オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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『ガリレイの生涯』よりも深い悔悟を感じ、『ジョーンの秘密』の方が罪が重い
序盤はよくわからないまま進み、女性関係を描く必要性に疑問を抱いたりしたが、共産党との関係が深く、軍の依頼を受けるうえで、重要な問題であったことがわかってきた。そんな危険人物であるにもかかわらず、軍にとって重大な計画の責任を任せざるをえず、そして主人公もチームリーダーとして、様々な曲者をまとめあげた手腕は見事だった。開発のために町をつくり上げて、家族包みで生活を楽しむなんて、桁外れである。
当時、ドイツも日本も原爆開発に取り組んでいたことを考えれば、アメリカ政府だけでなく、主人公たちも、愛国心のままに開発に先陣を切ろうとした熱意や、ぎりぎりのタイミングで賭けに成功した幸運も理解できる。そして惨状を映像でみて、悔悟し、それ以上の開発に反対の論陣を切り始める。アインシュタイン氏だけではなかったのだ。『ガリレイの生涯』で語られる科学のもたらす害と希望よりも深い悔悟を感じ、『ジョーンの秘密』での選択の方が罪が重いと思われる。
政府だけでなく、私怨で主人公を貶めようという動きが出てくる。どんどん追い詰められていくが、権力と距離を置いた同志の科学者たちが、主人公を庇い、讒者を明らかにするところが快感である。
アメリカの科学、政治ストーリー
(じぶんの祖父は呉の人で、原爆投下後すぐ親戚救助のために広島市に入り、数年後白血病になり死んだので、原爆が人ごとではありません)
この物語は、原爆の話ではありません。
物理学理論を実証したい、科学者の話です。その上で、レベルの高い映画です。
オッペンハイマーは、
アインシュタインのように、純粋理論の人でも無く、
ハイゼンベルグのように、抑止に回ろうとしていたわけでもありません。
オッペンハイマーは、新たな理論を作り上げたいと考えていました。
その中での、
功名心、中心的な役割を果たしたい気持ち。
不安、躊躇、後悔。
その後も残りたいという、政治。
聴聞会で、シーツは取り込まないで。と。
その結果は、誠実な市民とした上で、原子力委員会の機密情報を入手できなくなるという裁定で、オッペンハイマーとしては負けたという、認識。
晩年の受勲。
意外にオッペンハイマーは、未熟な人間くさい人だったのかもしれないなとこの映画は思わせます。
原爆について、思いがある方は、この映画を見ないほうがいいかもしれません。いかにもアメリカ映画(nhkのプロジェクトX的な)ですが、フラットに見られる方であれば、見て損は無い映画です。
圧倒の3時間だった
おもしろかったです。これはアカデミー取るな〜って感じだった。
圧巻の映像と時間が行き来するいささか難解で引きつけられるシナリオ。けどノーラン作品の中では見やすい方かな。
被爆国の人間として、両手放しで楽しめないシーンもありました。トリニティ実験の成功とか、広島と長崎に落とされた時の描写とか。
ただそこに苦悩がなかったわけではない、そう描かれてたことだけがわずかばかりの救いだろうか。
その後の弾劾のシーンは見てるこっちも精神的に削られてほんと疲れた!
ただ前半の成功だけで終わらなかったところに監督のなんか……思惑とか信念があると思いたい。
シーンや人物の説明がほぼほぼない今どき作りで、状況と人物把握に労力がかかるし、登場人物が多くて覚えられない!けど誰か誰か分からなくなりつつも魅力的な人物が多くて楽しめた。
総じて良い映画だったな。
長編ノンフィクションのダイジェストみたいな
情報量や必要な背景知識が多すぎて、情報として理解できないところが結構あった。でもオッペンハイマーの気持ちとか人となりはまあまあわかったので、そこまで置いてきぼりにはされなかった。でもそれも自分の情報量や背景知識のおかげかもしれないので、ネットで調べて予習してった方が多分楽しめる。というか史実とか豆知識とか量子力学とか全部知っといた方がいい、というくらい説明の省略が激しい気がするし、そんな楽しみにくい映画を良い作品と呼ぶのには抵抗がある。
一番面白いテーマとしては科学者がどこまで発明に対して責任を持つかということで、オッペンハイマーと原爆に関して言えば人類のためにオッペンハイマーにできたことはもっとあるように思う。というか序盤で「誠実な人(has integrity)」と言われていたけども、原爆投下に関してはそうではなかったことが明らかに描かれていた。とはいえ自分がオッペンハイマーの立場だったらどうするかと考えても、自分の仕事の重要さや政府の力を前にして、たぶんそんなに正しいことはできない気がする。救いとしては彼にも良心の呵責があったことくらいで、原爆も水爆も目的がクソすぎて無意味すぎる。こういう絶望を、この作品が描けていたかはよくわからない。
原作小説はもっと細かいところもゆっくり考えさせてくれるのではないかと想像する(本なので)。原作小説では意義があるエピソードだったかもしれないが、映画では意味不明に感じられたものがあったように思う。男女関係とか文学的な素養とか、オッペンハイマーの人柄の多面性を伝えるつもりなのかもしれないが、最大のテーマとの繋がりからすると結構どうでもいい。他人とちゃんと深く関われる社会性がある一方で、自他ともにその知性を神に重ねるなど、対極的な要素を持った興味深い人柄なのは頭ではわかるというか理知的に伝わってくるのだけど、心理的には全然説得力が無かった。つまりオッペンハイマーが恋人たちを愛したり気遣ったりしてても感情移入できないし、自分のことを神かと思うような場面でも万能感や神秘性や畏れをあまり感じられない。テンポが早すぎるせいなのか、インド古典を読めばいいと思ってるせいなのか…そのくせにメロドラマ的な楽曲の使い方してたり、ちょっと意味わからない。
どうせなら3部作にしたらよかったのではと思う。ケンブリッジからバークレーまでの時代で彼の人となりを深く伝えて、マンハッタン計画開始から原爆投下までで発明のワクワクと絶望をドラマチックに描いて、最後は赤狩りの尋問を受けながら内省を描く、みたいな。ストロースの恨みとかかなりどうでもいい。まあ原作知らないからなんとも言えないが。
この作品を見た人が原爆や兵器開発の「正しさ」を再考するのであれば、良い作品だったと言えるかもしれない。ただ色々とごちゃごちゃしてて飽きて寝る人の方が多いかもしれない。
見た。 ⚫︎4/10追記⚫︎
この作品は、映画界トップを走る
C・ノーラン監督が訴える「反核」作品だと受け取った。
それはオッペンハイマーの後悔が何度も何度も悪魔のように映し出される事からも読み取れた。
原爆投下で歓喜しているアメリカ人。
あの不快なシーンをわかった上で敢えて入れ込んでいる意味。
それを見ているオッペンハイマーの恐怖と後悔がはっきり描かれる。
勝利に歓喜している人々は、彼には、爆撃によって焼けただれたように肌がめくれ落ちる女の子とシンクロして見えていたし、足元には黒く焦げた死体まで見えているのだ。
彼にはその惨状が見えていた。
とても苦しいシーンで、怒りの感情が込み上げた。乗り越えられるか不安になった。
鑑賞後知ったのだが、この焼けただれたような肌の女の子は、ノーランの娘さんなのだそうだ。
そしてこの題材で映画を撮ろうとしたきっかけは、息子さんとの会話からだったそうで、この世代の、化学兵器や戦争に対する関心の低さを危惧したからだとか。。
この事からも、原爆投下によって起こった悲劇を、ノーランが「他人事」として扱っていない事がよくわかる。
どうしても、我々日本人は怒りの感情を抑えて観るのは難しい作品。
しかし、アメリカの罪を大義として過去に葬る事に「NO」とした姿勢を示した、ノーランの覚悟が伝わってきた。
この作品はオッペンハイマーの視点
(伝記映画)で描かれているので、日本人としての怒りだけを軸にして観るのは少し違うのかもと、冷静になろうとした。
彼の科学者としての考え、敵国よりも先に核兵器を開発しなければという焦り、ジレンマ、葛藤する姿に注目すべきなのかもと自分に言い聞かせる。
そして、
核を作ってしまった人間の物語であり、当時の世界情勢(駆け引き、戦争)や、アメリカの政治、思想を理解する為にはとても意味のある作品だなと思った。
21万人以上が亡くなった、ヒロシマ・ナガサキの直接的な描写がない事の是非。
オッペンハイマー視点の作品だから、作品上の展開としては妥当な選択だったのかもと納得するようにした。
ノーランの配慮や慎重さも感じられた。
だだ、どうしても気になった事。
オッペンハイマーの後悔について。
彼の、科学者としての抑えられない欲求、大義については何とか理解するようにした。
しかし、その後悔。
学校や病院もある、人々が普通に暮らす場所。ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下された事実。
被害者となった方々への懺悔、後悔というより、次のステージの扉を開けてしまった事への後悔の方が、勝って見えてしまい仕方なかった。
オッペンハイマーという人物、彼とストローズの確執をメインに描きたかったのかな。。
残念に感じた所でした。
そして、人間は、手にした力は使ってみたくなる生き物なんだなと。
ヒトラーだって迷わず使っていたと推測するし、日本だって、、
もし手にしていたら、敵国に、確実に、使っていたのでは、と、思えてならない。
昨今の世界情勢を見てみても、もうヒロシマ・ナガサキの次はどこになるのか?という心配をしなくてはいけないんじゃないかという危機感。
ヒロシマ・ナガサキの悲劇は、過去の事ではなく、次の破滅への連鎖なのでは。。という、恐ろしい想像を嫌でもしてしまう。
核(水爆)を実際に兵器として使う時代になっていくかもしれない。私たちは壊れゆく世界に生きているのかと震える思いがした。
もう、エヴァの「人類補完計画」になってまう。。
無知なりに色々書いてみましたが、この作品は、原爆を肯定しているのではないのは伝わった。
オッペンハイマーの姿を淡々と描く事で、彼の功績と、それに対峙する彼の心の内を描いた、とてもパーソナルな作品だったのだと、理解した。
キティの「罪を犯しておきながら、その結果に同情しろと?」のセリフ、
聴聞会での堂々たる受け答え、フェルミ賞受賞の時にテラーの握手を拒否した姿など、唯一胸がスッとしたシーンでした。
やはりノーラン。
毎度お馴染みの時間軸の操作に加えて、説明が一切なく進む展開。
登場人物の多さ、踏み込みにくいテーマ、加えて歴史の細部や裏側に疎い私には、とても難解な作品でした。
すぐにみなさんのレビューを拝読したいです。
⚫︎4/10 追記⚫︎
鑑賞後、本作の感想を主人に聞かれたので、上記の事を伝えました。
そこから、太平洋戦争やポツダム宣言、原爆投下について話が広がり、ちょっとした議論になりました。
主人は、小・中学生の時にフランスに住んでいたので、日本にずっと暮らしている私とはかなり意見が違い驚きました。
もちろん、反戦・反核については共通の感情としてあります。
しかし、日本人学校ではなかった主人の、小中学校教育で扱われるWW IIや原爆投下についての授業は、日本のそれとはかなりかけ離れていた様でした。
(もう、何十年も前の事なので、今はわかりません)
私の様にずっと日本で暮らし、日本の教育を受け、「被爆国日本」として、広島・長崎については特別な感情を持っている身としては、それが当たり前と思っていた事が、当たり前ではなかった事に衝撃を受けました。
主人の方があの年代の歴史(だけじゃなく全てですが。。)について私よりたくさんの知識があります。
歴史的事象を、政治的、経済的、社会的といった様々な側面から見て捉えているし、異なった立場から見る事も出来ている。
又、現在も進行中の問題として、様々な国々が政府の情報操作によって、真実が隠されたり曲げられたりしている事実がある。
そんな事も視野に入れて語る主人の意見は正論なのだと思う。
「被害者は日本だ」という感情だけで語るべきでは無いという意見が重くのしかかっている。
だけど、どーしても悔しかったです。
本作の、あんな不倫男にやられたのか。とか、単純ですが、思って悔しかったです。被害者の方々に思いを馳せると涙が出てきます。
鑑賞後もみなさんのレビューを拝読させて頂き、自分なりに色々考えたり、調べたりしています。
稚レビューにコメントを下さった方々にお返事を書く元気もまだありません。
もう少し考えがまとまったら、お邪魔させて頂きますm(__)m
原爆を肯定的に描いてはいないが
本作はオッペンハイマーが科学者として大成してから原爆を生み出したことに苦悩して赤狩りによって公職追放されるまでの半生を描いた自伝です。ドキュメンタリーじゃないですが、観客側にある程度の知識を要求される娯楽映画とも違う映画です。
広島や長崎を台詞だけで説明していることに納得がいかない人もいるかもしれないですが、映画の主題はそちらではないので、そういった意図だとこの演出に私は納得できました。
ただ、広島に生まれ原爆がもたらした地獄を嫌になるほど聞いてきた私としては、トリニティ実験から終戦までのシーンは腹が立って仕方がなかったですね。
こんな奴らに負けたのかという思いとともに、私も技術者を生業にしているので、きっと彼らと同じ境遇にだったら同じように研究開発に没頭して喜んでいたであろうことが想像できたからです。
映画の前半はオッペンハイマーが共産主義者に接近して危険を冒すし、後半は赤狩りの公聴会シーンが続きます。このあたりはオッペンハイマーの無邪気さに若干イライラします。
本編後半の公聴会シーンなどはアメリカで戦後行われた赤狩りなどの知識がないと難しく感じられると思います。
脚本は少し長く感じます。主眼が原爆開発によって栄光と罰を受けるオッペンハイマーという部分と、権威を手に入れたことで敵が増え蹴落とされそうになる後半の公聴会部分とでを1本の映画にしていることで話が散らかっているように感じるからです。
映像はきれいというかすごいはすごいのですが、少し映像の見せ方に酔っているように感じられるほど諄くもあり、ちょっと胃もたれ気味でした。
映画のラストで語られるオッペンハイマーの台詞とシーンからは、現実がいまだに核の傘によって仮初の平和を享受している現実社会への問題定義のように感じられ、本作が言いたいこともそのあたりなのでしょう。
全体を通して確かに被ばくの悲惨さを伝えるような内容ではなく、あくまでオッペンハイマーの自伝としてちゃんと映画になっているため、そこは評価できます。
ただし、アメリカナイズされた脚本と上映時間も長く、このシーン必要かなあというところも散見されたので4点としました。
最後に、もし配給会社の余計な配慮によってこの映画の日本公開がなくなっていたかもしれないのだとしたら、それは余計な気遣いです。
この映画を見て原爆を肯定的に描いていて何事だという感想の方もいると思います。しかし、私は当時のアメリカや、今も原爆は戦争を終わらせた正義の兵器だと思っているアメリカ人の心理を理解するために必要な映画だと思います。
オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)vs ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)
クリストファー・ノーラン 監督による2023年製作(180分/R15+)アメリカ映画。
原題:Oppenheimer、配給:ビターズ・エンド、劇場公開日:2024年3月29日。
原作は未読でもあり、見終わった直後は何を見たのかが判然とせず、鑑賞後しばらく経ってからこの文章を書いている。見た人間に随分と色々なことを考えさせる映画であった。
大きな違和感を覚えたのが、主人公オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)の職権と名誉を奪った原子力委員会委員長ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)が商務長官就任のための公聴会で因果応酬の様に陰謀が暴かれて失脚してしまう描写の不自然にも思える丁寧さ。
しばらくずっと謎に思えていたのだが、ルイス・ストローズも主人公というか、彼こそが 「ダークナイト」のジョーカーの様な影の主役と考えると、この映画が良く理解出来る気がした。
天才 vs 非天才、未来が見えてる人間 vs 今しか見ていない人間、ヒトの気持ちに無頓着な天才 vs 陰謀で天才を葬る人間の構図。普通の人間が天才を深く理解・共感することはなかなかに難しいが、アイソトープの輸出に関する公聴会で笑いものにされ更にアインシュタインに自分の悪口を伝えたと誤解し、オッペンハイマーをソ連スパイと陥れて復讐をする人間は何とも分かりやすい。
そして多分、天才監督クリストファー・ノーランも、こうした人間に大きなストレスを抱いているのだろう。天才を葬ろうとする人間の存在は本映画の隠れたテーマと感じた。ロバート・ダウニー・Jr.の抑え気味の演技も、とても素晴らしかった。
お酒に溺れ子育て放棄の妻キティを演じたエミリー・ブラントも、とても良かった。彼女大事な時にはとてもしっかりとしており、ストローズの陰謀を糾弾し夫に闘うべきと激励し、不倫相手の共産党員ジーン(フローレンス・ピュー)が自殺した時に精神的にボロボロとなったオッペンハイマーを救ったのも彼女。ノーランの奥様兼プロデューサーのエマ・トーマスのキャラクターを反映している様にも思えた。
その他、軍隊側責任者マット・デイモン、ストローズを糾弾したラミ・マレックや親しい研究者役ジョシュ・ハートネット等俳優陣も素晴らしかったが、物語も画期的に思えた。米国社会での大きな汚点史でもある赤狩りの欺瞞性を見事に暴き、戦争終結に有意義であったとされてきた2度の原爆投下に関して、開発責任者自身の贖罪意識を真正面から鮮やかに見せていて感心させられた。原爆投下成功に大きく歓喜する多くの研究者の姿が映る中、オッッペンハイマーには焼けただれた肌の女の子(監督の長女フローラ・ノーランらしい)の姿が見えている。自分も含めて日本人的にはここでは脳裏に被災者の姿が浮かんでいる訳だが、落差が大きく、それを超える様な見事な演出と思わされた。
水爆推進者エドワード・テラー(ベニー・サフディ)は、核反応の連鎖反応により大気に引火する可能性を指摘。その可能性は「near zero」というドイツからの亡命物理学者のハンス・ベーテ(グスタフ・スカルスガルド)の計算結果を頼りに、トリニティ実験は実施される。かなり驚愕の展開だが、どうやら事実であったらしく、リスクの存在を承知の上で未知の領域にひたすら前進してしまう科学者のサガが見事に浮き彫りにされていた。
映画のなかでオッペンハイマーは、アインシュタインにそのテラーの数式を見せ、意見を求めていた(実際は違う人間らしいが)。それを受けて、最後のシーンでオッペンハイマーはアインシュタインに、核爆発の連鎖反応を自分たちは起こしてしまったと伝える(I believe we did.と言っていたらしい)。原爆を完成させたことにより、世界中に核が広がってしまったことの責任を自覚した言葉だ。
ショックを受けたアインシュタインは、ストローズに目もくれずに去っていく。核戦争リスクが現実に存在する今、この世界の扉を開けた天才の成功と懺悔を描ききり、この恐怖を我々に突きつけてくる凄い映画であった。
監督クリストファー・ノーラン、製作エマ・トーマス 、チャールズ・ローベン 、クリストファー・ノーラン、製作総指揮J・デビッド・ワーゴ 。ジェームズ・ウッズ 、トーマス・ヘイスリップ、原作カイ・バード 、マーティン・J・シャーウィン、脚本クリストファー・ノーラン、撮影ホイテ・バン・ホイテマ、美術ルース・デ・ヨンク、衣装エレン・マイロニック、編集ジェニファー・レイム、音楽ルドウィグ・ゴランソン、視覚効果監修アンドリュー・ジャクソン。
出演
キリアン・マーフィJ・ロバート・オッペンハイマー、エミリー・ブラントキャサリン(キティ)・オッペンハイマー、マット・デイモンレスリー・グローヴス、ロバート・ダウニー・Jr.ルイス・ストローズ、フローレンス・ピュージーン・タトロック、ジョシュ・ハートネットアーネスト・ローレンス、ケイシー・アフレックボリス・パッシュ、ラミ・マレックデヴィッド・L・ヒル、ケネス・ブラナーニールス・ボーア、ディラン・アーノルドフランク・オッペンハイマー、デビッド・クラムホルツイジドール・ラビ、マシュー・モディーンヴァネヴァー・ブッシュ、ジェファーソン・ホールハーコン・シュヴァリエ、ベニー・サフディエドワード・テラーデ、デビッド・ダストマルチャンウィリアム・ボーデン、トム・コンティアルベルト・アインシュタイン、グスタフ・スカルスガルドハンス・ベーテ、マイケル・アンガラノ、デイン・デハーン、オールデン・エアエンライク。
頼むわ!!!
原爆の話とあっては観ないといけないと思い見に行った。
特に色々詳しいわけではないけど。
映画としては凄く面白かったが、日本人としてはあまり面白くなかった。
自分でも意外だったが、作中でアメリカ人が、ノリノリで日本に原爆を落とそうと話しているのを観るのは、あまりいい気分ではなかった。
真珠湾攻撃されてアメリカ国民怒ってるとか、兵士を早く帰国させてあげたいとか、スターリンも日本に落とせって言ってたとか、これから落とす爆弾の威力はあらかじめ日本に教えたりとかしないけど、2発くらい落とさないときっと降伏しないだろうとかいってたけど、あまり納得できなかった。
開発プロジェクトの進行フェーズは凄い見入ったし、実験成功シーンはimaxで大迫力だったけど、皆が爆音に驚くとことかで(実際はそんなんじゃすまないだろ)って思った。
実験成功して皆がすげぇ喜んでたけど、(いやそれ大量に人殺す装置だからね?)って思ったし。
大統領がオッペンハイマーに、俺の方が日本国民に恨まれてるマウントをとってたのが一番分からん。いや反省して?
折角オッペンハイマーが反省してたのにアメリカがソ連とわちゃわちゃやりだしてから置いてけぼりになってきて、すげぇつまんなく感じたけど、奥さんがやり返すあたりから面白くなってきて、アインシュタインが見せ場作って、なんやかんや最後はオッペンハイマーがアメリカに誉められましたとさ。
なんかずっと言い訳してたな君たち。
ナチスに作らせたらアカンから先に作ります、ナチスに勝ったけど日本が降伏しないから原爆使います、原爆危ないけどソ連に負けちゃうから水爆作りますってさ、オッペンハイマーが行動しても他のアメリカ人たちがそれを邪魔したので今の惨状ですってさ。オッペンハイマーが最後賞状貰って名誉回復したから万事オールオッケーハイマーってか?
せっかくオッペンハイマーが軍縮のための行動しても、政治家が私怨でワタワタさせてたし、あれで凄く作品のテーマがぶれてなかった?
安全保障の人とパイロットの人はなんであの政治家にアンナに協力的だったの?シン・ゴジラくらいセリフだらけで全然流れわかんなかった。
初見だったから、オッペンハイマー ソ連のスパイ説のくだりとか、見てて感情が二転三転させられて面白かったけど、次見るときは実験成功までで十分だな。あそこまでホント夢中で観られた。目的はともかく、色んなインテリがカマしまくってて、理科の便覧とか読みながらみたらもっと面白かったかもな。
あと、ミーハーで目の肥えてない自分から見ても演出が凄いかっこいい芸術っぽくて、かっこいい芸術っぽくされるとガッツリ作品にのめりこんじゃうから凄かったよね。映像作品として凄く心をひっつかまれた。バカっぽい表現だけど、映画に映画レベルってパラメータがあったとしたら凄い高そうな映画。そんな感じだった。
擦られまくった話をアホが改まっていう必要もないんだけど、やっぱり見る人の立場で感想が変わるんだろう。僕が第三国の国民だったら「原爆スゲェェェ」ってなってたかもしれないし、アメリカ国民だったら、「悪い人が核持ってるから対抗するために核を持つしかないんだ…!」ってなってたかもしれない。日本国民だから、「いやどっちも核兵器捨ててくださらない?」ってなってるだけで、別の星の生き物だったら、「あの星はもう長くないな」って思うのかもしれない。
足踏みの演出とか爆音とか諸々で凄く引き込まれたけど、自分の中のナショナリズムが芽吹いて色々ツッコんだ見方をしてしまったのは少し反省している。戦時中の日本だって褒められたもんじゃないんだから、色々映画に文句つけるだけじゃなくて、反省もしないといけないと思う。
だけど原爆なんて重いテーマ扱った甲斐がこの作品に本当にあったのかは正直疑問に思う。僕が重いテーマだって勝手に思ってるだけ?
邪推も邪推で監督さんとそのファンにすら失礼なこと思っちゃうんだけど、
一応確認なんだけど、「原爆なんて危ない題材扱える俺カッケー」とか思って作ったわけじゃないよね?かっちょ良くて美味しいテーマだからってだけでオッペンハイマー選んだわけじゃないよね?「こんな作品作っちゃったら世界どうなるんだろなぁ...」ってオッペンハイマインドを発動させたわけでは無いんだよね?
まぁ発動させてもいいんですけど、恨むなら大統領を恨むので。
もう原爆ほんま使わんといてくださいよ!!!頼みます!!!
捨てろ!!!
日本人として彼を許せるか。
映画『オッペンハイマー』、「原爆の父」と呼ばれた彼の半生を描いた作品。原爆投下後の彼の贖罪など聞きたくもない。広島長崎で、投下の年だけで20万人以上がなくなっている、たった一度の爆弾投下で。その事実だけでいい、そのことの結論と判断は自分でする。
科学者としての探究心が勝った。
そう、彼が原爆製造の「マンハッタン計画」に参加したこと。
さらに、その計画の中心人物であったこと。
映画を見てる限りでは、その実験の引き起こす悲劇より、科学者としての探究心が勝ったということ。
第二次世界大戦は、ほぼ連合国の勝利が見えた頃。
「マンハッタン計画」が、進行する。
各国の原爆製造が、最終段階をむかえ。
この一発で、戦況を変えられる。
戦後の世界地図の中で、有利な立場になれる。
その実験台になったのが、広島、長崎。
はたして、敗戦濃厚となった日本に、この攻撃は、本当に必要だったのか。
さらに、犠牲になるのは、非戦闘員。
この計画の推進者が、アメリカ大統領ルーズベルトであり、開発にあたったのが、オッペンハイマー。
オッペンハイマーの苦悩がにじみ出る。
そう、ハイマーの開発製造した原爆が、投下当日だけで、広島で7万人、長崎で4万人。
これだけの人が、一瞬のうちに命を奪われている。
さらに投下された1945年の年末までに、二十数万人が、この爆弾のためになくなっている。
自分が、作った爆弾のために。
贖罪の念にさいなまれるのは、当然の話。
だったら、最初から加わらなければ、先頭に立たなければ、いいではないか。
一瞬にこれだけの命、非戦闘員を奪っておいて、なにをいまさら。
彼が、爆弾投下後ルーズベルトと会談する場面が、秀逸だ。
贖罪の念と後悔を口にする、オッペンハイマーに対して。
彼が、大統領執務室を出たあと、執事に大統領が、吐き捨てるように言うセリフがいい「あんな泣き虫もう二度とここに呼ぶな」
まさに、男らしいセリフだ。
自らは、悪人と呼ばれようが、地獄に落ちようが構わない。
今の世界情勢の中で、ドイツの核開発、共産主義の台頭。
そう、スターリンなんていう名うての殺人者と渡り合わなければならない。
そんな男の覚悟が、読み取れた。
戦争早期集結に原爆は必要だったか?
確かに、1945年8月の二度の原爆投下。
その直後の御前会議で、日本はポツダム宣言を受け入れて全面降伏するのだから。
戦争の終結を早めたとも言える。
ただ、日本の降伏をはやくしないとという連合国、特にアメリカの思惑が大きかったはずだ。
戦後の世界地図の中で、リードを保つことを優先した結果だとも。
では、広島、長崎の犠牲者はどうなる。
納得しろと。
そんなわけがない。
むしろそんな攻撃をしたアメリカが、憎いはずだ。
となると、この映画をみて、とうていオッペンハイマーの贖罪などどうでもいい。
ただ、あなたの行動の結果を見て、私が判断するという気持ちになる。
戦争に正義などない、ただその検証は必要だ。
その点は、対共産主義、日本統治の観点から、占領軍による戦争責任の追求もあいまい。
日本自体も「一億総懺悔」で、なんとなく加害者から被害者にすり替わる国民。
大国の思惑から、戦犯の早期復権。
すべてが、曖昧のままだ。
では、戦後生まれの私達はどう考える。
結論などでない、ただ、事の起こった結果はわかっている。
その結果から、自分で判断するしかない。
戦争に正義などないのだ。
時間の都合で標準で観ましたが、IMAXにすれば良かったと思っていま...
時間の都合で標準で観ましたが、IMAXにすれば良かったと思っています
3つ(多分)の時間軸が入れ替わっていて少し難しかったですが、アカデミー賞作品賞を取ったこともありとても良い映画でした
完成度がありました
テネットより良かったです
やはり人間なのだなと思いました
(我は死神なり、と名乗っていても)
プロメテウスのくだりはハッとなりました
あの爆弾の使用について悩まない人はいないのではないでしょうか
ナチスとか赤狩りとか時代背景が、丹念に描かれています
トルーマンよりヒトラーの方が悪いと私は思っています
(誰かの救済になることを望みます)
個人的にはトルーマンがオッペンハイマーに泣き虫、と言った場面が一番良かった
あの場面だけでも観に行った価値がありました
ゲイリー・オールドマン(トルーマン役)の登場シーンは、あまり多くなかったですが存在感が抜群でした
狡猾な政治ショーに巻き込まれる場面もあり興味深かった
しかし、政治ショーも文書にして最後はオッペンハイマーも救済されます
こういうところがアメリカの強いところだと思います
ドイツから亡命したアインシュタインの言葉はどれも金科玉条のようでした
音楽も良かったです
足踏みも印象に残りました
公開が遅かったことだけが残念でした
背景はわかります
途中に日本を挑発するような場面があり躊躇したのだろう、と今なら思います
(個人的感想です)
日本には正しい国であってほしい
原爆の惨禍を乗り越え
平和な国であり続けてほしい
博士の探求と苦悩 彼は何故それが恐ろしいものと知りつつ作り出してしまったのか
何はともあれ安堵。やっと日本公開。
一時は日本では公開されないんじゃとまで…。クリストファー・ノーラン映画なのに!?
まあ、無理もない。題材が題材だから。
原爆を開発した実在の科学者、ロバート・オッペンハイマーの伝記。
唯一の被爆国である日本。まさしくこの人が開発したものがヒロシマ/ナガサキに落とされた。
日本人なら複雑な感情を持って当然。恐るべき兵器の開発者の伝記って…。
でも噂に聞くと、その栄光や功績を称える作品ではないらしい。
描かれるのは、原爆という恐ろしいものを開発してしまった苦悩。それが恐ろしいものであると分かりつつ、科学者としてその強大なエネルギーを探求せずにはいられない。
あくまでオッペンハイマー個のドラマに絞り、それ故ヒロシマ/ナガサキへの描写が無いなどですでに賛否両論。
日本人だからこそ言わずにはいられない事、思う事あっていいと思う。他のどの国よりかも。
ようやくそれを確かめる事が出来る時が来た。
でなくとも今年の超期待作の一本。
昨夏、アメリカや世界中で大ヒット。重厚な3時間の人間ドラマ(しかもR指定)なのにエンタメの『ミッション:インポッシブル』や『インディ・ジョーンズ』以上の! さらにアカデミー賞7部門という折り紙付き。祝!ノーラン、遂にオスカー監督に!
でも何より、そう、クリストファー・ノーラン映画だから!
ノーランの次回作として本作の企画を聞いた時から本当に楽しみにしていた。
待望の鑑賞。その感想は…
賛否は作品を巡ってだけではなく、その展開にも。
複雑。難しい。
確かに万人受けする作品ではない。
正直、序盤の愛人との関係や飛び交う小難しい専門用語の議論シーンには瞼が重くなり、頭パンクしそうになった。
が、オッペンハイマーの人物像を深く描くには包み隠す訳にはいかない。性格は尊大な点あり。天才は変人か高慢か。
天才や科学者たちが未知のエネルギーを開発しようとしているのだから、小難しい言葉が飛び交って当然。寧ろリアリティーを感じる。
話の主軸は戦後の原子力委員会によるオッペンハイマーへの厳しい聴聞会と戦時中のマンハッタン計画。
現在と過去が時間軸もバラバラに交錯。
映像もカラーとモノクロ。てっきり過去がカラーで現在がモノクロかと思ったら、オッペンハイマーの視点がカラー、敵対する事になるストロースの視点がモノクロ。
時間軸の交錯はノーランの常套手段。『TENET/テネット』に比べれば全然見れる。
マンハッタン計画が始動してからは引き込まれる。
人類史上初の核実験“トリニティ実験”のカウントダウンの緊迫感と言ったら…!
終盤はほぼ聴聞会シーンになるが、もう目が離せなくなった。
複雑ながらも重層的なノーランの演出、巧みな脚本。彼もまた現代映画人随一の天才。天才が天才を描いた時…。この見応え、インパクト、もうただただ脱帽。
ノーラン作品常連ながら主演は初。主演映画も勿論あったが、これほどの大作は初。ノーラン大作で堂々主演を任されたキリアン・マーフィ。ほぼ全編出ずっぱり、特殊メイクを施して若い頃から老年期まで、でも何より複雑な役所を見事に演じ切った。
オスカー受賞はこのコンビへの妥当で必然な評価と結果だ。
ヒーローオーラを一切消したロバート・ダウニーJr.の凝った演技も圧倒的。そう、彼は本来演技派なのだ。
エミリー・ブラントは終盤、夫を擁護する見せ場が。今回はオスカーを逃したが、いつか絶対獲るだろう。
マット・デイモン、フローレンス・ピュー、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー、お久し振りのジョシュ・ハートネット、“アインシュタイン”まで豪華アンサンブル。
何から何まで毎度毎度のハイクオリティー。本当に今、最も信頼出来る監督だ。
極力CGを使わない事で知られるノーラン。
今回も。あのトリニティ実験シーン。サポート的にCGは使用したらしいが、あの爆発もほとんど実写。撮影中のニュースや聞く所によると、映画史上最大量の火薬を用いて。
このシーンの迫力や衝撃が見たかった。
爆発には美すら感じた。静寂なのもそれを際立たせ、秀逸。
後から来る大爆音。
名手ホイテ・ヴァン・ホイテマによる映像、鳴り響くルドウィグ・ゴランソンの音楽、臨場感たっぷりの音響、リアリティーに拘った美術…。
絶対に劇場大スクリーンで! IMAXシアターがあるなら体感を!
人間とは不可解なものだ。
あのトリニティ実験の爆発を美しいと感じてしまう。
作り出してはならないエネルギーなのに、実験の成功をハラハラして願う自分がいた。
オッペンハイマーもそうだ。どうやらオッペンハイマーは、このエネルギーが戦争に利用される事を知っていた。開発リーダーながら危惧し、しかし開発の手を止める事はしなかった。
先述もしたが、それが恐ろしいものと分かりつつも、探求せずにはいられない。見届けたい。
軍や政府も。オッペンハイマーに原爆開発を依頼。成功し、戦争に勝利した時は英雄と称えるも、戦後その危険性が浸透してからは手のひら返し。厳しく追及し、スパイ容疑まで。聴聞会は名ばかりの裁判と罪人扱い。
強大な力を望み、歓喜したのはお前らではないのか…?
この単純に善とも悪とも言えない人間や行為の二面性。それこそが本作の肝と感じた。
さて、賛否の的になっている日本への描写。
確かに直接的な描写はない。が、幾度も言及されてはいる。
これをどう見るかで人それぞれ評価が分かれるだろう。
私個人の意見としては、先にも述べたが本作はあくまでオッペンハイマー個のドラマ。ヒロシマ/ナガサキへの原爆投下を直接見てはおらず、ラジオで知った。だから、これはこれで彼視線の妥当な描写だと思う。
その後、一切スルーという訳ではない。
激しく動揺。時には幻覚を見る。
実験や開発は成功した。それは誇りにさえ思っている。が…
私は世界を壊してしまったのか…?
その葛藤苦悩を重く、深く。
大統領との会談。苦悩する彼に大統領が言う。開発者の事など落とされた側は誰も知るものか。恨まれるのは落としたものだ。
オッペンハイマーのみならず、見てるこちらにもグサリと刺さった。
決して慰めの言葉ではない。ナヨナヨした態度への嫌み。
それがオッペンハイマーを苦しめる。
でも、本当にそうか…? 聴聞会に追及されるだけなのか…?
この罪は…? 後悔は…? のし掛かるものは…?
誰が裁いてくれるのか…?
それがまたオッペンハイマーを苦しめる。
それは何から感じているのか。
聴聞会やあらぬ嫌疑もあるだろうが、原爆を作り出してしまった後悔、日本への罪悪も特に負っていただろう。
感じない訳ない。でなければ悪魔だ。本作も作る意味ない。
人によっては納得いかないかもしれない。賛否も分かる。
が、彼も苦しみ、苦しみ、苦しみ続けた。
それが知れただけでも意義があった。
プロメテウスの引用。神から火を盗み、人に授けるも、その罰として苦しみを与えられた。
オッペンハイマーが現代のプロメテウスと言われる由縁。
彼も人類に全てを焼き尽くす炎を与えた代わりに、後悔と苦悩の業火に焼かれ続けた。
原爆を手にし、世界はどう変わったか…?
人はそれをどう扱うか…?
終わらぬ争い。続く兵器開発、核競争。
『ウルトラセブン』の名台詞。血を吐きながら走り続ける悲しいマラソン。
オスカー受賞後、山崎貴が日本はこの作品のアンサーを作らなければならない。
是非、作って欲しい。日本で作らなければならない。いや、日本が作らなければならないのだ。
世界を壊した。
人は愚かなままか…?
壊す力を持っているなら、それを正す事、壊れた世界を作り直す力も持っている筈だ。
今一度、人間を信じて。
作者の考えが欲しかった
スクリーンを見ている最中、モノクロとカラーのシーンがあるのはなぜだろうとずっと思っていて、映画館を出た後にググって初めてその意図を理解した、浅い見方しかできない僕の意見なので、そのつもりで読んでいただきたいのですが……
第一印象を述べると、ちょっと客観的すぎるというか、「あ、核の是非みたいなことに踏み込まないんだ」と思いました。
で、この作品を高く評価している人たちが、その踏み込まなさを評価しているのが、僕にとっては衝撃的でした。
この題材で観客の感情を揺さぶらない描き方が正しいのかどうか甚だ疑問です。
少なくとも、日本人の僕には原爆のことを淡々と描くことなんてできません。感情的にならざるを得ません。
「オッペンハイマーという物理学者の人生を描くのが目的で、原爆の是非を問うているわけではない」
そう言われたら、そりゃまぁそうかもしれません。しかしあの爆弾によってたくさんの市民、子供たちを含めた罪のない人々が殺戮されたのです。それに命を奪われなかった人々も、多くの人たちが恐怖を植えつけられ、原爆病に苦しめられ、人生を狂わされた。その元凶を開発した罪は重いと思うのです。
確かに、ナチスに先に開発されるよりは良かったのかもしれません。原爆を使わなかったら日本は戦争をやめなかったのかもしれない。
でも、アメリカに戦後の覇権を取りたいという思惑があって、自分たちが原爆の開発に成功したことを世界に誇示したかった。だから少なくともウラン型とプルトニウム型を1つずつ、最低でも2発の原爆を使用しなければならない。そういう思惑があったのは、この映画の中でも描かれている通りです。
あ、僕は何も反核の作品を作らねばならないと言っているのではありません。別に核に賛成でも、「反核だけどあの時原爆を使ったのは正当なことだ」でも構いません。「この作品の制作者はどう考えているのか」という意見なり思いなりが必要だと思うのです。この題材を選んだからには。
原爆に深く関わる題材を選んでおいて、「かつてこういうことがありました」で済ませるのは無責任な気がしてならないのです。
非常に登場人物の多い中、3時間にわたる長編が、こんなにも観ていられる映画に仕上がっているのは、凄いことだと思います。いつかもうちょっとちゃんと分析してみたいと思いました。
映像と音響はいい
前半はこれは一体誰が何を裁いているんだ?という場面が断片的に描写される
オッペンハイマーが問い詰められるカラーのシーンと、ストローズが問い詰められるモノクロのシーン
それでいてオッペンハイマーの過去も断片的に混ざってくる
りんごに青酸カリを入れてみたものの、家に帰ってから焦ってきて翌日急いで取りに戻ったり、
共産主義に染まって集会を指揮してみたり、
そこで出会った女性と付き合ったと思えば、不倫して別の女性と結婚して、最終的に元の女性は自殺して、
・・・・・・と、さまざまなシーンがバラバラ殺人にされて合体した状態で流れる。
正直ここまで時系列をバラバラにする意味がわからない。
バラバラすぎて、オッペンハイマーが何を考えているのか分からない(そういう人なのかもしれないが)
女性関係のトラブルと、他のイベントの時系列も分からない。
まっすぐストレートに見せてくれえ!と思っていると、原爆が完成しそうになってきたあたりで突如その時系列だけが流れ出す。
ああなんと見やすいことか!
原爆完成に向けて真っ直ぐに話が進む。
映像、音、それによる緊張感
おお、すごい!という点で喜ぶスタッフと一体になりながら、やはりその暴力性と現場の文化祭前日のような陽気な盛り上がりとの不気味なギャップに恐怖を感じてくる
オッペンハイマーもそのときになってやっと恐怖を感じてくる
そして裁判(正確には裁判じゃないらしいが)のシーンの全体像が分かってくる。
原爆の父として賞賛されたオッペンハイマーが、今度はソ連のスパイ疑惑をかけられ失脚し、最終的には年老いてから勲章を与えられる。
アインシュタインは、人々がそうしたいからだと。そういう風にして罪の意識も全てオッペンハイマーになすりつけていきたいもんなんだと
どちらかというとそういう社会の大きな流れや構造に重きを置いている印象で、オッペンハイマーの個人を深掘りできているのかと言われれば微妙な印象
オッペンハイマー個人を描くのであれば、あんなに事情聴取の時間を長々と取らず、もっとプライベートを丁寧に描けたはず
事情聴取はまさにオッペンハイマーの周囲の人々を描くためのシーンになっている
個人的にはもっとオッペンハイマーの小さな問題を見たかった
なぜリンゴに青酸カリを入れてしまうような、不安定な人格であったのか
そこを詳細に描いてくれないと原爆の葛藤まで進めない
想像力に乏しいやつが失敗してからじゃないと後悔できなかった話、でしかなくなってる
※これは伝記映画です!
参った〜、これは予習必須の伝記映画だ!
全く知識の無かった量子力学のさわりだけ摘んでから劇場に!
(シュレディンガー方程式とか核分裂の原理とか、彼の周辺の物理学者の専攻とか)
実際は、第二幕までは特に知識がなくても、科学者伝記映画として普通に観れる気がする。
原爆投下が映画のクライマックスだと思っていたが、
実際はそこまでが第二幕とは。。
問題は第三幕。
第三幕は、オッペンハイマーの聴聞会がメインで、これがまあ長い!
彼が共産主義者で戦中から目をつけられていた事や、戦後の赤狩りが重要な背景になっている。
何故彼が聴聞会にかけられているのか?ストローズが何をした人物なのか?最低限の知識がないと追いかけるのがきつい。
(自分は戦後の流れを全く知らなかったアホなので案の定???となる。)
厄介なことに、ノーランお得意の時系列の入れ替えが激しく、冒頭が聴聞会のシーンで始まる。
(正直あまり効果的と思わなかったし、これでアカデミー編集賞なのか?)
アインシュタインとの会話をラストにしたいのは理解できたし、むしろあれでいいと思ったが、他はちょっとやりすぎか。
あと、九割会話劇のこの映画で、ずーっと低音のBGMがズンズン鳴ってるのが気になった。
TENETは音楽が演出でプラスになってると思ったが、今回は残念。
映画の見せ方には結構文句を書いたが、
無条件に原爆に賛同していないこの映画がアメリカで作られ評価されたのはとても意義があると思う。
PJ内部で原爆投下に反対する科学者の動きがあった事や、彼自身の水爆反対へのスタンス変化等、後半は全く一様に観れない映画だった。
鑑賞後は、この映画をどう捉えればいいのか頭を抱えてしまった。
彼の周辺人物や聴聞会のことを調べてからもう一度観た方が良さそう。
数日経って追記↓
これを戦争映画として捉えてしまうと、結構モヤモヤすると思う。
原爆と被害の直接描写がない、という文句がまさにその類だ。
別に『核戦争後の未来・スレッズ』や『はだしのゲン』をやれとは言わないが、
例えば彼が目を背けても被害写真だけ映すとかしてもいいのでは?
あの皮膚ペロペロと炭だけでは流石にえっ?て思う。
あくまで伝記映画であり、マンハッタン計画は彼の人生の一部。
赤狩りとオッペンハイマー事件を軸として映画として観た方がスッと入るかもしれない。
そう考えた時に、ストローズが彼を恨み復讐する流れは、無理に時系列操作せず、ある程度流れをまとめた方が理解できる気がする。
(ストローズ視点はモノクロになる親切設計だが、もう1人の主役として彼の人物像が入ってくるかは別問題かな)
映画として、日本人として
クリストファーノーランが原爆の作品を作ると聞いて是非みたいなとー。しかし、日本で公開延期になっていたのも知ってたので、日本人としては残念な描写も多いのかと思いながら視聴。
前知識はなかったので、まずキャストがこんなに豪華なのかと、ロバート・ダウニー・Jr、マッド・デイモン、フローレンス・ビュー、エミリー・ブラント、ラミ・マレックetc…
これだけのそうそうたる顔ぶれで日本の映画にありがちなキャストで釣る予告編ではなかったのは、作品性なのか、監督のネームバリューなのか。
ここからは内容の話で、まずはじめに
レビューとしては、一言表すと評価できない、星はつけれない作品であった。作品としてやはり日本人として複雑な気持ち、あと、描写としての味付けの少なさである。
断っておくが、こと戦争に関しては別にアメリカが全部悪いのではないと思ってる。あくまでアメリカサイドからの話であることもわかっていた。
しかし、現実広島に原爆を落とされ、その後に歓喜される描写はやはり胸がえぐられる。あのまま戦い続けていたら双方の被害が、大きくなるからという理由づけもあったが。そのあとの長崎のシーンは二頭目ということもあり流される。サラッーと。
その後で、そこがラストならまだ壮大な演出で後悔の描写などいれてくれればキレイに幕引きだとわかるのだが、あくまで中盤の描写。
後悔や葛藤、多少描かれるものの、アメリカンスナイパーなど戦争作品と、比べると呵責のシーンは少ない。
さらに終盤は、ストローズとの原子力委員会での権力闘争が描かれる。
また、ここが登場人物との前提知識がなければ読み解くのに苦労するのだ。
この辺はパンフレットにかなり解説してくれてるので先に買って予習しておくのもありだと思う。
そしてここが個人的に何を描きたいかわからなかった。権力闘争がオッペンハイマー自身とストローズのやり取りがバチバチで半沢直樹よろしくならまだいいが、何もエンターテイメントともなく自責の念を少し抱えながら暗い感じで戦っていく。
原爆開発段階からストローズは色々トラップをしかけている。聴聞委員会を開きそれらを提示しつつ、ヤラセありきでオッペンハイマーを追い詰めて、
公職から追放する。
この辺が心理描写が少なく第三者からの発言ばかりなのだ。ここでオッペンハイマーの心理的苦悩などが派手にあればだが…(描いてることは、描いてるのだが、この人が、流されがちだからなのか?)現実としてはこんな感じだったのか、アメリカ人に対してソ連のスパイではなかったことを伝えたかったのか。彼の功績を称える映画でありたかったのか。
「原爆の父」と呼ばれようとも、1人の人間として描きたかったのか。
2個目は描写のしての味付けだ、やっぱり「インセプション」「インターステラー」「TENET」など画にこだわってきた監督なので今回もそういう描写に期待していた。だが自分的には不完全燃焼。
原爆のテストシーンは確かにすごかった、爆発の疑似体験、監督としてはここの実験の結果僅かだが地球全体を破壊する可能性があったのだがそれでもボタンを押したということを体験して欲しかったそう。
それはわかるのだが、また余計な演出としてモノクロのシーン、これが非常に物語をわかりにくくするトリックとなっている。普通はモノクロにするのは過去の描写だ。それが最初は逆でモノクロが現在の描写になっているかと思う。しかし違う、終盤現在に追いついても、モノクロのシーンが出てくるのだ。ここで初めて気づく、ストローズ視点からの描写シーンがモノクロなのだ。(間違ってたらごめんなさい、あくまで私はそう捉えました)
この演出も、わかりやすくするならいいが、よりわかりにくくなってるので必要ないと思っていた。
ネガティブなものが多いが、最後に良かった点としては音、音楽の使い方である。
以前から「インターステラー」などでも「無音」で音の強弱がしっかり着いていたが今回は画が淡々と描かれてる分音による演出が、素晴らしく思えた。
ただ、ストーリーとしては日本人としてはこの映画は手放しに称賛しにくいものであると思う。
意図的な分かりにくさ一度の鑑賞では消化不良
日本では「要注意案件」として公開未定と異常事態からついに公開となった本作品。簡単に言えばスケール感の超大作でも栄光と挫折のドラマチック作でもありません。とにかくわかりにくい前半。カラー映像とモノクロ映像の二つの映像パートがあります。さまざまな人物が登場して専門用語が飛び交います。よってカラーは現在でモノクロが過去と思われました。ところがカラーがオッペンハイマーの視点、モノクロがストローズの視点と分かりました。この視点と時系列が目まぐるしく入れ替わるので混乱しかありません。2回以上の鑑賞必須作品です。オッペンハイマーの視点においては原爆開発は意義のある研究としていた彼がこの開発により殺戮を引き起こす可能性も理解していたことが描かれていきます。終盤はオッペンハイマーは「聴聞会」で取り調べを受けます。このパートもあまり説明がありません。この「聴聞会」の目的はオッペンハイマーのセキュリティ・クリアランスを取り消すか否かというのが目的でした。併行してストローズの公聴会のパートも展開されます。こちらはストロークが商務長官にふさわしいかという会です。この会でのオッペンハイマーの発見、水爆開発での意見の相違によりストロークのオッペンハイマーへの憎しみにより策略が展開され、核開発推進派の陰謀に満ちた聴聞会となります。ここまでくるとさまざまな人物との絡みが明確となり、原爆を開発した人物の生涯というドラマでないことがよくわかります。原爆による悲惨な映像が無いという指摘はありますが、それ以前での真珠湾攻撃、東京大空襲というのも言葉のみで映像はありません。それは事実だけを見た場合、アメリカによる原爆開発はどのように見えますか?と投げかけていると思います。これを映画として世に出した点では凄い作品と思います。
オッペンハイマーの世界観
史実を基にしているので、この映画の見どころはストーリーそのものではなくオッペンハイマーから見た彼の人生とその世界の描き方だと感じた。
冒頭でアインシュタインとのシーンがあり、ラストでもう一度描かれることで彼との会話が映画全体、というより彼の人生を総括するような構成になっているが、偉大すぎる発明をした科学者はいずれ己の罪を背負うというアインシュタインのセリフはこの映画が全体を通して表現したオッペンハイマーの世界観をうまくまとめていて、時系列的には途中であるにも関わらず非常にラストに相応しいシーンであった。
映像の世紀で良くね?
先にNHK見ちゃったから、そもそもネタバレ。
この番組でオッピーの栄光と孤独が如実に描かれていた。
ダンケルクでも混乱した編集技法がここでも。
SEXシーンいらないよね。聴聞会、公聴会、はしょれよ。
皆さん言ってる様に音響効果は凄いね。
3時間飽きさせないのはさすがです。
反戦でも反核でもなく人間オッペンハイマーは
空虚。それでいいのかもしれない。
少なくとも彼は忠実な合衆国市民であった。
脅威か卑劣か凡人か
「オッペンハイマー」
別にIMAXじゃなくても良い映画かも
ただ音響が良い環境が良いと思います
内容は彼の人生譚なので
落とされた日本についての描写は無い
オッペンハイマーについての映画なので
あまり感動もせず
フラットな気持ちだった
原爆三世としてのわたしの感想は
それしか出ない
作品賞に値するかどうかは疑問も出る
単純に面白い映画だったでは片付けられない
タイトルのとおり
原爆が実際に現実で使われるまで、科学者以外の世界中の人類は、その恐ろしさを理解することができず、従って抑止力になり得ない。
劇中でこんなシーンがあった。
原爆資料館や裸足のゲンといった原爆の恐ろしさを伝える媒体に触れたことのある私にとって、原爆は恐ろしいものだ、こんなものは抑止力なのであって、実際に使われることはあってはならない。という考えだった。
が、本作を観て、その認識が少しだけアップデートされた。
原爆が使われてしまったことを到底肯定するつもりはないが、使われてしまったことで人類が原爆の恐ろしさ、原子力の恐ろしさを、空想上の存在としてではなく、現実に起こり得る事実、史実として認識できたことは、人類にとっては有益であったと感じた。
(原爆使用を肯定する意味ではない)
オッペンハイマーが開発した「原爆」は、従来の爆弾とは異なり、地球そのものを破壊し得るポテンシャルを秘めている。その力を人類に与えてしまった、プロメテウスが人類に火(破壊の象徴)を与えてしまったことに準えて、オッペンハイマーを描いたこと。
そして、人類が原爆の開発以降、いつ滅んでもおかしくないステージにあり、その蓋を一人の人間が開いてしまって、その蓋が未だに閉じられていないこと。
この二点が深く刺った。
水爆が完成し、いくつかの国が保有している現在の地球において、SFに描かれる地球滅亡は、SFではなく、現実に起こり得る、もっとも恐ろしいリアルであり、その扉をオッペンハイマーが開いてしまった。そう考えると、人類にとって、オッペンハイマーはとんでもない存在であり、そんな人物を題材に映画を作ると考えたノーラン監督の気持ちが少し理解できた。
※最初はSF題材にした映画にしてくれよ!って思ってました。監督、すみません。でも次回作はインセプションとかインターステラーみたいなSFがいいな。
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