オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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思想や偏見を乗り越えて‼️❓差し迫る真実に目を瞑らず‼️❓生きていく‼️❓
間違いなく反戦映画です、ただ、広島などを直に取り上げないのは、多くの人に観てもらうための配慮です。
そうしないと、変なメタファーや色眼鏡の意見や妨害が生じる、でも、アメリカ人の姿に被害者の姿を写し、間接的に示してはいます。
政治家等の鬼畜ぶり、科学者の結果への無力、国の判断がいかに人類の希望に反するのか、それがまざまざと、見せつけられる、そう、この映画は、それを示して、でも、みんなに、反核反戦を意識させる、貴重なものでもある。
デイテイルにこだわり、観たところ、嘘偽りは、ただ一つだけでした、京都は最初から最後まで目標の一つでした、天候の関係で無事なだけです。
歴史に忠実に、中立を保つことで、崇高な映画になりました。
一科学者が、成さなくても誰かがしたでしょう、しかし、彼の苦悩を描くことで、観た我々が、一人一人が過ちを繰り返さない、この世界を壊さないように、考えていく礎にならん、そう、信じさせる映画でした。
彼を取り巻く人々の残忍で、悲惨な、姿は、反面教師であり、内面の姿でもある、それを自戒しながら、生きていこう、いい映画でした、ありがとうございます😊😭
“白のシーツ”
原爆を開発とその後を描くオッペンハイマーの心情と苦悩の話。
全体のストーリーは何となく分かるけど正直細かいところまでは把握できないし、もう一度観たいとも思わない。180分長いと思ったけど以外と観れて。
ノーラン監督の作品は苦手で「テネット」もちょっと無理だったけど、テネットとは違い本作はただただ難しいって感じで、終盤辺りの実験の成功辺りから少し観やすくなった個人的に。
原爆開発成功で一時的には誇らしい気持ちなれたと思うけど、自分の開発した物で数多くの人が亡くなったと思ったら後悔の念ばかりかと…、広島原爆の話辺りは複雑な心境でした。
ジョンコナー役続くな~
なぜ日本公開が8ヶ月も遅れたのか
監督お得意の”時系列ごちゃ混ぜ”表現が頭を混乱させるけど、原爆の開発と投下に対するオッペンハイマーの葛藤と苦悩はとてもよく描かれていたと思う。
ただ、ストラウスがなぜ、どのように敵対化していったのか少しわかりにくかった。
日本でこの公開の賛否があったけど、そしてこうして遅れて公開されたわけだけど、それは今考えてみると「日本では遅れて公開した方が儲かりそうだ」という商業的な戦略が垣間見える。
予習は必要な作品かも
自分の力量不足もありIMAXの映像は良かったが、細かな表現や内容がイマイチ理解不足、少なくとも観る前に予習が必要だったかも
歴史的背景と物理学知識、英語力があればもっと楽しめる作品に違いない
やっぱ字幕ばかり追ってると役者の細かな演技や映像を見を落とすし
特に後半の公聴会は字幕無しで英語で理解したかった
もう一回観に行きたいが、次回はトイレを我慢して気が散らないように鑑賞前に水分は控えよう(笑)
原爆の罪深さを描き切れていない
原爆の父オッペンハイマーが原爆を開発し広島長崎に投下したことに苦悩し赤狩りによるスパイ容疑をかけられる話。
世界で唯一の被爆国民日本人として、はだしのゲンと同様に見ておくべき映画だとは思うけど、映画としてオススメかと問われたら、ぜひ見てとは言えない。
俳優陣のお芝居は素晴らしいですが、ストーリーと原爆の描き方には物足りなさを感じて、モヤモヤした。
広島と長崎の惨状には被害者の数と犠牲者のイメージ映像で触れただけ。これだと、原爆で一瞬にして吹き飛んだ市民や皮膚がどろどろに溶けたおぞましさや、生きながらウジ虫が湧く凄惨さ、その後死ぬまで被曝の後遺症で苦しんだ犠牲者に、見た人の想像は及ばない。
そこまで描いてはじめて、原爆という悪魔の兵器の罪深さと、生みの親であるオッペンハイマーの苦悩がリンクするのだが、肝心な部分を描いていないので、オッペンハイマーの苦悩には共感できなかったし、原爆投下という罪を軽く扱いすぎじゃないかと思う。
映画はオッペンハイマーの一人称で描いており、彼が広島や長崎の地獄絵図を見ていないから描きようが無いのはわかるが、ノーラン監督が敢えて逃げたようにしか思えない。
これがアカデミー賞7冠という評価にも納得出来ない。
日本人は「はだしのゲン」を映画化して世界配給すべきでしょう。山崎貴監督お願いします。
あと、3時間は長すぎ。
終始不快感
ナチスが開発する前に、開発しなければならない。ユダヤ人としてこの思いは理解できる、しかし。日本は樋口季一郎中将の例に代表されるように、ナチスから逃がれてきたユダヤ人に人道的な支援を行い、数万の生命を救いました。その日本に核兵器を使うことに、反対しないユダヤ人とは。戦争を早期に終結させて、多くの人命を救ったなど詭弁でしかない。
我々は破壊者だ‼️
この作品は "原爆の父" と言われたJ・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画‼️戦争を終わらせた英雄として称賛されながらも、戦後、世界が核競争に突入していくことに苦悩するという彼の人生は、知ってる人は知ってるので、ひょっとしたら重苦しいだけの伝記映画になるところですが、監督はあのクリストファー・ノーラン監督‼️ノーラン監督がどんな演出で、そして時間軸を操ることに長けている彼がどんな物語構造で描くのかヒジョーに楽しみでした‼️構成としては戦後、オッペンハイマーが共産主義者かという審議にかけられるエピソードと、ロバート・ダウニーJr扮するストローズが商務長官に任命される公聴会のエピソードが描かれ、さかのぼってオッペンハイマーが原爆を発明し、戦争が終結するまでの過去のパートが交錯しながら描かれる‼️ひょっとしたらオッペンハイマーの戦後と過去が混乱するかもしれない⁉️ストローズのパートはモノクロ映像になっているのですが、できればオッペンハイマーの戦後もモノクロにしてくれたらもっと分かりやすかったかも‼️そういう意味では1週間、1日、1時間という異なる時間軸を見事に収束させた名作「ダンケルク」のほうが映画的には優れていると思います‼️ただそれらを踏まえて観れば、ヒジョーにエキサイティングな作品で、原爆発明と共産主義に揺さぶられるオッペンハイマーの心理的葛藤を表現したキリアン・マーフィは素晴らしい‼️ロバート・ダウニーJrのストローズもオスカーを獲っただけある‼️そして奥様役のエミリー・ブラントも証人台に立つシーンは爽快‼️その審議会のセリフの応酬は素晴らしいテンポで3時間をまったく飽きさせない‼️映像的にも量子力学や核分裂を宇宙空間の無数の星々で表現したり、CG無しで製作されたらしい原爆実験のシーンの圧倒的な迫力と臨場感、たびたび挿入される "閃光" 、それによって女性の皮膚がめくれるような描写、ラストの無数のミサイルが翔び立ち、地球の各地で爆発する、まるで「ターミネーター」のような描写まで、ノーラン監督らしい映像表現の数々‼️ただ巷で言われている通り、原爆を生み出してしまったオッペンハイマーの苦悩を描くのであれば、広島と長崎の惨状をキッチリ描いて欲しかった‼️ノーラン監督はオッペンハイマーの視点で描いているからと言っていましたが、やはり戦争を終わらせるためとはいえ原爆を投下したという事実から、目を背けているように映ってしまう‼️その描写がキッチリ出来ていれば超傑作になったと思うだけに残念です‼️
反核や苦悩が主題ではないオッペンハイマーの伝記映画
クリストファー・ノーランお得意(?)の時間軸がコロコロ変わる演出。
前触れなく、過去と現在が入れ替わるのでとてもわかりにくい。
きっとアメリカ人なら調度品などである程度、現在か過去か把握できる(日本人が昭和の映像だとわかるように)のだろうが、正直、日本人には辛かった。
公聴会で証言した人たちとオッペンハイマーの過去のやり取りを描いておく必要はあっただろうから仕方がないが、登場人物が多すぎて混乱に拍車をかける。
私の頭では一度観ただけでは相関図の理解が追い付かなかった。
何度か観れば『過去の伏線』なども見えてきて感想が違ってくるのかもしれない。
結局、オッペンハイマーが何を考えて原爆を作ったか、原爆が日本に落とされてどう感じたかには触れる程度で明確には描かれない。
あくまで私見だが、同じドイツ系ユダヤ人でノーベル賞まで取った敬愛していただろう、アインシュタインがマンハッタン計画から外されて『アルベルトの理諭を形にしたい』という気持ちはあったのかもしれないなと思う。
赤狩りに関してはオッペンハイマーがどんな活動をしていたかわからないが、時代もあったろうからな。
原爆投下後、アインシュタインとオッペンハイマーに反核(水爆開発反対)の姿勢を取られたことはアメリカにとって都合が悪かったのかもしれない。
反核(核の怖ろしさを描いた)映画ではないし、開発者の苦悩が主題でもない。
あくまでオッペンハイマーがどういう経緯で核開発に関わり、なぜ、偉大な科学者が失脚に追い込まれたかを描いた映画。
むしろ、原爆開発より『赤狩り批判』の方が強いかもしれない。
3時間の大作だが、飽きさせない。
役者たちの演技も上手い。
映画全体の出来は素晴らしく、アカデミー賞を取って当然だろうね。
ただ、内容(ストーリー)がな。
個人的には興味深い話で観ごたえがあったが、興味の薄い人には『難解な映画』としか思えないかもしれない。
派手なことは起こりませんよ!
これから見る人へ
派手なことは起こりませんよ!
あくまでも開発者の話なのでド派手な事は一切起こりません。会話劇、裁判劇になるのかな。
ノーラン監督相変わらずとんでもないもん撮ったな!
編集が神がかってたのとCG絶対使わないにしてもあのキノコ曇どうやって作ったんだろ?
これ賛否両論分かれて良いと思うし評価悪くてもそれはそれで良いと思う、やはり日本人だからこそ見てて複雑になったし実験のシーンなのに感動する訳でもないんだけど何かね涙出てきた。こうやって原爆は生まれたんだ!って勉強になったし口コミ見たら投下のシーンが無くて文句言ってる人いたけど想像させられるから無くて良い!
登場人物多過ぎ問題w 誰が誰か覚えられんて!!
キャスト豪華すぎて最高かよ!
ジョシュ・ハートネットが良い年のとり方しててめっちゃイケおじになっててビックリした♡
記述を知らないから細かい設定に気づかなかったけど
最初の2人のシーンは2年後の会話です。
米国で本作で作られた意味を考える
以下3つの観点で批評したい。
❶映画のテーマと世に与える意味について
❷原子爆弾の映像表現の意味について
❸映画の構造と演出について
❶映画のテーマと世に与える意味について
この映画のテーマは2つある。
1つは「オッペンハイマーという人物をどう評価するか」。
もう1つは「科学技術の進展と、人類の倫理性のバランスをどう取るか」。
オッペンハイマーの人生については肯定的に描かれていた反面、科学と倫理性のバランスについては
視聴者に重い問いを投げかける形で映画は幕を閉じる。
前者は伝記映画の基本形だし、後者のテーマは米国映画で繰り返し描かれたものであるが、
「オッペンハイマー」が特別なのは、アメリカ人が米国映画としてこの作品を作りそれにアカデミー賞を与えた、という事実。これが重要な意味を持つと思う。
その意味とは「核兵器を人に対し使用した国民として、その事実に向き合い続けるという意志表明」ではないだろうか。
核への脅威と責任は古くは「博士の異常な愛情」、定番で言うと「ターミネーター」などがある。
広義で捉えると「科学の進歩V S人類の責任」となるが、これは「スパイダーマン」の主要テーマであり、
コミックというポップカルチャーレベルで米国に浸透しているテーマだ。
これは憶測だが繰り返しこのテーマが描かれるのは、米国が人工的に誕生した国家であることが背景の1つではないだろうか。
なぜなら、太古からの民族的文化の脈略を持たず、アメリカ大陸を科学技術で自らの領土として開拓し、
論理性で国家(国民)を統治し、社会を形作ってきた歴史を持つからこそ、
科学と論理を推し進めた結果の、負の側面である「倫理観の忘却」「未来に対する責任不在の警鐘」が
国民のテーマになっているのではないかと思うからだ。
本作「オッペンハイマー」もその流れに沿っているが、
原爆投下という戦後一貫を通して米国が蓋をし続けてきた「戦争犯罪」「人道責任」について、
本国に対してはもちろん、全世界に対して問いを投げかけたこと。
そしてそのメッセージに対して、アカデミーという最高権威が価値を認めたこと。
これが米国民の歴史認識に対する転換点になったと言える、その意味で我々日本人にとっても非常に重要だと言えると思うのだ。
本作は原爆投下後の惨禍や投下に対する反省シーンが少ないため反発意見も多い。
この点は映画を見ながら私自身感じたし、史実として知ってはいたが実際にスクリーンを前に日本人としては嫌な気分になった場面はあった。
だがその点も含めて「アメリカの原爆に対する1つの意見」を知るための重要な映画だ。
この映画をみて、何を考え、どう振るまうか。
アメリカが試されていると同時に、日本人もまた歴史に対する関わりを試されいる。
❷原子爆弾の映像表現の意味について
これまでのノーラン映画と異なり空想世界のアクションやギミックが使えない中、
本作は見事に期待を凌駕してくれた。中盤のクライマックスである「トリニティ実験(最初の原爆爆破実験)」の描写はまさに白眉だった。ノーラン作品でお馴染みの、あの真綿で首を締め続けるような息苦しい時間が今作では過去最高に味わえる。
表現おいて特筆すべきは「音」。
いよいよ実験が間近に迫ると、BGMは弦楽器の単調な繰り返しとなり、
それが爆破ボタンを押す瞬間までクレッシェンドで続く。まさにお得意の「ボレロ」的演出だ。
しかも今回は実際にあった「歴史的現実」で、相手は「原爆」である。
その存在自体が否応なく恐怖の対象である。一体どんなことが起こるのか。
人類が経験したことがない現象を前に、登場人物たちは皆、心臓が口から出そうな表情。
過度な緊張と浮き足立つ空気が、上記のBGMとテンポよい編集に掛け算され、
おまけに天候は雷雨ときたから、もう席を立ちたくなるほど緊張した。
そして起爆ボタンが押され「爆発」。劇場はシーンと静まる。
スクリーンいっぱいに広が炎。火の織りなす「不気味さ」と「美しさ」の共存した不思議な映像。
「バックドラフト」で感じた「火=生き物」のような怖い魅力がそこにはあった。
そして駆け抜ける大轟音。生きた心地がしない。
「ああ、原子爆弾とはこういうものなのか」
理屈ではなく身体で感じとり、そして「記憶」する。
人類にとって意義深い映像体験になることが間違いないだろう。
❸映画の構造と演出について
結論、構造は「尋問を通して、過去を回想する」という、「ユージュアルサスペクツ」や「アマデウス」でもお馴染みの展開だが、なんせ非常にスピーディーで説明もないので理解には3回以上の視聴を前提とする。
例えるなら、というかノーラン作品は全てそうだがミステリー小説に近い。
何度も繰り返し知識が増えるにつれて解釈が変わっていくような作品だ。
ラストはノーラン作品お馴染みの「意味深なBGMと短いカット、宣説的なモノローグが展開しぷつんと切れる」の演出。これもお約束。気持ちがいい。
芝居の演出については正直「野暮ったく」感じた場面もあった。具体的にはオッペンハイマーと女精神科医との関係、
それに対する妻の嫉妬のシーン。ベタベタな表現だったので、もっと抑えてもよいのでは?と。
以上が「オッペンハイマー」の批評だ。
といっても2度、3度見るたびに感想は更新されるだろうから、今後も本作とは長く関わっていきたい。
見応えはあるが、これは難しい…
昨年からいろいろな意味で話題になり、さらにアカデミー賞7部門受賞という最高の栄誉もあって、楽しみにしていた本作。もちろん公開初日に、奮発してIMAXで鑑賞してきました。
ストーリーは、第二次世界大戦中に原爆開発を推し進めるアメリカ政府から、プロジェクトのリーダーに任命された天才物理学者オッペンハイマーが、集められた科学者たちと研究を重ねてついに原爆を完成させるが、実験での威力や実戦での惨劇から、後に開発される水爆に反対の立場をとり、以前から彼に私怨を抱いていた政府側の人間ストローズが画策した罠に嵌められていくというもの。
オッペンハイマーの足跡をたどりながら、原爆開発にまつわる彼の考えや思いをドラマチックに描く作品かと思っていたのですが、ちょっと違いました。ノーラン監督が描きたかったのは、オッペンハイマーとストローズの確執そのものであり、それを通して二人の人物像を浮き彫りにしたかったのではないかと思います。
しかし、率直な感想としては、とにかく難しかったです。登場人物の多さもさることながら、共産党員とのつながりから機密情報漏洩やソ連のスパイ容疑をかけられたオッペンハイマー博士が聴聞会で尋問される姿を通して、原爆開発までの足跡を回想として描くという構図が、全体像を捉えにくくしていると感じます。特に時系列も入り乱れ、登場人物たちの政治的駆け引き、科学への姿勢、それぞれの関係性なども複雑に入り組んでいて、わかりにくさに拍車をかけています。また、当時のアメリカの状況や共産主義者への不当な圧力なども絡んでいるようで、そのあたりの知識のない自分にはことさら難しく感じました。逆にそれらが理解できる方には、終盤の怒涛の展開がたまらなく感じられたのではないかと思います。
とはいえ、タイトルロールに注目するのは当然のことで、細かいことの理解を諦め、オッペンハイマーの心情に注目し、博士の苦悩に共感しながら、最後まで興味深く鑑賞することができました。欲を言えば、そのあたりにしっかりスポットを当て、周辺人物をもっと整理して描いてくれるとありがたかったです。博士がどうして原爆開発にそこまで打ち込み、何を危惧して水爆開発を支持しなかったのか、散々持ち上げておきながら梯子を外した祖国に対してどのような感情を抱いていたのか等、ありきたりかもしれませんが博士自身の言葉で熱く語られるとさらによかったです。
一方で、原爆開発の最終実験の成功と実戦での成果を喜ぶ姿はわかりやすく描かれています。アメリカ人のその心情は理解するものの、日本人の私はずっと眉間に皺を寄せたままでした。何十万人もの人間を死に至らしめる破壊力を称え合う前に、ほんの数人の遺体でいいから被爆地で亡くなった方を見てくれと言いたくなります。しかし、オッペンハイマーの脳裏にはわずかながらもそんなシーンがよぎり、彼にとって大きな転機となったことはうかがえます。そんなところからも、本作が反戦や核軍縮を高らかに訴えるものではなく、オッペンハイマーの姿を淡々と描くことに徹しているのではないかと感じます。期待とは異なるテイストではありましたが、確かに見応えはあり、頭を整理してもう一度観てみたくなる作品でもありました。
主演はキリアン・マーフィで、ほぼ出ずっぱりの熱演が光ります。もう一人の主演といっても差し支えないロバート・ダウニー・Jrも、貫禄の演技で魅せてくれます。脇を固めるのは、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ラミ・マレック、フローレンス・ピュー、ケネス・ブラナーら豪華な顔ぶれ。
本筋が始まるまでが長い。
内容は戦争賛成・反対でも無く両サイド視点から観られていたと思う。
核の賛否のシーンもあるが、当時のアメリカでは戦争が終わって家族が帰って来る方がとんでもない爆弾を落として民間人を犠牲にするよりは嬉しかった様だったとも取れるシーンがあってスッキリはしない。
作中にプロメテウスが人類に火を与え神の怒りに触れ岩に貼り付けられ罰を受けたとあるが、遅かれ速かれ誰かが創り出したとは思うが人類に核をもたらした彼はどうなるのだろうか?
論点のズレ。所詮はアカデミー賞。
冷戦下の赤狩り悲話に9割、
非人道的殺戮兵器開発の呵責に1割、
って論点の軽重が逆だろ。
呵責に苛まれる実験から終戦直後迄の
異様と不気味は良し。
全編会話劇に強者役者陣の演技合戦は
見応えアリだが。
ま、所詮はアカデミー賞。
ところで主役Cマーフィは
郷ひろみに似ている。
政治劇
テンポが速すぎて、付いて行くのが難しい。
事前知識があった方が、理解しやすいのは間違いない。
アメリカの赤狩りやスペイン内戦でのナチスドイツとソ連との関わりなど。
私は、政治劇がメインの作品と感じました。
日本で、一部の無知な人達が鑑賞もせずに批判しているのが残念ですね。
まさかそんな話とは、3時間あっという間
原爆の父、オッペンハイマー博士、人類が人類を自ら滅亡させる力を手にする前後譚
さすがのアカデミー賞7冠作品
いや、まさかそんな話とは、180分もあるけどあっという間、前情報なしだったのが尚良かった
それぞれの良かれが組み合わさって、とんでもない惨事を招く、世界でわが国だけが違う感覚で観るテーマ
We got a Sun
量子力学
分子や原子それらを構成する電子などを対象とし
その物理現象を研究する学問
・・とこう書くともう訳が分からんが
物理学はニュートンの運動方程式
みたいな決定論(こーしたらこーなる)
という考え方で20世紀初頭までは当たり前
だったのだが熱量や電磁波・粒子といった
要素の発見とともに予測不能な運動が増えてきて
より推測するという分野が生まれ
重視されるようになった
今では現代物理学の根幹をなす分野である
今作は日本では太平洋戦争末期
広島と長崎に投下された原子爆弾を生み出し
原爆の父と呼ばれたロバート・オッペンハイマー
の半生をクリストファー・ノーランが描いた
氏の作品初の伝記的作品
どうだったか
当初は日本人がこんな原爆賛美の映画を
観てはいけないとか好き放題言われ
よくわからんミームも騒ぎになったが
当時から思っていたがじつにくだらない
観る人々が判断することでそんな
くだらないバカの無駄な検閲はいらない
「そこをどけ」
と心の底から思えるほどの
実直に当時のアメリカの核兵器開発に
まつわる側面とそれを主導した
オッペンハイマーの側面と内面と外面を
描いた素晴らしい作品だったと思います
テーマ的には彫り込むともうわけがわからない
と感じてしまいますがノーラン監督が
これまでも触れてきた
「インターステラー」「テネット」等で
触ってきたわけわからなげなエッセンスを
と思えば不思議なほど
わかりやすかった気がします
映画は初老に差し掛かり大戦後の
水爆実験に異を唱えるオッペンハイマーが
米原子力委員会委員長ルイス・ストローズに
告発され国家の反逆者か否かと言う公聴会で
詰問を受けるところから始まり
回想的に話が進んでいきます
オッペンハイマー(以下オッピー)はユダヤの家系でNY生まれ
頭脳は極めて高くハーバード大を首席で卒業
英ケンブリッジ大に留学しニールス・ボーアに
実験を伴う科学から理論物理学をすすめられ
独ゲッティンゲン大学で博士号を取得
当初はブラックホール研究など当時では
誰も講義を聞きにこない(来れない)ほどの
先進的な研究でしたが徐々に講義を受ける
学生が増えていきます
オッピーは大変「変わり者」
いわゆるノンポリで弟フランクが加入していた
共産主義団体でも何でも関係なく付き合い
どんな女性とも付き合います
(これが後々色々物議をかもすのですが)
ところが当時のアメリカは知っての通り
第二次大戦参戦中
そんなオッピーもとへある日
「マンハッタン計画」なる計画を指揮する
軍人レスリー・グローヴス准将がやってきて
君の理論物理学を国家に活かす時が来た
と原子爆弾開発計画のリーダーを
打診に来ます
オッピーは爆弾?と最初は( ゚д゚)
としていましたがグローヴスは
ドイツのナチス政権が開発している
らしい爆弾について尋ねると
オッピーは「ドイツの量子力学研究は
アメリカより断然進んでいるけど
研究者がユダヤ系だから絶対ナチスは
冷遇して進まない」と漠然と答えます
(この漠然とした物言いがオッピーの特徴)
そこでグローヴスは我々が先んじて
原子爆弾を開発すれば戦争を早く
終わらせられるとオッピーをたきつけます
オッピーは刺激を受けこれを
「理論」と「実践」の機会と受け取り
アメリカ中の資源や調査・解析を
鉄道で繋げる中間点に町(研究所)
を作りこれを実現できると提唱すると
グローヴスはオッピーを「変なヤツ」だと
訝しみつつ一任しその中間点
ホントにアメリカのど真ん中
ニューメキシコ州ロスアラモスに
街が作られます
これが有名な「ロスアラモス研究所」
となります
グローヴスとオッピーはアメリカ中の
物理学研究者にこの計画への参加を
呼びかけ家族とともに移住させますが
中には人々を殺す爆弾を作るなんて
と参加を拒否する科学者ももちろん
いますが
「平和のために必要なこと」
「作るからと言って使うのとは別だ」
と上手に説き伏せてしまいます
かくしてロスアラモスには街が出来
3年で20億ドルを費やした原爆開発計画
が始まります
ロスアラモスではこだわりのない
オッピーが集会を開いたり
研究者の嫁を働かせたりしており
グローヴスはこれでは当然
機密が守られないと激怒しますが
オッピーのノリで進んでいきます
当然中では研究者同士の衝突もあります
ウラン核分裂より三重水素の分裂での
爆弾いわゆる「水爆」をただ一人
提唱するエドワード・テラー
(戦後の水爆開発の第一人者)
らが衝突し出て行こうとしますが
オッピーは独特のキャラクターで
うまくまとめてしまいます
そして研究が進んだ1944年
ドイツが降伏しナチスが崩壊
これで原子爆弾を作る必要がなくなった
じゃないかとロスアラモスの
研究者たちは喜びますがオッピーは
「まだ日本が降伏していない」
「ソ連も開発しているかもしれない」と
原爆開発の続行を訴え研究者も
乗っかってしまいます
もはや「オッピー教」なのです
そして1945年当時のトルーマン大統領は
日本への原爆投下を示唆しロスアラモスに
原子爆弾実験の成果を求め
ついに7月に人類初の核実験
「トリニティ実験」が実行
この時点でもなお
核分裂が大気と触れた時に
連鎖反応して地球上全てが爆発して
しまうのではないかという懸念も
まだ持っているレベルでの実験
結果は見事成功しますがオッピーは
その火柱の強大な破壊力に
言葉を失います
言われたことはやった
実験も成功した
そしてロスアラモスから
「二つの大きな木箱」が運ばれて
いくのを虚ろなまま見つめるオッピー
大統領に面会を求める申請を
グローヴスに頼みましたが
その機会は訪れることなく
その1月後に
広島と長崎に原子爆弾が投下
そして終戦を迎えました
この部分はビジュアル的な
シーンもなくグローヴスが
電話で知らせるのみです
オッピーは戦争を終わらせた
英雄かのように扱われますが
ここでオッピーはロスアラモスで
作られたものがどう使われたか
を痛感することになります
日本人からすれば大変複雑な
気持ちになります
怒りも感じる人はいるでしょう
よく「作るから使いたくなる」
といった批判をする人がいますが
「作る人」と「使う人」は違うのです
トルーマン大統領と面会した時のシーン
オッピーはソ連の脅威はわかっている
がロスアラモス研究所は閉鎖するべき
と漠然と言ってしまいます
国防長官と大統領は
ソ連が脅威ならむしろロスアラモスを
強化しなければいけないだろうと
たしなめます
そりゃ国防的には後者が正しく
なってしまい
国家予算で原爆を作り上げた
オッピーの発言は矛盾してしまいます
科学者が「理論」と「実践」だと思っている
ものは「理論」と「現実」に降りて来る
のだというのがノーラン監督が
伝えたかったやるせない
テーマなのかなと
思うところです
3年で20億ドルが費やされた
理由はアメリカにとっては
戦争に勝つため・戦後の主導権を
ソ連に上回って握るためなのです
そりゃそうです
誰も詳しく分からないものに
予算は簡単につきません
(つくバカみたいな国もあるけど)
かくして核兵器の恐ろしさを
知ることになったオッピー
戦後は功績を称えられ原子力研究所の
所長をアインシュタインにも
断られたストローズに打診されますが
前述のとおり一貫して
水爆等の開発には反対方針
このつかみどころのなさに
プライドを砕かれた
ストローズはオッピーの名誉を
突き落とす工作を仕掛けます
というのが回想の間に挟まれて
いきます
急に取り調べで全裸になって
愛人とまぐわうシーンになったり
してるのがIMAXGTで大映しに
なったのはなんか笑って
しまいましたが
それくらい「漠然と」話して
しまう性格なんでしょうね
まあこれが災いして結局
ロスアラモスにはソ連の
スパイが入り込んでたし
それなりに疑惑もかけられる
ハメになったのですが
参考人の妻キャサリンの
気丈な姿勢も手伝って
結局仕組んだはずの公聴会でも
オッピーが厳しく裁かれることは
ありませんでした
ラストはストローズがオッピーに
私怨を抱くきっかけになった
オッピーがアインシュタインと
話した途端ストローズに
口も利かなくなった瞬間
アレは何を言ったのか?
「世界は破壊された」
米ソは核開発競争によって
相互確証破壊などどんどん
冷戦へと突入していくのです
今では北朝鮮が核開発を盾に
ついにソ連より長く続く国家に
なってしまいました
ラストのオッピーの虚ろな顔
彼は太陽をつかんでしまった
その太陽はまばゆい光でもあり
その裏に大きな闇を作ったのです
理論物理学では予測しきれなかった
現実です
観客は常にオッペンハイマーの
人どなりや性格に移入出来ぬまま
話は終わっていきます
ご都合的でなく天才科学者を
通じて人類全体が手にした物
手に入れてしまった物という
受け取り方をしました
オッピーは
誰かであって誰でもない
京都大学の学長が少し前に
「戦争に加担する学問の研究はしない」
みたいなことを言いました
これには大変呆れました
学問の前に思想があるなんて
もうそんなものは学問ではないでしょう
またかつて某悪夢の政権の
バカ政治家が事業仕分けとやらで
スパコン開発が世界2位だった
点に「2位ではダメなのでしょうか」
なんて言い放ったことがありましたね
研究は突き進むべきですが
予算を出す側がこういうバカばっかり
なのが「現実」です
そういう意味では戦中という極限状態が
生み出してしまった原子爆弾と言うものが
意味するものは「叡智」であり「宿題」
であり「宿命」なのかもしれません
そして人類が迎える「運命」は果たして
アインシュタインの名言で
「第三次大戦はどんな武器が
使われるかわからないが
第四次大戦は石っころと木の棒で
人類は戦っているだろう」
というのがあります
そうならないように
していかなければなりませんが・・
キャスティングも文句のつけようがなく
(そういえばマイケル・ケイン出てなかったな)
「必ず自分の目で見て思って」
まさしく必見の大作です
180分?
自分一番デカいバケツみたいなコーラ
買って持ち込みましたがトイレ忘れるくらい
のめり込みましたから問題なし!
あっちゅーま
ノーベル、そしてオッペンハイマーへと科学者の功罪は続く
1 原子爆弾の父と呼ばれた人物の半生を通して、科学者の本能と良心を描く人間ドラマ。
2 映画は、オッペンハイマーが中心となり原爆実験に成功する第二次世界大戦前と核利用について国家と意見対立し表舞台から消される戦後の姿が描かれる。
戦前のパートでは、オッペンハイマーの人物像と成功への歩みが描かれる。その中で彼の行動や言動は誤解を生みやすいがために、戦後自ら窮地に立たせる要因になったことが示される。核開発については、終始アメリカ側の視点で描かれている。彼は科学者の本能から成果を追い求めながら、その威力に恐れ、そして重大な結果責任を前に自らを死に神だとして悔やむ。
3 戦後のパートでは、商人から成り上がった狡猾な政治家の策略に巻き込まれる姿が描かれる。その原因は冒頭で示され、あらゆる答合わせは、終局で明らかとなる。彼の「核は国ではなく国連が管理すべき」「水爆開発はしてはならない」との主張は今日では的を得たものであるが、当時の時代の風は許さなかった。出来レースの聴聞会において、彼はかつての仲間が彼を非難する側と擁護側にわかれる姿を諦念の境地で見つめるしかなかった。
4 本作品はオッペンハイマーの科学者としての探究心と一人の人間としての苦悩と後悔が描かれた。また、核戦争による世界の破滅という戦後体制から解決されていない課題の原点も示された。彼の主張は、実現が叶わなかったが今日的なバランス感覚そのものであり、先駆的であったと言える。
5 本作品には、多くの物理学者が出てくるが、人物相関が分かりづらく、テンポが緩む所がある。加えて、戦後の聴聞会の場面が早い段階から時おり挿入され、理解が追いつかないこともあった。俳優では、顔がそっくりで主役になりきったキリアンマーフィの自然体の演技や狡猾な政治家を演じたのロバートダウニージュニアの存在感が印象に残った。
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