オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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シーツを入れろ
こないだ鑑賞してきました🎬
「マンハッタン計画」にリーダーとして参加したキリアン・マーフィ演じるオッペンハイマー。
3年と莫大な資金を費やし、ついに原爆を完成させた彼ですが…ナチスに使うはずだった原爆は日本の長崎と広島に投下されます。
多くの民間人が犠牲になり、結果的に大量破壊兵器を生み出してしまった彼は、ロバート・ダウニー・Jr演じるルイスの根回しによりスパイの嫌疑までかけられ…。
ラストのなんともいえぬ表情のカットなど、オッペンハイマーの苦悩と葛藤がキリアン・マーフィの演技に体現されてました。
アカデミー賞も納得の演技です🙂
ロバート・ダウニー・Jrも、色々根に持つ性格のルイスを熱演。
オッペンハイマーを追い詰める為に、あれやこれやと奔走しています。
今回オッペンハイマーの妻キティを演じたエミリー・ブラントは、厳しい表情が多めでした。
ここぞというときに、オッペンハイマーをしっかり支えてくれます。
ジーンが亡くなって、森がなんかでうずくまっている彼を叱咤するシーンや、後半では意地悪な質問を繰り返すジェイソン・クラーク演じる検事にうまく反撃したり。
精神的に不安定なジーンを演じたフローレンス・ピューも、危うい部分がよく現れた演技でしたね。
「あなたは用があると私のところへきて、また去っていく」
そして、マット・デイモン演じるグローヴス。
なんだかんだ、最後までオッペンハイマーと計画を実行し、原爆開発に成功します。
「世界を破壊するな」という台詞は印象的です。
日本人として、長崎と広島に原爆が投下された事実を考えると複雑な部分もあります。
しかしこれは1つの映画ですので、アカデミー賞7冠に輝いた本作をスクリーンで観ることが出来たのは良かったと思っています。
3時間の長さも、あまり感じませんでした。
ノーラン監督好きの方は、問題なく楽しめると思います🙂
映画として面白かった。日本人としてはしんどかった。
能力や地位、権力、競争、手に入れるところに上がれる天才の傲慢さと実現出来てしまう環境が全て揃った時に発生する前進力の凄さと恐ろしさを感じました。
あれだけカリスマ性を発揮した彼の栄光も終わった後の現実の前には尊大で矮小に見える。オッペンハイマーの身体が他の人より小柄なのもあってか輝ける時期は実際より大きく、罪を自覚してからは小さく見えたのが印象的。
アメリカが繰り返してきた核投下への実行のための大義名分と罪への言い訳の在処をできるだけ写し出した映画だと思います。この時期に日本を含め何処の国でも核爆弾の開発を競走していた事を考えると複雑だけど、あの実験まで踏切る為に彼が取った行動は異様でありつつ証明する事の誘惑や衝動の強さは人間の心理としての説得力があり歯止めの効かなさがすごくて…鉄塔に爆弾をあげていく辺りから自分たちの高揚感に呑まれるあり様に正直怒りと反感が込み上げてきました。
当時はベトナム戦争はまだ起こらず一般の人達はTVでの戦争報道はまだ先、ラジオからの限られた情報が戦況を伝えている世の中だし、情報伝達の解像度も今とは比べものにならないほど低いでしょう。SNSや動画サイトのある今ならあんなに他人事として喜べる筈はなく、あの時代であれば立場が同じならどんな人種でも同じ様に反応したのだと思う反面、映画を見てる時に主人公に自分を重ねて味わえるアメリカ人としての視点や仮面みたいなものは今回は嫌な気分でしか味わえなかった。
そして罪というのは犯すまでは理論として分かるものだけど、背負った自覚をして現実になってからはどうしようもなく心が感じとって分かるものだなともしみじみ思いました。そこはオッペンハイマーが理論の人であるから尚更。呵責に責め立てられてからの彼は過去の自分の言葉に振り回される姿が辛く、理論に覆い被さって動かない現実の大きな力を感じました。
何となくノーラン監督の作風は複雑状況下を言葉以外の力で説得してくるイメージがあったので、今回は周到な会話劇として作り込まれているのは最初ら意外でしたが圧倒的な現実を描くのにはこの対比が必要だったんじゃないかとも思います。言葉ってほんと怖いね波であり粒子である作中の光の本質と似た物を感じる。
そして語られなかった日本については、罪の意識があればこそ被害者側についてあちらの立場から創作するというのは気持ちとしてできるものでは無いし、それをする事自体が白々しさを感じるので無くて良かったと安心しました。それやってたらノーラン嫌いになっちゃったかも。
タイトルなし(ネタバレ)
午前中見てきました。
入りは4割程度、年齢層も高めでした。
この映画、物理とか専攻する予定の理系の学生に見てもらいたい。
自分も理系でしたが、学生の頃に習ったであろう有名物理学者が目白押しです。
最後に原爆の実験で皆歓喜していたのは痛いほどわかりました。
理系学生なら理論を実証するための実験は重要であり、成功したときの喜びは後に大量破壊兵器となるとわかっていてもうれしいものだと思います。
ただ自分の勘違いでしょうが、アインシュタインが原爆実験に関与していなかったのにはびっくりしましたが。
気になった点としては、
浮気の描写とか必要かな?なんか中だるみしたような気が。
ただでさえ長い映画なのに不要だと思いました。ごっそり削れば2時間半くらいにはなったのでは。
あとはオッペンハイマーの言動がやたら日本人的なのはウソ臭かった。
日本人に見てもらう前提でつくったのかな。
原爆実験の際、音と衝撃波が30秒くらい後にくるんですが、何度も同じシーンでびくっとなるのでもう少し考えてほしかった。
とにかくいい映画だと思います。アカデミー賞を総なめするのも納得です。
マット・デイモンもいい感じで老けたね。ボーンシリーズの時のお坊ちゃんみたいな感じがみじんもなかったです。
時系列が最初飛びまくって意味が分からないかもしれませんのでそれだけ気を付けて視聴するのをお勧めします。
確かに賛否はある。が、ノーラン好きは見る価値あり。
日本では公開されないだろうな。と思ってたが、
賞をとったおかげなのか、公開されましたね。
ノーラン好きとして、ありがたいことだが、内容は非常に怖い映画だった。
幾つか賛否ある表現もあるので、大きく評価も分かれる気がした。
ある程度、歴史上の出来事が分からないと「? 」マーク続出なので、
これから見る方は是非、予習して視てほしい作品です。
2回、3回観に行く前提のノーラン好きの方には
『ネタバレありの予習』しても良いと個人的には思います。
分かった上で映像、音、演技に集中して視ると、違った印象になるはず。
全体を通して「音」これが凄い・・。
心理描写が、ダイレクトに頭に入ってくる。
是非 IMAX で「演技」「音」の仕掛けを感じてほしい。
個人的に (主人公以外で) 思ったのはストローズの演技。これは凄味がある。
そして、ゲーリー大統領のク〇ぶり、ある意味、素晴らしい。レオンを思い出した。
核拡散のキッカケになったであろうフックスも、また不気味さが素晴らしかった。
怒れるアインシュタイン、これも見どころがある演出。
時代、戦争、野心、思想に翻弄されながらも、
不器用ながら、ここまで、真っ直ぐに生きた方も、少ない気がする。
拍手を送る気持ちには、とても、なれないが、
おっぴー自身に同情、共感できるところは多々あった。
私は、この作品をみたあと、
妻に「シーツをとりこめ」と連絡しました。
皆さんは、どうだったろうか・・。
世界が変わる潮目に
差し掛かった今だからこその映画。
だと思う。
ナチスのユダヤ迫害はアーリアン思考から生まれた
ものだった。
そして、太平洋戦争の根底にあった対立は
イデオロギー戦争だった。
実は全てが、欲深いコーカソイドの民により起こった
不安だった。
その事実にも気付き、コーカソイド社会に嫌気を抱き
オリエンタルへと憧憬を深めていったアインシュタインや
ボーアは時代とは乖離していった。
つまりは世紀の天才科学者達は、もう既に
今の潮目の到来を見出していたのだろう。と
時代に乗り飲み込まれたオッピーで
表現したのだろうと思う◎
オッピーはオッパッピーだったんだね。って
尺の割には軽めで締めるが
ノーランらしい作品に及第点
欧米人の、欧米人による、欧米人のための原爆映画
私は長崎の人間です。また一時期、広島に住んでいた事もあります。
クリストファーノーラン、すごく好きな監督でした。メメントで知って今まで色々な作品を見てきました。でも...今作を観るのはすごくすごく悩みました。。。
ただ元々映像の仕事に携わっていた事もあり、長崎の人間である前に、ノーラン監督の最新作かつアカデミー受賞作品としての出来栄え・テクニックをインプットしようと、先入観を抑えて劇場に臨みましたが...、無理でした。今まで聞いてきた親戚知人の被爆体験が脳裏をよぎり、嗚咽が止まらず、映画どころでは無かった。
それは原爆の恐ろしさの演出に泣いたのではなく、その悲惨さを描く・残すことからノーランが逃げたこと、またそういう逃避の映像にアカデミーを与えた米映画界に悔しくて涙が止まらなかった。しかし日本の映画ファンも「この映画は伝記映画で、被爆の悲惨さを入れる意味はない!ノーラン最高!」というが...どこまでお花畑なのか。
オッペンハイマーが原爆の父である視点を抜き取り、いかにエキセントリックで変わり者だったか?だけを描く映画ならそれでいいが、世界初の原爆開発に責任者として携わったオッペンハイマーを描く映画で、実戦で使われた原爆の残虐さを正面から伝えず間接照明のようなフンワリ表現でお茶を濁すやりかたは、正直言って卑怯だと思った。
あれだけエロティックなシーンに拘泥した割に、そこは逃げるのかと。誤魔化すのかと。結局はアカデミーが欲しかっただけの、俗物監督だったのかと...
そういえば今作のスタッフリングは男女比などすごく苦労したそうです。なぜか?それは2024年から「スタッフ内の男女比率がアカデミー受賞の評価対象」になったから....
そう、ノーランは兎に角アカデミーが獲りたかった。欧米人の威光の源である原爆の父を題材に、平和・反核風な装飾で固めた戦略的商品の本作で「獲りに」行っただけ。
被爆国・日本人への配慮などない。ゴジラの山崎監督に「ぜひアンサー映画を撮ってくれ!」と白々しく話す対談が、逆に本作が被爆国と向き合わなかった証左でもある。
ただ一応、気を使った形跡はある。オッペンハイマーが原爆の被害を嘆く妄想シーンの中で、白人女性が被爆者のように焼けていくシーンがある。
その白人女性はカメオ出演したノーランの娘だそうだ。いわく「核兵器はいつか身近な人を奪うかもしれない恐ろしさを表現した」らしい...はぁ...
その程度の特撮シーンを差し込んだ位で、被爆国の溜飲も下がるだろう!と思い付いたノーラン親娘の能天気さを想うと...なんて傲慢な白人なんだとヘドが出る。
というか、そういう意味不明で歪曲したオブラート表現で塗り固めた本作が「反核映画の金字塔」のように定着・固定化することが非常に危ういと思った。
まだ日本人は「血の通った」被爆体験を語り継ぐことで、本当の核兵器の恐ろしさを知っている。しかし欧米人は、結局本作のような、原爆の悲惨さと同等に1人の白人科学者の呵責を描いてしまう価値観が正当化され、かつアカデミー賞という「世界共通のイイモノ」フレームに収められた事に、いわば第二の東京裁判のように感じた。
やはり歴史というものは、戦勝国が作り上げていくものなんだと、思い知らされた...
個人的には、もうノーラン作品だからと○○みたいに諸手を上げて有難がる気はないです。ただ、そういう欧米・マスコミの価値観を無意識に是としてきた自分自身を振り返る契機になったのは、学びの1つになりました。
天才って本当に人間として欠落している
冒頭シ-ンからして、何て高慢で嫌な奴なんなだろうと思った。これじゃ敵を作っても仕方ない。浮気はするはで、人間としては魅力がない奴だ。レッドパージでフ-バ-長官が権力を握っていた時代で、世間知らずな科学者なんて、政治家にとっては陥れ易い。ドイツをかなり競争意識して原爆を製造したが、使用する前に降伏れてしまったため、日本に投下されたのは、不運だったな。しかし、アカデミ-賞を取るような作品だと思えないです。特に、衝撃的な場面なんて皆無でした。
科学のセールスマンオッペンハイマー
オッペンハイマー博士は理論物理学者である。
しかし彼は、数学能力においても発想においても秀でたものはない。
だが弁舌。科学者たちを動かす優れた弁舌の才があった。
世界大戦が人類の大義を作り出すとき、彼はその能力を縦横無尽に発揮しロスアラモスに王国を作り出す。
そしてプロメテウスとも預言者とも擬えられるのであった。
三時間もの大作を飽きさせず惹きつける作りは圧巻であり、流石の名監督であると言える。
しかしラストあたりは正直蛇足という印象を否めない。史実の重みにドラマチックな潤色は余計となった。
実際、史実だから彼は贖罪すらまともに果たせぬのだろう。
一人の日本人としては、本来ドイツへの対抗として作られた原子爆弾が日本への投下にすり替わっていく問題をもう少し掘り下げてほしかったという思いもあるが、
まあ現実でもこんなノリであっさりとすり替わったのかもしれない。
色々とケチをつけようと思えば可能だが、それはこれが間違いなく名作だからであり、不満を抱くのである。
映画館で見て損と感じる人間は少ない作品だろう。
時系列に整理してみました
日本でフルサイズのIMAXが見られる劇場は大阪万博記念公園と東京・池袋のグランドシネマサンシャインの2箇所だけである。
4月1日(月)
「オッペンハイマー」池袋グランドシネマサンシャインのIMAXで。
本作は、「原爆の父」J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)が
1942年から関わったマンハッタン計画、
1954年のオッペンハイマーの聴聞会、
1959年の仇敵ルイス・ストラウス(ロバート・ダウニー・Jr)の上院公聴会、
を主軸にオッペンハイマーの栄光と没落、そして彼の苦悩を描いた作品である。
クリストファー・ノーラン監督は、例によって時間軸をいじっているので、Wiki、ニューズウィーク日本版、エスクワイヤ等を参考に映画で描かれた事象等を時系列に整理してみた。
1922 ニールス・ボーア(ケネス・ブラナー)ノーベル賞受賞
1926 ハーバード大学卒業
イギリス ケンブリッジ大へ留学
ドイツ ゲッティンゲン大へ留学
1929 カリフォルニア大バークレー校に助教授として戻る
1936 ジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)と出会う(30年代後半ジーン・タトロックと非公式に婚約)
1940 キテイ(エミリー・ブラント)と結婚(キテイは4度目の結婚)
1942.6 ルーズベルト大統領極秘にマンハッタン計画を開始、総括責任者にレズリー・グローブス准将(マット・デイモン)を任命。グローブスがオッペンハイマーを開発責任者に抜擢
1943 .3 ロスアラモス国立研究所設立
オッペンハイマー所長に就任
1943.6 ジーン・タトロックと再会。別れた後でジーンはうつ病となる
1944 ジーン・タトロック自殺
1945.5.3 ドイツ降伏
1945.4.12 ルーズベルト大統領急死
副大統領トルーマン(ゲイリー・オールドマン)大統領に就任 原爆投下を決断
1945.5.10 投下地広島に決定(候補地に小倉、新潟、京都等が上がる)
1945.7.16 トリニティ核実験成功
1945.7.24 ポツダム会談(チャーチル、トルーマン)
1945.7.24 長崎、予備目標地に決定
1945.8.6 広島に濃縮ウラン型原爆(リトルボーイ)投下
1945.8.9 B29小倉に向かうも上空視界不良のため予備地長崎に変更。長崎にプルトニウム型原爆(ファットマン)投下
1945.8.15 日本無条件降伏
戦後、プリンストン高等研究所の有力な理事ストラウスはオッペンハイマーに研究所長就任を懇願
その後、委員会等で恥をかかされた恨みで水爆推進派のストラウスは水爆反対派のオッペンハイマーに反発
1951 オッペンハイマー、原子力委員会総合諮問委員長任期満了
オッペンハイマー相談役に留まるもストラウスにより断たれる
1953 アイゼンハワー大統領によりオッペンハイマーは科学諮問委員会に復帰
1953〜58ストラウスは原子力委員会委員長を務める。大敵と思われていたオッペンハイマーが輝きを取り戻し、復帰したのを喜ばないストラウスはオッペンハイマーからセキュリティ・クリアランス(機密情報を扱う適格性)の剥奪を諮る。
冷戦中であり、共産党シンパはソ連のスパイと同等と思われ、ソ連に情報を流した疑いで聴聞を受ける
1954 オッペンハイマー聴聞会開催
(映画では聴聞会の公開記録がほぼそのまま再現されている)聴聞会後に剥奪され政府の仕事から追放される
1959 アイゼンハワー大統領がストラウスを商務長官に指名した件で上院公聴会開催
マンハッタン計画にも参加していた(嘆願書に署名した)デービッド・ヒル(ラミ・マレック)の証言により聴聞会がストラウスの個人的復讐である事が明かされる。
(これは原作の「アメリカン・プロメテウス」には無く、クリストファー・ノーランが公聴会の記録から掘り起こした)2ケ月に渡る公聴会で上院から指名は拒否され、以後ストラウスは公職に付く事はなかった。
1963.12 ジョンソン大統領の時に(アメリカの物理学賞)エンリコ・フェルミ賞受賞し名誉を回復する(前年の受賞者は水爆推進論者だったエドワード・テラー)受賞式でオッペンハイマーはテラーと握手するもキテイは拒否(当時は賞金5万ドル、現在は37.5万ドル)
1960.9 オッペンハイマー来日
東京、大阪のみで広島、長崎には行かず
1967.2.18 オッペンハイマー咽頭ガンで没 62歳
アメリカ人がこういった事実(歴史)をどこまで認識して映画を見ていたのかは判らないが(タイムやライフの表紙にもなった位だから認知はされていたはず)、少なくとも日本ではオッペンハイマーとその人の歴史は認識されていなかったのではないか。
本作中でもトルーマン大統領の台詞に「日本は誰が原爆を作ったかなんて気にしない。誰が落としたかだ。」と言うのがあった。私はイノラ・ゲイは知っていたが、オッペンハイマーは知らなかった。
オッペンハイマー、ストラウス、グローブス、テラーそしてアインシュタイン!みんな写真を見るとそっくりか極めて寄せているのがわかる。
本作は、原爆の災禍を描いた作品ではないので広島・長崎の原爆被災の状況は描かれない(私はそれも有りだとは思う)。
もし、全米が目を背けるほどの原爆の災禍や被爆者の姿が描かれていたら、果たしてこの作品はアカデミー賞を取ったか?
山崎貴監督が「この映画のアンサーは日本側が創らなけばならない」と言う記事を読んだ。(あれ、違う監督だったっけ?)
アメリカと日本では原爆に対する理解、意識が違う。インディー・ジョーンズは冷蔵庫の中で原爆から逃れる位なんだから。
話がつまらない
原爆の開発についての描写は前のめりで見入るのだけど、アカかどうかとかスパイかどうかはどうでもいい話題だ。本人にとっては重要なポイントなのだろうけど、内容がつまらない。特に尋問の場面は字幕を読むのが大変だ。IMAXで見ようとしていたが時間が合わず、普通の上映で見て大正解だ。
原爆開発のために町を作るし、オッペンハイマーに全権をゆだねるなど、アメリカのこうと決めたらとことんやる姿勢がすごい。これはかなわない。
吹き替え要りますよ
アカデミー賞受賞ののちに上映開始なんて日本的すぎんかねと思った。
昨年の、しかも8月直前に公開するのに怖気付くのはわからないでもないが、それでも意図的にぶつけて批判なり炎上なりした方が世界的にもヒロシマナガサキの理解が進むチャンスだったのではと思う。
日本人としても開発側や実行側の背景を少し知ることができてよかった。
ところで、なんで吹き替えがない?VOD公開時にはできてますように。
複雑な感情
自分の祖国の被害はもっと世界に知らせてほしかった。ナチスにも使いたかったってセリフでは救われない。
アカデミー賞でのロバート・ダウニー・Jrを思い出すと彼の演技がまぁ鼻につくこと。
爆発実験の準備を見て成功する様を見たいと思ってしまう自分の気持ちはなんなんだろう。。。
冷静になって最終的にモヤモヤするのは何十万人もの被害者を出した事件の当事者が1番苦しむのが良心の呵責じゃないってことかな。
とはいえ、ノーラン印の質の高い映画ではあると思います。ドルビーのど迫力も凄かった。
壮大な天才科学者オッペンハイマーの人生を描いた傑作
この映画は、天才科学者の内面に迫る体験ができます。
ノーラン監督は、オッペンハイマーの視点をカラーで描き出し、一方で彼と対立するアメリカ原子力委員会の委員長であるストローズの視点をモノクロで表現することで、視覚的にも興味深い対比を生み出しています。また、時系列的な情報を点として提示し、それを線としてストーリーに綴っていく手法は巧みです。さらに、キャストの感情を観客に伝えるためのアップショットが効果的に使用されています。
物語は、オッペンハイマーがナチス・ドイツに勝つために原爆開発に関与し、その後若手研究者、アメリカ政府やソ連のスパイ、共産党員に巻き込まれていく過程を描いています。彼の内面に迫る核実験や聴聞会のシーンは、彼の不安と孤独を見事に表現し、観客に深い衝撃を与えます。彼の影響力が大きい一方で、ストローズの陰謀も恐ろしいものです。
また、オッペンハイマーの妻が典型的な良妻賢母ではなくても彼の栄光や転落を支え続ける姿が印象的です。
アインシュタインとオッペンハイマーの対話シーンは、物語に深みを加えるうまい配置がされています。特に、科学者の視点から組織や時代に対する深い洞察力が示されています。
私と同じく予習なしで、先入観を捨てて鑑賞することをお勧めします。
原爆フロンティアのモーツァルトとサリエリ
( IMAXレーザーにて鑑賞 )
まるで筋書き通りじゃないか!
原爆開発は、アメリカが余裕をもって進めていた訳では決してなかったようだ。
それは、まるで
朝刊最終版入稿締切前の特ダネ記者のように、
あるいは、
展覧会開始前夜の学芸員のように
あるいは、
初日が迫るなか台本が遅れて最終場の原稿が前日に間に合った脚本家のように、
人類最初の核実験となったトリニティ実験も、大雨にも関わらず強行され、たまたま幸いにもといった感じで成功。
それは、まさしく大戦処理を決定したポツダム会議(1945.7.17-8.2)の直前7月15日のことであり、
本作では、すでに8.6の広島初投下も、8.9の長崎投下の日程も決まっていた上でのことだったと描かれていた。
トリニティ実験が成功すると、
核爆弾は、
科学者たちの手からも、
そして、
オッペンハイマーのコントロールからも
離れ、
あらかじめ定められた通りに、
8.6 ヒロシマに、
8.9 ナガサキに、
まるで筋書き通りに、
投下されてしまったのだ。
本作、前半は、いろいろイメージ的な映像は流されるものの、肝心の核兵器そのもののリアリティが全く伝わって来ず、何か、せいぜい手の込んだ絵本程度の描写ではないか、と疑念を抱きながら、
睡魔と戦いつつ観ていた。
ところが、中盤、
実際に原爆を投下することを、
それも日本に投下することを決定した会議のシーンから、
急に、
核兵器の、
原爆の恐ろしさが身に迫って来て、
落涙をとどめることが出来なくなった。
京都は文化的な意義があるから対象から外そう、新婚旅行で行ったが良い街だ、ハハハ、‥
だって?
恐ろしいことを、冗談のように話す米軍の幹部に
こんな場面を日本人が観ることを知りながら撮影したノーラン監督に
腹が立って、
悲しくて、
涙を流すしかなかった。
おかげで原爆は投下されてしまったのだ。
広島に、
標的だった小倉の視界が悪かったので
代わりに長崎に、
まるで筋書き通りに‥‥
本作は、ワーグナーの楽劇の無限旋律のように、終始、強迫観念のような、精神を直接威圧するような音楽や音響が、切れ間なく続き、頭が痛くなりそうなほどだったが、
唯一訪れた無音。
世界初の核兵器の爆破、
爆発の瞬間から、
爆破の轟音と
凄まじい爆風が襲うまでの
ほんの僅かの時差のような時間。
その無音は、
その轟音は、
その爆風は、
8.6 に広島を、
8.9 に長崎を、
同じように襲ったのだ。
まるで筋書き通りに‥‥
核兵器の本当の恐ろしさは、
科学者たちも、
開発責任者だったオッペンハイマーも、
理解していなかったのだ。
事後に、その事実に戦慄するオッピー、
遅いゼ、おっさん!
もう手遅れだヨ!
おそらく世界中で、
本作の恐ろしさに、
最も身を震わせるのは、
最も涙を流すしかないのは、
広島の、
長崎の、
同朋を思う日本人に違いない。
だから、日本人は本作を観るしかない。
怒りに震えながら、
涙を流しながら、
優秀な科学者たちかも知れない、
だが、核兵器という絶対悪をこの世に創造してしまった罪人たちの姿を
目に焼き付けなければならない。
***
あらかじめプログラムを買って多少予習したせいもあってか、
町山智浩さんの言うようには、分かりにくい映画とは思わなかった。
いや、むしろ(ノーラン監督にしては)至って普通の劇映画だった。
劇薬という意味での「劇」映画でも、もちろんあるのだが。
たとえば、ヒロシマ、ナガサキの惨禍を経て、日本が降伏し、終戦を迎えたあと、
オッペンハイマーがトルーマン大統領と面会する。
この大統領、本当に、こんなアホのような呑気な会話をオッピーとしたのか。
立ち去るオッピーを泣き虫と侮辱したのか。
年だけ取って、大した能力も無さそうなこの大統領の戯画は、バイデン批判の一種なのか。
‥‥要は、所詮、その程度のリアリティしか保証しない「劇」映画だというサジェスチョンなのだろう。
終盤は、核兵器をこの世に産んでしまった罪を自覚したオッピーに対する、
聴聞会という名の政治的断罪劇。
赤狩りという名の魔女狩りによる、「ソ連のスパイ」という無実の罪を着せての。
ところが、同時進行の原子力委員長ストローズの公聴会の表・裏を見せるなかで、この濡れ衣が、彼による奸計であったことが明らかになる。
まるで、モーツァルトの天才に嫉妬したサリエリのように。
まるで、ムーア人将軍オセローの英雄ぶりが許せなかったイアーゴーのように。
古くから、舌出しおじさんとして、人間ミームの元祖的なアインシュタイン。
世俗から離れた世捨て人かと思いきや、いちばんオッペンハイマーの犯した罪の本質を理解していた。
ダンテの『神曲』のように、
原爆投下の煉獄を映像化し、
シェークスピア劇のように、
罪人としてのオッペンハイマーの
来し方行末を描いた本作、
やはり、
どうしようもなく
悔しいけれど、
問題作にして、
傑作である。
鑑賞動機:観ないことには何も言えない8割、ノーラン2割
IMAX鑑賞。
いろんな要素があって、中々考えがまとまらず、感想の羅列みたいにしか書けないのだけれど。
あのイメージは原子(電子/中性子)ということかな。アインシュタイン以外にもボーアとかハイゼンベルクとか名前のわかる人がいて、何とかついていけたのでよかった。ブラックホールや核融合、核分裂など、大雑把なイメージでもいいので知っていると、映画への没入度がかなり違ってきそう。オッペンハイマー本人についての知識はほぼなかったし、睡魔との戦いも覚悟していたけど、意外と大丈夫だった。
ラミ・マレックはおいしい役。なんか妬みって怖い。
モノクロとカラーの使い分けに加え、時系列上でほぼ固定の2つと彼の半生をなぞる部分があるから、6つのパートを行き来する描写になっているように思った。夢/幻想みたいなインサート映像も随所にあるし、これは鬼編集。
『TENET』に引き続きルドウィグ・ゴランソンが音楽で、前作のイメージは「ネトネト」からかなり変わって、こちらは何だろう…「ゴウンゴウン」だろうか。とにかく重力が二倍になったような圧力を感じた。
無音からの…アレの演出は、思考を追体験させられているように感じて身震いした。
ただそれでも、黒く炭化した遺体らしきものくらいしか描写がないのは、どうしても引っかかってしまう。
あとやはりIMAXで観るならセンター近辺の座席じゃないとダメかなと思った。画面もスクリーン下いっぱいまであるので、スタジアムタイプの劇場でも前に誰か座ると画面にかかってしまう可能性が高いのですよね。中々難しい。
物理学的な連鎖反応による世界滅亡はなかったけど、現状は別な意味での連鎖反応によって拡散は起こっているわけで。さらにまた別の連鎖反応を想起させる映像にも見えるので、暗鬱とした気分になる。
タイトルなし(ネタバレ)
有名な科学者や歴史上の事件が描かれ、知的興奮に満ちた作品でした。
3つの主要な時間軸が並行して流れる、クリストファー・ノーラン監督らしい、トリッキーな見せ方です。その内、ストローズ氏の閣僚指名の公聴会が白黒で、これは恐らくドキュメンタリータッチで第3者視点を表しているのでしょう。それ以外のカラーの部分は、全てオッペンハイマーの主観映像です。この主観映像は嘘や幻も描くし(スピーチの幻視やコミュニストの恋人の他殺を仄めかすインサート)、重要な場面を描かなかったり(彼が実際には見ていない広島・長崎の爆撃)します。
日本人にとって主な興味は、原爆の開発秘話や悲惨な結果、それに対する開発者の懺悔の日々・・・なので、戦後の政治闘争劇など余分。しかし、これはオッペンハイマーの伝記映画なので、そこが日米の観客の受容のギャップが生まれる(と興業主が心配した)所以かも知れません。
で、日本人として引っかかる点は他にもあって、オッペンハイマーは核廃絶論者では無いという事ですね。彼は、リアリストであり、生まれてしまった核兵器をなくす事など不可能であり、それはコントロールすべきだ、と考えている。(この後、それについてあれこれ書きましたが、映画と関係ないので省略します。)
些細な事ですごいなと思ったのは連鎖反応の話です。「核分裂で空気が連鎖反応を起こすと、被害が限りなく広がり世界が滅亡する・・・なーんて可能性は限りなくゼロに近いので多分大丈夫だろう」と言って、トリニティ実験にゴーを掛けてしまう。我々は原爆というものがどういう物か知っているから良いけど、この程度の安全意識で危険な実験を行っていた科学者たちに恐怖を感じます。
そこかしこに非人間的な感覚も挟みつつ、それでも人間としての苦悩を併せ持つオッペンハイマーという一人の人物を丁寧に描いた作品でした。
最後ですが、この映画のヴィランであるストローズ氏。映画の後でWikipediaを見ていたら、マンハッタン計画には携わっていなかった彼ですが、原爆の攻撃目標に関しては「最初は威嚇攻撃をすべきである。例えば日光のような象徴的な場所で」と発言していたらしい。(英語版wikiなので誤読でなければ。) 彼もまた複雑で面白い人物と感じました。
この男が世界を変えてしまった。
共産主義や反ナチの思想を抱えながら、原子力の研究に没頭したオッペンハイマーは原子力爆弾の開発に携わることで様々な思惑に晒されることとなる。
開発チームに入ることを躊躇うメンバーは、物理学の成果が兵器であっていいものかと吐露するが、それをもつ最初の者がナチスであってはいけないと言い説得するシーンからもこの時点では前向きな姿勢が強い。
実験の成功のために注力し続けるが、いざ兵器が完成してそれらが生み出す犠牲を実感する。
一時は戦争を終わらせた英雄とされるものの、過去に公の場で恨みを買った男に立場を追われる謀略を進められる。
結果的に謀略は不当と世間に知られることとなるも、ある種原爆を作った報いとも言える業を消化するにはとても長い時間がかかったことがラストシーンからもわかる。
アインシュタインとオッペンハイマーが池のほとりで会話するシーン。研究が世界に与える影響と受ける報いを理解した上で、全てを受け入れる。
開発中に計算上現れた大気の連鎖爆発、"ほぼ0"は実験により"0"とされたが、核ミサイルの乱発による世界滅亡というあまりにも大きい"ほぼ0"を生み出してしまった。
所詮日本人は蚊帳の外
オッペンハイマーはマンハッタン計画の責任者だったため有名だが、プルトニウム原子爆弾の圧縮起爆原理を創案し、最も原爆の完成に貢献し、共産主義の理想に忠義を示した故にソ連に情報を流してしまったドイツ人科学者クラウス·フックスのほうが苦難に満ちたヒューマンドラマにふさわしい人物だと思う。クラウス·フックス役のクリストファー·デナムはそっくりだった。しかし、最後のほうでちょっと出ただけ。丸眼鏡の顔も丸い色白の人。パンフレットには掲載なし。残念。
そりゃ、キリアン・マーフィはいい男だし、興行的にも見込める。おいらもキリアン・マーフィー目当てで観たもの。実際のオッペンハイマーもキリアン・マーフィーに負けず劣らずの色気があるいい男でキャスティングは申し分ない。オッペンハイマーの父親はユダヤ系ドイツ人。この話はアメリカ原子力委員会の私怨に絡む内輪揉めがメイン。しかも長い。
日本人はまったく蚊帳の外。ロスアナモス研究所はいまなお先端科学技術の要所で、多くのアメリカ人の誇り。原爆は肯定的にとらえられている。オッペンハイマーのみならず、携わった科学者は少しは人命を奪うことに良心の呵責を感じていたかもしれないが、映画のシーンにあるように成功した喜びの方がはるかに勝っていたにちがいないのだ。第二次世界大戦中に原子爆弾の開発に着手したアメリカがイギリスと協定を結び、ドイツからイギリスに亡命した科学者などをオッペンハイマーのロスアナモス研究所に送り込み、原子爆弾の開発を促進したことには触れずに、オッペンハイマーと不倫関係にあった共産党員の精神科医ジーン·タトロック役にすぐ脱いじゃうフローレンス·ピューを当て、まったりした話にエロ場面を入れ、眠くなるのを防いだ感が強い。
フローレンス·ピューの固太りの体は嫌いじゃないけどさ、こんなエリート不倫男の開発した大量殺戮兵器にやられたと思うと悔しさ倍増。
ドイツが降伏したから、日本に使ったなんて言い訳。開発はかなり前から着々と行われていて、1943年には日本に落とす目的で開発を急いでいたんだから。水爆を作る余裕もあったし。しかも、オッペンハイマーはユダヤ系ドイツ人で、ドイツを故郷と感じていた。彼もまた時代の被害者であったと思うが、映画としてはあまりにアメリカの正当化に寄与し過ぎではいないか? クリストファー·ノーランの観るものを混乱させる時系列のいじりも悪意に思えてくる。
ソ連への牽制が一番大事で日本はただの舞台だった。黄色人種での人体実験だったんだと思う。爆心からの距離や被曝線量と人体への影響が測り易い都市を選んでいたんだから。ロスアナモスはもともとネイティブアメリカンの居留地だし。朝鮮戦争やキューバ危機で核が使われなかったのはクラウス·フックスの機密漏洩によりソ連がアメリカに遅れをとらずに核兵器を実戦配備したため、冷戦下の均衡が保たれたためだと指摘する人も多い。割を喰ったのは日本人だけ。そして、瞬く間に中国が核を保有し、北朝鮮がロシア、中国の鉄砲玉になって、極東アジアの平和を脅かしている現実。この映画を観るためのお金があったら、赤十字やユニセフに寄付したほうがいいと思う💢それと、ロバートダウニーJr(ストローズ役)のアカデミー賞授賞式の振る舞いも嫌だよね。早く終映にしてほしい。
【追記】1200円もするパンフ買ってしまった。読んでもピンとこない内容だった。
NHKがアメリカのテレビ局が作成したマンハッタン計画を正当化するような内容の番組を独自の解説を添えることもなくタダ流しするのは怠慢過ぎると思うのである。
指導者の機嫌で核が使われそうになってる今このとき、「後ろ向き」の人類を思い知る映画
結局人類の多くは後ろ向きに歩いているのではなかろうか。
と言う意味ではなかったんだろうけど→TENET。
事前情報何も入れずに見に行った。
マット・デイモン?マット・デイモン?マット……デイモン!
あらまー。
フレディ(マーキュリー)やった人しかわからなかった。
ミスター・ロレンスなんてわかるわきゃないでしょ。
トルーマン、一瞬ゲイリー・オールドマンが中の人?と思ったがそんなことはなかった、と思ったらやっぱ本人だった!遠視のメガネ効果。
ほんの数分あるかないかのカットのためにとんでもない予算が投入されている。
が、IMAX専用カメラ史上最も狭い部屋(推測)は予算削減のために組んだんじゃないよね?
そして現物主義の監督がモノホンを爆発させてたりしないよね?
するわきゃないとはいえ、現物を落っことされた我々からしてみると「それじゃスケール感が伝わらない」「ショボい」と思えてしまう映像だった。
音響はエグい。
「わー!すご〜い!」というより「うわぁぁあぁ」という感じ。
音に過敏な方々は注意が必要。
東京大空襲で10万人死んだ、という情報の提示は予期していなかった。
広島と長崎が風化しそうで、日本人ですら現在の港区青山あたりも焼け野原、ってのを知らない人が増え続けてる状況でこの情報はアメリカ映画の脚本として何を意味しただろう。
「この世界の片隅に」がまことに日本らしい日本側視点としたら、オッペンハイマーはまことにアメリカらしいアメリカ側だったのかもしれない。
ケネディ情報はダサい蛇足だと思った。
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