか。彼の夢、目的は何であったのか。そして人類初の原爆実験成功と、実戦で使用された核兵器の恐ろしさ(被害)を知って彼はどう感じ、それらをどの様に受け止めたのか。そこの事がこの映画で描く事件へと繋がって行きます。
私達日本人のDNAにとって、この映画を知る事はきっと避けられない事実なので有ろうと そう思います。
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監督・脚本:クリストファー・ノーラン氏
上映時間:180分
MC:
・J・ロバート・オッペンハイマー(主・原爆の父):(役:キリアン・マーフィーさん)
キャサリン・キティ・オッペンハイマー(正妻):(役:エミリー・ブラントさん)
・ジーン・タトロック(共産主義者。主の元恋人):(役:フローレンス・ピューさん)
・ルイス・ストローズ(主と対立・アメリカ原子力委員会の委員長):(役:ロバート・ダウニー・Jr.さん)
・レズリー・グローヴス(アメリカ陸軍将校・マンハッタン計画の責任者):(役:マット・デイモンさん)
・エドワード・テラー(水爆の父):(役:ベニー・サフディさん)
・アルベルト・アインシュタイン:(役:トム・コンティさん)
・ハリー・S・トルーマン大統領:(役:ゲイリー・オールドマンさん)
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映画展開の基本ベースは”オッペンハイマ-事件”の聴聞会になります。
彼は原爆開発を成功させたが、2度の実戦使用で多くの犠牲者が出た事実を知って深く心の底から苦悩する。そして水爆開発には異を唱えたが、世界で核開発競争の事があり赤狩り(共産党員の公職追放)にて、ソ連のスパイ疑惑を受けたオッペンハイマーは、聴聞会で追及を受ける。国際的な核兵器管理機関の創設提案したが、機密安全保持疑惑により事実上の公職追放となる。
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(本作の見所)
・トリニティ実験(人類初の核実験) 1945年7月16日実施。
失敗すれば環境汚染で2年は再実験できず開発が遅れてしまう。
この瞬間に男たちの野望本性を垣間見る。
砂漠の風雨、嵐の中で中止をも考えたが 絶対に雨は止む、その一点で決意決行。
あのピカっと光る輝きと、凄まじい大火炎。そして遅れてくる大爆音。
観ているこっちにも ゾっとした感情が走るのを記憶する。
昔、”チェルノブイリ・クライシス”っていう原発事故のドキュメンタリ映画を観たが、あの時はヘリで空撮していたフィルムに時折 放射線が当たって黒い点々が映っていた。あの様な描写が有ればもっと不気味だったかも知れない。
しかし今実験当時、放射線については余り理解が無かったのだろうかと考える。
・1945年8月6日:広島に原子爆弾投下。名称”リトルボーイ”
1945年8月9日:長崎に原子爆弾投下。名称”ファットマン” トリニティ実験と同型の爆弾。
実戦投下された映像は流れない。しかしこの時のアメリカ人たちの熱狂ぶりが描かれている。戦争終結と核戦争の脅威を知らしめた始まりである。
原爆の父として一躍有名人に。崇められる彼。
しかし、これ以上の核の脅威(世界の核秩序)を望まなかった彼と、当時のアメリカ大統領(トルーマン)の会談で”あの泣き虫を二度と私に近寄せさすな”の言葉。
そして、彼をソ連のスパイ疑惑として公職追放させる流れ。
私達はその事実を記憶の何処かに知る必要があると感じます。
・対立していたルイス・ストローズが気にしていた、プリンストン高等研究所でのアインシュタインとオッペンハイマーの会談内容。
その事が最後に出てきます。
アインシュタインは未来をある意味予見していたのでしょう。マンハッタン計画には参加していない。変わり者でもあったがきっと愛も有ったのでしょう。オッペンハイマ-もその時は未だ未来が見えてなかった。二人ともユダヤ人系。
科学者に他人への愛(命)は数式で説くことが出来るのか、それを問う。
人として求める事への答えが、時として出来るか出来ないかよりも、やって良いか悪いかを考える事は無かったのか だと思う。
哀しい事に、私たちの現実の世界で今も戦争は起こっている。
この映画によって、世界が少しでも幸福に向かう事が出来ればと願います。
非常に難しい展開描写や、激しいカットが連続して
短く折重なって行きますが、
ご興味ある方は 是非劇場でご覧下さいませ!!
多分、真面目に作ったら圧倒的につまらなそうなな題材を視聴者に3時間...
多分、真面目に作ったら圧倒的につまらなそうなな題材を視聴者に3時間も飽きさせないのだから、きっと優れた作品なのだろう。
オッペンハイマーは原爆の父。彼の学生時代から、原爆実験(トリニティ)の成功、そして原爆投下し、反水爆して政府に干されるまでが描かれる。
一緒に実験していたテラーは水爆の父。彼は水素で爆弾が作れることを進言しているが、オッペンハイマーは否定している。オッペンハイマーにとっても大量殺戮兵器を作りたいとは考えていない。
原爆投下はオッペンハイマーの考えではない。彼のコントロールに無いからだ。原爆投下に成功し、日本はアメリカに降伏する。
「オッピー」コールが巻き起こる中、オッペンハイマーはスピーチをする。しかし、彼は喜べないのだろう。
フローレンス・ピューが愛人役として出る。会議室でのエッチなシーンは笑ってしまうよw彼女の女優魂は本物だ。
インター・ステラ、テネットとクリストファー・ノーランが物理好きそうなのは作品からもわかるのだが、きっとその延長に本作があるのだろう。
エンターテインメントとしても完璧
公開直後の日曜日にイオンシネマで
早く観ておかないと結局時間が合わない…
なんてことになってはいけない一作
朝8:25の回 家を8:00前に出発
普段の仕事と変わらない
期待どおりの一作だった さすがだ 満点だ
知性とか論理性に文句なし
エンターテインメントとしても完璧
夫婦で馬に乗ったりする
被爆国側が不快になる内容ではないと思う一方で
公開を遅らせたことには慎重な配慮を感じて
誠実な態度と評価する
いつもながらオラは人間関係とか時系列が苦手で
よく飲み込めなかったが
おそらくはロバートダウニーjr を閣僚として認めるか
という話がサイドストーリー(白黒)かと
JFKの名前にへぇ~と
主人公はもちろん 脇役の演技も最高だった
マットデイモン エミリーブラント レミマレック
アインシュタイン 水爆推進者 太っちょの善人
不倫相手の共産党員などなど 全員キャラが立っていた
太っちょが 我々は科学者だぞ そんな訳の分からない服を脱げと
主人公が我に返って軍服を脱ぐシーン
こういうユーモアが好みなのだ
映画は公開早いうちに限る 大スクリーンはいい
上映時間が長い コーヒーとかビールの摂取はお勧めしない
オラは終了後にまたまた公園で缶ビール2本
今日はいい陽気で気持ちよかった
楽天もサヨナラ勝ちで幸せな休日だった
血が沸騰し頭が冷める感覚
原爆は米国が開発しなくても誰かが開発しただろうと思ってたんだよね。必要な理論は大体そろってる感じもあったし。だから、しょうがないなって。
でもそれを、人類に対して使うかどうかは別だね。開発されたのが米国のこの時期でなければ、人類に対して使おうとは考えなかったかもと観てて思ったな。
米国は、人類に対して核兵器を使うという贖えない罪を犯したね。滅びる運命にある国なのかも。
物語は冒頭から「やっぱりノーランの映画だ」という感じで科学要素があるんだよね。オッペンハイマーがブラックホールの話をするところが顕著だけど。
あとアインシュタイン、ボーア、ボルン、ハイゼンベルクとビックネームが目白押しで出てくるしね。
オッペンハイマーの恋愛も面白い。天才の周りには変わった人しか集まらないのかという感じで、激しいね。
そして原爆開発に入っていくんだけど、物理学者は一様に『原爆は作ってはいけないのでは……』と思ってるんだよね。でも『ナチスに持たれるぐらいならば』というところで折り合いをつけて、開発に従事してんの。
だからヒトラーが自殺してドイツが降伏したところで、物理学者である前に人として、開発は止めなきゃなんだよ。本当は。
劇中でもそういう動きが描かれるね。
でもオッペンハイマーは、このとき政治屋になっちゃってんだよね。なので止められないの。
そして日本への原爆投下を決める。かなりお気楽に決めてるよね。
『日本は絶対に降伏しない』『早く終われば兵も家に帰れる』ってなんかノリっぽい感じで。
ドイツが降伏してファシズムの脅威は消えていて、日本が原爆を完成させるような目途はまるでない。
その状況で、人類に対して核兵器を用いるという禁断の決断に踏み切る覚悟はあったのかね。その決断の許可を、人類が得ることは、永遠にないよ。
原爆は広島・長崎に落とされた。
オッペンハイマーをはじめとする一部の物理学者は激しく動揺するけど、一般米国民の皆さんは大はしゃぎ。オリンピックで金メダル獲ったとかそういうノリだね。
ここで血が沸騰して頭が冷めた。
その後の話は「どうでもええがな、お前らなんて」と思いながら観てたんだけど、それでも描きこまれてて面白いね。
『自分の手が血塗られているように感じます』と言ったらトルーマン怒るけど、まあ、そりゃそうだね。血塗られたのは俺の手だよって話だから。
でもたぶん、米国民の手が血まみれになっちゃったんだろうな。
ストローズの駆け引きのところは面白いね。途中から味方でなくなるお付きの人良かった。
でもストローズの野望が絶たれたのは、ケネディのせいだとか「ふーん」だったな。
この話、原爆使用のところとか『本当にこれで良かったのか?』ってかなり抑制的に描かれてるんだよね。米国の良心を信じるというか。
それなのに「バーベンハイマー、ヒャッハー!」ってなっちゃうのも訳が分からない。
贖えない罪に対する罰を米国は受けちゃうのかな。
予備知識はあった方が、、、
原子爆弾を開発したアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーの伝記映画。
原爆開発の話、は話のメインテーマの一つだが、それだけでなく、戦後のオッペンハイマーを巡る話が興味深い。オッペンハイマーが戦後、水素爆弾を反対したことを理由に、ソ連のスパイ疑惑を仕掛ける、ルイス「ストローズ」との対決が描かれます。
ここが予備知識が無いと分かりづらいですかね。カラーで演じられているのが、オッペンハイマーから情報アクセス権を剥奪する公聴会で、白黒がその後ストローズが商務長官の指名を上院で否決される議会審議になり、オーバーラップで進行します。
このあたり、アメリカ1950年代の混乱が面白いです。第二次大戦を対日、対独とも闘い勝利に導き、原子爆弾というチート兵器まで手に入れたはずが、結局は共産圏の拡大を招き、その影に恐るアメリカ。戦争が終わっても軍拡が止められず、赤狩り旋風が起きた最中に起きたのがオッペンハイマー下ろしの公聴会ですね。
一方でオッペンハイマーを下ろしたストローズも、今度は自分の商務長官就任を引きずり下されることになる。議会で反対に回った急先鋒がJFKというのも因果ですね。
映画としては、原子爆弾開発にせよ、赤狩りにせよ、Wikipediaぐらいの予備知識を持ってから観た方が良いかも。もちろん、ネタバレ無し、で後から調べるのも楽しいでしょうが、3時間チンプンカンプンってのも辛いと思います。
原爆の父オッペンハイマーをみたので、この流れでロケットの父ベルナー・フォン・ブラウンもやって欲しいですね。こっちはオッペンハイマーの罪悪感など小さく見えるぐらいの悪魔っぷりなので、見応えあると思います〜
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