オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
全953件中、541~560件目を表示
レビューの数が物語る
登場人物が多く、時系列もバラバラという前評判だったので、私は役者の顔と役名、あとはオッペンハイマーに関する大まかな歴史的な流れは予習して観たからストーリーを見失うことはなかったが、予備知識無しの所見では若干「難解」かも。
でも『TENET』の嫌がらせみたいなややこしさに比べたらとっても分かりやすい。
上映時間3Hはちゃんと「長い」。
登場人物が多く、説明が少なく、展開は速いため、ついていくのに必死で眠くなることはないが、長い。
作品としての大きな軸は、上映2時間辺りでようやくたどり着く「トリニティ実験」に向けた研究の盛り上がりと、その後のオッペンハイマーが被る『赤狩り』にまつわる「公聴会」と「聴聞会」での質疑の二本が、平行したり交錯したり前後したりして進んでいく。
オッペンハイマー、その妻キティ、そしてストローズ。その他、俳優達の演技はさすが。
映画全体のベクトルは決して「核の肯定」ではないが、多くの日本人が持つであろう「核の恐ろしさ」は到底含まれていない。
作中では単に「格段に威力の凄い爆弾」であり、これはハリウッド映画の「核あるある」だけど、放射能による被ばくについてはほとんど触れられない。
監督が、あえてそういう伝わり方を目指したのであれば、やはり日本人の私としては素直にこの作品を原爆の映画としては評価しにくいな、という感じ。
そもそもアメリカ人にとっては、この映画を観て、同時期に公開した『Barbie』と掛け合わせて「バーベンハイマー」などというミームが生まれるくらいの、我々には到底理解できない受け止め方だったワケだし、同じ物差しで計ることはできないんだろう。
トリニティ実験なんて、成功=広島・長崎への投下が確定するワケで、その後の仲間達の喝采についてはもちろん彼らがこのために心血注いでたどり着いた実験の成功として理解はするものの、描かれた事象と、この先に待つ地獄を思い浮かべるこちらの温度差は歴然として存在する。
トリニティ実験の直前、ドイツが降伏して原爆の使いどころがなくなったことを受けて少人数の会議が開かれ、「まだ日本があるじゃないか」「(核の怖さを世界に知らしめる意味で)被害のインパクトを大きくするためにも攻撃予告はしない」と話が進んでいく。
決してドラマチックなシーンになっていないけど、明らかに場内にいた我々観客が息を呑む雰囲気になり、それがため息に変わるのを感じた。
詰まるところ、テーマはオッペンハイマーという、人間としては未熟だが、物理学の上では天才的な才能を持つ男の半生を「原爆」と「謀略」にまつわるお話とその孤独についてまとめたもの。
おそらく監督はこれを映画として表現する上で「原爆」というモチーフを使いたかったんだろうと考えると、やはり原爆は彼らにとってはエンタメのギミックの一つなんだろうな。
もちろんオッペンハイマーは自分が原爆を作り、実際に人間に対して使ってしまったことを悔やむんだけど、この恐ろしさの本質をちゃんと理解していたのか。
爆発光の下で消滅した命や生活や思い出、その後何十年も続く被曝者たちの苦しみなど「そこに存在した生命」に、彼の後悔は向いていたんだろうか。
惨状の写真を見ようとしなかった彼が、実際に思いを馳せ、恐怖していたのは広島・長崎ではなく「扉を開いてしまった自分」と「これからの世界」でしかない。
監督も、作品をオッペンハイマーの主観、という体裁にし、あえて積極的に広島と長崎を描写しなかった以上、やはりそこにはスッキリしないモヤモヤが残ってしまう。
ただ、もう数十年経ったら、戦争経験を伝える人が減って、原爆についてこういうアメリカ的な解釈をする人がもっと増えるだろうし、それは時間の流れとして受け止めるしかないのかな。
『はだしのゲン』が教材から排除される国で、あの戦禍を語り継ぐのはやはり難しい。
それでも作品賞受賞とは言え、公開たった1週間で+R15の洋画がこれだけのレビューを集めるって凄い。
書かずにいられなかったんだろうな。
日本人の心に何らかのクサビを打ったという意味で、意義のある作品になった。
IMAXレーザー(名古屋にも最大規格のIMAX来て欲しいよ)で観賞したのは正解。
実際に身体にビリビリくる音圧を感じながら観るからこそ、事態の大きさが伝わってくる。
ぜひ、音響の良い劇場で。
難しいテーマだからこそ
通常スクリーンで鑑賞
原爆の父と呼ばれた人の話を漠然としてだが日本人として見ておいた方が良いような感じがして鑑賞しました。
物語が佳境に進むにつれ、この映画を広島と長崎の方々はどのような心境で見るのだろう?としきりと考えてしまいました。
IMAXで見なかった理由が、こういうテーマはスクリーンの大きさとかで出来映えの印象が変わるべきではないと思ったからです。
自分としては高くない評価になった一つの理由で、大きな音で驚かせたり、抽象的な光の粒やラインアートみたいな映像を多用して語るべき物語ではないと感じます(きっと中性子や素粒子等を表現したかったのだと思いますが・・)、もっと違う部分に時間を割いて欲しいと思いました。
見る上で、物理の知識は少し必要、当時の時代背景の知識はかなり必要かなと、オッペンハイマーの置かれてる立場や背景などがなかなかわかりづらかった気がします。
物語の後半で彼が審問会?でいつから道徳的な懸念を持つようになったのか?と問われるシーンがこの映画のテーマなのかなと思いました、科学者と兵器との切っても切り離せない永遠のテーマですよね・・・・
登場人物達がどこまで現実に即しているか解りませんが、即しているのだとするとやはりアインシュタインはスゴいのかと思ってしまいました。
学者として頭角を表してからのオッペンハイマーしか描かれてないので、幼少期からの生い立ちや引退後の彼の思想などを知りたかったかなと思います。
とはいえ、こう言うテーマを映画として取り上げる事には大変な価値があると思います(米国目線ではあるが、多分それが当時の当事者達の目線なのかと思ってしまいます)。
文明の発達に応じて人の誠心も追い付いて行きます様にと願ってやみません。
傑作
広島・長崎への原爆投下の直接描写が無い、バーベンハイマーの一連の騒動など、映画の完成度よりも少し違った角度で何かと話題になってしまい、日本での公開も本国より大幅に遅れてしまいましたが、結果として傑作と思いました。
タイトルの通り、ロバート・オッペンハイマーの伝記映画となっており、近年のノーラン作品と比べて珍しく人物の会話劇が主体になっています。
時系列が入れ替わり、登場人物も非常に多く、更に説明もほとんど無いことから観る側としても考えて組み立てながら観ることになり、集中が途切れない三時間でした。
ジョーカーと同じく、全編にわたってほぼ全てのシーンで主人公のオッペンハイマーが映し出され続けていますが、主役のキリアン・マーフィーの、登場シーンの多さではなく演技による存在感が凄く、オスカーを受賞したのも納得です。
ロバート・ダウニーJrやエミリー・ブラント等、脇を固める大勢の大物役者たちもそれぞれ素晴らしい演技を見せています。
伝記の原作を元に脚色して映画化したものとしては非常に完成度が高いのでは無いかと思います。歴史に詳しくないので、史実と異なる部分もあるのでしょうが、総じて傑作だと思いました。
過度に米国の行いを正当化することもなく、原爆が実際に使用されてしまった後の、オッペンハイマーの「ああ、とんでもないことになってしまった」とでも言いたげな、でも自分の手を離れてもうどうにもできなくなってしまった無力感のような、苦しみのような表情や演出が忘れられません。
ポツダム会談までにどうしても完成させたい、日本が死に体なのは分かっているが投下したいというような、主導部の悪意のようなものも垣間見え、そこにはやはり憤りや恐怖も感じました。見方によってはホラーとすら言えるかも知れません。
どんな理由があっても無実の市民に対して使ってはならなかった、どうすれば使用せずに済んだのだろうと、観ながらずっと考え続けていました。
核実験の様子をフィルムに収め、中立国を仲介して日本側に見せて降伏を促す?それでも日本は決して降伏しないとしたら?というような葛藤を自分の中で感じてしまい、観た後もそれを引きずってしまいました。
日本人としては、ほぼ常識レベルで本来人類は核兵器なんて持つ必要が無いということは理解していますが、抑止力としての核兵器を保持し続けている他国にはやはりこの感覚は理解できないのだと思います。
クリストファー・ノーラン作品が好きなので毎回楽しみに観に行きますが、今度ばかりは題材が題材だけに少し落ち込んでしまいました。
広島・長崎の描写が無かったことは、はっきり言って問題無いと思いました。むしろそうした描写を挿入することで映画の方向性が変わり、まとまりが無くなってしまうのではと思いました。
原爆投下の描写やそうした作品はやはり日本で作られるべき、他国が描くべきでは無いのではないかと思います。
そのほうが核兵器の恐ろしさや悪意を感じやすいと思いました。アンサーというわけではないですが、いつか実写でそうした被爆の悲惨さや恐ろしさやを徹底的に描き、世界に衝撃を与えるような作品が生まれてくれることを願います。
最後に視覚効果の部分に目を向けると、世界初の核実験であるトリニティ実験をCGではなく実写で描くノーランの執念を感じましたが、トリニティ実験の実際の爆発の様子は、やはり通常の火薬ではなく核の爆発なので、不自然なまでに丸い爆発、雲が形成されています。
映画の中で描かれるのはやはりどうしても強烈な"火薬"の爆発で、実写に拘ったあまりリアルの核爆発に見えないという皮肉なことになってしまっているので、こんなことを言ってしまうとノーラン監督が激怒するかも知れませんが、実験を見守る人たちに到達する衝撃波は火薬で実現させ、核爆発のビジュアルはCGでも良かったのではないかと思ってしまいました。
いろいろと大変な思いをしたので、映画館でもう一度観ることは無いと思いますが、ソフト化されたらまた観て、更に理解を深めたいと思います。
長い・冗長・そして難解
総論
中間管理職の悲哀と、個人的な恨みをこじらせた人の物語。そして難解でした。特に、ストローズの恨みをこじらせた部分は不要にしか思えません。はっきり言って自分には冗長でした。できることならば、原爆投下の半年後ぐらいで物語を終わらせて欲しかった。(もう少し短かかったら+0.5です)
余計なコメント・個人的な意見
①アイアンマン(ロバート・ダウニーJr)も老けたな。。。メイクのおかげなのか地なのかはわかりませんが、老けたとしか思えませんでした。
②武器・兵器の開発者が責任を感じる必要は無いというのが自分の考えです。その人が開発を行わなくても、かわりに開発を行う者がいずれ出てくるはずですから。。。そういう意味で言えば、ハリー・S・トルーマン大統領の言は共感できました。
<主な基準(今後のためのメモ)>
4.5 観て良かったと感じた映画
4.0 おすすめできる映画、何かしら感慨を感じる映画
3.5 映画好きなら旬なうちに見てほしい映画
3.0 おすすめはできるが、人により好みが分かれると思われる映画
もっと違う作り方なかったかな
基本、会話です
言い方悪いですけど、
ダラダラと会話が多い映画なので、
途中途中に
「過激なSEXシーン」
「爆発音」
「アート的な光の演出」があります
でも、私からしてみたら、会話シーンで退屈させない為の演出でしかない
素晴らしい演出なんか感じなかった
特に「過激なSEXシーン」これ、いるかな?
被爆国の日本では、学校でこれ見せているみたいですね、
大勢の学生服が映画館に入って見てましたよ、
その都度、このSEXシーン見せられるの?
こんなシーン削れるでしょ?不要
でも私が、
有名人や知名度ある人間なら
「大絶賛」します
なぜなら、アートに理解できる人って世間に訴える様な事です
「私はこの映画の素晴らしさに気付ける人間です」ってね
だから、テレビで見たと言う人達は全員が大絶賛、、、そうなるわな
原爆を扱う映画なら、
「原爆の怖さ」
「日本人がどれだけ恐怖したか」
「日本人がどれだけ失ったか」
「そしてあなたたちはどんな気持ちだったか」
そこしっかりやろうよ
エンドロールが終わり、席を立とうとしたら
後ろの席から、
「なんでアインシュタイン怒っていたか意味わからんわ」
と、言う声が聞こえてきました
そう、わかりずらいんですよ、この映画
そして今回の映画はお洒落すぎます
そして原爆を扱うなら「軽い」
私は、3時間で尻が痛くトイレに行きたいと言う思い出の方が大きいです。
んんー
私レベルで正直な感想は、長くて難しい。では、あったが、オッペンハイマーの苦悩、などは伝わった。が、かなりの変人なことも伝わった。ただ、日本人として、実験段階であの威力があるものを落とされた国の国民としては、実験シーンあたりから見てるのが辛くなった。(そっからも長いし)家だったら途中でやめていたかもな。感じたのは、この監督の作品とは相性が良くないということ。
力は感じたが、熱を感じず
「さすがにオスカーを獲得しただけのことはあるな」と納得させる、力のある完成度の高い作品だと思いました。
でも、セリフの量が多く、字幕を目で追っていくのが大変だった。ちょっと読書しているような気にもなりました。
当然そんな作業を3時間も集中してつづけられないので、登場人物たちの話していることが頭に入ってこない箇所がいくつもありました。
まあノーラン監督は、英語圏以外の観客のためにいちいち考慮して映画づくりをしているわけではないのだから仕方ないですが……。
それから、イメージの集積、重ね方は秀逸だと感じましたが、作品の構成をもう少しシンプルにしてもらったほうが僕のような凡人には話の流れがわかりやすかったです。でも、それだと「NHKスペシャル」みたいになっちゃいかねないな。そこが伝記映画(?)のむずかしいところでしょう。映画的な表現をしないと、わざわざ劇映画にする意味が薄れてしまいますからね。
また、本作では7割か8割以上の時間でBGMが流れている。つまり、それだけの量のBGM、音楽を使用しないと間がもたなかったのではないか。音楽と音響の力でストーリーをかなり補っているなと感じました。
あと、——というか、これがいちばん不思議だったのですが。冒頭に書いたように、本作はとても力のある作品だと思います。
でも、どういうわけか、作品から受ける「熱」というものを僕はほとんど感じませんでした。
力はじゅうぶんに感じたけれど、熱を感じなかった。何故だろう?
感情を抑えた監督の冷徹な眼差しがそうさせたのでしょうか。
アメリカ目線のドキュメンタリーみたい
かなり話題作なのでそれなりに期待して鑑賞しました。
結果、ワタシ的にはあまり感動を得るものは無かった作品でした。
主人公は新型兵器によりどのような結果をもたらすのか充分理解した上で原爆開発を行った。
ビーカー?フラスコ?にビー玉を投げ込むシーンが私はとても不愉快だった。
どうみても彼は開発することに嬉々として参加している。
実験から日本への投下作戦が成功し、喜ぶ人達が足を鳴らすシーンは正にアメリカらしいとも感じた。大統領の言葉が正にそのことを感じさせられる
逆の立場で当時の日本人なら足ではなく手を叩きバンザイするでしょう。
戦争とは人間を破壊しおかしくしてしまう愚かな行為であると強く思います。
ここまでの急かされた気持ち、その後の後悔の念までよく描いている、映画としてはよくできているもののやはり私は不愉快さしか残らない。
いくら真実に近づくとはいえ観ていて不愉快な作品に共感もしないし讃美を送る気にもならない。
ただ作品としてはよくできていると思うので星3とします。
天才の葛藤
オッペンハイマーについてのドキュメンタリーを事前に見ていたので、ある程度知識は入っていたが、改めて本作を観ると彼の苦悩や周辺人物、マンハッタン計画の実情というものが具体的に分かって興味深く観ることが出来た。
原爆の恐ろしさを、その開発チームの視点を通して描くという野心的な試みが実に大胆である。
と同時に、彼等を取り巻く権力の恐ろしさも実感される作品であった。本作はオッペンハイマーという個人のドラマであるが、その背後には常に権力が付いている。彼らは第二次世界大戦で核兵器を使用し、冷戦下で核開発競争をエスカレートさせていった。このまま進めば人類は破滅しかねない。そんな未来に対する警鐘も感じられた。
ただ、映画としては、いささか捻った作りになっているため万人向きとは言い難い。
物語はオッペンハイマーの聴聞会と、適役となる原子力委員会委員長ストローズの公聴会をクロスさせながら、原子爆弾の開発とその後のドラマを回想形式で描くという構成になっている。登場人物の多さも相まって、全てを理解するのは難しい。
今作には原作(未読)がある。それを「TENET テネット」、「ダンケルク」、「インセプション」等のクリストファー・ノーランが製作、監督、脚本を務めて撮り上げている。果たして原作はどういった内容なのか分からないが、時間軸や世界観を複雑に交錯させた作りを得意とするノーランだけに、今回も一筋縄ではいかない難物となっている。きっとノーランはこういう作劇手法を意識的に取り入れることで作家としてのスタイルを標榜したかったのだろう。普通に時系列に描いても伝記映画としては何らそん色ない仕上がりになっていたと思うが、敢えて複雑な構成にしたあたりが如何にもノーランらしい。
とはいえ、この作劇手法がサスペンスやドラマチックさを生んでいるかと言えば、今回に関してはそれほど効果をあげているとは思えなかった。本作は基本的にはオッペンハイマーの主観に寄った作りになっている。これなら時系列で描いたほうが、よりエモーショナルな物語になったのではないだろうか。
ストローズの公聴会を描くモノクロパートは戦後の赤狩りをテーマにしており、言わばオッペンハイマー失墜の重要な一コマである。これも時系列で描けば、物語の抑揚が明確になり成功と転落という伝記映画の定石にハマったかもしれない。
ただ、逆に言うと、この複雑な構成のおかげで、3時間という長丁場も飽きずに観れたという気もする。
モノクロとカラーを使い分けた映像演出、中性子や核分裂をイメージした短いカットイン等、凝りに凝った編集も面白く、思いがけず3時間という上映時間が苦にならなかった。
印象的だったのは、聴聞会にかけられたオッペンハイマーが、妻キティの「何故あなたは戦おうとしないの?」という糾弾に沈黙を決め込む姿だった。彼の中では科学者としての探求心が図らずも大量殺りく兵器を作ってしまった”後ろめたさ”があったに違いない。だからこそ”殉教者”として沈黙を続けた。しかし、赤狩りで周囲の関係者が次々と自分を裏切り、原爆以上に恐ろしい水爆の開発に邁進する世界を目の当たりにし、ついに黙っていられなかったのだろう。最後に戦う姿勢を見せた。そこに自分はオッペンハイマーのジレンマを見た。
ノーラン作品と言えば、IMAXカメラにこだわった映像も見所の一つである。本作では中盤のトリニティ実験が大きな見せ場となる。この臨場感と迫力はぜひ映画館で味わいたい。
また、オッペンハイマーが実験の成功を祝って演説するシーンも印象に残った。彼の主観による幻視的な映像演出が秀逸で、喜びと恐怖が入り混じった混沌とした心情を見事に表現していると思った。
オッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィの好演も見事であった。特殊メイクを施した造形もさることながら、聴聞会における繊細な感情表現も実に巧みであった。
共演陣も実に豪華で見応えがある。
オッペンハイマーの盟友となるアーネスト・ローレンス役でジョシュ・ハートネットを久しぶりに見た。以前よりも大分ふっくらとした体形で驚かされた。ちなみに、先述したドキュメンタリーではオッペンハイマーと袂を分かつように紹介されていたが、ここではそこまで仲違いするようなことがなかった。一体どちらが正しいのだろう?
久しぶりと言えば、アインシュタインを演じたトム・コンティも随分久しぶりに見た気がする。
恋人ジーンを演じたフローレンス・ピューは、先日観た「DUNE 砂の惑星PART2」と全くイメージが異なり、これにも驚かされた。ただ、彼女の役柄についてはドラマ上どこまで必要だったのか疑問に残る。やや中途半端な扱いで勿体なく感じられた。
難しいけど、さすがアカデミー賞
不謹慎だけど面白い
ノーランの映画の中で一番楽しめた。もちろん物理に関する用語が分からなくてついていけないところもあったけど、シンプルに対立構造だし、カラーとモノクロで視点を分けてくれてるので、わかりやすかったというのもあるかもしれない。
冒頭から「爆発」を言葉を選ばずに言えば美しく、激しく描くのかというつかみ。
やっぱりトリニティ実験の恐ろしさ。ドイツやロシアにしか目配せをしてなかったのに、唐突に「広島」「長崎」という言葉が出てきてから、日本人として感情をぎゅっと掴まれる。『この後の日本がどうなってしまうか』を分かっているからこそ、実験失敗してくれーって思ったり、オッペンハイマーの努力を無駄にしないでくれーって思ったり。そして実験の地獄のカウントダウン。発射からの炎や煙の美しい映像を無音で見せて、身構えが終わった頃に爆音がなる。この無音の引っ張りが映画的にすごい演出だった。己の動悸をはっきりと感じるほどの怖いシーンだった。
その後の実験成功称賛シーンや原爆投下からの戦争に勝った喜びにあふれるシーンは、日本人としては観るのはきついけど、史実としてはそうだし、1つの出来事を別の視点から観るとそりゃそうだとなるし、感情論だけでこの映画の評価を落とすのは違うとはっきり言える。
オッペンハイマーの「とんでもないものを作ってしまった…」という反省によって見てしまう幻想を「とんでもないものを作りたい」という原爆完成を想定した前半の幻想と対比させると、ここも凄いなと。
個人的には濡れ場がいらなかったなとは思った。
そうですか
私ら(日本人)のこととかどうでもいいんすねー。
私らがどう思うかとかどうでもいいんやなって思った。
大量に人殺した奴らにも悩みとか苦しみあったとか、知るかって思った。ましてやそんな奴らの権力争いとか。原爆開発を扱うのに、フォーカスするのは加害や被害じゃなく、あくまでオッペンハイマーその人で、それを評価するアカデミー賞。
他に語るべきことがあるはず。アメリカでこそ語るべきことが。
原爆投下時の被害状況は、開発者たちはリアルタイムで認識してないから描写がないのはわかるけど、その後に被害を認識する場面でも自分らがやったことまともに映さんとか舐めてんの?としか思えへん。
直接的な描写じゃなく、それを見た・知った人のリアクションでいかに酷かったかわかるでしょ?て、そんなぬるいことばっかしてるから、原爆が戦争終わらせたとか、必要やったって思ってる人が少なくないんじゃないの?
NOPEとか、自分らのこと刺してくる作品は無視するアカデミー賞が選ぶ、自分らの殺戮は直視せんとふんわり反省してるポーズは取れる都合のいい映画。
ロバート・ダウニー・Jrが、アカデミー賞でナチュラルにアジア人差別的な振る舞いするのも納得。そーゆー人らが作ってるんやなって。
広島や長崎はお前らのおもちゃじゃない。
それでも、ここから何かが変わっていくきっかけにはなるかもしれへんから、作られた意義がないとは言い切れへんし、こんな大作で加害に向き合おうとしてるだけ日本よりはマシ。
映画作品としてはアカデミー賞も納得の出来!
キリアンマーフィーの主演男優賞は納得!この人、名脇役の印象が個人的にはあったんだけど、すごくよかった!
ロバート・ダウニー・Jrも「脱アイアンマン」できてたし、今後の活躍にも期待だね(個人的には「トロピックサンダー」のお下品コメディが好きだけどね)!
助演女優賞が取れなかったのか不思議なくらい妻役のエミリーブラントも良かった。それ以上にフローレンス・ピューのジーンが良かった!魅力的な女性像だったなあ。「ミッドサマー」からMCU入りして、アカデミー賞作品に出演と確実にキャリアアップしてるね。マットデイモンも良かったし、脇役陣も皆ハマってた。そりゃあ作品賞取るよね。
人類の歴史の中で最も直近なワールドウォーだからこそ物議を醸すのは仕方ないかな。結局誰かの正義は誰かの悪なんだってこと。だからSFで架空の異星人たちが戦うってコンセプトが人気あったりするのかもね。対岸の火ならば、安心して観ていられるし(表現が適切かわからないけど)
後半いわゆる「政局」争いのようになっちゃって結局オッペンハイマーは「すごい人」ってことになるのは賛否が分かれるかもなあ、と思って。そしてあの「醜い争い」は映画じゃお馴染みの陳腐なプロットになりかねないし、少し長かったよ、あの部分が。あそこがもう少しコンパクトなら作品も締まるし長時間化も緩和できたような。そこで、少し食傷気味になったんで、−0.5で。でも俳優陣が素晴らしかったので、パンフレットは購入!(今年は★5をつけたらパンフは買う!)
主役脇役が抜かりなく良い演技をしてる映画は当然「いい映画」だと思う!
シーツを入れろ
こないだ鑑賞してきました🎬
「マンハッタン計画」にリーダーとして参加したキリアン・マーフィ演じるオッペンハイマー。
3年と莫大な資金を費やし、ついに原爆を完成させた彼ですが…ナチスに使うはずだった原爆は日本の長崎と広島に投下されます。
多くの民間人が犠牲になり、結果的に大量破壊兵器を生み出してしまった彼は、ロバート・ダウニー・Jr演じるルイスの根回しによりスパイの嫌疑までかけられ…。
ラストのなんともいえぬ表情のカットなど、オッペンハイマーの苦悩と葛藤がキリアン・マーフィの演技に体現されてました。
アカデミー賞も納得の演技です🙂
ロバート・ダウニー・Jrも、色々根に持つ性格のルイスを熱演。
オッペンハイマーを追い詰める為に、あれやこれやと奔走しています。
今回オッペンハイマーの妻キティを演じたエミリー・ブラントは、厳しい表情が多めでした。
ここぞというときに、オッペンハイマーをしっかり支えてくれます。
ジーンが亡くなって、森がなんかでうずくまっている彼を叱咤するシーンや、後半では意地悪な質問を繰り返すジェイソン・クラーク演じる検事にうまく反撃したり。
精神的に不安定なジーンを演じたフローレンス・ピューも、危うい部分がよく現れた演技でしたね。
「あなたは用があると私のところへきて、また去っていく」
そして、マット・デイモン演じるグローヴス。
なんだかんだ、最後までオッペンハイマーと計画を実行し、原爆開発に成功します。
「世界を破壊するな」という台詞は印象的です。
日本人として、長崎と広島に原爆が投下された事実を考えると複雑な部分もあります。
しかしこれは1つの映画ですので、アカデミー賞7冠に輝いた本作をスクリーンで観ることが出来たのは良かったと思っています。
3時間の長さも、あまり感じませんでした。
ノーラン監督好きの方は、問題なく楽しめると思います🙂
時系列がわかりにくい
映画として面白かった。日本人としてはしんどかった。
能力や地位、権力、競争、手に入れるところに上がれる天才の傲慢さと実現出来てしまう環境が全て揃った時に発生する前進力の凄さと恐ろしさを感じました。
あれだけカリスマ性を発揮した彼の栄光も終わった後の現実の前には尊大で矮小に見える。オッペンハイマーの身体が他の人より小柄なのもあってか輝ける時期は実際より大きく、罪を自覚してからは小さく見えたのが印象的。
アメリカが繰り返してきた核投下への実行のための大義名分と罪への言い訳の在処をできるだけ写し出した映画だと思います。この時期に日本を含め何処の国でも核爆弾の開発を競走していた事を考えると複雑だけど、あの実験まで踏切る為に彼が取った行動は異様でありつつ証明する事の誘惑や衝動の強さは人間の心理としての説得力があり歯止めの効かなさがすごくて…鉄塔に爆弾をあげていく辺りから自分たちの高揚感に呑まれるあり様に正直怒りと反感が込み上げてきました。
当時はベトナム戦争はまだ起こらず一般の人達はTVでの戦争報道はまだ先、ラジオからの限られた情報が戦況を伝えている世の中だし、情報伝達の解像度も今とは比べものにならないほど低いでしょう。SNSや動画サイトのある今ならあんなに他人事として喜べる筈はなく、あの時代であれば立場が同じならどんな人種でも同じ様に反応したのだと思う反面、映画を見てる時に主人公に自分を重ねて味わえるアメリカ人としての視点や仮面みたいなものは今回は嫌な気分でしか味わえなかった。
そして罪というのは犯すまでは理論として分かるものだけど、背負った自覚をして現実になってからはどうしようもなく心が感じとって分かるものだなともしみじみ思いました。そこはオッペンハイマーが理論の人であるから尚更。呵責に責め立てられてからの彼は過去の自分の言葉に振り回される姿が辛く、理論に覆い被さって動かない現実の大きな力を感じました。
何となくノーラン監督の作風は複雑状況下を言葉以外の力で説得してくるイメージがあったので、今回は周到な会話劇として作り込まれているのは最初ら意外でしたが圧倒的な現実を描くのにはこの対比が必要だったんじゃないかとも思います。言葉ってほんと怖いね波であり粒子である作中の光の本質と似た物を感じる。
そして語られなかった日本については、罪の意識があればこそ被害者側についてあちらの立場から創作するというのは気持ちとしてできるものでは無いし、それをする事自体が白々しさを感じるので無くて良かったと安心しました。それやってたらノーラン嫌いになっちゃったかも。
広島に原爆が落とされるまで
人類の終わり無き争い、天才達の償い
ぱっとしない
全953件中、541~560件目を表示