オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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期待度◎鑑賞後の満足度◎ 先ず予想外に驚いたのは(脇役に至るまで)豪華なキャスト。2/3まではハッキリ言って(日本人として)少々胸糞悪かったが、最後まで観るとなかなか力作だとは思った。
①この映画を観て思ったのは、そもそも人類が「量子物理学」を発見した時点で、(人類の本性から)遅かれ早かれそれを戦争の為の破壊兵器発明に適用するのは必然だったろう、ということ(だからアインシュタインは「量子物理学」には懐疑的だったのかも)。
だから、オッペンハイマーが天才だから原爆を発明できたのではなく(その証拠にドイツも日本もロシアも核爆弾の研究はしていたし)、偶々ドイツ(ナチス)・日本・イタリアと連合国との第二次世界大戦という格好の実演の場があるという時期にオッペンハイマーが巡り合い、原爆を作ることになった。
結局、核兵器は人間が宇宙を解明していく過程で必然的に産み出されるものだったのだろうと言うこと。※かといって、核兵器の抑止力が必要悪だとか広島・長崎への原爆投下を必然的なものという意味で言っているわけではありません。
②そういう意味では、オッペンハイマーはどちらにせよ人類の誰がが請け負わざるを得なかった役割に偶々つかされた運命論的に言えば悲劇的な人だったと言えるかもしれないが、映画は残念ながらそういう役割を受け入れ果たさねばならなかったオッペンハイマーの内面を描ききっているとは言えない。
③
感情にではなく、理性に訴える映画
「Oppenheimer」
「オッペンハイマー」
2024年のオスカー作品賞に加えて、クリストファー・ノーラン作品なので鑑賞♪
世界では1年前に公開されましたが・・被爆国日本では、どこの配慮の結果か??公開が見送られたいわくつきの映画。
オスカー取ったので興行的には収益が見込まれるからと、公開されたのでしょう♪
反戦映画でもないし・・もちろんアメリカ人にありがちな、原爆礼讃でもないし・・核兵器を開発してしまった、天才物理学者の人生と それを取り巻く人々の姿、欲望を淡々と描いた感じ・・。
映像の表現は、さすが クリストファー・ノーラン♪
なぜ、オッペンハイマーが、公職を追放されたかを縦糸に・・彼の人生や、時代背景を織り込んでいく感じですが・・
大前提の、公職を追放されるという出来事に至る道筋、交錯する人間関係がもう少しわかりやすく描かれていると助かったかも・・(汗)
正直、登場人物の名前と顔を一致させるのに苦労・・画面にいない時に、名前で登場する人が多くて・・(汗)名前も・・ありがちな名前じゃないから(笑)
そんなんで、前半は睡魔に襲われることもありましたが・・後半は引き込まれました・・。
よく知ってる俳優が多くキャスティングされていますが・・時代の雰囲気、時代の人物になりきっているので・・
あれ、あの人じゃん♪と・・素晴らしく演出されてました。
ナチの「アイヒマン」と同様、愛国心ゆえ職務に忠実だった結果の「原爆の父」だったのかもね・・。
男の嫉妬は恐ろしい物です
罪を背負った男の顔 - 映画「オッペンハイマー」
原爆の話なので見る前は少し怖かった。
なぜなら自分も被爆国の民なので。
普段生活で原爆のことなんてほとんど考えないとはいえ、このようなセンシティブなテーマの映画を見るのには勇気が要ると思った。
海外で作られた映画なので、原爆投下が礼賛されていないとも限らない。
だけど映画ファンとしてはもちろん見ざるを得ない。なにせアカデミー賞受賞作だ。
# 新宿TOHOシネマ
最前列に「フロント リクライニングシート」になっている。東京出張中でやや眠くてリラックスしたいこともありこの席を予約した。席に寝そべりながら優雅に映画を観る体験は一度してみたかった。
だがいざ行ってみるとまったく席にリクライニング感がない。どうやらフルフラットではなく少しだけ後ろに倒れるタイプのようだった。よく探すと席の横にリクライニング用のレバーがついていた。レバーを倒して映画を観ることにした。
# 睡魔
アカデミー賞作品を見ているのに猛烈に眠い。出張とリクライニングシートのせいだ。3時間の映画の前半2時間ぐらいはほとんど眠ってしまっていた気がする。アカデミー賞作品なのに。
だが原爆実験が成功するところ、広島長崎への原爆投下の知らせを聞くところ、オッペンハイマーが消し炭になった子供の遺体を踏む妄想にとらわれるシーン、何回も鳴り響く爆発音、罪悪感に焼かれるアメリカ人たちの歓喜、アインシュタインとの会合など、一番肝要なシーンは見ることが出来た。
とてもちゃんと作品を見たとは言えないのだが、それでも強く印象に残る部分はあった。
# アメリカ人の歓喜
今では多くの日本人は漫画「はだしのげん」を読んだことがあったり、広島の原爆ドームに行ったことがあってりで、原爆投下がどんなに悲惨な被害を生んだのかのイメージぐらいは持っているんじゃないだろうか。
多くの人間がデロデロに溶かされ焼けただれる。この世のものとは思えない地獄だ。僕らはこうして清潔で綺麗な映画館で平和に映画を見ることができるが、当時、原爆で溶かされた人たちはどれほど苦痛だったのだろうか。
そしてもちろん当時のアメリカ人たちもそんなことは知らない。単に悪の敵国に快進撃を与え、勝利を祝っているだけ。純真無垢な気持ちだろう。だがそのコントラストがこの映画では鮮やかに描き出される。オッペンハイマーは原爆の開発者だけあって、原爆投下が現地に何をもたらしたのかは想像がつく、というより誰よりも理解しているのだ。
手が汚れ、罪を背負った男の表情が、そのまま映画のメインビジュアルになっている。
# リベンジ
この映画のコアな部分は鑑賞できた気がするとはいえ、前半2時間も眠ってしまったので、これはまたリベンジしなければならない。
子の不始末は親の責任
初めは純粋な知識欲であった。それが戦争の時代に生きたことにより人生を狂わされた、被害者の1人とも言える。
原子爆弾の威力と被害には正面から向かい合っているとは言えず、表面しか描けてない。
監督がIMAX撮影に力を入れる理由がよく分かる。
何を描きたいのか
期待値が高すぎたせいか、あの時代と原爆製造と市民への原爆投下と言う事を扱う難しさか、焦点がボヤけた映画をみせられた感じです。なんで実験が苦手で理論好きの物理学者が原爆製造事業の中心になったのか説得力を感じない。
アメリカの敵対国であるユダヤ人虐殺のナチズムドイツ、スターリンの共産主義独裁国家のソ連、極東アジアの侵略国家の日本に関しては言葉としての敵国の説明しかない。
アメリカが原爆開発を急がなければならなかった理由は語り尽くされているが、新しい観点はない。
反ナチズムと言う面でのコミュミニズムへの共感性の過去とか女好き肉食男子に関した描写は長い映画の箸休めにしか感じない。いらないシーンだ。
描きたくてもまだ描けない事情がある事を感じた。
ノーランの映画だから派手な映像と思ってたら肩透かしを食らった感じな...
ノーランの映画だから派手な映像と思ってたら肩透かしを食らった感じなので音響重視でドルビーシネマで観たのは正解、とグラントシネマサンシャインの予約争奪戦に不戦敗した自分に言い聞かせる。
3時間の上映時間も忘れて堪能できたが、某評論家先生のせいで必要以上に反発食らって叩かれてるとしたら残念だ。
これが作品賞?
全く自分には合わない作品。特に酷いのが、ただ大音響を流しているとしか思えない音。時系列がクルクルと変わり何が表現したいのか?隣の人は途中寝ていましたね。あの大音響の中よく寝ることが出来るなとちょっと感心…
この映画、原爆の本当の恐ろしさを過少表現しているのか?それとも製作者側が知らないだけなのか?ありのままを表現する技量がなかったのか?その辺りが物足りなさを感じた点だと思います。この点は日本人クリエイターの方々に期待するしかないのでしょうか?
久々にエンドロールが始まると同時に立ち上がる人が多数。私は最後まで立ちませんが。
理論的な、あまりに理論的な
「我は死なり、世界の破壊者なり」
米国量子力学のパイオニア、そして"原子爆弾の父"J・ロバート・オッペンハイマーの物語。
まず総論として一言「シーツを入れろ」。
難解だが観なければならない作品。日本人としては受容れがたい描写もあるが、観ないという選択肢はない。また、劇場で観ない理由は"ほぼゼロ"である。
本作は1954年、赤狩りの最中のアメリカを舞台に2人の人物の「証言」として物語が進行する。ひとりは原子力委員会委員長ルイス・ストローズ、もうひとりはJ・ロバート・オッペンハイマー本人である。実験は不向きだが理論には卓越したオッペンハイマーの経歴を、ブラックホール理論、中性子理論、マンハッタン計画、そして共産党との関係を通して「告発と供述」によって紐解いていく。
本来ならばスピルバーグあたりが描いてもおかしくなかったこの物理学者が何故ここまで描かれなかったのか?観て納得した。まずこの物理学者の人物像が複雑怪奇だ。頭脳明晰だが自己顕示欲が強く、視点は慧眼にして盲目。これらを構成するのにそもそも時間がかかる。そして決定的なのは映像だ。クリストファー・ノーランの時代になってようやく、ロスアラモスで灯された"プロメテウスの炎"を描く技術が追いついた。原子力の業火とその衝撃は、IMAXだからこそ成立しうる表現である。思えばスピルバーグもノーランも、デヴィッド・リーン監督「アラビアのロレンス」に大いに影響を受けた映画監督である。ヒーローから一転、寂しい晩年を送った点ではオッペンハイマーもロレンスやシンドラーと同じで、ロレンス〜シンドラー〜オッペンハイマーとバトンが繋がれたように感じる。
ふたつの回想により断片的に物語が展開するため状況把握には苦労するが、当事者たちがどれほど未知の分野に足を踏み入れていたかを体感することができた。1945年7月の「トリニティ実験」を観てみるといい。当時最高の頭脳は、ガラス板とサングラス、そして日焼け止めクリームのみでまるでキャンプファイアでもするかのように原爆の爆発を眺めている。この描写だけでも想像を絶する兵器だったことが窺える。
当初、オッペンハイマーの見立てでは「広島に原爆を投下した場合の犠牲者予想は2万人〜3万人」であり、「我々は理論で世界の恐怖を予見できるが、人類の大多数はやってみせないと理解できない」として、敗戦濃厚の日本に対して原爆を投下することに踏み切った。つまり、「原爆の効果を証明すれば今後人類が戦争を起こす気になる確率は"ほぼゼロ"であり、そのための捨て石は必要である」という考えていた。だが物事には「予想外」がつきものである。確率が0.1%でも、起こる時は起こる。結果として人類はオッペンハイマーの予想を裏切り、「核の傘」の世界が展開されることになる。その独善的な視点が"ほぼゼロ"の世界線を引き当ててしまったことは非常に残念でならない。
プロメテウス
とうとう日本公開という事で満を辞して鑑賞
広島に3年間だけ住んでいた事があり毎日原爆ドームを横目に通勤してました
あの日何万人もの人がそれと気づく間もなく亡くなられた惨劇は何があっても後世へ学び伝えていかなければならい出来事ですが、
他のレビューにもある様にこの映画の軸はあくまで科学者オッペンハイマーの苦悩にフォーカスを当てた人間ドラマであり、私はニュートラルに観れました
それでも、彼を讃える国民に「閃光と共に消滅する」幻覚を見るシーンでの複雑な感情…
史実に対して自分の無知さも痛感
【これ以上は政治的になるので、ここから純粋な映画としてのコメント】
本編通じてクリストファー・ノーラン監督のブレないストイックさが滲み出ています
主人公の苦悩を描き続ける上で一切無駄なシーンがなく、シリアスな映像・安定しない旋律の音楽もあいまって緊張感を持続させ、瞬きもせずに見届けろといった気概すら感じました
人によってはこの3時間が体力的に辛かったり、退屈にも感じる事もあるかもですが、このテーマを扱う上ではこれ以下では通用しないかもしれません
そういった意味では二度と観ることのできない映画体験なんじゃないかとすら思えます
それを証左するかの如く豪華キャスト陣の演技熱!
みなさん素晴らしくてこれには本当に感動しました涙
これからご覧になる方は特に時間軸を意識されると良いと思います
(カラーがキリアン・マーフィーさん、モノクロがロバート・ダウニーJrさんそれぞれの視点です)
ありがとうございました
一人の男のアンビヴァレンツな物語
かなり素養を問われる映画で何も知らないといちげんでは
流石に訳分らないと思います。
原爆と言うかオッペンハイマーと言う男の物語、史実は詳しくないので
作中限定ですが共産主義に共感してるのに入りたくはない、
奥さんは大事だけど浮気もする、第三者にも物理学はとっくに捨てて政治家
じゃんと言われるが否定も肯定も無い
原爆を産み出し終戦まで導く英雄的な賞賛を自覚し満足つつ
同時にその大罪も自覚する。
理論に長けているハズなのに常にアンビバレンスな迷いを持つ彼を
トルーマン大統領は泣き虫と表現したのはなるほど、と思いました。
この先も色んな形や語られ方がするであろう彼へのノーラン監督らしい
アプローチという点で興味深い作品です。
あっという間の3時間
IMAXにて鑑賞
予習としてNHKのドキュメンタリーを観ていたからオッペンハイマーの生涯はなんとなく把握できていたが、そこで流れた広島や長崎の被害の映像には思わず目を背けてしまっていた
だから映画のクライマックスになる原爆実験成功から投下までの下りは哀しい気持ちになっていた
この映画では原爆被害の映像がないから、それを知らない人が観て、どういった感想を得るのか興味深い
しかしオッペンハイマーという人物を描くという点では見応えのある映画だった
クリストファー・ノーランお得意の異なる時間軸を平行に観せていくということを神がかり的な手腕で魅せてくれ、あっという間の3時間だった
後悔先に立たず!
オッピーには何度か計画を中止するチャンスはあった。でも、科学的好奇心の方が優ったのかなと想像できる。まぁ、彼が成し遂げなくとも、他の誰かが完成させたのかもしれないけどね。強風、大雨の中、初日IMAXの1回目で観た。悪天候の中、思いの他観客が多かった。オッベンハイマーのことは、全く知らなかったので、前夜テレビのドキュメンタリー「マンハッタン計画 オッベンハイマーの栄光と罪」を観ておいた。原作の原題の意味は「アメリカのプロメテウス」。ギリシア神話で天上の火を盗んで人間に与えた神のことだ。何てうまいたとえだろう。ノーラン監督らしく、時制を崩しているが、白黒とカラーを用いるなど、予想したほどわかりにくくはなかった。オッピーははじめ、人々を引っ張って行くような人物には見えなかった。でも、ロスアラモスに町ごと建設するとか、分業にして計画の全体像をわからなくさせるといった知恵があったし、どうにか計画を進めて行こうとする粘りがあった。大天才で人間的にも立派な人という風に描かれていなかったことは、好感が持てた。ストローズは「アマデウス」のサリエリのようなオッピーに対する嫉妬を感じた。広島と長崎の原爆の被害が映し出されていないことで、かなり批判が出ていた。昨年夏アメリカで公開されて、すごく話題になっていたにも関わらず、配給が決まらず、唯一の被爆国だから無理かなと落胆していた。ようやく決まって、しかもアカデミー賞をたくさん獲ったので、観られて本当によかった。その描写がなかったことを残念だとは思うが、私はそれよりもアメリカは広島と長崎に原爆を投下したことで、戦争が早く終結したという主張を変えていないことだ。東京大空襲でも降伏しなかった。だから、仕方がないというのだ。たしかに当時はそういう考えだとしてもいたしかたない。あれだけの被害が出てしまうとは予期しなかっただろうから。でも、土地が荒廃し、人間にも長く後遺症が残るという被害状況を分析しきった現在では、その考えは間違いとは言わないまでも、よろしくない考えだったとは言えるのではないか。そうでなければ、ロシアはウクライナに、イスラエルはパレスチナにとっくに原爆を投下しているはずだ。その点が非常に悔やまれる。
物語の「ピーク」の設定が大変理性的。
ユダヤ人であるオッペンハイマーが、反ナチスの大義のもと自らの研究成果を示す「実験場」としてマンハッタン計画を推し進め、結果として過酷かつ数奇な運命を辿らざるを得なかっという話・・・と理解しました。
この作品のピークは人類最初の核実験「トリニティ実験」の成功であり、決して「広島、長崎への原爆投下」じゃないってところが、ノーラン監督の理性的、客観的視点の鋭さを良く表していると思い非常に感心いたしました。
トリニティ実験の迫力は想像以上なので、ぜひ音響効果の優れた劇場でご覧ください!
戦争終結後、一時的にメディアに持ち上げられ富と名声を得ますが、それは彼の今までの払ってきた犠牲とは全く釣り合わない形だけのもので、逆に軍縮を意見した国家、そして政敵にはめられて没落する様は見ていて痛々しいものでした。
そういうの好きな方は良いのかもしれないですが、公聴会の攻防に明らかに尺を取り過ぎで、しかも人物相関も複雑、時系列的にごちゃついていて詳細の理解は基礎知識あっても一度の鑑賞では常人にはたぶん無理でしょう。稀にレビューアーさんに可能な方がいらっしゃてほんと凄いと思いますが。
これがカオス大好きアカデミー賞の主要部門総なめってのは逆に納得しました(笑)。
作品賞・主演・助演男優賞ほか
ノーラン監督脚本作品らしさが表現された秀作。
ただ史実に基づくとはいえ被爆国の悲しみゆえに米国民が歓喜している様子を直視するのはキツイものがありました。米国作品なので仕方ないですが。
作品としては長尺の良さをそれほど感じることはできませんが終盤に押し寄せる怒涛の展開は見応えがありました。私的にはアインシュタイン役のアクターが激似で良かったです。
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ちょっと記憶や理解力を求められる作品かなと。
まず興味を持って見に行った人間でも、いろいろな国の人名(学者等)や、前後する時間軸など、理解力・記憶力を求められる展開が続くので、多くの人にウケるかと言ったら決してそうではないと思う。この手の話題にあまり興味ない人が『なんか話題だから』といった感じで見に行くと、ちょっと嫌な思いをするかもしれない展開が(特に序盤は)続くので。
必要があるのかどうかは良くわからない(個人的には嫌いでない)性的な描写などがあって、そもそも年齢制限がある作品だけど、終盤はかなり見ごたえがあるので、そこまできちんとついていければ、とても見ごたえのある作品だと思います。
正直あの原爆の幻覚はちょっとヌルいのではないかと思ったりもしましたが。
オッペンハイマーの成し遂げた事とは?
この映画を核兵器開発を反対しているとか、原爆を広島、長崎に落とした事をアメリカが後悔しているとか、反戦をテーマにしている映画だと思って観に行きますと、何を描いているのか分からなくなりますので少し注意が必要です。
この映画は、題名の通りオッペンハイマーの青年時代から晩年に差し掛かる頃までのオッペンハイマーの半生を描いていますが、話題の中心はオッペンハイマーにかけらるスパイ容疑にまつわる「オッペンハイマー事件」を展開させて進められているのです。
この事件に関して、少し知識が無いと、映像が“事件”の聴聞会とオッペンハイマーの半生が時系列において入り組んでいますで、何がなんだか分からない状態になってしまいます。それ故、事件に関して簡単に説明させて頂きます。
オッペンハイマーは原爆の開発に当たって、フックスというドイツ生まれの物理学者を雇いますが、フックスは科学者の傍らソビエトのスパイとしても働いていて、機密情報をソ連に流しソ連の核兵器開発に加担しFBIに捕まります。
オッペンハイマーも戦後、米ソの緊張が高まる中、スペイン内戦の人民支援や共産主義者との交流が過去にあったこと、
そして何よりも水爆の開発を先頭とする「核開発競争」に踏み込む事にはっきりと反対の意思を表明し、批判したために、ソ連に肩入れしているという、言わば“なんくせ”をつけられて機密漏洩している共産主義者のレッテルを貼られます。
少々、雑な説明でしたが、宿敵ルイス・ストローズがオッペンハイマーを落とし入れる、この事件の聴聞会の場面から始まりますので、何も知らないと面食らいますから、お粗末ながら説明させて頂きました。
肝心なレビューの方ですが、『原爆を落とす理由は日本を降伏させ戦争を終結させるためだと、戦争を終結させれば何百万人の命を救える』と被爆された方には理不尽な言い訳をします。
私から見ればオッペンハイマーは自分の理論が正しい事も証明したかったのではないかと疑ってしまうのですが、
何せ、アメリカ映画ですからアメリカよりの立場で太平洋戦争
(第二次世界大戦)を捉えています。
その辺りに憤りを感じる方も多いのではないかと思います。
オッペンハイマーは原爆投下後、かなり後悔するのですが、
後の祭り「後悔、先にただずつ」、彼は、これから世界が破滅の道へと向かうのではないかという恐怖にかられ、ちょっとした
精神的、病いにかかったかのようにも映されていますが、果たして彼も含めて原子力エネルギーの開発に携った者は偉業を成し遂げたと言えるのでしょうか?観客に問いかけてきます。
挙国一致、本土決戦の意思を貫こうとしていた大日本帝国軍を降伏させるには、原爆投下は、やむを得ない事だったのでしょうか?
話しが外れますが、日本が太平洋戦争に突入せざるを得なかった理由には、ロシアの東アジアへの侵攻(中国・満州への侵攻)に端を発し、欧米諸国の植民地政策も背景に有り、本当に日本だけが一方的に悪いのか?それに、核兵器ばかりを巨悪と非難しますが、戦闘機は?戦車は?機関銃は?…兵器と呼ばれるものは皆、破壊、殺戮を目的として開発された悪なのではないか?
昨今、ガザ地区、ウクライナにおいて、市民の被害者の事ばかりマスコミは大きく取り上げるけれど、兵士ならば命を失うのも仕方のない事なのか?
こういった事に、疑問を持つ私は変わり者なのかもしれませんが….
話をオッペンハイマーに戻しますが、彼は実験物理学には向きませんが、理論物理学に向き、特に量子力学の分野では才を発揮し、中性子をウラン235にぶつける事により、核分裂が誘発され、莫大なエネルギーが放出される事を数式上で打ち立て、理論を組み実現へと向かっていきます。
これが良くも、悪くも彼の運命を左右する事になり、名声を勝ち取りながら、結果自分の犯した罪に苛まれ、スパイの嫌疑をかけられ没落します。
後にジョン.F.ケネディに名誉を回復されながらも、62歳の若さで、この世を去ります。(映画ではここ迄は描かれていません。)
アメリカはドイツの天才・量子力学者ハイゼンベルクが先に原爆を造るのではないかという、影に怯えまた焦り、核兵器の開発を急ぎ、成功しますが、太平洋戦争が起きた為に、科学は大きく進歩し、禁断のエネルギーを人間は手にします。
未来においても、同じ状況が起こり、この禁断のエネルギーを超える破壊力を持った兵器が開発される事を誰が否定できるでしょう。
そのような事を痛烈に感じた次第です。
畏
瓶の中に蠍は複数いる。プロメテウスの呪い。
内容は、1926〜1950年代アメリカ🇺🇸における人物J・ロバート・オッペンハイマーの人生を主観的に捉えた作品。原爆の父とも揶揄される彼の天才的頭脳による栄光と苦悩が描かれている。今までに無い原爆に対する🇺🇸の答えと感じられる様な複雑な作品。
印象的台詞は、『世界は、瓶の中に🫙2匹の蠍を入れている様なものだ』太平洋戦争が終わり冷戦時代の大国を揶揄した最後の演説には🎤複雑な思いが毎回込み上げてきます。原爆の罪を知った上で科学者としての利己的な能力を使用した苦悩とそれでも原爆の問題を原爆で解決しようとした矛盾。玉ねぎ🧅の皮を剥く様に複雑で多面的な人物描写には驚きます。
印象的な場面は、なんと言っても世界初の原子爆弾実験『トリニティー』の爆破の瞬間です。何故そう名付けたかは今は分かりませんが、何故か最後の審判的な感じを受けます。理性的には分かっているつもりですが『キレイ』と感じてしまいました。あの爆発の映像表現と音の迫力の没入感は恍惚にも似た感じがあります。自分の非人間性と子供の様な無邪気さの混ざる気持ちにさせられました。
当時原爆の見解は世界初の核実験、何が起こるか分からない。大気中の空気が全て燃え尽き世界を破壊してしまうかも判らない状況で、原爆実験をしてしまう人間の性が、浮き彫りで何とも言えない気分になりました。
印象的な立場は、『オッペンハイマー事件』ストロースとオッペンハイマーの立場です。結果アマデウスの映画のサリエリとモーツァルト様に、七つの大罪で最悪のものとされるENVY『嫉妬』によって、最終的にお互いの身を滅ばず事になる展開はリアルで根の深い面白さを感じました。
3時間に及ぶ大作なので複雑に感じると思いましたが、終始オッペンハイマーの視野からの覗き見と言う事で分かりやすく感じました。オッペンハイマーの感じた時間と空間を超越した感覚に至るまで映像化と音にこだわった今までにない作品だと感じます。クリス監督自体が観客に迎合する気も無い芸術家気質なので、メイン登場人物が15人以上出る人間関係の構図の予備知識が、かなり必要な様にも感じました。テンポの良いカットワークで観る人を置き去りにしてしまう凄さを感じます。
全体的に登場人物の老化具合や衣装やなりきり具合が全てマッチし、1950年代を覗き見した気分になりました。この映画で何を伝えたいか感じるかは人其々だと思いますが、自分は、『今に全て分かる』『瓶の中の二匹の蠍』が意味深に思えて仕方が無いです。既にパンドラ箱を開けてしまった人類の希望は、望むべきものは無いのかもしれません。
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