オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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心を揺さぶる素晴らしい音楽
欧米人の、欧米人による、欧米人のための原爆映画
私は長崎の人間です。また一時期、広島に住んでいた事もあります。
クリストファーノーラン、すごく好きな監督でした。メメントで知って今まで色々な作品を見てきました。でも...今作を観るのはすごくすごく悩みました。。。
ただ元々映像の仕事に携わっていた事もあり、長崎の人間である前に、ノーラン監督の最新作かつアカデミー受賞作品としての出来栄え・テクニックをインプットしようと、先入観を抑えて劇場に臨みましたが...、無理でした。今まで聞いてきた親戚知人の被爆体験が脳裏をよぎり、嗚咽が止まらず、映画どころでは無かった。
それは原爆の恐ろしさの演出に泣いたのではなく、その悲惨さを描く・残すことからノーランが逃げたこと、またそういう逃避の映像にアカデミーを与えた米映画界に悔しくて涙が止まらなかった。しかし日本の映画ファンも「この映画は伝記映画で、被爆の悲惨さを入れる意味はない!ノーラン最高!」というが...どこまでお花畑なのか。
オッペンハイマーが原爆の父である視点を抜き取り、いかにエキセントリックで変わり者だったか?だけを描く映画ならそれでいいが、世界初の原爆開発に責任者として携わったオッペンハイマーを描く映画で、実戦で使われた原爆の残虐さを正面から伝えず間接照明のようなフンワリ表現でお茶を濁すやりかたは、正直言って卑怯だと思った。
あれだけエロティックなシーンに拘泥した割に、そこは逃げるのかと。誤魔化すのかと。結局はアカデミーが欲しかっただけの、俗物監督だったのかと...
そういえば今作のスタッフリングは男女比などすごく苦労したそうです。なぜか?それは2024年から「スタッフ内の男女比率がアカデミー受賞の評価対象」になったから....
そう、ノーランは兎に角アカデミーが獲りたかった。欧米人の威光の源である原爆の父を題材に、平和・反核風な装飾で固めた戦略的商品の本作で「獲りに」行っただけ。
被爆国・日本人への配慮などない。ゴジラの山崎監督に「ぜひアンサー映画を撮ってくれ!」と白々しく話す対談が、逆に本作が被爆国と向き合わなかった証左でもある。
ただ一応、気を使った形跡はある。オッペンハイマーが原爆の被害を嘆く妄想シーンの中で、白人女性が被爆者のように焼けていくシーンがある。
その白人女性はカメオ出演したノーランの娘だそうだ。いわく「核兵器はいつか身近な人を奪うかもしれない恐ろしさを表現した」らしい...はぁ...
その程度の特撮シーンを差し込んだ位で、被爆国の溜飲も下がるだろう!と思い付いたノーラン親娘の能天気さを想うと...なんて傲慢な白人なんだとヘドが出る。
というか、そういう意味不明で歪曲したオブラート表現で塗り固めた本作が「反核映画の金字塔」のように定着・固定化することが非常に危ういと思った。
まだ日本人は「血の通った」被爆体験を語り継ぐことで、本当の核兵器の恐ろしさを知っている。しかし欧米人は、結局本作のような、原爆の悲惨さと同等に1人の白人科学者の呵責を描いてしまう価値観が正当化され、かつアカデミー賞という「世界共通のイイモノ」フレームに収められた事に、いわば第二の東京裁判のように感じた。
やはり歴史というものは、戦勝国が作り上げていくものなんだと、思い知らされた...
個人的には、もうノーラン作品だからと○○みたいに諸手を上げて有難がる気はないです。ただ、そういう欧米・マスコミの価値観を無意識に是としてきた自分自身を振り返る契機になったのは、学びの1つになりました。
なんとも複雑な気分
伝記映画なのでストーリーにネタバレも何もないので書きたい事書くことにする。
この映画でクリストファーノーランが何を伝えたいのかがポイントではないだろうか。
映画の冒頭、いきなりオッペンハイマーが追求されている場面からはじまる。それも一方的に。。。ちょっと混乱した。
原子爆弾を開発できた事はものすごい事だけど、こう言っちゃなんだが、原爆はオッペンハイマーが開発しなくても当時の化学、物理の第一人者ならいづれ開発されているものだったと思う。
(ちなみに、化学や物理の用語が時たま出てくるけど知っていればそれに越した事はないけど知らなくてもこの映画の要点はそこではないから気にせず流して良いと思う)
それをたまたまオッペンハイマーの性格を『利用』され、優れた能力を『利用』され、開発を『させられた』のではないかと思ってしまう。
原爆の威力が想像以上に恐ろしいものである事を感じてしまったオッペンハイマーは水素爆弾を作る事を拒むと、今度は何だかんだとソ連のスパイだとでっち上げられて(作品中でもスパイに仕立て上げる為に「一方的に言いくるめて追い込むんだ」みたいなセリフがあったと思う)結果スパイ扱いにされて追放され人生どん底へ。。。
現在では完全にその疑惑は白とはなっているものの、時代の大きな端境期を生きたオッペンハイマーには気の毒としか言いようがない。
なんともひどい結末で観た後もモヤモヤがとまらなかった。
この作品の趣旨として私が感じたのは、水素爆弾は原子爆弾の延長線にある開発物だけど爆弾がどうのこうとか、オッペンハイマーが原子爆弾をつくったから水素爆弾が完成してしまったとか、原子爆弾を作ったオッペンハイマーってどんな人?とかいう事よりも、地球で生きている人間っていう生物は、こんな下品な生き物なんだというメッセージが強かったように感じた。そしてそれは自分も然り。
最後に、オッペンハイマーが作らなくてもいづれ原子爆弾、水素爆弾はできていたであろうし、今となってはソレがあるから互いの国が牽制をし合うだけで、人類が滅亡するような戦争が起きていないのだから。もし可能であれば核爆弾軍縮に賛成だし、原子爆弾が日本に投下されたのは寂しいが、あのタイミングで原子爆弾を完成し世界大戦を完全に終わらせた功績はやはり大きいと感じる。やはり賞賛されるべき人物なのだと改めて思わされた。
IMAXの圧が凄い
時系列を考えながら鑑賞
ノーラン監督は難しい撮り方をしますね。時系列が途中ちょっと混乱しましたが、まぁ見ていれば理解できます。
唯一の被爆国に住む日本人の私から見ると、原爆の被害があまりにあっさりな報告だし、あんな会議で投下場所も決まったんだねって思ってしまう。でもアメリカではやっぱり、戦争を終わらせて兵士を帰国させることができたという大義名分がある。
だから原爆の父であるオッペンハイマーはヒーロー!なのにちょっとした策略にハマってしまい、彼の良心の呵責や責任感からくる苦悩もあり、プラス周囲の人間への疑心暗鬼も出る展開に陥ってしまいます。
でも最後まで味方でいてくれる友人や奥様(ちょっと怖いけど逞しい)の支えもあり、晩年は幸せに過ごせたのかな?
そういえばアインシュタインやケネディなど、教科書で見るような名前も出てきて、改めて世界史の年表見ながら時系列を復習してみようと思います。
終わってみれば、3時間あっという間でした!
天才って本当に人間として欠落している
冒頭シ-ンからして、何て高慢で嫌な奴なんなだろうと思った。これじゃ敵を作っても仕方ない。浮気はするはで、人間としては魅力がない奴だ。レッドパージでフ-バ-長官が権力を握っていた時代で、世間知らずな科学者なんて、政治家にとっては陥れ易い。ドイツをかなり競争意識して原爆を製造したが、使用する前に降伏れてしまったため、日本に投下されたのは、不運だったな。しかし、アカデミ-賞を取るような作品だと思えないです。特に、衝撃的な場面なんて皆無でした。
科学のセールスマンオッペンハイマー
オッペンハイマー博士は理論物理学者である。
しかし彼は、数学能力においても発想においても秀でたものはない。
だが弁舌。科学者たちを動かす優れた弁舌の才があった。
世界大戦が人類の大義を作り出すとき、彼はその能力を縦横無尽に発揮しロスアラモスに王国を作り出す。
そしてプロメテウスとも預言者とも擬えられるのであった。
三時間もの大作を飽きさせず惹きつける作りは圧巻であり、流石の名監督であると言える。
しかしラストあたりは正直蛇足という印象を否めない。史実の重みにドラマチックな潤色は余計となった。
実際、史実だから彼は贖罪すらまともに果たせぬのだろう。
一人の日本人としては、本来ドイツへの対抗として作られた原子爆弾が日本への投下にすり替わっていく問題をもう少し掘り下げてほしかったという思いもあるが、
まあ現実でもこんなノリであっさりとすり替わったのかもしれない。
色々とケチをつけようと思えば可能だが、それはこれが間違いなく名作だからであり、不満を抱くのである。
映画館で見て損と感じる人間は少ない作品だろう。
「理系は文系に使われる」
と、母校の世界史教員はよく言ってたことを思い出した。
オッペンハイマーは、自らに重要な決定権があると思いこんでいたんだろう。
薄っぺらい罪悪感に唾を吐きかけたくなるトルーマン大統領のほうに共感。「清濁併せ呑んで覚悟を決めたのはお前じゃない。俺の苦しみに較べたら屁でもない」と言いたかったんだろうなぁ。常にトロッコ問題に答えを出すような立場だから。「あの泣き虫坊やを二度とよこすな!」は最高の引導だ。
クリストファー・ノーラン監督ならではの時系列の多重性が「宇宙のパワーを使った」新兵器という本作のテーマにピッタリと思いつつ、インセプションほどの没入感は味わえなかった。
年を取ったからか、3時間の集中は持たなかった。そして誰が誰だかわからない。ごめんなさい。
原爆という主軸よりも、妻キティの魅力にぞっこん。強く、知的で、激しくて、セクシー。
聴聞会の切った張ったの応酬が最高。
最後に。日本人であれば、「原爆はあんなもんじゃねーよ」と感じたのでは。クリストファー・ノーラン監督には、『はだしのゲン』と『この世界の片隅に』を完読していただきたかった。
「過ちは繰り返しませぬから」これだけは、死ぬまで守りたい。
人間の怖さ、弱さ、凄さが猛烈に表現されてました😱
原爆〜恐ろしい。
それを作った人の苦悩〜深淵。
でも、それを作った事の是非は〜難しい。
でもって、それを利用しようとする人々は〜もっと恐ろしい。
人間の怖さ、弱さ、凄さが猛烈に表現されていて、映像もストーリーも凄い映画でした😱
どうしてもうがった見方をしてしまう
原爆と思うから色々考えちゃうんですが、圧倒的な力を持つ大量虐殺兵器だと思えばもう少しフラットに考えられるかなーとも。
多分これは大事なことなんですが、この映画は原子爆弾が主題の近くにありますが、戦争映画ではなく「科学者の苦悩」映画です。多分。反戦とかそういう話ではないと思う。被爆国の人間だからこそ、うがった見方をしてしまうと思う。もちろん、私も。でもこれは科学を、未知を学び研究する人間のだれしもが到達してしまうかもしれない領域というだけ。そういう話だと思います。
被爆した現場の写真から目を逸らしたのだけは頂けないけれど、単純に科学者の苦悩と思うと不憫でもある。
正直私のトラウマはだしのゲンに比べたらぬるぬるの表現だったので、ああいう表現の有無を心配してるんだとしたら、あんまりないです。とはいえ皮膚がペリっとポロポロしたりするシーンがあるし、何より爆発音があるので注意。
いや、まあ、これがはだしのゲンに比べたらぬるい表現なのがこの評価の理由でもあります。生みの親なら直視しろ。使った国が作ってる映画なら直視しろ。と思っちゃうもんなあ。もちろんそういう映画じゃないからしなくたっていいんだけど。
結構冗長に感じたのと、時系列が行ったり来たりしていて(そういうの流行ってるんか?)正直わかりにくさがあったので星3で。役者さんの顔を覚えてたらあんまり混乱しなかったのかもしれないなとは思います。
ただ、率直に2023アカデミーの作品賞これなんだ?と思いました。
時系列に整理してみました
日本でフルサイズのIMAXが見られる劇場は大阪万博記念公園と東京・池袋のグランドシネマサンシャインの2箇所だけである。
4月1日(月)
「オッペンハイマー」池袋グランドシネマサンシャインのIMAXで。
本作は、「原爆の父」J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)が
1942年から関わったマンハッタン計画、
1954年のオッペンハイマーの聴聞会、
1959年の仇敵ルイス・ストラウス(ロバート・ダウニー・Jr)の上院公聴会、
を主軸にオッペンハイマーの栄光と没落、そして彼の苦悩を描いた作品である。
クリストファー・ノーラン監督は、例によって時間軸をいじっているので、Wiki、ニューズウィーク日本版、エスクワイヤ等を参考に映画で描かれた事象等を時系列に整理してみた。
1922 ニールス・ボーア(ケネス・ブラナー)ノーベル賞受賞
1926 ハーバード大学卒業
イギリス ケンブリッジ大へ留学
ドイツ ゲッティンゲン大へ留学
1929 カリフォルニア大バークレー校に助教授として戻る
1936 ジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)と出会う(30年代後半ジーン・タトロックと非公式に婚約)
1940 キテイ(エミリー・ブラント)と結婚(キテイは4度目の結婚)
1942.6 ルーズベルト大統領極秘にマンハッタン計画を開始、総括責任者にレズリー・グローブス准将(マット・デイモン)を任命。グローブスがオッペンハイマーを開発責任者に抜擢
1943 .3 ロスアラモス国立研究所設立
オッペンハイマー所長に就任
1943.6 ジーン・タトロックと再会。別れた後でジーンはうつ病となる
1944 ジーン・タトロック自殺
1945.5.3 ドイツ降伏
1945.4.12 ルーズベルト大統領急死
副大統領トルーマン(ゲイリー・オールドマン)大統領に就任 原爆投下を決断
1945.5.10 投下地広島に決定(候補地に小倉、新潟、京都等が上がる)
1945.7.16 トリニティ核実験成功
1945.7.24 ポツダム会談(チャーチル、トルーマン)
1945.7.24 長崎、予備目標地に決定
1945.8.6 広島に濃縮ウラン型原爆(リトルボーイ)投下
1945.8.9 B29小倉に向かうも上空視界不良のため予備地長崎に変更。長崎にプルトニウム型原爆(ファットマン)投下
1945.8.15 日本無条件降伏
戦後、プリンストン高等研究所の有力な理事ストラウスはオッペンハイマーに研究所長就任を懇願
その後、委員会等で恥をかかされた恨みで水爆推進派のストラウスは水爆反対派のオッペンハイマーに反発
1951 オッペンハイマー、原子力委員会総合諮問委員長任期満了
オッペンハイマー相談役に留まるもストラウスにより断たれる
1953 アイゼンハワー大統領によりオッペンハイマーは科学諮問委員会に復帰
1953〜58ストラウスは原子力委員会委員長を務める。大敵と思われていたオッペンハイマーが輝きを取り戻し、復帰したのを喜ばないストラウスはオッペンハイマーからセキュリティ・クリアランス(機密情報を扱う適格性)の剥奪を諮る。
冷戦中であり、共産党シンパはソ連のスパイと同等と思われ、ソ連に情報を流した疑いで聴聞を受ける
1954 オッペンハイマー聴聞会開催
(映画では聴聞会の公開記録がほぼそのまま再現されている)聴聞会後に剥奪され政府の仕事から追放される
1959 アイゼンハワー大統領がストラウスを商務長官に指名した件で上院公聴会開催
マンハッタン計画にも参加していた(嘆願書に署名した)デービッド・ヒル(ラミ・マレック)の証言により聴聞会がストラウスの個人的復讐である事が明かされる。
(これは原作の「アメリカン・プロメテウス」には無く、クリストファー・ノーランが公聴会の記録から掘り起こした)2ケ月に渡る公聴会で上院から指名は拒否され、以後ストラウスは公職に付く事はなかった。
1963.12 ジョンソン大統領の時に(アメリカの物理学賞)エンリコ・フェルミ賞受賞し名誉を回復する(前年の受賞者は水爆推進論者だったエドワード・テラー)受賞式でオッペンハイマーはテラーと握手するもキテイは拒否(当時は賞金5万ドル、現在は37.5万ドル)
1960.9 オッペンハイマー来日
東京、大阪のみで広島、長崎には行かず
1967.2.18 オッペンハイマー咽頭ガンで没 62歳
アメリカ人がこういった事実(歴史)をどこまで認識して映画を見ていたのかは判らないが(タイムやライフの表紙にもなった位だから認知はされていたはず)、少なくとも日本ではオッペンハイマーとその人の歴史は認識されていなかったのではないか。
本作中でもトルーマン大統領の台詞に「日本は誰が原爆を作ったかなんて気にしない。誰が落としたかだ。」と言うのがあった。私はイノラ・ゲイは知っていたが、オッペンハイマーは知らなかった。
オッペンハイマー、ストラウス、グローブス、テラーそしてアインシュタイン!みんな写真を見るとそっくりか極めて寄せているのがわかる。
本作は、原爆の災禍を描いた作品ではないので広島・長崎の原爆被災の状況は描かれない(私はそれも有りだとは思う)。
もし、全米が目を背けるほどの原爆の災禍や被爆者の姿が描かれていたら、果たしてこの作品はアカデミー賞を取ったか?
山崎貴監督が「この映画のアンサーは日本側が創らなけばならない」と言う記事を読んだ。(あれ、違う監督だったっけ?)
アメリカと日本では原爆に対する理解、意識が違う。インディー・ジョーンズは冷蔵庫の中で原爆から逃れる位なんだから。
必要以上に恐怖心を煽る映画
長崎の被曝校で毎月平和活動してた者として一意見すると、日本とアメリカで原爆投下に対する根本的な考え方が違うんだと身をもって知り、ショックだった。
「世界規模の終戦を成功させた、原爆の父バンザイ」と、心から祝福する人が一定数以上いるなんて…
投下直後に、オッペンハイマーが米国国民から称賛されるシーンは本当に見るに耐えなかった。
音響が良いというレビューも見るけれど、私には不快だった。
必要以上に恐怖心を煽られて、オッペンハイマーの生きがいに集中できなかったから。
戦争の悲惨さではなく、オッペンハイマーの生き方や抱える苦難に焦点を当てるのが目的なら、恐怖心を煽る必要ないのでは?
原爆に対する恐怖心を強く持っているからなおさらかもしれないが、原爆というインパクトあるセンシティブなテーマを盾にとって、中途半端に恐怖心を煽るようなストーリー展開は嫌いだ。
ノーラン監督の悪いとこだけを煮詰めた駄作
みんなの心の声を聞かせて欲しい。ほんとにこの映画、駄作と思わなかったか…?
「核兵器」っていうセンシティブな扱いをしなければいけない題材だから、あえてみんな口にしてはいないように思うんだ。みんなホントに心の底で思ってない…??この映画"駄作"だなって
「分かんない〜!退屈〜🥱」なんて書いたら怒られちゃう!これはそんな気持ちで見ちゃいけないんだ…!的な事、思ってない…?
自分この映画マジで駄作だと思うんだけど。ホントに思ってない?ホントに…??!
ちゃんとなんで駄作と思ったか書くから、ホントの気持ち、知りたい……
ノーラン監督作品は基本好きだしほぼ全て見てますが、監督のダメな部分だけをとにかく煮詰めきっている
あまりに分かりにくい、いや、分からせる努力をやめた完全に独りよがりな構成
いい意味では感情抑揚を抑えた、悪い意味で言えばどこを見せたいのか主張せず視聴者に3時間もの時間を丸投げしてますよねこれ
セリフに関しても、
「君は鶏とトマトで待ちぼうけだな。ふん、量子か」
「神しか知らんよ」
みたいな、もう全編監督の「俺の"雰囲気"感じてくれ〜!」みたいなイミフ構文が続くわ、それだけでカット終わるわがひたすら場面転換して続く
小説で言うと口語文だけが4行くらいでパッ!パッ!パッ!と場面が切り替わる
抑揚なく史実に沿いたいならそれこそもっと人類が普通に喋りそうなセリフにしろや。エモ"み"だけでどうにかなると思うなよ
何よりひどいって、急に挟まる
「マイルズがいれば5年は先に進めるのに…」
風な台詞、シーン
知らねーよ。誰だよマイルズ。こちとら初聞きだよマイルズ
1時間待っても説明ねーぞマイルズ。マジで誰だよ
3分ごとに「あれ、俺今無意識にトイレ行って戻ってきた…?」ってくらい知らねー名前や単語出されて話に置いてかれる。マジで説明してくれ
「マイルズの◯◯理論は◯◯にとって革命だったんだ…クソ…」的な一言入れるだけじゃん
もう中盤までひたっっっすらこんなんばっかで、ある程度原爆の開発史やオッペンハイマーの生涯、政治関連しってる自分ですら話を追えないんですよね
何考えてんだ。周りのスタッフなんか言ってやれよ
いつものCG不採用も、今回は全く活かされてなくてただただ足枷になってて、
「核」は、まさに「世界を破壊してしまう」ものなのに、ただのすごーい爆弾しか表現できないならそんな矜持捨ててしまえよ(そんなすごくすらない
あんな、実家が燃えちゃったんだよね…程度の🔥で何の共感を得たいんだろうか
もしや1ミリもこわーい爆発見せたくない…?見せたくないならなんでこの映画作ったんだ…??
あ、音はすごかったです。でも正直ホラー映画の「バン!!」と大して衝撃レベル変わらんわ
そもそもこの映画、オッペンハイマー自身について語りたいのか?原爆について語りたいのか?当時の政治を語りたいのか?全くどこにもフォーカスが絞れてない。場面尺どこもかしこも間違えすぎでしょう
・この映画を見て科学者の葛藤や原爆や政治について考えて欲しいの?
それならきちっと背景を知らない人に教えることをすべき
これを見て理解できるほどの事前情報を持ってる人は既に自分の意見を持ってるわ
・背景を知ってる人に考察なり楽しんで欲しい?
ならこんな抑揚ない退屈映画を作るな
・背景を知ってる人に、改めてもう一度考えて欲しい?
ならクソみたいなわけわからんオッパイシーンなんか入れるな
・ただただオッペンハイマーの史実を書きたかった?
演出尺間違えすぎだろどんだけ偏った人生だよ。他人の人生を脚色するな
カーーーッ!文句ばっか出てくるわ!
みんなホントに駄作と思ってないのか??!!
「"核"だから厳かに見なければ……」とか、「考えさせられる……」とかそういうレベルじゃないでしょうこれ!!!
今まで難解なストーリーを映像の説得力や構成力で素晴らしい作品に仕立ててきた監督が、映像と構成を捨てたら、こうも虚無な映画が出来上がってしまうんですね
とまぁ罵詈雑言でしたが、中盤の、実験直前〜成功〜持て囃され、の辺りはさすがに引き込まれました。こう見せてくるか、と
オッペンハイマー本人というよりは、政府や軍、群像のファナティックさなんかへの興味の方が大きかったですが
ホントに掘り下げるべきはこの辺だったんじゃないのかなぁ……
よく見かける、日本の扱いが〜所詮アメリカの〜に関しては、もし日本軍が先に開発成功してたら絶対陛下無視で勝手に使ったろうなと思っているので、個人的には単なる視点の違いで、映画の評価に加えることはしませんでした
※実は翻訳のせいでした!とかだったら、すまない、ノーラン…。その時は星2.5にするね……
周りに迷惑をかけるな
何をするにも自由なのは結構、
ただ周りに迷惑はかけるなと思う
そんなこんなの全員の連鎖で
あんな結果になったんやろうな
1人のせいじゃなく、全員のエゴのせいだね
こういうのは権力のある頭硬い奴が見て一回頭冷やして考えてほしい、
こんな頭の悪いこと2度と繰り返すまいようにな
細かいことは我慢するにしても自分達に身体的迷惑をかけない政治を国民として望むから、そこんとこほどほどに宜しくな
と思うよ
なにもしゃーなくない
得体の知れない揺さ振り
もしこの作品を、クリストファー・ノーランではなく、正統派の監督が撮っていたらどんな感じになっていただろうか。オッペンハイマーという人間をどれだけ理解できただろうか。おそらく、原爆の父、ソ連のスパイ、共産党のシンパといった表面上のレッテルに踊らされて、客観的に、人の命を軽く見たA級戦犯だが、戦争を終わらせた救世主でもあり、と品定めしていたかもしれない。
だが、浅はかな品定めは見事に覆された。クリストファー・ノーランは、そんな軽率な決めつけを許してはくれなかった。
「マンハッタン計画」(核開発)、「トリニティ実験(核実験)」、原爆投下、戦後の聴聞会、公聴会。彼のトリッキーな「タイムスリップ」は、オッペンハイマーの心の襞のひとつひとつまでも描き切っており、そこには執念さえも感じられた。そして、目まぐるしいカラーとモノクロの反復、時折原爆の轟のごとき爆音により、観る者は、「タイムスリップ」の漂流船に激しく揺さぶられて、オッペンハイマーの心の中に、いつのまにか包み込まれてしまう。
この体験は、彼の出世作『メメント』で感じた、主人公の背景など関係ない、目の前の映像で自ら体感し、自ら考えよ、というノーランの啓示と酷似していた。この得体の知れない揺さ振りこそ、ノーラン・マジックのなせる業と言えるかもしれない。
最後にエミリー・ブラントについて触れたい。アカデミー賞の賞レースでは、『哀れなるものたち』のエマ・ストーンの陰に完全に隠れた感じだ。だが、ノーラン作品には欠かせない愛の表現者として、『インターステラー』のアン・ハサウェイ、『インセプション』のマリアン・コティヤール、『テネント』のエリザベス・デビッキらと勝るとも劣らない哀愁を感じさせてくれた。この場を借りて賞賛を送りたい。
IMAXはノーランのためにある
時代と立場を超えて考えたい映画
本年度アカデミー賞で7部門を獲得したクリストファー・ノーラン監督の話題作だ。
アメリカ公開から8ヶ月も遅れて公開されたのには訳がある。単に原爆開発者を取り上げた映画だからというだけの理由ではないようだ。
映画はオッペンハイマーの視点(主観?)がカラーで、ストローズの視点(客観?)がモノクロで描かれる。ノーラン監督お得意の演出で時間軸は入り乱れているし特に説明もされないが、冷静に観ていればついていけるレベルだと思う。
原作であるノンフィクションは未読なのでなんとも言えないが、オッペンハイマーは“偉人”として描かれていない。どころか、欠点ばかりの人間のように思える。もちろん頭はとてつもなくいいのだけれど。
そんな彼が“神の力”を手にし、それが実際に戦争で使われてしまう。効果は絶大で、彼は一躍英雄に祭り上げられる。そして、失脚──。千々に乱れる彼の心の様を、キリアン・マーフィーが見事に演じている。
原爆投下のシーンがないことに批判の声が上がっているようだが、ぼくは不要だと思う。監督の視線はそこにないし、なによりオッペンハイマー自身が蚊帳の外に置かれていたことは間違いないのだから。
IMAX視聴。続けて観たせいもあってDUNE2と色々印象が重なる。...
IMAX視聴。続けて観たせいもあってDUNE2と色々印象が重なる。今時珍しい白人男性主人公が、破滅のビジョンにおののきながらも、優れた能力ゆえに取り返しのつかない「偉業」を成し遂げてしまう、という…。本作のアインシュタインもほとんど予言者的な立ち位置だ。ただ、複雑な背景のお話を、ここまで複雑な語り口で見せるのはある種韜晦なのではないかという疑念も。どれだけ懊悩してもオッペンハイマー個人の内面でケリのつく話ではないし、結局監督も観客も、あのあまりにも見事な「爆発」のシーンこそが観たいのではないか。カウントダウンで鳴り響いていた重低音がフっと消え、闇の砂漠に咲く閃光と炎…。サングラスをかけ、日焼け止めクリーム(!)で顔をべたべたにしてその一瞬を待つ人々と、どうしたって観客もシンクロしてしまうのだから。
全928件中、561~580件目を表示