オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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とまどいもありつつ
最初はいきなり話が始まるし、時間も突然切り替わるから戸惑いが。
まぁこういう流れなのかな、と分かればあとは問題ないかな。
何より一番混乱したのはキャラかな。
どんどん人が出てきて、しかも全員割と役割があるので誰がなんという名前でどういう立ち位置だっけ?とごちゃごちゃになりました。
ある程度知識はあっても良いかも。
それでもストーリー展開はよかったです。
単にやったー成功だーで終わるのではなくそこからまた一捻りあるので見応えありましたね。
そして、それぞれのキャストもハマり役でした。熱演ですね。
キリアンマーフィーは良い味出すなぁw
慧眼でありながら盲目
当然ながら、アメリカ映画ですからまずはアメリカ人に訴えるためにつくられているわけです。
原爆の被害について間違いなく彼らより知っている日本人には物足りないと思われる点はあります。
ただ、「反戦映画ではない」という評が上の方に出てきますが、そんなことはないです。
大きな意味での反戦映画であることは間違いありません。
主人公が核拡散反対と軍縮へと意見を固める前は、本当に矛盾した人物として描かれています。
原爆の実験と投下に「成功」して浮かれ騒ぐ場面は、明らかに「大量破壊兵器を開発・使用して浮かれていた、かつての愚かなアメリカ人」という相対化を意図したシーンなのですが(ここがわからない人がいそうだなとは思う)、主人公だけは広島や長崎で被爆した人間に何が起きるのかをリアルに想像することができます。しかし、仲間たちに賞賛されて口では勇ましいことを言ってしまう。「ドイツにも使いたかった」などと。
物理学の理論を発展させた先に虐殺があり、それが起こるまで本当の意味では未来を想像もできなかった主人公。しかしこれは科学と倫理に常にまつわる問いです。ですから、主人公の人物像だけを描く映画という解釈にも私は同意できません。
主人公を評する「慧眼でありながら盲目」とは、主人公だけのことではありませんよね。広い視野に立てば、アインシュタインだって同じでしょう。他の科学者だって。
しかし少なくとも主人公は後に「見える」ようになる。
アメリカでは主流だった、「原爆投下が日本の降伏を早めた」という神話にも、明確にNOと言っています。日本の負けはその前に明白であったと。
原爆投下にまつわる「神話」を過去のものにしようとする意志は明確に感じ取れました。
ただ、多くの方が指摘していると思いますが、原爆の実験が火薬の爆発にしか見えないのはそれでいいのかという点。
原爆は、爆発で命を奪うだけではなく、その後何十年もかけて人を殺していくという点の描写が薄い点、などは気になりました。
破壊された世界で
第96回アカデミー賞作品賞受賞作。
IMAXレーザー/GTテクノロジーで鑑賞(字幕)。
原作は未読。
待望の公開。日本ではソフト・リリースにならなくて本当に良かった。メジャー配給会社が悉く尻込みする中、日本公開に漕ぎ着けてくれたビターズ・エンドに感謝しかありません。
世界を変えてしまった科学者・オッペンハイマーの心情をノーラン節全開の複雑時系列でダイナミックに描いていました。
本編中に説明等は全く無いので、予め相関図や背景等を予習しておくと、よりストーリーの理解が深まるかもしれません。
IMAX推奨。CG排除の画作りに度肝を抜かれ、心を抉られました。カラーとモノクロの使い分けも面白い試みでした。
どうやってつくったのかと興味を惹かれるシーンが盛りだくさん。本物だからこそ出せる質感と迫力に圧倒されました。
核を批判する内容ではありませんでした。気になっていた原爆投下についての描写も、アメリカの熱狂にはとても心が痛くなりましたが、オッペンハイマーが幻視した光景も描いていたし、これで充分なのではないかと感じました。あくまでもオッペンハイマーの伝記と云う点に留意しなければなりません。
オッペンハイマーが科学者の業の果てに完成させた原子爆弾によって、人類は良くも悪くも新しいフェーズへと突入することに。科学の発展を否定するわけではありませんし、本作もそんなスタンスでは無い。ただひとつ確かなのは、人間とはなんと愚かな生き物なのだろうか、と云うことです。
原爆の開発を推進した為政者も、オッペンハイマーを私怨からハメたストローズも、なんと愚かなことか。愚かさによって「破壊」された世界に私たちは生きている。戦慄です。
[余談]
大作にしてはエンドロールが短い気がしました。CGを排除した分スタッフの数が少ないからかもしれません。
恐怖感ただよう爆破シーン
ダークナイト、インセプションとか数多くの傑作を生みだしたクリストファーノーラン。原爆をつくった一人の男の物語。アカデミー賞をとった作品ということで興味がわかない題材なわけない
全体的に会話が多くて退屈だが唯一無二の映像体験といえよう。
音で恐怖をひきだすのはさすが。
トリニティ実験のシーンは恐怖の報酬を思い出すくらいの
緊張感。
本当に爆発させているシーンがでてくるので、心臓に悪い。
爆発を音のない神秘的な雰囲気でみせてくるから、美しさを感じつつも
これを日本に落としたんだよねということでみていて複雑な気分になる。
トニースターク。アインシュタイン登場 役にはまってるしめっちゃ似合ってる。
キリアンマーフィとフローレンス ピューとの濡れ場がありますがなんともやらしいシーンに仕上がっていて興奮した。
反戦の話ではなくオッペンハイマー一人の学者の苦悩が主軸なので
ソリッドでこれはこれで余計な要素が入ってなくてよかったと思う
広島とか長崎とかだしてしまったらまた別のアプローチの作品になっていただろうしはだしのゲンとか別の著作物で十分語られると思うのでもしだしてたらタイトルがオッペンハイマーじゃなくなってただろうな。
PTSDみたいにどんどん精神がおかしくなるが酒におぼれたりとか破壊衝動で暴れたりして精神病院にいくとか自暴自棄になる感じではない
真面目で寡黙な人なのが伝わってくる。
原爆をつくって戦争を終結させた英雄として拍手喝采されるシーンの胸糞の悪さ。
原爆を投下後の最後のオッペンハイマーの悲痛な表情が忘れられない
賛否両論あるが
日本人はどうみるか自由だしみる人それぞれ正解も間違いもないだろう
原爆を語るうえでとても重要な作品であること確かだろう。
勉強不足なので1割ぐらいしか理解できなかったので歴史や偉人!?
に興味をもつ足がかりとなる作品になることは間違いなし。
私は歴史の勉強としてそこそこ楽しめた
核実験で終わりではありません
核分裂(原爆のエネルギー源)、核融合(水爆のエネルギー源)といった時間軸が交互に移り変わる中で、多くの登場人物が出てくる。さらに量子力学、時代背景などの知識もなければ完全に内容を理解するのは難しいかもしれない。
だけど、構造は単純で、基本的にオッペンハイマーとストローズの視点でストーリーは進む。
フィルターカラーで変化をつけているので、なんとなく理解し、楽しむことができる。
ただ、私は時間軸の変化に少し混乱した。例えばストローズ視点でアイシュタインとオッペンハイマーの会話シーンが出てきた時(映画序盤の方)。私はこの会話はロスアラモスでの核実験前の話かと勘違いしてしまってました笑
映画自体は、核実験後、オッペンハイマーの人生がマイナス方向へと向かっていくパートがむしろ魅力的だと思った。
集会シーンでのオッペンハイマーの心情描写とか印象的。
アインシュタインというキャラクターも重要。結局、亡命や兵器といった差異はあるものの、オッペンハイマーはアイシュタインと似たような人生を辿ったのだから。
原爆という視点からいうと、やはり日本人にとって辛い気持ちになるところはある。
しかし、原爆が作られ、投下されるという歴史的な事実をテーマにしてアメリカの目線でそれを描いてるのだから、仕方がないかも。それを理由にこの映画をみないというのは違うかなーと。あくまで私個人の意見です、、。
これはオッペンハイマーの人生を、原爆というテーマにそって描いた作品。ノーランは本当に彼の人生を映画にしたいと思ったんだなと感じられる映画です。アカデミー賞を取るだけの価値あるものだと思います。
【”プロメテウスの火。水爆を作れば、ソ連も作る!と原爆の父は言った。”今作は、天才理論物理学者の毀誉褒貶の半生を描いた物語であり、観る側の原爆のリテラシーにより鑑賞後の余韻が変わる作品でもある。】
ー 最序盤は、次々に変わるカット。新たに登場する人物把握に”これは、「インセプション」パターンか!(難解と言う意味。)、と危惧するも、慣れれば”アメリカ近代史の知識”、”第二次世界大戦最終盤の広島、長崎の哀しき悲劇の記憶。”を総動員して哀しくも面白く鑑賞した。体感2時間弱であった。-
◆感想及び印象的なシーン
・一介の物理学の生徒だった、オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)が順調に出世し、世相もあり第二次世界大戦中に米軍が進めた「マンハッタン計画」に関与していく様。その際には、彼はレズリー将校(マット・デイモン)の指示の元、”研究者”として働き、軍部の思惑である”トリニティ実験”を成功させるシーン。
ー 被曝と言う概念が殆どなかったため、人々はクリームを塗って光線から肌を守ろうとする姿。ホント、何にも分かっちゃいなかったんだな・・。ー
・オッペンハイマーが人々から賞賛されるシーン。
ー 賞賛する人の顔が、紙のように剥がれ、最後は全て居なくなる。
だが、ここは、オッペンハイマーが原爆の本当の恐ろしさが”理論的にしか”分かっていない事を暗喩しているシーンである。
「広島平和記念資料館」に行った方であれば、爆心地近くの方が、正に一瞬で蒸発する程の原爆の威力を目の当たりにするだろう。壁に染みのように黒ずんでいる人型は忘れられない・・。-
・そして、オッペンハイマー達「マンハッタン計画」に関与したモノが観た広島、長崎の原爆投下後の光景。
ー ノーラン監督は、ここは敢えて光景を映さない。
色々な意見があるだろうが、今作は天才理論物理学者オッペンハイマーの毀誉褒貶の半生を描いた物語であると思ったので、脳内怒りが沸騰するが、グッと我慢する。
(本当は、全世界の原爆の真の恐ろしさを特に若い人に分かって貰いたかったのだが、あれが米英のエンタメ作品として公開出来る限界なんだろうな・・、と思う。)
だが、キリアン・マーフィー初め、その光景を観た人々の表情が全てを物語っている。このシーンから、オッペンハイマーの憂愁の表情は深くなっていくのである。-
・雑誌タイムの表紙を飾ったオッペンハイマーがトルーマン大統領に招かれた際のシーンも印象的だ。
オッペンハイマーがトルーマンに対し、水爆開発に懐疑的な発言をした際に、トルーマンの表情は一変し、”原爆の投下を指示したのは、私だ。お前は開発者に過ぎない。”と吐き捨てる。
ー 政治家と、開発者との立ち位置及び、政治家は冷酷でないと務まらない事が良く分かるが、現況下、第二のトルーマンが現れない事を祈るしかない状況にある事を考え、愕然とする。-
■戦後、”レッド・パージ”の嵐の中でオッペンハイマーが、原子力委員会委員長ストローズ(ロバート・ダウニー・JR:ねちっこく、嫌な野心家を好演。)に、彼が過去愛したジーン(フローレンス・ピュー)及び現在の妻キティ(エミリー・ブラント)が共産党員である事。
更に「マンハッタン計画」のオッペンハイマーの部下だった男がソ連のスパイだった事から、彼自身もスパイの容疑を賭けられ、小部屋での聴聞会が何度も描かれる。
- 可なり恐ろしいシーンである。水爆推進派のストローズの野心もありオッペンハイマーは追いつめられるが、キティの見事な反駁と(観ていてスカッとする。)マンハッタン計画に参加していた、何度もオッペンハイマーに署名をないがしろにされていたヒル(ラミ・マレック)の意見でオッペンハイマーの嫌疑が晴れるシーンは、やれやれである。
だが、彼は危険人物として監視下に置かれることになるのである。
”ストローズって、嫌な奴だなあ。と言うか、”レッド・パージ”の時代自体が怖いよ。ー
<今作は、原爆の真の恐ろしさを理解していなかった、机上の空論の天才理論物理学者が、広島、長崎の惨状を見て、自らの行為に懊悩し、核に対する思想を変えたがために経験した毀誉褒貶の半生を描いた物語であり、観る側の原爆のリテラシーにより鑑賞後の余韻が変わる作品でもある。
最後に、自らが開発した原爆が惹き起こした事実に愕然とし、深い懊悩、憂愁を抱えつつも、自ら水爆開発反対の姿勢を貫いたオッペンハイマーを演じ切ったキリアン・マーフィーを筆頭とし、各アクターの演技がこの作品の品位を上げていると思います。>
原爆の父の葛藤
かつて世界中で戦争が行われていた。そんな時代の中でどうやって世界を掌握するのかばかりになっていた。
主人公のオッペンハイマーは、『原爆の父』として歴史に名を残している。
その生涯は、華やかしものばかりとは言えない。学生の頃でも自分の知識が教授に認められずに葛藤していた。
そんな時に核分裂というものが世界を変えてしまう程の力を持っているかもしれない。
研究を進めていく中で、国がその研究に興味を持ち、協力をしてくれる事になる。
自分の知識を時間を家族を国の為に捧げた男は、やがて”成功”を手にする事になる。
だが、その“成功”を手にした事によって多くの人達の命が一瞬にして奪われてしまう事に苦悩を広げる事になる。
広島、長崎の原爆投下が肯定されるものであるなら、この映画は観る人を苦しめだけなのかもしれない。
だけど、時代の中で葛藤している男が自分が作ったものによって平和な世界が訪れてほしいと願ったものとそうではない結果を生んでしまった結末がなんとも悲しいと感じた。
“白のシーツ”
原爆を開発とその後を描くオッペンハイマーの心情と苦悩の話。
全体のストーリーは何となく分かるけど正直細かいところまでは把握できないし、もう一度観たいとも思わない。180分長いと思ったけど以外と観れて。
ノーラン監督の作品は苦手で「テネット」もちょっと無理だったけど、テネットとは違い本作はただただ難しいって感じで、終盤辺りの実験の成功辺りから少し観やすくなった個人的に。
原爆開発成功で一時的には誇らしい気持ちなれたと思うけど、自分の開発した物で数多くの人が亡くなったと思ったら後悔の念ばかりかと…、広島原爆の話辺りは複雑な心境でした。
ジョンコナー役続くな~
反核や苦悩が主題ではないオッペンハイマーの伝記映画
クリストファー・ノーランお得意(?)の時間軸がコロコロ変わる演出。
前触れなく、過去と現在が入れ替わるのでとてもわかりにくい。
きっとアメリカ人なら調度品などである程度、現在か過去か把握できる(日本人が昭和の映像だとわかるように)のだろうが、正直、日本人には辛かった。
公聴会で証言した人たちとオッペンハイマーの過去のやり取りを描いておく必要はあっただろうから仕方がないが、登場人物が多すぎて混乱に拍車をかける。
私の頭では一度観ただけでは相関図の理解が追い付かなかった。
何度か観れば『過去の伏線』なども見えてきて感想が違ってくるのかもしれない。
結局、オッペンハイマーが何を考えて原爆を作ったか、原爆が日本に落とされてどう感じたかには触れる程度で明確には描かれない。
あくまで私見だが、同じドイツ系ユダヤ人でノーベル賞まで取った敬愛していただろう、アインシュタインがマンハッタン計画から外されて『アルベルトの理諭を形にしたい』という気持ちはあったのかもしれないなと思う。
赤狩りに関してはオッペンハイマーがどんな活動をしていたかわからないが、時代もあったろうからな。
原爆投下後、アインシュタインとオッペンハイマーに反核(水爆開発反対)の姿勢を取られたことはアメリカにとって都合が悪かったのかもしれない。
反核(核の怖ろしさを描いた)映画ではないし、開発者の苦悩が主題でもない。
あくまでオッペンハイマーがどういう経緯で核開発に関わり、なぜ、偉大な科学者が失脚に追い込まれたかを描いた映画。
むしろ、原爆開発より『赤狩り批判』の方が強いかもしれない。
3時間の大作だが、飽きさせない。
役者たちの演技も上手い。
映画全体の出来は素晴らしく、アカデミー賞を取って当然だろうね。
ただ、内容(ストーリー)がな。
個人的には興味深い話で観ごたえがあったが、興味の薄い人には『難解な映画』としか思えないかもしれない。
米国で本作で作られた意味を考える
以下3つの観点で批評したい。
❶映画のテーマと世に与える意味について
❷原子爆弾の映像表現の意味について
❸映画の構造と演出について
❶映画のテーマと世に与える意味について
この映画のテーマは2つある。
1つは「オッペンハイマーという人物をどう評価するか」。
もう1つは「科学技術の進展と、人類の倫理性のバランスをどう取るか」。
オッペンハイマーの人生については肯定的に描かれていた反面、科学と倫理性のバランスについては
視聴者に重い問いを投げかける形で映画は幕を閉じる。
前者は伝記映画の基本形だし、後者のテーマは米国映画で繰り返し描かれたものであるが、
「オッペンハイマー」が特別なのは、アメリカ人が米国映画としてこの作品を作りそれにアカデミー賞を与えた、という事実。これが重要な意味を持つと思う。
その意味とは「核兵器を人に対し使用した国民として、その事実に向き合い続けるという意志表明」ではないだろうか。
核への脅威と責任は古くは「博士の異常な愛情」、定番で言うと「ターミネーター」などがある。
広義で捉えると「科学の進歩V S人類の責任」となるが、これは「スパイダーマン」の主要テーマであり、
コミックというポップカルチャーレベルで米国に浸透しているテーマだ。
これは憶測だが繰り返しこのテーマが描かれるのは、米国が人工的に誕生した国家であることが背景の1つではないだろうか。
なぜなら、太古からの民族的文化の脈略を持たず、アメリカ大陸を科学技術で自らの領土として開拓し、
論理性で国家(国民)を統治し、社会を形作ってきた歴史を持つからこそ、
科学と論理を推し進めた結果の、負の側面である「倫理観の忘却」「未来に対する責任不在の警鐘」が
国民のテーマになっているのではないかと思うからだ。
本作「オッペンハイマー」もその流れに沿っているが、
原爆投下という戦後一貫を通して米国が蓋をし続けてきた「戦争犯罪」「人道責任」について、
本国に対してはもちろん、全世界に対して問いを投げかけたこと。
そしてそのメッセージに対して、アカデミーという最高権威が価値を認めたこと。
これが米国民の歴史認識に対する転換点になったと言える、その意味で我々日本人にとっても非常に重要だと言えると思うのだ。
本作は原爆投下後の惨禍や投下に対する反省シーンが少ないため反発意見も多い。
この点は映画を見ながら私自身感じたし、史実として知ってはいたが実際にスクリーンを前に日本人としては嫌な気分になった場面はあった。
だがその点も含めて「アメリカの原爆に対する1つの意見」を知るための重要な映画だ。
この映画をみて、何を考え、どう振るまうか。
アメリカが試されていると同時に、日本人もまた歴史に対する関わりを試されいる。
❷原子爆弾の映像表現の意味について
これまでのノーラン映画と異なり空想世界のアクションやギミックが使えない中、
本作は見事に期待を凌駕してくれた。中盤のクライマックスである「トリニティ実験(最初の原爆爆破実験)」の描写はまさに白眉だった。ノーラン作品でお馴染みの、あの真綿で首を締め続けるような息苦しい時間が今作では過去最高に味わえる。
表現おいて特筆すべきは「音」。
いよいよ実験が間近に迫ると、BGMは弦楽器の単調な繰り返しとなり、
それが爆破ボタンを押す瞬間までクレッシェンドで続く。まさにお得意の「ボレロ」的演出だ。
しかも今回は実際にあった「歴史的現実」で、相手は「原爆」である。
その存在自体が否応なく恐怖の対象である。一体どんなことが起こるのか。
人類が経験したことがない現象を前に、登場人物たちは皆、心臓が口から出そうな表情。
過度な緊張と浮き足立つ空気が、上記のBGMとテンポよい編集に掛け算され、
おまけに天候は雷雨ときたから、もう席を立ちたくなるほど緊張した。
そして起爆ボタンが押され「爆発」。劇場はシーンと静まる。
スクリーンいっぱいに広が炎。火の織りなす「不気味さ」と「美しさ」の共存した不思議な映像。
「バックドラフト」で感じた「火=生き物」のような怖い魅力がそこにはあった。
そして駆け抜ける大轟音。生きた心地がしない。
「ああ、原子爆弾とはこういうものなのか」
理屈ではなく身体で感じとり、そして「記憶」する。
人類にとって意義深い映像体験になることが間違いないだろう。
❸映画の構造と演出について
結論、構造は「尋問を通して、過去を回想する」という、「ユージュアルサスペクツ」や「アマデウス」でもお馴染みの展開だが、なんせ非常にスピーディーで説明もないので理解には3回以上の視聴を前提とする。
例えるなら、というかノーラン作品は全てそうだがミステリー小説に近い。
何度も繰り返し知識が増えるにつれて解釈が変わっていくような作品だ。
ラストはノーラン作品お馴染みの「意味深なBGMと短いカット、宣説的なモノローグが展開しぷつんと切れる」の演出。これもお約束。気持ちがいい。
芝居の演出については正直「野暮ったく」感じた場面もあった。具体的にはオッペンハイマーと女精神科医との関係、
それに対する妻の嫉妬のシーン。ベタベタな表現だったので、もっと抑えてもよいのでは?と。
以上が「オッペンハイマー」の批評だ。
といっても2度、3度見るたびに感想は更新されるだろうから、今後も本作とは長く関わっていきたい。
We got a Sun
量子力学
分子や原子それらを構成する電子などを対象とし
その物理現象を研究する学問
・・とこう書くともう訳が分からんが
物理学はニュートンの運動方程式
みたいな決定論(こーしたらこーなる)
という考え方で20世紀初頭までは当たり前
だったのだが熱量や電磁波・粒子といった
要素の発見とともに予測不能な運動が増えてきて
より推測するという分野が生まれ
重視されるようになった
今では現代物理学の根幹をなす分野である
今作は日本では太平洋戦争末期
広島と長崎に投下された原子爆弾を生み出し
原爆の父と呼ばれたロバート・オッペンハイマー
の半生をクリストファー・ノーランが描いた
氏の作品初の伝記的作品
どうだったか
当初は日本人がこんな原爆賛美の映画を
観てはいけないとか好き放題言われ
よくわからんミームも騒ぎになったが
当時から思っていたがじつにくだらない
観る人々が判断することでそんな
くだらないバカの無駄な検閲はいらない
「そこをどけ」
と心の底から思えるほどの
実直に当時のアメリカの核兵器開発に
まつわる側面とそれを主導した
オッペンハイマーの側面と内面と外面を
描いた素晴らしい作品だったと思います
テーマ的には掘り込むともうわけがわからない
と感じてしまいますがノーラン監督が
これまでも触れてきた
「インターステラー」「テネット」等で
触ってきたわけわからなげなエッセンスを
と思えば不思議なほど
わかりやすかった気がします
映画は初老に差し掛かり大戦後の
水爆実験に異を唱えるオッペンハイマーが
米原子力委員会委員長ルイス・ストローズに
告発され国家の反逆者か否かと言う公聴会で
詰問を受けるところから始まり
回想的に話が進んでいきます
オッペンハイマー(以下オッピー)はユダヤの家系でNY生まれ
頭脳は極めて高くハーバード大を首席で卒業
英ケンブリッジ大に留学しニールス・ボーアに
実験を伴う科学から理論物理学をすすめられ
独ゲッティンゲン大学で博士号を取得
当初はブラックホール研究など当時では
誰も講義を聞きにこない(来れない)ほどの
先進的な研究でしたが徐々に講義を受ける
学生が増えていきます
オッピーは大変「変わり者」
いわゆるノンポリで弟フランクが加入していた
共産主義団体でも何でも関係なく付き合い
どんな女性とも付き合います
(これが後々色々物議をかもすのですが)
ところが当時のアメリカは知っての通り
第二次大戦参戦中
そんなオッピーもとへある日
「マンハッタン計画」なる計画を指揮する
軍人レスリー・グローヴス准将がやってきて
君の理論物理学を国家に活かす時が来た
と原子爆弾開発計画のリーダーを
打診に来ます
オッピーは爆弾?と最初は( ゚д゚)
としていましたがグローヴスは
ドイツのナチス政権が開発している
らしい爆弾について尋ねると
オッピーは「ドイツの量子力学研究は
アメリカより断然進んでいるけど
研究者がユダヤ系だから絶対ナチスは
冷遇して進まない」と漠然と答えます
(この漠然とした物言いがオッピーの特徴)
そこでグローヴスは我々が先んじて
原子爆弾を開発すれば戦争を早く
終わらせられるとオッピーをたきつけます
オッピーは刺激を受けこれを
「理論」と「実践」の機会と受け取り
アメリカ中の資源や調査・解析を
鉄道で繋げる中間点に町(研究所)
を作りこれを実現できると提唱すると
グローヴスはオッピーを「変なヤツ」だと
訝しみつつ一任しその中間点
ホントにアメリカのど真ん中
ニューメキシコ州ロスアラモスに
街が作られます
これが有名な「ロスアラモス研究所」
となります
グローヴスとオッピーはアメリカ中の
物理学研究者にこの計画への参加を
呼びかけ家族とともに移住させますが
中には人々を殺す爆弾を作るなんて
と参加を拒否する科学者ももちろん
いますが
「平和のために必要なこと」
「作るからと言って使うのとは別だ」
と上手に説き伏せてしまいます
かくしてロスアラモスには街が出来
3年で20億ドルを費やした原爆開発計画
が始まります
ロスアラモスではこだわりのない
オッピーが集会を開いたり
研究者の嫁を働かせたりしており
グローヴスはこれでは当然
機密が守られないと激怒しますが
オッピーのノリで進んでいきます
当然中では研究者同士の衝突もあります
ウラン核分裂より三重水素の分裂での
爆弾いわゆる「水爆」をただ一人
提唱するエドワード・テラー
(戦後の水爆開発の第一人者)
らが衝突し出て行こうとしますが
オッピーは独特のキャラクターで
うまくまとめてしまいます
そして研究が進んだ1944年
ドイツが降伏しナチスが崩壊
これで原子爆弾を作る必要がなくなった
じゃないかとロスアラモスの
研究者たちは喜びますがオッピーは
「まだ日本が降伏していない」
「ソ連も開発しているかもしれない」と
原爆開発の続行を訴え研究者も
乗っかってしまいます
もはや「オッピー教」なのです
そして1945年当時のトルーマン大統領は
日本への原爆投下を示唆しロスアラモスに
原子爆弾実験の成果を求め
ついに7月に人類初の核実験
「トリニティ実験」が実行
この時点でもなお
核分裂が大気と触れた時に
連鎖反応して地球上全てが爆発して
しまうのではないかという懸念も
まだ持っているレベルでの実験
結果は見事成功しますがオッピーは
その火柱の強大な破壊力に
言葉を失います
言われたことはやった
実験も成功した
そしてロスアラモスから
「二つの大きな木箱」が運ばれて
いくのを虚ろなまま見つめるオッピー
大統領に面会を求める申請を
グローヴスに頼みましたが
その機会は訪れることなく
その1月後に
広島と長崎に原子爆弾が投下
そして終戦を迎えました
この部分はビジュアル的な
シーンもなくグローヴスが
電話で知らせるのみです
オッピーは戦争を終わらせた
英雄かのように扱われますが
ここでオッピーはロスアラモスで
作られたものがどう使われたか
を痛感することになります
日本人からすれば大変複雑な
気持ちになります
怒りも感じる人はいるでしょう
よく「作るから使いたくなる」
といった批判をする人がいますが
「作る人」と「使う人」は違うのです
トルーマン大統領と面会した時のシーン
オッピーはソ連の脅威はわかっている
がロスアラモス研究所は閉鎖するべき
と漠然と言ってしまいます
国防長官と大統領は
ソ連が脅威ならむしろロスアラモスを
強化しなければいけないだろうと
たしなめます
そりゃ国防的には後者が正しく
なってしまい
国家予算で原爆を作り上げた
オッピーの発言は矛盾してしまいます
科学者が「理論」と「実践」だと思っている
ものは「理論」と「現実」に降りて来る
のだというのがノーラン監督が
伝えたかったやるせない
テーマなのかなと
思うところです
3年で20億ドルが費やされた
理由はアメリカにとっては
戦争に勝つため・戦後の主導権を
ソ連に上回って握るためなのです
そりゃそうです
誰も詳しく分からないものに
予算は簡単につきません
(つくバカみたいな国もあるけど)
かくして核兵器の恐ろしさを
知ることになったオッピー
戦後は功績を称えられ原子力研究所の
所長をアインシュタインにも
断られたストローズに打診されますが
前述のとおり一貫して
水爆等の開発には反対方針
このつかみどころのなさに
プライドを砕かれた
ストローズはオッピーの名誉を
突き落とす工作を仕掛けます
というのが回想の間に挟まれて
いきます
急に取り調べで全裸になって
愛人とまぐわうシーンになったり
してるのがIMAXGTで大映しに
なったのはなんか笑って
しまいましたが
それくらい「漠然と」話して
しまう性格なんでしょうね
まあこれが災いして結局
ロスアラモスにはソ連の
スパイが入り込んでたし
それなりに疑惑もかけられる
ハメになったのですが
参考人の妻キャサリンの
気丈な姿勢も手伝って
結局仕組んだはずの公聴会でも
オッピーが厳しく裁かれることは
ありませんでした
ラストはストローズがオッピーに
私怨を抱くきっかけになった
オッピーがアインシュタインと
話した途端ストローズに
口も利かなくなった瞬間
アレは何を言ったのか?
「世界は破壊された」
米ソは核開発競争によって
相互確証破壊などどんどん
冷戦へと突入していくのです
今では北朝鮮が核開発を盾に
ついにソ連より長く続く国家に
なってしまいました
ラストのオッピーの虚ろな顔
彼は太陽をつかんでしまった
その太陽はまばゆい光でもあり
その裏に大きな闇を作ったのです
理論物理学では予測しきれなかった
現実です
観客は常にオッペンハイマーの
人どなりや性格に移入出来ぬまま
話は終わっていきます
ご都合的でなく天才科学者を
通じて人類全体が手にした物
手に入れてしまった物という
受け取り方をしました
オッピーは
誰かであって誰でもない
京都大学の学長が少し前に
「戦争に加担する学問の研究はしない」
みたいなことを言いました
これには大変呆れました
学問の前に思想があるなんて
もうそんなものは学問ではないでしょう
またかつて某悪夢の政権の
バカ政治家が事業仕分けとやらで
スパコン開発が世界2位だった
点に「2位ではダメなのでしょうか」
なんて言い放ったことがありましたね
研究は突き進むべきですが
予算を出す側がこういうバカばっかり
なのが「現実」です
そういう意味では戦中という極限状態が
生み出してしまった原子爆弾と言うものが
意味するものは「叡智」であり「宿題」
であり「宿命」なのかもしれません
そして人類が迎える「運命」は果たして
アインシュタインの名言で
「第三次大戦はどんな武器が
使われるかわからないが
第四次大戦は石っころと木の棒で
人類は戦っているだろう」
というのがあります
そうならないように
していかなければなりませんが・・
キャスティングも文句のつけようがなく
(そういえばマイケル・ケイン出てなかったな)
「必ず自分の目で見て思って」
まさしく必見の大作です
180分?
自分一番デカいバケツみたいなコーラ
買って持ち込みましたがトイレ忘れるくらい
のめり込みましたから問題なし!
あっちゅーま
我は死神なり、世界の破壊者なり
ヒンドゥー教の聖典『バガヴァット・ギーター』からオッペンハイマーが引用した聖句。
これが若かりし頃の恋人ジータとのベッドシーンに出てくるので驚いた。
騎乗位で腰を振る彼女に「声を出して読んで」と強いられるのだが、このシーンに対して、インド政府筋から「ヒンドゥー教社会に対して戦争を仕掛けるに等しい」と指摘されているほか、右派政党のインド人民党(BIP)からは非難声明も出されている。
この聖句は、人類初の核実験トリニティ計画が成功し、現代のプロメテウスになった恐怖を実感したオッペンハイマーが思わず呟くシーンで使えば十分であり、性行為の最中に使う文句ではないだろう。制作側の意図が不明で、無神経と云われても仕方ない。
私の手は血塗られているbyオッペンハイマー
(なにを泣き虫男が、とトルーマン大統領は立腹!!)
作ったのはオッペンハイマーだが、投下を決断したのは
俺様だ!!とトルーマンは思ったのだ!!
広島・長崎に原爆投下が成功した祝賀会。
オッピー!!オッピー!!と熱狂するアメリカ人。
彼らの心に、業火に焼き爛れ苦しみ死んだ20万人の日本人の顔は
浮かびもしない。
それがアメリカ人の現実。
《原爆投下はこの戦争を終わらせるためだった》
この台詞は飽きるほど聞いています、
免罪符のように!!
《配色濃厚だった日本に原爆投下は本当に必要だったのだろうか?》
オッペンハイマーには原爆を投下すれば
広島で11万人。
長崎で7万人。
合計して20万人近い人が死ぬことは事前に分かっていたのです、
明確に。
オッペンハイマーは苦しみます。
焼け爛れた人々の幻影や夢にうなされます。
《プロメテウスは神に逆らって、火を盗んだ、》
その言葉が度々示されます。
大きなプロジェクト。
【マンハッタン計画】
1942年。原爆の開発・製造を目的とする計画で、
そのリーダーが物理化学者のオッペンハイマー。
ニューメキシコ州の町ロスアラモスに50万人を集めて、
20億ドルと3年の月日を掛けて原子爆弾は製造された。
そして大掛かりな最終実験がニューメキシコ州の
【トリニティ・サイト】で行われた。
大きな画面全体に火の玉の爆発と大爆音。
ここがDolbyシネマの見せ場でした。
(私の観た映画館では、IMAXではなくてDolbyシネマ上映でした)
トグロを巻く火球は溶岩の噴出のように煮えたぎっています。
そして、ためらいつつも、広島・長崎の原爆投下のゴーサインは出て、
原爆は投下されてしまいます。
【第3章】
そして戦後の1954年。
この映画のもう一つのハイライトは、
赤狩りの標的となり、聴聞会で吊し上げられるオッペンハイマー。
オッペンハイマーの視点での回想シーンはモノクロです。
妻キティー(エミリー・ブロント)は、
「どうして反撃しないのよ!!」と怒るけれどオッペンハイマーには、
そんな気力もなく俯いているばかり。
そして1959年の公聴会では
ここで鬼の首を取ったように暗躍するのがロバート・ダウニーJr.が扮する
アメリカ原子力委員会の委員長のルイス・ストローズ。
そのストローズのオッペンハイマーへの策略を追求されるシーンは
カラーで(オッペンハイマー以外の視点はカラー映像なのです)
この辺の時間経過が分かりにくく混乱しました。
ストローズのオッペンハイマーへの敵意と嫌らしさは、浮き彫りにされる。
それにしてもストローズの実物写真を見ると瓜二つです。
はじめ見たときロバートダウニーJr.とは気付きませんでした。
狡猾で人でなしでコンプレックスが強く、隙あらば人を出し抜く
そんな男。
オッペンハイマーは共産党協力者の烙印を押されて、
公職から追放されてしまいます。
(2022年に撤回される)
この小狡い男の演技でロバートはアカデミー賞助演男優賞を受賞。
そしてもちろんキリァン・マーフィーもアカデミー賞主演男優賞を
受賞します。
【まとめ】
核兵器の開発競争に各国が血眼になり、
特にナチスドイツに先を越されることを何より恐るアメリカが、
如何にして原子爆弾をオッペンハイマーをリーダーに
開発・製造に奔走して成功する過程は興味深いものではありました。
ヒトラーが自殺してドイツが降伏して、もう殆ど壊滅状態の日本への投下。
日本人の私には、
なんとか、止める手立てはなかったのか?と本当に悔しいです。
オッペンハイマーの苦しみなんか、広島・長崎の被爆者に較べたら、
おままごとのようなもの。
(確かに日本は戦争加害国ではあるけれど・・・)
そして現在の国際情勢は、ロシアとウクライナ、
イスラエルとハマスの戦争、
核で威嚇する北朝鮮・・・と予断を許さない状況です。
第二次世界大戦後、約80年。
核爆弾はその後一度も使われていません。
核の恐ろしさを日本人が身を持って伝えている事も一因でしょうか?
理性を失くした独裁者により、この世界中の叡智と努力が
無駄にならない事を願うばかりです。
「原爆の父」オッペンハイマーの半生記。
「世界を壊してしまった」
そう呟くひとりの天才科学者の功績と罪が浮かび上がり、
非常に重かったです。
終始うるさい音楽が流れて非常に苦痛で疲れる
だいぶ前から海外で注目されていたので公開初日に鑑賞。
結論から言うと、ずっと音がうるさすぎる。
音楽がいいとか事前に絶賛されていたが、逆にこれほどまで耳が苦痛な映画もないだろう。
ずっとやたらうるさい張り詰めたBGMが流れていて内容に集中できたもんじゃない。
終始うるさすぎる。
そしてところどころ心臓に響くバカみたいな音量の爆発音が鳴り響くもんだから、頭がおかしくなりそうだった。
映画ってこんなにもBGMがうるさいものだったかな?と疑問に思った。
それに加えて、ストーリー的に初老の既婚おじさんの不倫シーンなどなくてもよかったのにあれは必要だったのだろうか?
いろんな無駄な情報が邪魔して肝心の内容はいまいち入ってこなかった。
そして睡眠は確実にとってからの鑑賞をおすすめする。
内容をきちんと追っていこうと話を真剣に聞いていたら眠ってしまい何十分か意識がなかった。
よくあんなうるさい映画の中で寝られたものだ。
音響のせいでめちゃくちゃ疲れたわけだが
戦争というものは、人間というものは、いつまでたっても愚かなものだというのは再認識させられた。
4/12追記:見るのを悩んでまで観る映画じゃない。正直、別に…である。ただしZ世代は見ておいて損はない。
文頭追記
クリストファー・ノーランは誰も知り得ぬ恐怖を、ビジュアル化する、既に偉大さすらある、アーティストだ。映画はエンターテイメントであるという、普遍的な前提を水杭と打ち、素晴らしい作品群を私たちに届けてくれた。
ある時はアメコミのヒーローの悲哀を現実化させ、またある時は人間の深層心理を映像に仕立て、時間と犯罪を交錯させ、時には人類の及ばぬ遥か彼方の惑星に我々を降り立たせてくれた。
そのどれもが「人間が理解しているのにも関わらず手が届かないもの」で、かつ「人間が抗えないことを直感で感じられる恐怖」を描くのだ。サイエンスフィクションの表現者としての同氏は、天才的なアーティストの域にあると考える。
さて、本作『オッペンハイマー』はノンフィクション作話であるから、前述したノーラン氏の脳内映像の表現はどれも事実確認に収まる。これが表す事実はつまり「人間が既に手に経過したもの」ということ。「人の手に届かぬもの」の表現の天才が「手に届いたもの」を描いたということだ。
例えば「パブロ・ピカソの絵画」と言われたとき、脳裏にどの様な絵が浮かぶだろうか。異論も認めるがほとんどの人はあの独特な抽象画を思い浮かべるはずだ。しかしピカソの作品には写実的なものも多々あり、その事を知ってはいても代表作はと聞かれると、またほとんどの人は回答に窮するはずだ。
『オッペンハイマー』は、天才的なアーティストが、その特徴や強みを「使えずに」作られた映画だ。これは本来、ノーランの作品とすら呼べないものではないか。
人の考えた事を享受するだけではなく、たまには自分たちの想像力も働かせろ。そう言われているのは分かる。分かるが、ファンの残念な気持ちも分かってほしいのだ。
ことわっておきたいのは、私は同氏の映画の大ファンであり、彼は今でも世界一のSF監督であり、今後も作品を見続けると思う。
だからこそ、私は彼のアートであるSF作品でアカデミー賞を総なめしてほしかったし、今後その機会が訪れることを切に願う。
2024/04/12
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鑑賞後しばし 熟考。
オッペンハイマー博士についてはずいぶんと昔からある程度の知識は持っていたし、本作を観る前には再度、その人物史をなぞってみた。昭和35年の来日時講演「科学時代における文明の将来」の内容も読んだ。(どうか興味のある方は読んでいただきたい。晩年のオッペンハイマー博士の考えがよくわかる)平和記念資料館にも行きたかった(再訪)くらいだが、かなわず、ネットにある資料を悲しい気持ちで再度、見て回った。
そんなこんな、しっかり前準備の上で鑑賞した直後の感想はこうだ。
「この映画の何をどう評価すればよいのか??」
史実に基づいているし、台詞ひとつにも気配りをしているので、ある程度人物史を知るひとにとっては、真新しい情報もなければ面白みもないと感じた(ノンフィクションだから当然といえば当然だが)。
広島と長崎での虐殺(私個人の意思としてこの言葉を使わせてもらう。オッペンハイマー博士の本意での出来事ではなかったことと前提してなお)の描写が作品内では無いことはNHKクロ現のノーラン氏インタビューで知っていた。
だから、原爆実験での表現に地獄的なものを描いているのかと多少の期待をしたのだが、どうもそれも弱含みのように感じた。これも史実に忠実に描いたのかもしれない。
まあまあ安牌な線で描いたノンフィクション。
そんな感じだ。
ノーラン氏の『表現者』としての、思いというか、伝えたいことというか「これをわかってくれ!」という、間違ってても何でもいいから突きつけたい思い、みたいなものがどうも伝わってこない。
熱がないんだ。
いや、ウソを書けと言っているわけではなく、表現していいとおもうんです。
映画なんだから。
それが「否定も肯定もせず描いたオッペンハイマー博士の人物史」であるなら、正直なところ現存フィルムをまとめたNHK「映像の世紀」とか、BBCの歴史ドキュメンタリーを見ているときの方が、グッとくるし、現実感としてゾッとしたりして心が動くというものだ。
ノーラン氏がクロ現インタビューでお話されていたが、ご自身の息子(10代)が『核問題よりも環境問題の方が重要だし興味がある』に衝撃を受けた---へのカウンターとして、今のZ世代に事実を見ておいてほしい、だから作った本作、というのがノーラン氏の唯一のメッセージなのだろう。それはそれで良きことと思う。
でもね、
はっきり言ってアカデミー賞7冠受賞はやりすぎだ。
作品全体を眺めると、物語の核心部分が、三部構成のラスト1時間のところ。本作の主題のようになっているし、それはそれでアメリカ国内ウケは良いだろう。だって「2022年に米エネルギー省は公職追放することになった54年の処分を撤回した」わけだから、翌年に公開の本作の意義はそこ、ラスト1時間の物語になってしまっている。(1時間目=序章、2時間目=ロスアラモス)
よく考えると、あえてそうしたような気もするが。
いま世界では、核の脅しが流行っているので。私の感覚では3つの国が血気盛んに核の脅威を振りかざしている真っ只中だ。アメリカだって目には目をと言いたい。が、言えないので、もう少し人命コストの低いミニ核兵器の開発に躍起になっているようだ。
死後ずいぶんと経過してからの、オッペンハイマー博士への処分撤回は政治的なニオイがしてならないのだが。
それで翌年、このような作品が生まれ?
アカデミー賞総ナメ?
ああ、そういうことですか。
日本人として云々とは言わない。そもそも私は日本人だし、誇りとまで言えそうもない程度のナショナリズムは持っている。原爆の惨禍をみなまで描かなかったことは悲惨な歴史をエンタメにしなかったノーラン氏の良識としておきたい。ノーランSFは大好きだ。
山崎監督のアンサーに期待したい。
(採点内容で細かい部分に触れるためネタバレ扱い)実にいろいろな観方ができる映画。3時間と長いがおすすめ。
今年121本目(合計1,213本目/今月(2024年3月度)39本目)。
(前の作品 「Moonlight Club in LOVE」、次の作品「Here」)
タイトル通り、実にいろいろな観方ができる映画です。まぁ、少し長いですが…。
個人的には他の方が触れていない観点でみました。デュープロセス論等の論点になります。
この映画の半分ほどを占める、オッペンハイマー氏に対する一連の聴聞は、日本では「オッペンハイマー事件」といわれ、アメリカではアメリカ行政手続法にのっとって行われたものです。しかし、当時のアメリカ行政手続法は「例外的なケースで立証責任が転嫁される、証拠の開示義務がなくなる」といった規定があり、その例外的規定をつかれた形になります(日本の行政法の発祥はドイツですが、戦後はアメリカの影響も受け、日本でもアメリカにならって(反省した形での)行政手続法が作られています)。
また、先に述べた「デュープロセス論」というのは、刑罰や何らか不利益な処分を課する場合は相手側に告知弁解の機会を与える必要があるというものです。日本では日本国憲法などにもあらわれがあります。これら規定は表面上は刑事事件に対してのものですが、行政手続きに対してもその考えは及ぶというのが日本の通説で、その考え方は「現在では」アメリカでも同様であるものと思いますが、当時はそもそもそういった考え方が通用しなかった(映画の描写の通り、思想論が全てを支配する考えだった)という部分があります。
そしてこの映画の大半を占める「オッペンハイマー事件」は、告知弁解の大切さを説くと同時に、科学者は国によって内容を「拘束されうる」(研究内容等について)、無関係な政治思想論を持ち込むと非公開の審議は無茶苦茶になるという禍根を残したものです。もっとも、研究の自由は日米とも無制限ではありませんが(例えばクローン技術等は日本でも憲法の学問の自由の例外にあたるものとして規制対象)、何ら明文化されていないものを政府が突然言い出したのがこの事件の特徴で(その事件の背景として、思想論があることは映画の描写の通り)、戦後の混乱期もアメリカは経験したのだな、といったところです。
こうした事情があるので、「原爆もの」(超広義の意味での「戦争もの」)という観点もありますが、個人的にはこうした「アメリカにも戦後の混乱期で、無茶苦茶な扱いを受けた人がいて、その人がまさに「日本にもアメリカでも評価が割れる人である」といったことを扱っていたことにこの映画の意義があるのだろう、といったところです(そういった事情なので、やや法律枠の観点で見ました)。
※ なお、1963年に政府がフェルミ賞(物理に関する賞の一つ)を与えて収束を図ったとも言われますが、完全に名誉が回復されるにあたった、公職追放の処分撤回は2022年12月16日(資料によっては15日)と「きわめて最近の話」です(同氏は1967年没)。
採点に関しては以下を考慮しました。
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(減点0.2/以上のような見方をするにはかなりの知識を要する)
この映画は表面的に見れば、原爆は是か非か、核兵器の保有問題、あるいはドイツへの対処といった問題で見られることが多いと思いますが、アメリカ国内ではこうした見方で見る方も少なくなく(海外レビューサイトも参考のこと)、これらの知識にまで描写がなかったのは残念でした。
ただ、このことはアメリカの行政手続法にはじまり、日米の行政法の戦前から現在までの動きなどハイレベルな知識が求められるので、仕方なしかなといったところです。
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(減点なし/参考/「物理学者は数学が嫌いだ」)
この当時(第二次世界大戦中)、物理と数学者は実際に分離されていました。数学者は主に暗号解読や暗号理論の構築などに従事しており、この映画がいう「管理区分」といった概念がまさにそのまま当てはまるような状況でした(たとえ隣接する学問といえども簡単に近づくことはできなかった)。ただ、この当時の量子力学は当時の数学の理論を必要としなくても「自己生産」できるほど発達しており(かつ、量子力学で用いられる数学理論は当時の水準では一通り完成していた)、「数学が嫌いだ」と「言い得た」のはこうした事情もあります(実際にこの当時の数学は代数学一色だったので(暗号関係)、量子力学と接点が少ない事情もあって、そういう心情を持つ人は少なくなかった)。
オッペンハイマーの主観が終わった後には...
紆余曲折があったものの、遂にオッペンハイマーが劇場公開された事を嬉しく思います。
バービーとのネットミーム「バーベンハイマー」は、日本人として悲しい気持ちとなりましたが、ノーラン監督作品は、どうしても劇場で観たいと言う気持ちがありました。
結果論ではありますが、世界唯一の被爆国である日本が、最後の劇場公開国になったのも何かの縁なのかも知れません。
余談ではありますが、私はゴジラ信者でもあります。
多くの方々が仰ったようにオッペンハイマーと対になる作品は、公開時期が被ったと云う理由のバービーではなく、被爆国日本が生み出した「ゴジラ-1.0」です。
本国アメリカでは叶わなかったゴジラ-1.0とオッペンハイマーを同時期に鑑賞出来た事は運命だったと思います。
以下、印象に残ったポイントを紹介します。
○キリアン・マーフィーの熱演
ある程度には脚色されてはいますが、キリアン・マーフィーによるオッペンハイマーの人物像に説得力を持たせた演技は素晴らしかったです。
オッペンハイマーと言えば奇行が目立つエピソード。
現代で言う所の鬱病とも言える心の病を患っていた訳ですが、更に世界を変える兵器を生み出す環境下であれば、尚のこと精神のバランスが崩れてしまうのは想像に難くない。
実際のオッペンハイマーを知る訳ではないですが、彼の栄光と没落を追体験出来たのも一重にキリアン・マーフィーのお陰です。
○ノーラン監督の手法(視点の切り換え)
ダンケルクやTENETのように過去・現在が入れ乱れる時系列。
オッペンハイマーが公聴会で追求されている1954年、
同時期の水爆推進派にしてオッペンハイマーに対する私怨を持つルイス・ストローズの1959年、
そしてオッペンハイマーが学生時代から原爆を生み出し、反核活動へと至る過去の3つの視点が、交差しながら物語は進む。
過去作と比較するとそこまでの奇想天外な構成ではないです。
しかしオッペンハイマーは共産主義者なのか?
誰がソ連のスパイなのか?
ルイス・ストローズの策略等に迫るサスペンス仕立ての構成は、観ていて楽しかったです。
シチュエーションが反復する場面も、登場人物に新しい側面を見せる事で人物像が変化していく手法もノーラン監督らしく素晴らしい!
○原爆を墜とす者と墜とされた者
アメリカ人にとって原爆は戦争を終わらせた勝利の象徴。
トリニティ実験が成功した時、日本に原爆を投下した時、日本が降伏した時...彼等にとって輝かしいものだった。
日本人ならば誰しもが、彼等の歓喜に怒りとも哀しみとも何とも言い難い感情が湧き上がったはず。
キリアン・マーフィー演じるオッペンハイマーも自分の感情が整理出来ていない描写が良かったです。
あの描写は日本人として救われました。
○戦争による倫理観の崩壊
劇中で広島と長崎の名が出る度にやはり複雑な感情が込み上げて来ました。
「京都は思い出深いので目標候補から外す」、
「東京大空襲は10万人だった」...
墜とす側のユーモアを交えた議論は、被爆国としてホラー映画でした。
あの時代、何万人レベルの死傷者なんて当たり前だったのでしょうが、誰も彼も倫理観が壊れていた。
台詞の一つ一つにおぞましさを感じました。
○オッペンハイマーが惹かれた世界
量子力学に足を踏み入れるオッペンハイマーが学生時代より、量子に惹かれて行く描写が美しかった。雨粒や波紋、そして女性関係。
精神の不安定さを逆手に取った量子のビジョンだったり、女性関係の背徳感が際立った。
○赤狩りの時代
この作品では、当時の共産主義者の赤狩りの背景が描かれていました。
「赤狩りの時代を繰り返してはならない」...この側面が日本人的にはピンと来なかったのではないでしょうか?
このマッカーシズム(共産党排除)は、戦時中の日本の憲兵による少しでも疑われたら逮捕される状況のようなもの。
このオッペンハイマーは、この魔女狩りのような歴史への教訓も汲んでいる訳なんですね。
○オッペンハイマーとストローズの結末
1954年、カラーで描かれるオッペンハイマーの聴聞会(原爆/核分裂)。
1959年、モノクロで描かれるストローズの聴聞会(水爆/核融合)。
どちらも大敗する結末ですが、大きな違いがありました。
オッペンハイマーは、ストローズの徹底した包囲網により核への権限を失ってしまう。
しかし彼の名誉を守る為の証言が集まった。
対してストローズは、多くの不利な証言が集まり、更にはその傲慢さが暴露されて商務長官へとなれなかった。
そして後年、オッペンハイマーは1963年ではフェルミ賞を受賞。
原爆を生み出し、後年は葛藤し、核軍縮に尽力した科学者ロバート・オッペンハイマー。
とても波乱な人生でした。
○オッペンハイマーの主観は終わり...
ラストはオッペンハイマーが目を閉じて映画は終わりました。
ここまで徹底したオッペンハイマーの目線から離れ、今を生きる私達の目線に戻される。
核により危うい世界に生きる私達は、どうすればいいのか。
【最後に】
ノーラン監督が広島・長崎の描写を入れなかったのは、オッペンハイマーの主観を尊重したからだと発言していました。
また「簡単な答えは出ない、ただ問いかけたかった」とも言っていました。
未来に生きてる私達は、何とでも言える。
神の如く、あの時代の批評をするのは烏滸がましいとは思いますが、やはり原爆投下は正しかったとは言いたくないです。
あれから何も変わっていない人類。
変わらないからこそ問い続ける。
ゴジラやオッペンハイマーは、人類に必要な作品です。
予備知識ないと難しい。
原爆を作ったオッペンハイマーの栄枯盛衰を描いた作品。
びっくりするほどの頭脳を持っている物理学者のオッペンハイマーが原爆を作る責任者になる。原爆に対して恨まれるのは大統領や落とした人、それは確かにそうだろうが、研究者としてのプライドと苦悩が見え隠れする。公聴会ではそれが顕著になり、見ている人にその揺らぎを託している。
驚いたのが、オッペンハイマーの奥さん。子育てのストレスを酒に求めたり、女性関係にだらしない旦那にもめげず、強くなっている姿には同一人物!?と思うほど。
ドイツのヒトラーが亡くなったことで原爆投下の矛先が日本になったとあったけど、そうなの?レビューでもそれはないという方もおられるし。どちらにせよ、投下で戦争を終わらせる目的だったというのはアメリカの主張でしかないことは心にとどめておかないと。
戦争のため、抑止力のための原爆の開発を望んでいなかった、と思いたい。
俳優と内容など〇 ※音量が非常に大きい
【あらすじ】
この映画は、物理学者オッペンハイマーが原爆の製作にどのように関わったのかと、戦後米国でどのように評価されたのかを映像にしています。
【構成】
自分なりにまとめると、
①開始~約20分:中~終盤の場面がハイライトみたく出現。
②中盤:原爆実験の道のり。
③終盤:戦後、主人公への賞賛と批難。
といった感じでした。
【構成別の感想】
①時系列がバラバラに映し出されるため、集中して観る必要性は感じませんでした。音量については、開始から大きいです。
②1時間半くらいですが、どのような環境で原爆が作られたのか、歴史を観ることができます。特に、原爆実験の成功はこの作品の山場だと思います。
③公聴会に呼び出され、政府や検事から原爆製作時のスパイ疑惑(やってはいないが、ソ連に情報を洩らした疑い)について問い詰められます。実は、②から部分的にこの場面が出てくるので、時系列がバラバラになったように感じてしまいました。情報量が多いので、ラストですが、聞き流してしまいました。
【観る際の注意点】
・場面転換が多いので、今の場面が戦前の原爆実験なのか、戦後(冷戦時)なのかは意識するとよいです。
・ホラー映画みたく音量(爆発音や聴衆の足音など)の大小が「非常に」激しいので、耳栓など持っていくと安心です。私はイヤホンで代用しました。
科学者としての苦悩や哀愁を強烈に描き出した最高傑作!
予備知識なしで観ましたが、原爆が何かが分かれば大筋の内容は把握できると思います。
とは言え、序盤から聞き慣れない人名や専門的なセリフが出てくるため、ウトウトしてしまいます。
実際にオッペンハイマーをリーダーとした原爆の実験が行われる辺りから緊張感が高まり、映画の世界に入っていけました。
何と言ってもキリアン・マーフィーがカッコよすぎで、オッペンハイマーの表情やしぐさに自然と惹き付けられます。
終盤は彼が告発されて、科学者としての苦悩や哀愁を深く感じることができました。
アカデミー賞も納得の作品で、オッペンハイマーの表情が心に残る映画でした。
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