オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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原爆の父と呼ばれて
戦時下、レッドパージ、激動の時代のアメリカを生きた一人の天才物理学者の半生。
裕福なユダヤ人家庭で生まれ育ったロバート・オッペンハイマー。母親譲りで芸術に造詣が深く、また成績優秀でハーバードを飛び級の首席で卒業するほど。語学は6か国語を習得するまでに。
しかし、若き日の彼は挫折の連続だった。文学の道を志すもあえなく挫折、社交の場でもうまく立ち回れず、実験物理も向いていなかった。劣等感にさいなまれ精神を病んだ時期もあった。
ただその後、量子力学という新しい学問が発見されてからは彼のこの分野での飛躍は目覚ましいものがあった。注目される二つの論文を書き上げて学界でその名を知られるようになる。彼自身この量子力学の分野に自分の人生の光明を見出したようで、まるでそれからの彼の人生は水を得た魚のように活気づいた。
バークレーでの彼の教授としての地位はその人望も含めて確固たるものとなった。そんな中、第二次大戦が勃発。ナチスによる核開発の懸念からアメリカで本格的な核兵器開発プロジェクトが始まる。
総責任者グローブスのお眼鏡にかなったオッペンハイマーは研究所所長に抜擢され、ロスアラモスで彼は大学教授の時代同様、人望を集め見事なリーダーシップを発揮する。まさにそれは彼の人生における絶頂期のような輝かしきものだった。
研究所では科学者スタッフが精製されたウラニウムの塊のように一丸となって核開発に没頭した。そしてナチスドイツの敗戦が知らされる。
核開発を正当化する理由は失われた。しかしドイツの敗戦を知って開発から手を引きロスアラモスを去ったのは科学者たった一人だった。
ファシズムとの戦いは日本がまだ残っている、戦争を終わらせるためには原爆が必要だ。それらの大義とはまた別に科学者としてこの大規模国家プロジェクトに携われたことへの名誉、そして自分たちの研究の成果をこの目で見てみたいという科学者としての願望もあったのかもしれない。
冷静に考えれば自分たちが開発しているのは超強力な爆弾である。本来それを開発する技術は永遠に封印されるべきものだった。しかし、これが科学者の、いや人間の性なんだろうか。未知なる技術への知的探求心を抑えられる者はここにはいなかった。もはやこの開発に歯止めをかけるものは何一つ見当たらなかった。的に向けられて発射された弾丸が自ら止まることができないように。そしてそれは原爆使用に関しても同じだった。
オッペンハイマー自身この兵器が完成し、人に対して使用されたならどのような惨劇に見舞われるかは十分わかっていたはず。だが彼は自分を納得させる。我々科学者は開発が任務であり、開発された兵器をどうするかまでは権限がないと。
この考えが彼がその罪悪感から逃れるための唯一のよりどころだったのかもしれない。だがそんなよりどころはもろくも打ち砕かれる。実際の広島、長崎への原爆投下によって。
この時、もはや彼の中で罪悪感は言い逃れができないほど大きなものになっていたはずである。
彼は自伝などは残しておらず、彼のその時々の心情は彼の書簡や彼の周りにいた人物の回顧録などからひも解くしかないが、間違いなく言えることは彼は開発を悔いていたということだろう。
劇中で述べられた、人はたやすく兵器を使ってしまうものだという言葉。彼は原爆を開発しながらもこんな恐ろしい兵器が使われることはないだろう。どうか使わないでくれと心のどこかで願っていたのかもしれない。しかし、アメリカはあっさりと使用してしまう。それも立て続けに二度も。
開発は使用を必ず促すということを思い知った。もはや開発しただけだという彼の言い訳は彼の中では通用しないものとなっていたはず。
だからこそ彼はその後、さらに強力な水爆開発に反対し、核の国際管理の徹底、核による戦略爆撃に反対した。二度と広島長崎のような悲劇を繰り返してはならない、人に使用される核兵器は広島長崎が最初で最後になるようにと。
しかし、彼に対して私怨を抱く少数の者たちによって彼は陥れられる。時代はまさに赤狩りの時代。彼の過去の共産党との関わりがあだとなって不当な裁判で公職追放の身となる。
原爆の父からソ連のスパイとまで呼ばれたオッペンハイマー。当時の赤狩りの犠牲者であるが、彼を陥れたテラーは新たに水爆の父となり、その後のアメリカの核開発武装路線で大きな役割をはたすこととなる。そして米ソの核開発競争に歯止めがかからなくなり冷戦の時代へと突入する。
オッペンハイマーの理論物理学者としての先見性は確かなものだった。世界に30年以上先んじてブラックホールの存在を言い当てていたように一つの核兵器の完成によってこの米ソ冷戦に至る世界を思い描いていた。まるで一つの核分裂がまた更なる核分裂を引き起こし、その連鎖反応が限りなく広がるように核への恐怖が広がり核武装せずにはいられなくなるこの世界を予見していたのだろう。
彼がアインシュタインに述べた、自分は世界を破壊してしまったという言葉はまさにその言葉通り世界を何百回も破壊できる数の核保有という冷戦時代を作り上げてしまったことに対しての悔恨の言葉だったのだろう。この冷戦は彼の死後22年以上続くこととなる。
彼は喉頭癌を患い62歳で亡くなる。物理学は原爆を生み出したが、彼の癌を治すことはできなかった。
当時核開発競争に明け暮れた時代。日本でも理化学研究所ではその開発が進められ、日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹氏でさえその開発に関わっていた。
彼のノーベル賞受賞はオッペンハイマーの推薦によるものが大きいとも言われている。
原爆を生み出した張本人として知られるオッペンハイマー、しかし彼の人生はむしろ原爆を生み出してしまったことによる責任を重く受け止め、核兵器誕生以後の世界に対して自分がなすべきことに何の迷いもなく突き進んだことにこそ、その人生の意義があったのではないだろうか。
作品はオッペンハイマーの人生を複数の時系列に分けて並行して見せることにより、長時間の上映時間でも一切だれることのない、見ごたえのあるものに仕上がっていた。
辛さ重たさで言う星の数
この作品のレビューを満足いくまで書き上げるにはもう5回ほど鑑賞しないと私には難しい。ひょっとしたら5回でも足りないかもしれない。
原爆の父オッペンハイマー
ものすごいことを成し遂げたのかもしれないけれど、大変なものを拵えてしまったではないか。
日本人としては、ものすごく心が痛むというか、胸くそ悪い。あんな惨劇を手を叩いて喜ぶとは。原爆実験の成功を喜び、そして日本の広島長崎への投下であんなにも称賛され、オッペンハイマーの成功を喜び、称える姿に吐き気が出そうだったが、私たちは原爆を作った人を恨むのか、原爆を落とす決定を下した人を恨むのか。
日本人としては耐え難い辛い現実ではあるが、世界初の原子爆弾を開発し、それが実際に投下されその惨劇を知った天才物理学者オッペンハイマーの葛藤はいかなるものだったか。分かり得るような、分かり得ないような。いや、そうだとしても、そんな時代背景があったとしても、何とも理解するのも辛い。
妻のキティーがオッペンハイマーとの辛い過去を乗り越え、最後までオッペンハイマーを信じ、最後まで彼の味方を遂げ、オッペンハイマーを貶めた者を許さないと言う。あの感情、その気持ちだけは突き刺さり、オッペンハイマーを支える妻の強さをみた。
オッペンハイマーの伝記と言うよりは、日本に落とされた原爆がどのようにして投下されることとなったのかを知り、お腹に重たい爆弾を抱えたような、なかなかな衝撃作だったのが事実。
話がつまらない
原爆の開発についての描写は前のめりで見入るのだけど、アカかどうかとかスパイかどうかはどうでもいい話題だ。本人にとっては重要なポイントなのだろうけど、内容がつまらない。特に尋問の場面は字幕を読むのが大変だ。IMAXで見ようとしていたが時間が合わず、普通の上映で見て大正解だ。
原爆開発のために町を作るし、オッペンハイマーに全権をゆだねるなど、アメリカのこうと決めたらとことんやる姿勢がすごい。これはかなわない。
もっと変人だと思ってた
オッペンハイマーがケンブリッジで上手くいかず、鬱々としているところから話しは始まる。と言っても、時代を行ったり来たりするいつものノーラン編集で、観る方は混乱させられる。ただ今作はそれぞれ時代もやってる事もはっきり違うのでそんなに時系列に混乱は無かった。
また、原爆実験成功の場面はやはり大迫力で、爆発や爆風の映像は凄まじいものであったのは勿論であったが、より印象的だったのは大喜びする施設の人々の笑顔を苦々しく睨み付ける自分がいた事に少し驚いたことである。
愛国心や日本人意識はそれ程高い方では無いと思っていたが、当時の敵国の兵器開発の現場の情景をまざまざと見せ付けられたような気がして、非常に胸くそ悪かった。本気でこいつらと後のシーンで出てくる大統領含めて全員ぶっ◯ろしてやりたいと感じた。
そのくらいのリアリティがあった。
主人公オッペンハイマーについては、彼の経歴や量子力学の歴史、女性遍歴など一通り知っていた事もありダイジェスト感が否めなかったが、感情をしっかり持った人間的な人物に描かれており、天才かもしれないがもっと非人間的な変人だと思っていた自分としては意外と普通な人だったのかもなと認識を新たにした作品になった。
吹き替え要りますよ
アカデミー賞受賞ののちに上映開始なんて日本的すぎんかねと思った。
昨年の、しかも8月直前に公開するのに怖気付くのはわからないでもないが、それでも意図的にぶつけて批判なり炎上なりした方が世界的にもヒロシマナガサキの理解が進むチャンスだったのではと思う。
日本人としても開発側や実行側の背景を少し知ることができてよかった。
ところで、なんで吹き替えがない?VOD公開時にはできてますように。
原爆が生まれた経緯とオッペンハイマーの苦悩にフォーカス
繰り返される衝撃的刺激が私にはズドンと恐怖と連結してしまいました。...
繰り返される衝撃的刺激が私にはズドンと恐怖と連結してしまいました。
赤子の手をひねるように没入してしまったわけです。
日本人にとって原子力爆弾というワードが既にトラウマ的な上、作り出した人物、投下する国という歴史背景。
素直に怖かった…。
前半は科学者としての焦燥や葛藤が原子力開発という未知の領域へ踏み込むアクセルとなり進むことが止められない。
戦争や主義主張への弾圧、人権などうたっている場合ではない時代で主人公が何を感じ何に突き進んでいるのかをたくさんの人々と出会い別れ頂点まで走り抜けます。
それが善なのか悪なのか。
答えは耳元で囁いているかもしれないのにあえて蓋をしながら。
そして後半は終始人間の愚かさを突き付けられ登場人物も私たち観客も嫌なものを観続けなければならなかった。
日本が降伏しないという穿った視点。
実績を最優先しようとする政府。
ストローズという拗らせた執念深い男。
オッペンハイマーの妻が戦えと勇ましく怒鳴りつけるシーンがありました。
衝撃的でした。
絶対に怯まない。
善も悪も背負ったまま立ち上がり前を向いて生きろ!と。
この映画の中で一番かっこいい人だ。
ある程度の歴史を知り、ある程度ストーリーの予習があるとより楽しめる映画だろう。
平らな思考を保つためにはこういった視点のものも観ておいたほうがいい。
一度しか鑑賞していませんが、再度干渉したいかもしれません。
怖いけど。
視野の広さと深さは武器になる得る、他者にも本人にも
知識があると、視野が広がる。
視野が広がると、可能性を見出す。
可能性を見出すと、それが興味深いものであれば知りたくなるし
知的好奇心と広い視野があればそれはなおのこと強いだろうと思う。
個人の物語だった。
原爆の父と呼ばれたオッペンハイマーが、
開発に携わるようになるまでの経緯と投下にあたっての
当時の「開発の現場」の様子も描かれていて新鮮だった。
話は政治を絡めて、研究・開発の現場では学問の範囲以上のものを
考えなくてはいけなかった部分もあったのであろう…と、解釈できた点も
面白く感じた。
研究に、政治は密接にかかわっていた。
加えて言うなら、当時は戦争を背景に人種の問題や育ってきた背景など
アメリカという国ならではの様々な多様性を要因として、
人がどのような立場と考えて動いていたのかを、
映画という形だと理解しやすく、また見終えた後に調べるきっかけともなった。
個人の物語ではある。
けれど個人が抱えるには大きすぎる問題を扱った物語でもあった。
この映画を観る前にアメリカ側の視点に没入しすぎないように、
アインシュタインと原爆で欧州からの当時の視点を
ゴジラ-1.0では図らずも日本の東京空襲後の人々の生活からの視点を
キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンからはここに至るまでのアメリカの時代背景を
映画を通して体感してから観ることが出来たのも、また良い経験だった。
個人的には聴聞会でジェイソン・クラーク(Jason Clarke)演じるR・ロッブが
オッペンハイマーやキティを詰めていく様子が、よりこちらの感情を苛立たせるような
部分もあり、演技として素晴らしいなと感じた。
ハリー・S・トルーマン大統領の発言として
「恨まれるのは落とした(ことを決断した)人間だ」というようなセリフが
あったように記憶しているのですが、
歴史に刻まれるそれとは違って、世論で持ち上げられ、責められるのはまた
個人であることも多いのだなと実感しました。
『テネット』状態にならないよう予習を
まず、これは オッペンハイマーという人物の物語である。原子爆弾だけの話ではないし、日本国視点の話でもない。
予告編映像だけの知識で見たが、全然分からなかった。
まず、そんなに歴史が好きなわけでもないのに鑑賞してしまった。
登場人物がそこそこ多く、1度見ただけでは理解できない。
二つの時間を行き来して作られていて
理解する前に次の重要シーンが来てしまうため、すぐに咀嚼しないといけない。
まさしく『テネット』状態。
キャラ、あらすじ、オッペンハイマーについて、を簡単でいいので予習してから見に行くべき。
著名な俳優がキャスティングされており、
実在した人物の話なので見応えはある。
長い
米国から見た原爆
頭脳明晰で科学もそれが何をもたらすかは見えても人や社会の流れは分からない天才オッペンハイマーが、自分の科学的真理の探求と総力戦の勝利を目指して原爆開発プロジェクトを推進し完成させるが、核開発の流れに逆らったせいで社会的に抹殺される話。
KYな天才が栄光を掴み、その後時代の波に飲まれていく様が良かった。
見どころはマンハッタン計画の映像化、マンハッタン計画がいかに桁違いな計画だったのかが分かる。オッペンハイマーがいなくても原爆は作られていただろうがWW2には間に合わなかったかもしれないと思わされた。
現実主義で理想主義のオッペンハイマーが、それ故に人渡りを誤り追放されるところや、当時の米国人がどのように原爆を捉えていたのかもよく描写されてる(良心的な米国人は目を背け、普通の米国人はイケイケドンドン)。
基本的にストーリーは史実を承知している前提で進む為、元ネタの史実を軽く勉強しておいてから見たほうがわかりやすいと思う。
人間社会の危うさ
現代の名匠と言えるクリストファー・ノーランの作品で、世界的には大ヒット作となった本作は当然気になっていた。日本公開がなかなか決まらなかったので「観られないのか?」と心配していたが、公開が決まってから楽しみにしていた。アカデミー賞受賞などで興味はさらに高まっての観賞。
【物語】
J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)は、ドイツで量子力学を学び、博士号を取得した後アメリカへ帰国。第2次世界大戦中、軍主導の原子爆弾を開発する極秘プロジェクト「マンハッタン計画」の開発責任者に指名される。 そして終戦間近に遂に世界初の原子爆弾が完成。広島と長崎に投下され、予想以上の威力が確認される。
終戦後、オッペンハイマーは原爆の開発を成功させた男として時の人となり、世界的にその名は知れ渡るが、さらなる強力な核兵器水爆の開発を求められ苦悩する。冷戦時代に入り、ソ連との際限のない核開発競争が繰り広げられることが予想できたからだった。水爆の開発に反対の姿勢を示したオッペンハイマーは推進したい政治家から追い詰められていく。
【感想】
日本の興行界が公開に二の足を踏んだ原爆開発者絡みの作品であることから、観賞前は「アメリカ万歳的原爆賞賛の話なのか?」という疑念もあった。とにかく原爆を落とした側の国から原爆がどのように描かれているのか、という点に最大の興味を持って観賞した。
しかし、観てみると決して原爆賞賛的一面的な話ではなく、ホッとしたというのが一番正直な感想。逆になぜ、日本公開が躊躇されたのか分からない。
そこには後でもう少し触れるとして、まずは映画としての作りから。
オッペンハイマーの半生が描かれる作品ではあるが、戦前から戦後にかけて時系列的に描かれるのではなく、戦後10年近く経った1954年に開かれた国家による聴聞会が基軸となり、証言・回想によりオッペンハイマーの足跡が描かれる構成になっている。このため、時間が行ったり来たりすることで、前半は若干入り込み難い。
類似の作品構成作品として、クリント・イーストウッド監督作品“ハドソン川の奇跡”(航空機事故で155人の命を救ったとして英雄扱いされた機長が後に過失を厳しく問われる。作品は調査委員会を基軸として、質疑・証言から事故全貌と機長の苦悩が描かれるヒューマンドラマ)が思い浮かんだが、“ハドソン川の奇跡”は混乱なく非常に分り易く観られたのに比べると・・・
ただ、若干の混乱はあったものの、細切れのエピソードが逆にとても歯切れ良く、観る者の頭に叩き込まれて来る。また、難解な量子力学の世界を下手に科学的な説明を加えることはせず、イメージ映像を差し挟むことで何となく分かったような気にさせる(悩ませない)作りはさすがクリストファー・ノーランと思わせる。
さらに、前半のクライマックスとなる米国内での最終実験前後のシーン展開は序盤とは異なり十分な時間をとって描かれ、その緊迫と迫力ある描写は素晴らしい。
後半は戦後のオッペンハイマーの苦悩の描写へと移って行くのだが、「広島・長崎に投下した結果」については戦争が終わったという“成果”と死者数がセリフに出るのみで“悲惨さ”の描写皆無であるところは、日本人としては物足りなさを感じるところではある。
以下作品全体から感じたこと。
どんな物事も立場違えば善悪も違って来るわけだが、この作品の興味は「原爆を落とした側から見ると、開発・投下は関わった人や国民にどう見えていたのか」に有ったわけで、その点については十分に満足した。
開発者の大義は「ナチスに先に開発されたら大変なことになる。絶対先に開発を成功しなければならない」。確かにもしナチスが手にしていたら歴史は大きく変わっていただろう。前半のクライマックスである原爆実験大成功に開発チームが大喜びするシーン。 被爆国の国民にとしては複雑な思いに駆られたが、大きな国家のプレッシャーの中で開発に尽力して来た彼らが喜ぶのは当然だ。
一般市民は、広島・長崎への投下大成功の報告に歓喜する。のシーンにはさらにやるせない思いになる。
しかし、「これで戦争が終わる」と市民は考えたであろうから理解ではできる。しかもこのとき米国市民は戦果だけ知らされ、広島・長崎の悲惨さを知る由も無いのだからなおさらだ。自分がこのときアメリカ国民だったら、やはり間違いなく万歳していただろう。
一方、戦後においてはオッペンハイマーは際限無い核兵器開発競争を見通した上で、水爆開発に反対した事実に、先端技術者の人間的良心に救われた気がした。
俺は原爆成功に手を叩いた米国市民を恨む気は無いが、あの市民が無邪気に喜ぶシーンこそが人間社会の危うさを描いていると思う。良心ある人でも限られた情報や、知識では判断を誤る。 もし、広島・長崎に起こった惨状を瞬時に正確に知ったならば、少なくとも一般市民が手を叩いて笑顔で大喜びはしなかったはず。
当時とは比べられないほどの威力と数の核兵器が世界に存在する現代。2度と使われないことを願うのは誰しも同じと信じるが、人間は置かれた立場・状況・利己によって間違いを犯す生き物だということを考えれば、核兵器が存在する限り使われるリスクはつき纏う。核兵器の即時廃絶は困難であることは分かるが、諦めてはいけないのだと思う。
現代社会の危うさを共有するためにも多くの人に観てもらいたい作品。
いと難解
勢いが衰えない伝記映画
前半は、原爆開発に執念を燃やしながらも、その被害を目の当たりにして絶望する主人公を描き、後半は誰が如何にして主人公をスパイ容疑にかけたのかのサスペンス仕立てになっていた。
どのパートも、終始激しい効果音や音楽で、オッペンハイマーの心情を激しく描いており、三時間の長丁場が嘘のように怒涛の速さで進んで行った。
ただ、登場人物が多かったり、物理学の用語など難しい部分も多く、もう一度見て内容を整理したい。
余談だが、確実に上映前はトイレに行きましょう。
三時間の休憩無しの上映はさすがに辛い人もいたようで、周りの人で何人か離脱していました。
上映前にトイレに行った私も、終えた後でもすぐに駆け込んだので、その辺はお気をつけを…。
原子爆弾という忘れがたきモノから、新たな技術に対する人類の使用責任を問う
2023年を代表し、アカデミー賞で作品賞を含む7部門に輝いた大作。原子爆弾を生み出し、その後の世界を変えた物理学者の栄光と苦悩を描いた作品です。
自分としては、作品の発表と同時に日本での公開を待ち望んでいました。歴史が好きな自分として、当事者が原爆とどう対峙したのか。それをどう描いたのか。そしてついに拝見したわけですが・・・
めちゃくちゃ豪華!
やっぱりクリストファー・ノーラン監督はすごい。映像美だけでなく、主人公の内面を浮き彫りにした演出や爆破の音響、観てるこっちが混乱しないような時系列の配列、そして迫力と繊細さを両立させた3時間に、退屈さを感じることはなかった。
また役者陣も豪華。キリアン・マーフィにロバート・ダウニー・Jr、ケネス・ブラナー、エミリー・ブラント、ラミ・マレックと多くの名優に加え、トルーマン大統領役でまさかのゲイリー・オールドマン!ここまで豪華に揃えてええのかしら!?
そんな超大作と言っても過言ではないような本作、しかし訴えているのは現代にも通ずる問題に対してではなかろうか?そんな印象を受けました。
まず気を付けておくことは、これはオッペンハイマーの視点で描いているのであって、オッペンハイマーの周りに起こったことを描いていること。彼が認知していないことは描かれていないこと。巷でよく言われている“原爆に対する描写が少ない”のはそのためかと。自分としては、“原爆を生み出しだ事に対し、自責の念に苛まれる”姿を描いていると思います。
最初は、戦争に勝つためでした。ナチスドイツに負けないために非常に強力な爆弾を開発し、戦争を終わらせる。そのために物理学者として全力を注いだ。しかし出来上がって実験が成功した時、“作ってしまった(やってしまった)”となる。問題は対人に使うだけではない。その威力は驚異なだけにどの大国も欲するだろう。その結果、核兵器の増強に走る。しかしそれは、間違えたら人類を絶滅させるかもしれない。
“世界は理解しない。それを使うまでは”と言うセリフ・・・
非常に重たい。そしてそれは、実は現代にも通ずるものがあるのではないか?
今や技術革新著しいこの世界、しかし、生み出したものが持つ負の側面を十分理解しているものがどれだけいるのだろうか?最近で言えばAI問題。AIの持つ力が悪用される可能性と、それによる信用・情報の失墜の可能性。生み出した人は、もちろん世の中が良くなればと考えてのことだろうが、その問題が表面化して初めて気づかされる。新たな技術が持つ負の側面に。原爆も同じではないか?原爆もシンプルに見れば技術革新だと思う。しかし作って初めてその恐ろしさに当の本人は気づいたんだと思う。“人類には早すぎた。そして前にはもう戻れない。この危険を後世に残してしまった責任は重い”と思ったのではないか。この危険、形は変われど現代にも通ずる。
自分たちは新たな技術に対し、良き使用者にならなければならない。さもないと人類は自ら滅びる。そう訴えた映画ではないだろうか?
ラストシーンでオッペンハイマーをアップにし、自分が作り上げたモノが悪い方向に使われたときの世界を想像した時に見せる表情・・・
そんなことが起きないでくれ、とも願うような・・・
あのワンシーンに、オッペンハイマーの、いや本作の願いが込められているように思うのです。
難しい
複雑な感情
自分の祖国の被害はもっと世界に知らせてほしかった。ナチスにも使いたかったってセリフでは救われない。
アカデミー賞でのロバート・ダウニー・Jrを思い出すと彼の演技がまぁ鼻につくこと。
爆発実験の準備を見て成功する様を見たいと思ってしまう自分の気持ちはなんなんだろう。。。
冷静になって最終的にモヤモヤするのは何十万人もの被害者を出した事件の当事者が1番苦しむのが良心の呵責じゃないってことかな。
とはいえ、ノーラン印の質の高い映画ではあると思います。ドルビーのど迫力も凄かった。
今までのノーラン映画とは違うので
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