オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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ヒトラーより先に 〜 私は破壊者となった
秘密裏に行われた「 マンハッタン計画 」の主導者として招かれたアメリカの科学者ロバート・オッペンハイマーをキリアン・マーフィーが熱演。
何かに突き動かされるように原子爆弾の開発に力を注いだオッペンハイマー。
少し前にNHKで放送された「 映像の世紀 バタフライエフェクト『 マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪 』」のオッペンハイマーのリアルな表情が思い起こされた。本作では人としての弱さも描かれていました。その意図とは。
軍服姿のマット・デイモンに驚きました。本作でも熱演。
折しも今、アメリカのバイデン大統領と岸田総理による首脳会談がワシントンで行われている。日本はまたもや軍事国家へと突き進んで行くのでしょうか。
悲しい事に、人類は二度と核を持たない世界には戻れない。
ー ロスアラモス国立研究所
ー 君はアメリカのプロメテウスとなった
ー 諮問機関
映画館での鑑賞
ノーラン新境地
ノーラン作品なのでポリティカルな主張はないだろうと踏んでいた。それはその通りなんだけど、想像だにしなかった遠大なメッセージを突きつける新境地といえる大作だった。日本での公開を躊躇する理由は何一つなく、鑑賞した上で見送ったのであれば絶望的な知性の欠落である。いつもの時系列マジックは健在。
【追記】
ノーラン作品には珍しく謎を残さないどころかすごく親切に回答してた。
【追記によりネタバレ】
ツケで流されるたった10ドルの賭けとして演出された「大気の引火は起こるか否か」ラストカットでオッペンハイマーはその結果がどうあろうと我々人類が世界を焼き尽くす火を手にしてしまうことに恐怖している事が解ります。現実世界においてもそのツケは預けられたままであるという人類史上最大の脅威の存在を鑑賞者に突きつける、それこそがノーランのメッセージだと思ってます。アメリカの罪もイデオロギーや政争の愚かさも描かれておりそれらがストーリーの9割を占めますが、アインシュタインとの会話の内容が「もっと重要なことかも」と前置きされたことで、それらが霞んでしまうほど本作のメッセージが強いインパクトを持ったのも極めて巧みな脚本だと感嘆しました。
最後に広島県民として一つ。オッペンハイマーの吐露した「一度見ればもう使われることはない」というすがるような願い、だから私達は未来永劫その体験を世界へ発信し続ける必要があるのです。
終末の時計
Oppenheimer
名誉を享受するほかない。
後は連鎖反応は勝手に起こる、実験の最後、その眼で直接見たものがある意味で手を離す前の最後だ。そんなことはわかっている。
全ての強権体制の中で、議論に参加する人々は、何らかの当事者になるか逃避するかしかない。
共産主義も民主主義も、最終的に同じ兵器へと行き着く。思想は何を利しているのか。スパイは確かに存在して、国家は同胞たちを守る。
投下シーンの不在が話題に。当時の世界の反応として、皮肉的に描かれていたようにも感じられた。
激動の世界の中で、人はその思想を、人生の途中でも変えることができる。そして経験の中で再び戻すことも。しかし、進む時計の針を、世界が同時に戻すわけにはいかない。
音量と画面圧がすごい
本日やっと鑑賞
ノーランハズレなし
オッペンハイマーが前半しか研究してなくて
後半はチームリーダーでまとめ役のみにみえた
また、後半の諮問会のシーンからのラスト
脚本がよいね
劇中モノクロ画面になるのだけどそこもまたよい
アインシュタイン激似です。
しかし、盛り上がる時の音量大きい〜!
最近洋画エッチシーン多いなあー
じんわりと名作の域に
正直半分あたりまで不倫やら裁判やらばかりでうんざりでしたが、実験から日本原爆投下までのながれで一気に背筋が伸びました。確かに実験の描写はゴジラ-1.0や他の視覚効果賞ノミネートに比べたらディティール、スケール感、立体感は地味で大人しいのですが、そこはノーラン監督。
それまで不快であった不倫やら裁判やら泥沼の人間劇で知らぬ間に距離感が縮められるリアリティの魔法が仕掛けられており、残酷な広島長崎描写は無いものの、実験と教会時の黒焦げた遺体と周りの人間が錆びれ吐き気をもようしている描写だけで原爆の恐ろしさがスクリーン向こうから充分伝わってきました。
はだしのゲンや原爆資料館で見てきた体験より、原爆被害の凄まじさが想像され戦争に対する貴重な追体験ができました。
これだけでも反戦争、原爆へのアンチテーゼ効果として賞賛に値するかと思います。
その後はまた裁判ですが、解決に向けての流れなのでサスペンスの結末を観れるスッキリ感、アインシュタインとの対話、ジョンFケネディの暗殺?に繋がる布石などフォレスト・ガンプにジョンレノンが出てきたような贅沢感も少し味わえ、個人的には有意義な体験となりました。
ノーラン監督の巧みな人心把握術の組み込みにより、明らかな名作!感動作!では無いものの総合的にじんわりと名作の域に達しているかと思います。
ゴジラ-1.0ほど2桁リピしたいとは思いませんが間違いなく観て良かったと思える作品でした。
音圧で鳥肌。
IMAXにて鑑賞。人物描写が多めな映画なのでIMAXで無くとも良い気もしますが、音の演出にかなり揺さぶられるので爆音音響のIMAX鑑賞は正解。最初の足踏みドンドンやオッピーの天才ぶっ飛び妄想中の音響表現などは凄まじく圧巻。コレを浴びにいくだけでも観る価値ありますわ。そしてラストのアインシュタインとのやり取り。全身に鳥肌が。恐ろしい。
核爆発に向けて進んでいくシーンの緊張感が凄かった
〔60代男です〕
本作は劇映画の作り方を完全に理解している熟練者だけが作れる作品だ。
同じことを未熟な者がやろうとしても、こんなにうまく仕上がるもんじゃない。
普通どおり、たくさんのシーンのモンタージュで構成されていることに変わりはないのだが、現在時間の表示もせずに時間軸をたびたび前後させ、それでも観ている者に勘違いさせることもなく、バラバラに分断されている印象にもならず、BGМの力も借りて、3時間の上映時間全体を切れ目のない一つながりのものとして有機的な塊に仕上げることに成功していているのだ。
物語としての一本の道ではなく、オッペンハイマーという科学者の人生全体が、ひとつの印象として心に残るようになっている。
だから観終わっても、あのときこうしたらどうだった、とか、あのときこいつの正体を見抜けていたら、みたいなことは感じず、全体で大きな一つの印象だけを与える作品になっているのだ。
3時間にもなる大量の映像を、まったく混乱もなしに、これほどなめらかに一つながりに仕上げられるのは、並大抵の才能ではない。
おはなしは、第二次世界大戦中のアメリカ。
ドイツより先に原子爆弾を完成させることの重大性を意識する将校マット・デイモンは、主人公の優秀な物理学者オッペンハイマー/キリアン・マーフィを、原爆開発計画マンハッタン・プロジェクトのリーダーに抜擢する。
主人公は、優秀な物理学者とその家族を呼び寄せ、砂漠地帯ロスアラモスに原爆開発のためだけの厳重に管理された町を作り出し、原爆開発に没頭する。
そして史上初の核実験に成功し、その場にいた現場スタッフ一同と軍関係者は歓喜に包まれる。
その後、主人公は、自分が送り出した2つの完成品が広島と長崎に投下されたことをラジオのニュースで知る。
称賛を浴びて持ち上げられるが、恐ろしい兵器を生み出して実際に使用されたことが罪悪感として重くのしかかる。
政府も周囲の軍人も、次なる水素爆弾の開発に向けて動き始めたので、良心を持ってそれに反対する主人公は邪魔者あつかいされ始める。
世界的に注目された主人公に嫉妬と悪意を持つ、原子力委員会の議長ロバート・ダウニー・Jr.は、評価を地に堕とすための聴聞会をセッティングし、主人公の下で働いていたテラー博士を始めとする悪意ある科学者たちを証人に、主人公を危険な共産主義者で、最初からソ連のスパイだったというとんでもない容疑までかけて糾弾する。
この悲惨な後半は「ハドソン川の奇跡」「リチャード・ジュエル」のメインで描かれていた話とそっくりで、マイケル・ジャクソンもそうだったが、アメリカでは称賛される英雄がいると、それを悪意を持って破滅させようとする人たちが出てくるようだ。ひどい話。
主人公が非常に穏やかな人柄で、誰に対しても態度が紳士的すぎるため、彼に悪意ある人間の言動に対しては、代わりに妻エミリー・ブラントが腹を立てる言動で、観客が勘違いしないよう配慮されている。
腹立たしい人間が連続して出て来たあとに、良識ある発言をする人を出して溜飲を下げてくれるので、気分は暗くならない。
幸い主人公は破滅させられずに終わるものの、核開発は手の届かないところへ行ってしまうので、ハッピーエンドにはならない。
あとアメリカ映画では核爆発が出てきても、放射能による被害はいつも無視されるものだが、本作でも同様なのだけは残念な点。
ロスアラモスにだって被爆者はいたはずだ。
ここでの原爆は、あくまで超強力な爆弾、というだけにすぎない。
それと自殺してしまう愛人フローレンス・ピューを出すのは必要だったのか。彼女が全裸で出てくるシーンさえなければPG12の年齢制限もなくせただろうに。
主人公が仕事一筋の堅物ではなかったことを、浮気で描いておきたかったのかもしれないが、僕は不要に思えた。しかしこんな美人の物理学の教授なんているのか?
天才科学者ボーア役にケネス・ブラナー、トルーマン大統領役にゲーリー・オールドマン、アインシュタイン役にトム・コンティ、計画に参加した学者仲間でジョシュ・ハートネット、ほかに政府関係者にデイン・デハーン、ラミ・マレック、マシュー・モディーンほか。
聴聞会での原子力委員会側の弁護士ジェイソン・クラークが主人公をネチネチといたぶる腹立たしさは、役者が演技をしているということを忘れて憎しみを感じるほどだった。
ロバート・ダウニー・Jrも、これほどの嫌われ役は初めてだ。
のちに水爆を作りまくるテラー博士は、悪名高いキチ○イ博士として有名だが、それにふさわしい描かれ方をする。まあ、こういう人間だからキチ○イ博士と言われるんだろうが。
日本には悲しいかなあ!!トム・コンティさんが登場時感激しました‼️🤗
昨日AU マンデーのためTOHO新宿にて鑑賞しました
ここからネタバレします
体力と集中力が低下していたので2回ほどウトウトしてしまいました
原爆の父と言われるオッペンハイマーの栄光と没落⁈の伝記映画でした
世界大恐慌の最中に労働組合に関わり
そしてドイツが原始爆弾の開発が発表されてアメリカが2年遅れで原始爆弾💣のために街を作り開発します
さすがアメリカ🇺🇸です
土地が広いですね😆🤗
そして目的のドイツが降伏しますが日本が戦争やめないのでそこで急いで実験成功して使用します
その後ダウニーに逆恨み⁈で没落と
原始爆弾の使用で葛藤します
後半の没落が少し長くかんじました
この労働組合や赤狩りやスパイに対しての取り組みや水素爆弾などの描き方は良かったと思います
ただやはり日本人の私からすると実際に原爆を使用された国民からすると悲しく😭くかんじました
あれだけ実験の場面は迫力と凄さ
爆風が時間差で表現されてましたが
成功と同時に威力に葛藤しました
私なら使わないように働きかけて欲しかったです
人間関係も恋人、友人、大学関係、政治、軍人、兄弟、思想、など丁寧に描いていたとかんじました
今回はアルベド・アインシュタイン役のトム・コンティさんが登場した時には
驚きと嬉しいさで心拍数爆上がりしました
実際には見たことはありませんが
♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪😭🤗
この映画の関係者の皆様お疲れ様です!!
ありがとございました
♪( ´θ`)ノ🤗
この映画は過去の日本人とアメリカ人だけに関係する話ではない。今、世界を生きている人々の生活に潜むおぞましい黙示録。
オッペンハイマーという人物は、政治的に考えればアメリカ人にとっては正義でなくてはならず、日本人にとって彼は広島と長崎の多くの命を奪った悪魔でなくてはならない。それらは絶対に相入れないイデオロギーだ。
映画「オッペンハイマー」の一番凄い所は映画が結論を代弁するのではなく視聴者に彼の倫理的責任に対する呵責や判断を委ねている所だと思う。
映画ではどちらの視点の議論も間接的に傍聴会で提示した上で、あえて結論は押し付けず「君は彼をどう思う?」と投げかけているのが上手い。この映画はアメリカ人にも日本人にも結論を与えない、だから「これは傍聴であって"裁判"ではないので証拠は必要ない」と劇中何度も釘を刺している。
しかし、これを逆手に解釈すると理論上この傍聴会が「ニュルンベルク裁判」「東京裁判」に続くアメリカの戦争犯罪を裁く幻の"第三の国際軍事裁判"であった事が示唆されている。その意味でこの映画はこれまでの戦後史を根底から覆す視点を両国及び世界に示しただろう。
オッペンハイマーは、愛国心があれど共産主義に加担していた点でアメリカ人にとって"完璧な正義(ヒーロー)"ではないし、一方大統領に対して「私は自分の手が血塗られているように感じます」と語りトルーマンを激怒させたオッペンハイマーは日本人にとって"完璧な悪魔"でもない。しかしその両方を併せ持つ人物であるからこそ「オッペンハイマー」という映画を見終わった後にどの様な感情にさせられたのかすら分からない感情を日本人と米国人の両方に植え付けるのだと思う。
聴衆会で登場する発言が所々、現実で録音された「ノンフィクション」である以上、解釈を許さない場面とそうでない場面が矛盾を起こし、人々が映画を見る前に持っていた絶対的正義心を逆撫でし更に複雑な心境にさせる。日本人とアメリカ人はこの映画において真逆の歴史的観点から、オッペンハイマーというおおよそ両国人のスタンダードとは言えない経歴を持つ科学者という「防護メガネ」を通して感情移入し、最後に全く同じ心境(風景)を追体験する事になる。
最後のアインシュタインとの伏線が「いつオッペンハイマーが原爆に罪悪感を覚えたのか?」という傍聴で明らかにされなかった答えそのものになり、同時にとんでもないどんでん返しになって恐ろしい程の衝撃を覚えた。この映画はトリニティ実験における原爆実験がアメリカにとってナチスと日本に勝てるかどうか、レズリー将校の首が飛ぶかどうかと言う賭けだったのに対し、科学者にとっては爆発が世界全体を破壊するか、それともニューメキシコだけを破壊するかという「賭け」だったというとんでもない暴露を明らかにした。それまでの日本とアメリカに対してだけの問い掛けから「つまり地表に住んでる限りどこに隠れても原爆によって"大気に引火"するかも知れない恐怖に慄くことになっている現状について皆さんはどう思われますか?」と問いかけの対象が世界にまで飛躍している。ソ連がアメリカに核攻撃した瞬間世界が消滅するかも知れない。こんな議論がかつてあったなんて世界中の歴史教科書を覗いても書いてあるんだろうか?
それは科学者でさえ半ば懐疑的で賭けに興じるほどには信じていなかった。これを映画ではなくただ友達から聞いたら陰謀論だと思ってまともに取り合わなかっただろう。しかしオッペンハイマーの狂気にはそれを世界に生み出してしまうのではないかとヒヤヒヤする”凄み”がある。原爆の父オッペンハイマーと水爆の父テラーが対話し、「なぜあなたは臆病にも水爆を生み出そうとしないのか?」と激論しているが、水爆の行く末が「プロメテウスの炎」である事を理論屋であるオッペンハイマーとアインシュタイン(伝えられた)だけが知っているという怖い話。
アインシュタインは一貫して知的にオッペンハイマーに嫌味を言って煽っていた。「僕より優れてる気になってるけど僕の理論が無ければ君の功績はないよ、それに僕は亡命してでも科学を推進する強かさがあるし君より凄いよヘヘン」みたいに言うとオッペンハイマーが暗い表情で「ええ、あなたのお陰で地球を滅ぼすプロメテウスの炎(理論上、しかし理論屋には既に”見えてる”)を手に入れました、これであなたも世界を滅ぼした共犯者ですね。」と返してあのアインシュタインを閉口させている。
その重大さを悟ったアインシュタインは、現在絶賛炎上中の ロバート・ダウニー・Jr演じる原子力委員会委員長ストローズがこれから世界を滅ぼす男になるかも知れないので顔も合わせる事ができなかった。劇中でストローズに対しオールデン・エアエンライクが演じる側近役が話していた「2人はもっと重要な事を話していたのでは?」という軽い問いかけに重い答えがのし掛かる。
劇中の登場人物である「ストローズの炎上」と役者である「ロバート本人の炎上」が重なるが、それはまるでネットの炎上とは、SNSが生み出した国境を超え燃え続ける"言論"のプロメテウスの炎(原爆)と見紛うようだ。それはもしかしたら世界を燃やし破壊し尽くすかも知れない。
彼は原爆に罪悪感を抱いてる様で居ながら、自身の原爆プロジェクトの名前にノリノリで「トリニティー=神」の実験であると命名している。彼の中には相反する内なる爆弾を抱えている。彼にとってその線引きが原爆(fission)と水爆(fusion)の違いであったのかも知れない。後年の研究では、水爆が世界を滅ぼす為にはTNT換算2000万メガトン(世界最大の水爆"ツァーリ・ボンバ"の100メガトンの更に200万倍に相当)と海中に実際に存在する重水素の20倍の密度が無ければ"ゼロに近い"と言われている。しかしオッペンハイマーという理論屋には既にそれが見えていた。それは、この映画がただ原爆の誕生までを回想しているのではなく、今現在の我々から見た原子力の危険性を示している事が一番最後のシーンで視覚的に明らかになる。
この映画は「インセプション」の様な緻密な心理描写と「インターステラー」の様な天文学的スケールで描かれる壮大なSF要素を組み合わせた「ノンフィクション」映画史上最大のスケールであり、クリストファー・ノーランによる作品の集大成とも言える。
"कालोऽस्मि लोकक्षयकृत्प्रवृद्धो"「我は死神なり、世界の破壊者なり」
アインシュタインの帽子の飛ばされ方
エミリー・ブラントが良かった。
アインシュタインの帽子の飛ばされ方は、あれが正解だったのだろうか。テーマが近い『風立ちぬ』における飛ばされ方をあらためて確認したい気になった。
相変わらず「複雑」で「難解」、炸裂する音と光、圧倒的スペクタクルと美的センス!
やはり映画は映画館で体験してこそ!
とは思いつつ、どうも今回はダメだった。
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圧倒的な音と映像で語られる、戦争とイデオロギーの対立に翻弄された天才科学者の栄光と没落を描いた壮大な物語…ではあるのだが、叩き上げの政治屋が天才科学者への個人的な恨みを晴らして成り上がろうとするものの結局うまくいかない、というお話。
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180分間に、このショットを見られて良かったという実感はなく、映像と音には驚くものの、次の瞬間には「10年前に『インターステラー』でじゅうぶん(いやむしろこれ以上のものを)観たぞ」と思ってしまう。
SFに振り切った『 #インターステラー #interstellar 』や、『 #テネット #TENET 』では楽しむことができたスペクタクル性が、あるいはめくるめくスペクタクルを期待して観た『 #ダークナイト #darkknight 』シリーズでは不満を感じなかったそれが、『 #オッペンハイマー 』では単にショットが撮れていないことの隠蔽にしか感じられず、当然、敵軍が押し寄せるまでの時間的猶予が無いという設定をきちんと短い時間で処理してみせた『 #ダンケルク #dunkirk 』のような慎ましさは微塵もない。
たしかに、誰かの半生を「真面目に」描こうとすれば安易に話を切り詰められないのは分からないでもないのだが、さすがに180分もかけなければ撮れない内容とは思えず、粘着的な聴聞会と公聴会をグッと省略するだけでも2時間を切れたのではないか。
フローレンス・ピューのベッドシーンやキリアン・マーフィーが聴聞会で文字通り丸裸にされるシーンなどは最悪で、「見せられるものは全部見せてやろう」という品の無さが漂っているとしかいえず、爆発の炎や光の映像と同列に扱われるスペクタクルとしてのヌードに、もはや怒りを通り越して呆れるのであった。
撮る人が撮ればそれだけで涙が出てもおかしくはない、ニューメキシコの大地を馬で駆けるシーンさえ、まるで「伝記で乗馬が言及されていたからとりあえず撮った」かのよう感じられ(言及されているかどうかは知らない)、そこに何かしら映画的な馬の疾走があるわけでも、物語を語る上で必須のシーンだと感じさせる説得力があるわけでもなく、あるのはただ上映時間を引き延ばす一連の映像だけだった。
フォロウィング、インソムニア、プレステージの3作は観れていないので観る。
#映画 #映画館 #cinema #movie #theatre #theater #cristophernolan #oppenheimer
プロメテウスの火
原子爆弾とはウランやプルトニウムなどの原子核が起こす核分裂を使用した核爆弾であり、核分裂と同時に平均2.5個の中性子が飛び出し、連続して核分裂が起こることによって、放出されるエネルギーは巨大なものとなる。
というのが原子爆弾の仕組みの簡単な説明なのだが、この理論だけを聞いても具体的なイメージは沸かない。
が、日本人ならば実際に原爆を経験した者でなくても、様々な資料を通してその悲惨さを十分に承知しているだろう。
理論と実践の間には大きな隔たりがある。
この映画が公開される前に、広島・長崎について全く映像で触れられていないことが話題になっていた。
今回この映画を観て、広島・長崎を映さなかったのは完全に意図的であると感じた。
3時間という大長編であるにも関わらず、この映画は描かないところは徹底して描かない。
オッペンハイマーという人物に関しても深く掘り下げられているとは言えない。
だから観客は彼になかなか共感することが出来ない。
最後まで彼の真意は観客の想像に委ねられたままなのだ。
この映画は実践ではなく、かなり理論的な方向に舵が切られていると感じた。
映画の流れとしてはナチス・ドイツよりも先に原爆を完成させ、世界に平和をもたらすという使命を帯びたオッペンハイマーが、救世主から一転して祖国を裏切ったスパイの容疑をかけられ、再び名誉を取り戻すところまでを描いている。
建前としては世界に平和をもたらすことだが、ドイツやソ連よりも先に原爆を完成させることで主導権を握りたいというのがアメリカの本音だろう。
そしてこれも想像なのだが、オッペンハイマー自身にも自分の才能を世界に知らしめたいという野心があったはずだ。
原爆を投下すれば多くの命が失われることは当然彼の頭にもあったはずなのだが、彼はその先を想像することが出来なかった。
広島・長崎の惨事は映し出されないが、初めての原爆実験の様子はかなり生々しく描かれている。
何度もこの映画の中で爆発を連想させる映像が挿入されるが、このシーンはやはり衝撃が強い。
こんなものを投下すればどれだけ悲惨な結果になるかは明らかだ。
そして原爆は投下され、オッペンハイマーにとっては見ず知らずの大勢の命が失われてしまう。
彼は成功者として、救世主として多くの民衆に称えられる。
しかし演説の場で、誇らしい言葉とは真逆に彼が見ている光景は原爆の光によって焼き尽くされた人々の姿だ。
彼は罪悪感に苦しめられ、一刻も早く手を引くことを考える。
しかし劇中のセリフにもあるように、原爆の投下は第二次世界大戦の終わりであると共に、ソ連との新たな冷戦の始まりでもあった。
アメリカ側は何としてもソ連に勝つために原水爆の研究は続けたい。
しかしオッペンハイマーは公に核軍縮を唱え、反対の立場を取る。
彼はいつしか原子力委員会の委員長であるストロースに告発され、ソ連側のスパイとして断罪される立場になってしまう。
この作品を観て感じたのは個人の力ではどうすることも出来ない大きな流れだ。
オッペンハイマー自身がいくら抗ったとしても、別の適任の人材が現れるだけで時代の流れは止められなかっただろう。
なのでこの映画を観てとても無慈悲な印象を受けた。
彼の真意は分からないが、彼もまた一人の弱い人間だった。
最初はとても繊細な印象を受けたが、彼は自分の知能に絶対的な自信を持っていた。
そこが彼の強さでもあるのだが、絶対的な自信は傲慢にも繋がる。
彼が自身を含めてあまり人を幸せにすることが出来なかったのは、その傲慢さ故なのだろう。
全体の流れは分かるが、時系列が前後したり、視点が細かく切り替わるのでかなり理解するのが難しい作品だと感じた。
と同時に3時間の長編にも関わらず、集中力が途切れないのはこの細かいカメラの切り替わりとシーンの繋ぎ目の絶妙さであり、やはりクリストファー・ノーランの才能は凄まじいと感じた。
世界の覇権を握るための道具としての核兵器と″原爆の父″オッペンハイマーの苦悩
ユダヤ系アメリカ人の天才物理学者オッペンハイマーはナチスドイツの原爆製造の動きに憂慮し、世界平和の大義名分のもと、原爆製造に手を染める。結局、ナチスドイツは原爆を完成させることもないままに、またアメリカが原爆を使用することもなく降伏するが、日本の抵抗(すいません、アメリカ目線で)もあり戦争は継続し、原爆製造の研究は続けられる。これには同じ連合国側であったソ連を牽制する意味も含まれていた。そして広島・長崎への2発の原子爆弾を投下する。オッペンハイマーは憎き日本を降伏させ、戦争は終結させた英雄としてアメリカ国民から大変な称賛を受ける。そして原爆を保有するアメリカは絶対的強国として世界に君臨することにもなる。
しかしオッペンハイマーは予想を遥かに上回る原爆の威力を目の当たりにして後悔の念を強くする。また原爆はそれを作り出した科学者達の手を完全に離れ、覇権争いのための政治家達の道具(大量虐殺兵器)になってしまったことを痛感する。
ソ連との覇権争いの中、原爆を遥かに上回る威力を持つ水爆製造へとアメリカは動く。原爆製造の立役者としてオッペンハイマーに水爆製造の中心になるべく白羽の矢が立つが、オッペンハイマーはこれに非協力的な姿勢を明らかにする。そんな中、原爆研究チームの中にソ連のスパイがいたことが発覚し、さらにオッペンハイマーの周囲(妻、恋人、弟、友人)に多くの元共産党員がいたことが問題となる。戦後のアメリカの支配層であった政治家、実業家達の策謀によるあの悪名高い″赤狩り″、そして原子力委員会の委員長でもあった野心家のストローズ(政治家?実業家?軍人?科学者ではない)の策謀も相まってオッペンハイマーはソ連のスパイとの嫌疑がかけられてしまう。
結局、スパイの疑いは晴らされるが要職からは外され、不遇の晩年を過ごすことになる。最終的には名誉は回復することになるが、この地球をも破壊しかねない核兵器の製造に携わったことに彼の人生は虚しいものになる。
一人の天才科学者の人生を辿るなか、核兵器とは何か、また戦後の世界情勢について深く考えさせられる映画でした。また、化学物質や化学反応などを表現する不思議な映像はいかにもクリストファー・ノーランらしく、核兵器の不気味さ恐ろしさを効果的に表していた。
何故公開が遅れたのか理解に苦しむ
この作品は原爆の物語では無く、原爆を作り出してしまった科学者の物語である。人類の未来を良くするために発明したものが悪用される事はよくある。近代ではAI技術の発展も目まぐるしいものがあるが、人類の作業効率を上げるものとして期待される一方で軍事利用などの懸念もある。
そうした場合にそれらの開発者は罪に問われるのか。
劇中で「原爆で恨まれるのは開発者では無く、落とした者だ」という台詞がある。
オッペンハイマーは原爆を抑止力として開発をしていたのでは無いのだろうか。
だが残念なことに「原爆」に関するものが全てセンシティブなものとして扱われている様に思う。
被害国として原爆のことを伝えていく為には原爆の事を理解しないといけないし、加害側の心境も理解しておくべきでは無いだろうか。
幸い、この映画での日本描写はそれほど悪く無い。
直接的な描写は無いにしろ、関連する台詞は多く、事後の当人達の苦悩も描かれている。
映画を観終わった時に原爆に対する興味を持ち、各々で調べて理解する事に意義がある。
表現の自由だのを謳っている国で扱っている内容次第で公開すらされない様な事態になる事が理解に苦しむ。
多くの人に知ってもらうという機会を自ら無くしている事にいい加減気づいて欲しい。
反戦映画になっていることは評価できる
観たくない気もしましたが、観ないと後悔すると思い、通常版を鑑賞しました。勝った側の論理で描かれますが、方向性としては悪くないと思いました。国の為に働いた結果、人類に制御しきれない力(原爆)を与えてしまったオッペンハイマーをプロメテウス、彼を利用した米国は神の力を得た傲慢で愚かな人類、という形で描いているのは評価できます。
中心となるのはやはり原子爆弾の成功ですから、日本人としては原爆投下後の日本のシーンも入れてほしかったです。ただ、何年か前に、アメリカで原爆展を企画したら、反対運動が起こって開催できなくなったという事がありました。だから、本作に広島・長崎を入れると、上映しない映画館が出て来たかもしれません。
それを考慮しても、やはり私の評価は少し下がります。
本作は、共産党員との関係、原爆作りにまい進する様子、トリニティ実験、その後の栄光からの転落が描かれますが、時系列が行き来して複雑です。実験の成功に最初は満足し、後に後悔する心の動きの表現はもっとストレートで良かったのにと思います。
映画というものは耳よりも目から入ってくる情報が圧倒的に印象に残ります。
本作の中でも、「実際にやって(経験して)みないと分からない」という趣旨のセリフが2回ほどあります。
本作では会話の中で原爆の影響に触れてくれていますが、死者が何万人とか、一度に多くの人が火傷したとか言うだけでは、アメリカでは字幕も出ないのだし、残念ながら実感がわかない人がいたでしょう。つい最近、アメリカの議員が、「ガザも広島・長崎みたいにすればいい」と発言しています。
トリニティ実験も迫力が足りません。私が受けた衝撃は、昔、「バックドラフト」を観て火事の炎の凄まじさに圧倒された時とさほど変わりません。あの無音状態から数秒後の爆音と振動で、日本の観客は恐怖を感じますが、それだけでは分かりにくいのです。幻覚のシーンにCGを使っていれば、拍手する聴衆が瞬く間に塵のように崩れ去るような表現が出来たのにな、とちょっと残念です。
『ガリレイの生涯』よりも深い悔悟を感じ、『ジョーンの秘密』の方が罪が重い
序盤はよくわからないまま進み、女性関係を描く必要性に疑問を抱いたりしたが、共産党との関係が深く、軍の依頼を受けるうえで、重要な問題であったことがわかってきた。そんな危険人物であるにもかかわらず、軍にとって重大な計画の責任を任せざるをえず、そして主人公もチームリーダーとして、様々な曲者をまとめあげた手腕は見事だった。開発のために町をつくり上げて、家族包みで生活を楽しむなんて、桁外れである。
当時、ドイツも日本も原爆開発に取り組んでいたことを考えれば、アメリカ政府だけでなく、主人公たちも、愛国心のままに開発に先陣を切ろうとした熱意や、ぎりぎりのタイミングで賭けに成功した幸運も理解できる。そして惨状を映像でみて、悔悟し、それ以上の開発に反対の論陣を切り始める。アインシュタイン氏だけではなかったのだ。『ガリレイの生涯』で語られる科学のもたらす害と希望よりも深い悔悟を感じ、『ジョーンの秘密』での選択の方が罪が重いと思われる。
政府だけでなく、私怨で主人公を貶めようという動きが出てくる。どんどん追い詰められていくが、権力と距離を置いた同志の科学者たちが、主人公を庇い、讒者を明らかにするところが快感である。
アメリカの科学、政治ストーリー
(じぶんの祖父は呉の人で、原爆投下後すぐ親戚救助のために広島市に入り、数年後白血病になり死んだので、原爆が人ごとではありません)
この物語は、原爆の話ではありません。
物理学理論を実証したい、科学者の話です。その上で、レベルの高い映画です。
オッペンハイマーは、
アインシュタインのように、純粋理論の人でも無く、
ハイゼンベルグのように、抑止に回ろうとしていたわけでもありません。
オッペンハイマーは、新たな理論を作り上げたいと考えていました。
その中での、
功名心、中心的な役割を果たしたい気持ち。
不安、躊躇、後悔。
その後も残りたいという、政治。
聴聞会で、シーツは取り込まないで。と。
その結果は、誠実な市民とした上で、原子力委員会の機密情報を入手できなくなるという裁定で、オッペンハイマーとしては負けたという、認識。
晩年の受勲。
意外にオッペンハイマーは、未熟な人間くさい人だったのかもしれないなとこの映画は思わせます。
原爆について、思いがある方は、この映画を見ないほうがいいかもしれません。いかにもアメリカ映画(nhkのプロジェクトX的な)ですが、フラットに見られる方であれば、見て損は無い映画です。
圧倒の3時間だった
おもしろかったです。これはアカデミー取るな〜って感じだった。
圧巻の映像と時間が行き来するいささか難解で引きつけられるシナリオ。けどノーラン作品の中では見やすい方かな。
被爆国の人間として、両手放しで楽しめないシーンもありました。トリニティ実験の成功とか、広島と長崎に落とされた時の描写とか。
ただそこに苦悩がなかったわけではない、そう描かれてたことだけがわずかばかりの救いだろうか。
その後の弾劾のシーンは見てるこっちも精神的に削られてほんと疲れた!
ただ前半の成功だけで終わらなかったところに監督のなんか……思惑とか信念があると思いたい。
シーンや人物の説明がほぼほぼない今どき作りで、状況と人物把握に労力がかかるし、登場人物が多くて覚えられない!けど誰か誰か分からなくなりつつも魅力的な人物が多くて楽しめた。
総じて良い映画だったな。
長編ノンフィクションのダイジェストみたいな
情報量や必要な背景知識が多すぎて、情報として理解できないところが結構あった。でもオッペンハイマーの気持ちとか人となりはまあまあわかったので、そこまで置いてきぼりにはされなかった。でもそれも自分の情報量や背景知識のおかげかもしれないので、ネットで調べて予習してった方が多分楽しめる。というか史実とか豆知識とか量子力学とか全部知っといた方がいい、というくらい説明の省略が激しい気がするし、そんな楽しみにくい映画を良い作品と呼ぶのには抵抗がある。
一番面白いテーマとしては科学者がどこまで発明に対して責任を持つかということで、オッペンハイマーと原爆に関して言えば人類のためにオッペンハイマーにできたことはもっとあるように思う。というか序盤で「誠実な人(has integrity)」と言われていたけども、原爆投下に関してはそうではなかったことが明らかに描かれていた。とはいえ自分がオッペンハイマーの立場だったらどうするかと考えても、自分の仕事の重要さや政府の力を前にして、たぶんそんなに正しいことはできない気がする。救いとしては彼にも良心の呵責があったことくらいで、原爆も水爆も目的がクソすぎて無意味すぎる。こういう絶望を、この作品が描けていたかはよくわからない。
原作小説はもっと細かいところもゆっくり考えさせてくれるのではないかと想像する(本なので)。原作小説では意義があるエピソードだったかもしれないが、映画では意味不明に感じられたものがあったように思う。男女関係とか文学的な素養とか、オッペンハイマーの人柄の多面性を伝えるつもりなのかもしれないが、最大のテーマとの繋がりからすると結構どうでもいい。他人とちゃんと深く関われる社会性がある一方で、自他ともにその知性を神に重ねるなど、対極的な要素を持った興味深い人柄なのは頭ではわかるというか理知的に伝わってくるのだけど、心理的には全然説得力が無かった。つまりオッペンハイマーが恋人たちを愛したり気遣ったりしてても感情移入できないし、自分のことを神かと思うような場面でも万能感や神秘性や畏れをあまり感じられない。テンポが早すぎるせいなのか、インド古典を読めばいいと思ってるせいなのか…そのくせにメロドラマ的な楽曲の使い方してたり、ちょっと意味わからない。
どうせなら3部作にしたらよかったのではと思う。ケンブリッジからバークレーまでの時代で彼の人となりを深く伝えて、マンハッタン計画開始から原爆投下までで発明のワクワクと絶望をドラマチックに描いて、最後は赤狩りの尋問を受けながら内省を描く、みたいな。ストロースの恨みとかかなりどうでもいい。まあ原作知らないからなんとも言えないが。
この作品を見た人が原爆や兵器開発の「正しさ」を再考するのであれば、良い作品だったと言えるかもしれない。ただ色々とごちゃごちゃしてて飽きて寝る人の方が多いかもしれない。
見た。 ⚫︎4/10追記⚫︎
この作品は、映画界トップを走る
C・ノーラン監督が訴える「反核」作品だと受け取った。
それはオッペンハイマーの後悔が何度も何度も悪魔のように映し出される事からも読み取れた。
原爆投下で歓喜しているアメリカ人。
あの不快なシーンをわかった上で敢えて入れ込んでいる意味。
それを見ているオッペンハイマーの恐怖と後悔がはっきり描かれる。
勝利に歓喜している人々は、彼には、爆撃によって焼けただれたように肌がめくれ落ちる女の子とシンクロして見えていたし、足元には黒く焦げた死体まで見えているのだ。
彼にはその惨状が見えていた。
とても苦しいシーンで、怒りの感情が込み上げた。乗り越えられるか不安になった。
鑑賞後知ったのだが、この焼けただれたような肌の女の子は、ノーランの娘さんなのだそうだ。
そしてこの題材で映画を撮ろうとしたきっかけは、息子さんとの会話からだったそうで、この世代の、化学兵器や戦争に対する関心の低さを危惧したからだとか。。
この事からも、原爆投下によって起こった悲劇を、ノーランが「他人事」として扱っていない事がよくわかる。
どうしても、我々日本人は怒りの感情を抑えて観るのは難しい作品。
しかし、アメリカの罪を大義として過去に葬る事に「NO」とした姿勢を示した、ノーランの覚悟が伝わってきた。
この作品はオッペンハイマーの視点
(伝記映画)で描かれているので、日本人としての怒りだけを軸にして観るのは少し違うのかもと、冷静になろうとした。
彼の科学者としての考え、敵国よりも先に核兵器を開発しなければという焦り、ジレンマ、葛藤する姿に注目すべきなのかもと自分に言い聞かせる。
そして、
核を作ってしまった人間の物語であり、当時の世界情勢(駆け引き、戦争)や、アメリカの政治、思想を理解する為にはとても意味のある作品だなと思った。
21万人以上が亡くなった、ヒロシマ・ナガサキの直接的な描写がない事の是非。
オッペンハイマー視点の作品だから、作品上の展開としては妥当な選択だったのかもと納得するようにした。
ノーランの配慮や慎重さも感じられた。
だだ、どうしても気になった事。
オッペンハイマーの後悔について。
彼の、科学者としての抑えられない欲求、大義については何とか理解するようにした。
しかし、その後悔。
学校や病院もある、人々が普通に暮らす場所。ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下された事実。
被害者となった方々への懺悔、後悔というより、次のステージの扉を開けてしまった事への後悔の方が、勝って見えてしまい仕方なかった。
オッペンハイマーという人物、彼とストローズの確執をメインに描きたかったのかな。。
残念に感じた所でした。
そして、人間は、手にした力は使ってみたくなる生き物なんだなと。
ヒトラーだって迷わず使っていたと推測するし、日本だって、、
もし手にしていたら、敵国に、確実に、使っていたのでは、と、思えてならない。
昨今の世界情勢を見てみても、もうヒロシマ・ナガサキの次はどこになるのか?という心配をしなくてはいけないんじゃないかという危機感。
ヒロシマ・ナガサキの悲劇は、過去の事ではなく、次の破滅への連鎖なのでは。。という、恐ろしい想像を嫌でもしてしまう。
核(水爆)を実際に兵器として使う時代になっていくかもしれない。私たちは壊れゆく世界に生きているのかと震える思いがした。
もう、エヴァの「人類補完計画」になってまう。。
無知なりに色々書いてみましたが、この作品は、原爆を肯定しているのではないのは伝わった。
オッペンハイマーの姿を淡々と描く事で、彼の功績と、それに対峙する彼の心の内を描いた、とてもパーソナルな作品だったのだと、理解した。
キティの「罪を犯しておきながら、その結果に同情しろと?」のセリフ、
聴聞会での堂々たる受け答え、フェルミ賞受賞の時にテラーの握手を拒否した姿など、唯一胸がスッとしたシーンでした。
やはりノーラン。
毎度お馴染みの時間軸の操作に加えて、説明が一切なく進む展開。
登場人物の多さ、踏み込みにくいテーマ、加えて歴史の細部や裏側に疎い私には、とても難解な作品でした。
すぐにみなさんのレビューを拝読したいです。
⚫︎4/10 追記⚫︎
鑑賞後、本作の感想を主人に聞かれたので、上記の事を伝えました。
そこから、太平洋戦争やポツダム宣言、原爆投下について話が広がり、ちょっとした議論になりました。
主人は、小・中学生の時にフランスに住んでいたので、日本にずっと暮らしている私とはかなり意見が違い驚きました。
もちろん、反戦・反核については共通の感情としてあります。
しかし、日本人学校ではなかった主人の、小中学校教育で扱われるWW IIや原爆投下についての授業は、日本のそれとはかなりかけ離れていた様でした。
(もう、何十年も前の事なので、今はわかりません)
私の様にずっと日本で暮らし、日本の教育を受け、「被爆国日本」として、広島・長崎については特別な感情を持っている身としては、それが当たり前と思っていた事が、当たり前ではなかった事に衝撃を受けました。
主人の方があの年代の歴史(だけじゃなく全てですが。。)について私よりたくさんの知識があります。
歴史的事象を、政治的、経済的、社会的といった様々な側面から見て捉えているし、異なった立場から見る事も出来ている。
又、現在も進行中の問題として、様々な国々が政府の情報操作によって、真実が隠されたり曲げられたりしている事実がある。
そんな事も視野に入れて語る主人の意見は正論なのだと思う。
「被害者は日本だ」という感情だけで語るべきでは無いという意見が重くのしかかっている。
だけど、どーしても悔しかったです。
本作の、あんな不倫男にやられたのか。とか、単純ですが、思って悔しかったです。被害者の方々に思いを馳せると涙が出てきます。
鑑賞後もみなさんのレビューを拝読させて頂き、自分なりに色々考えたり、調べたりしています。
稚レビューにコメントを下さった方々にお返事を書く元気もまだありません。
もう少し考えがまとまったら、お邪魔させて頂きますm(__)m
原爆を肯定的に描いてはいないが
本作はオッペンハイマーが科学者として大成してから原爆を生み出したことに苦悩して赤狩りによって公職追放されるまでの半生を描いた自伝です。ドキュメンタリーじゃないですが、観客側にある程度の知識を要求される娯楽映画とも違う映画です。
広島や長崎を台詞だけで説明していることに納得がいかない人もいるかもしれないですが、映画の主題はそちらではないので、そういった意図だとこの演出に私は納得できました。
ただ、広島に生まれ原爆がもたらした地獄を嫌になるほど聞いてきた私としては、トリニティ実験から終戦までのシーンは腹が立って仕方がなかったですね。
こんな奴らに負けたのかという思いとともに、私も技術者を生業にしているので、きっと彼らと同じ境遇にだったら同じように研究開発に没頭して喜んでいたであろうことが想像できたからです。
映画の前半はオッペンハイマーが共産主義者に接近して危険を冒すし、後半は赤狩りの公聴会シーンが続きます。このあたりはオッペンハイマーの無邪気さに若干イライラします。
本編後半の公聴会シーンなどはアメリカで戦後行われた赤狩りなどの知識がないと難しく感じられると思います。
脚本は少し長く感じます。主眼が原爆開発によって栄光と罰を受けるオッペンハイマーという部分と、権威を手に入れたことで敵が増え蹴落とされそうになる後半の公聴会部分とでを1本の映画にしていることで話が散らかっているように感じるからです。
映像はきれいというかすごいはすごいのですが、少し映像の見せ方に酔っているように感じられるほど諄くもあり、ちょっと胃もたれ気味でした。
映画のラストで語られるオッペンハイマーの台詞とシーンからは、現実がいまだに核の傘によって仮初の平和を享受している現実社会への問題定義のように感じられ、本作が言いたいこともそのあたりなのでしょう。
全体を通して確かに被ばくの悲惨さを伝えるような内容ではなく、あくまでオッペンハイマーの自伝としてちゃんと映画になっているため、そこは評価できます。
ただし、アメリカナイズされた脚本と上映時間も長く、このシーン必要かなあというところも散見されたので4点としました。
最後に、もし配給会社の余計な配慮によってこの映画の日本公開がなくなっていたかもしれないのだとしたら、それは余計な気遣いです。
この映画を見て原爆を肯定的に描いていて何事だという感想の方もいると思います。しかし、私は当時のアメリカや、今も原爆は戦争を終わらせた正義の兵器だと思っているアメリカ人の心理を理解するために必要な映画だと思います。
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