オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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どうしてもうがった見方をしてしまう
原爆と思うから色々考えちゃうんですが、圧倒的な力を持つ大量虐殺兵器だと思えばもう少しフラットに考えられるかなーとも。
多分これは大事なことなんですが、この映画は原子爆弾が主題の近くにありますが、戦争映画ではなく「科学者の苦悩」映画です。多分。反戦とかそういう話ではないと思う。被爆国の人間だからこそ、うがった見方をしてしまうと思う。もちろん、私も。でもこれは科学を、未知を学び研究する人間のだれしもが到達してしまうかもしれない領域というだけ。そういう話だと思います。
被爆した現場の写真から目を逸らしたのだけは頂けないけれど、単純に科学者の苦悩と思うと不憫でもある。
正直私のトラウマはだしのゲンに比べたらぬるぬるの表現だったので、ああいう表現の有無を心配してるんだとしたら、あんまりないです。とはいえ皮膚がペリっとポロポロしたりするシーンがあるし、何より爆発音があるので注意。
いや、まあ、これがはだしのゲンに比べたらぬるい表現なのがこの評価の理由でもあります。生みの親なら直視しろ。使った国が作ってる映画なら直視しろ。と思っちゃうもんなあ。もちろんそういう映画じゃないからしなくたっていいんだけど。
結構冗長に感じたのと、時系列が行ったり来たりしていて(そういうの流行ってるんか?)正直わかりにくさがあったので星3で。役者さんの顔を覚えてたらあんまり混乱しなかったのかもしれないなとは思います。
ただ、率直に2023アカデミーの作品賞これなんだ?と思いました。
時系列に整理してみました
日本でフルサイズのIMAXが見られる劇場は大阪万博記念公園と東京・池袋のグランドシネマサンシャインの2箇所だけである。
4月1日(月)
「オッペンハイマー」池袋グランドシネマサンシャインのIMAXで。
本作は、「原爆の父」J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)が
1942年から関わったマンハッタン計画、
1954年のオッペンハイマーの聴聞会、
1959年の仇敵ルイス・ストラウス(ロバート・ダウニー・Jr)の上院公聴会、
を主軸にオッペンハイマーの栄光と没落、そして彼の苦悩を描いた作品である。
クリストファー・ノーラン監督は、例によって時間軸をいじっているので、Wiki、ニューズウィーク日本版、エスクワイヤ等を参考に映画で描かれた事象等を時系列に整理してみた。
1922 ニールス・ボーア(ケネス・ブラナー)ノーベル賞受賞
1926 ハーバード大学卒業
イギリス ケンブリッジ大へ留学
ドイツ ゲッティンゲン大へ留学
1929 カリフォルニア大バークレー校に助教授として戻る
1936 ジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)と出会う(30年代後半ジーン・タトロックと非公式に婚約)
1940 キテイ(エミリー・ブラント)と結婚(キテイは4度目の結婚)
1942.6 ルーズベルト大統領極秘にマンハッタン計画を開始、総括責任者にレズリー・グローブス准将(マット・デイモン)を任命。グローブスがオッペンハイマーを開発責任者に抜擢
1943 .3 ロスアラモス国立研究所設立
オッペンハイマー所長に就任
1943.6 ジーン・タトロックと再会。別れた後でジーンはうつ病となる
1944 ジーン・タトロック自殺
1945.5.3 ドイツ降伏
1945.4.12 ルーズベルト大統領急死
副大統領トルーマン(ゲイリー・オールドマン)大統領に就任 原爆投下を決断
1945.5.10 投下地広島に決定(候補地に小倉、新潟、京都等が上がる)
1945.7.16 トリニティ核実験成功
1945.7.24 ポツダム会談(チャーチル、トルーマン)
1945.7.24 長崎、予備目標地に決定
1945.8.6 広島に濃縮ウラン型原爆(リトルボーイ)投下
1945.8.9 B29小倉に向かうも上空視界不良のため予備地長崎に変更。長崎にプルトニウム型原爆(ファットマン)投下
1945.8.15 日本無条件降伏
戦後、プリンストン高等研究所の有力な理事ストラウスはオッペンハイマーに研究所長就任を懇願
その後、委員会等で恥をかかされた恨みで水爆推進派のストラウスは水爆反対派のオッペンハイマーに反発
1951 オッペンハイマー、原子力委員会総合諮問委員長任期満了
オッペンハイマー相談役に留まるもストラウスにより断たれる
1953 アイゼンハワー大統領によりオッペンハイマーは科学諮問委員会に復帰
1953〜58ストラウスは原子力委員会委員長を務める。大敵と思われていたオッペンハイマーが輝きを取り戻し、復帰したのを喜ばないストラウスはオッペンハイマーからセキュリティ・クリアランス(機密情報を扱う適格性)の剥奪を諮る。
冷戦中であり、共産党シンパはソ連のスパイと同等と思われ、ソ連に情報を流した疑いで聴聞を受ける
1954 オッペンハイマー聴聞会開催
(映画では聴聞会の公開記録がほぼそのまま再現されている)聴聞会後に剥奪され政府の仕事から追放される
1959 アイゼンハワー大統領がストラウスを商務長官に指名した件で上院公聴会開催
マンハッタン計画にも参加していた(嘆願書に署名した)デービッド・ヒル(ラミ・マレック)の証言により聴聞会がストラウスの個人的復讐である事が明かされる。
(これは原作の「アメリカン・プロメテウス」には無く、クリストファー・ノーランが公聴会の記録から掘り起こした)2ケ月に渡る公聴会で上院から指名は拒否され、以後ストラウスは公職に付く事はなかった。
1963.12 ジョンソン大統領の時に(アメリカの物理学賞)エンリコ・フェルミ賞受賞し名誉を回復する(前年の受賞者は水爆推進論者だったエドワード・テラー)受賞式でオッペンハイマーはテラーと握手するもキテイは拒否(当時は賞金5万ドル、現在は37.5万ドル)
1960.9 オッペンハイマー来日
東京、大阪のみで広島、長崎には行かず
1967.2.18 オッペンハイマー咽頭ガンで没 62歳
アメリカ人がこういった事実(歴史)をどこまで認識して映画を見ていたのかは判らないが(タイムやライフの表紙にもなった位だから認知はされていたはず)、少なくとも日本ではオッペンハイマーとその人の歴史は認識されていなかったのではないか。
本作中でもトルーマン大統領の台詞に「日本は誰が原爆を作ったかなんて気にしない。誰が落としたかだ。」と言うのがあった。私はイノラ・ゲイは知っていたが、オッペンハイマーは知らなかった。
オッペンハイマー、ストラウス、グローブス、テラーそしてアインシュタイン!みんな写真を見るとそっくりか極めて寄せているのがわかる。
本作は、原爆の災禍を描いた作品ではないので広島・長崎の原爆被災の状況は描かれない(私はそれも有りだとは思う)。
もし、全米が目を背けるほどの原爆の災禍や被爆者の姿が描かれていたら、果たしてこの作品はアカデミー賞を取ったか?
山崎貴監督が「この映画のアンサーは日本側が創らなけばならない」と言う記事を読んだ。(あれ、違う監督だったっけ?)
アメリカと日本では原爆に対する理解、意識が違う。インディー・ジョーンズは冷蔵庫の中で原爆から逃れる位なんだから。
必要以上に恐怖心を煽る映画
長崎の被曝校で毎月平和活動してた者として一意見すると、日本とアメリカで原爆投下に対する根本的な考え方が違うんだと身をもって知り、ショックだった。
「世界規模の終戦を成功させた、原爆の父バンザイ」と、心から祝福する人が一定数以上いるなんて…
投下直後に、オッペンハイマーが米国国民から称賛されるシーンは本当に見るに耐えなかった。
音響が良いというレビューも見るけれど、私には不快だった。
必要以上に恐怖心を煽られて、オッペンハイマーの生きがいに集中できなかったから。
戦争の悲惨さではなく、オッペンハイマーの生き方や抱える苦難に焦点を当てるのが目的なら、恐怖心を煽る必要ないのでは?
原爆に対する恐怖心を強く持っているからなおさらかもしれないが、原爆というインパクトあるセンシティブなテーマを盾にとって、中途半端に恐怖心を煽るようなストーリー展開は嫌いだ。
ノーラン監督の悪いとこだけを煮詰めた駄作
みんなの心の声を聞かせて欲しい。ほんとにこの映画、駄作と思わなかったか…?
「核兵器」っていうセンシティブな扱いをしなければいけない題材だから、あえてみんな口にしてはいないように思うんだ。みんなホントに心の底で思ってない…??この映画"駄作"だなって
「分かんない〜!退屈〜🥱」なんて書いたら怒られちゃう!これはそんな気持ちで見ちゃいけないんだ…!的な事、思ってない…?
自分この映画マジで駄作だと思うんだけど。ホントに思ってない?ホントに…??!
ちゃんとなんで駄作と思ったか書くから、ホントの気持ち、知りたい……
ノーラン監督作品は基本好きだしほぼ全て見てますが、監督のダメな部分だけをとにかく煮詰めきっている
あまりに分かりにくい、いや、分からせる努力をやめた完全に独りよがりな構成
いい意味では感情抑揚を抑えた、悪い意味で言えばどこを見せたいのか主張せず視聴者に3時間もの時間を丸投げしてますよねこれ
セリフに関しても、
「君は鶏とトマトで待ちぼうけだな。ふん、量子か」
「神しか知らんよ」
みたいな、もう全編監督の「俺の"雰囲気"感じてくれ〜!」みたいなイミフ構文が続くわ、それだけでカット終わるわがひたすら場面転換して続く
小説で言うと口語文だけが4行くらいでパッ!パッ!パッ!と場面が切り替わる
抑揚なく史実に沿いたいならそれこそもっと人類が普通に喋りそうなセリフにしろや。エモ"み"だけでどうにかなると思うなよ
何よりひどいって、急に挟まる
「マイルズがいれば5年は先に進めるのに…」
風な台詞、シーン
知らねーよ。誰だよマイルズ。こちとら初聞きだよマイルズ
1時間待っても説明ねーぞマイルズ。マジで誰だよ
3分ごとに「あれ、俺今無意識にトイレ行って戻ってきた…?」ってくらい知らねー名前や単語出されて話に置いてかれる。マジで説明してくれ
「マイルズの◯◯理論は◯◯にとって革命だったんだ…クソ…」的な一言入れるだけじゃん
もう中盤までひたっっっすらこんなんばっかで、ある程度原爆の開発史やオッペンハイマーの生涯、政治関連しってる自分ですら話を追えないんですよね
何考えてんだ。周りのスタッフなんか言ってやれよ
いつものCG不採用も、今回は全く活かされてなくてただただ足枷になってて、
「核」は、まさに「世界を破壊してしまう」ものなのに、ただのすごーい爆弾しか表現できないならそんな矜持捨ててしまえよ(そんなすごくすらない
あんな、実家が燃えちゃったんだよね…程度の🔥で何の共感を得たいんだろうか
もしや1ミリもこわーい爆発見せたくない…?見せたくないならなんでこの映画作ったんだ…??
あ、音はすごかったです。でも正直ホラー映画の「バン!!」と大して衝撃レベル変わらんわ
そもそもこの映画、オッペンハイマー自身について語りたいのか?原爆について語りたいのか?当時の政治を語りたいのか?全くどこにもフォーカスが絞れてない。場面尺どこもかしこも間違えすぎでしょう
・この映画を見て科学者の葛藤や原爆や政治について考えて欲しいの?
それならきちっと背景を知らない人に教えることをすべき
これを見て理解できるほどの事前情報を持ってる人は既に自分の意見を持ってるわ
・背景を知ってる人に考察なり楽しんで欲しい?
ならこんな抑揚ない退屈映画を作るな
・背景を知ってる人に、改めてもう一度考えて欲しい?
ならクソみたいなわけわからんオッパイシーンなんか入れるな
・ただただオッペンハイマーの史実を書きたかった?
演出尺間違えすぎだろどんだけ偏った人生だよ。他人の人生を脚色するな
カーーーッ!文句ばっか出てくるわ!
みんなホントに駄作と思ってないのか??!!
「"核"だから厳かに見なければ……」とか、「考えさせられる……」とかそういうレベルじゃないでしょうこれ!!!
今まで難解なストーリーを映像の説得力や構成力で素晴らしい作品に仕立ててきた監督が、映像と構成を捨てたら、こうも虚無な映画が出来上がってしまうんですね
とまぁ罵詈雑言でしたが、中盤の、実験直前〜成功〜持て囃され、の辺りはさすがに引き込まれました。こう見せてくるか、と
オッペンハイマー本人というよりは、政府や軍、群像のファナティックさなんかへの興味の方が大きかったですが
ホントに掘り下げるべきはこの辺だったんじゃないのかなぁ……
よく見かける、日本の扱いが〜所詮アメリカの〜に関しては、もし日本軍が先に開発成功してたら絶対陛下無視で勝手に使ったろうなと思っているので、個人的には単なる視点の違いで、映画の評価に加えることはしませんでした
※実は翻訳のせいでした!とかだったら、すまない、ノーラン…。その時は星2.5にするね……
周りに迷惑をかけるな
何をするにも自由なのは結構、
ただ周りに迷惑はかけるなと思う
そんなこんなの全員の連鎖で
あんな結果になったんやろうな
1人のせいじゃなく、全員のエゴのせいだね
こういうのは権力のある頭硬い奴が見て一回頭冷やして考えてほしい、
こんな頭の悪いこと2度と繰り返すまいようにな
細かいことは我慢するにしても自分達に身体的迷惑をかけない政治を国民として望むから、そこんとこほどほどに宜しくな
と思うよ
なにもしゃーなくない
得体の知れない揺さ振り
もしこの作品を、クリストファー・ノーランではなく、正統派の監督が撮っていたらどんな感じになっていただろうか。オッペンハイマーという人間をどれだけ理解できただろうか。おそらく、原爆の父、ソ連のスパイ、共産党のシンパといった表面上のレッテルに踊らされて、客観的に、人の命を軽く見たA級戦犯だが、戦争を終わらせた救世主でもあり、と品定めしていたかもしれない。
だが、浅はかな品定めは見事に覆された。クリストファー・ノーランは、そんな軽率な決めつけを許してはくれなかった。
「マンハッタン計画」(核開発)、「トリニティ実験(核実験)」、原爆投下、戦後の聴聞会、公聴会。彼のトリッキーな「タイムスリップ」は、オッペンハイマーの心の襞のひとつひとつまでも描き切っており、そこには執念さえも感じられた。そして、目まぐるしいカラーとモノクロの反復、時折原爆の轟のごとき爆音により、観る者は、「タイムスリップ」の漂流船に激しく揺さぶられて、オッペンハイマーの心の中に、いつのまにか包み込まれてしまう。
この体験は、彼の出世作『メメント』で感じた、主人公の背景など関係ない、目の前の映像で自ら体感し、自ら考えよ、というノーランの啓示と酷似していた。この得体の知れない揺さ振りこそ、ノーラン・マジックのなせる業と言えるかもしれない。
最後にエミリー・ブラントについて触れたい。アカデミー賞の賞レースでは、『哀れなるものたち』のエマ・ストーンの陰に完全に隠れた感じだ。だが、ノーラン作品には欠かせない愛の表現者として、『インターステラー』のアン・ハサウェイ、『インセプション』のマリアン・コティヤール、『テネント』のエリザベス・デビッキらと勝るとも劣らない哀愁を感じさせてくれた。この場を借りて賞賛を送りたい。
IMAXはノーランのためにある
凄い迫力である。トリニティ実験のシーンはまさに圧巻だ。出来る限りIMAXで鑑賞すべき作品でもある。音響と編集がとても素晴らしい。オッペンハイマーが生み出した核の世界に私たちは現在生きている。それを肝に銘じて、近いうちに再度鑑賞したい。
時代と立場を超えて考えたい映画
本年度アカデミー賞で7部門を獲得したクリストファー・ノーラン監督の話題作だ。
アメリカ公開から8ヶ月も遅れて公開されたのには訳がある。単に原爆開発者を取り上げた映画だからというだけの理由ではないようだ。
映画はオッペンハイマーの視点(主観?)がカラーで、ストローズの視点(客観?)がモノクロで描かれる。ノーラン監督お得意の演出で時間軸は入り乱れているし特に説明もされないが、冷静に観ていればついていけるレベルだと思う。
原作であるノンフィクションは未読なのでなんとも言えないが、オッペンハイマーは“偉人”として描かれていない。どころか、欠点ばかりの人間のように思える。もちろん頭はとてつもなくいいのだけれど。
そんな彼が“神の力”を手にし、それが実際に戦争で使われてしまう。効果は絶大で、彼は一躍英雄に祭り上げられる。そして、失脚──。千々に乱れる彼の心の様を、キリアン・マーフィーが見事に演じている。
原爆投下のシーンがないことに批判の声が上がっているようだが、ぼくは不要だと思う。監督の視線はそこにないし、なによりオッペンハイマー自身が蚊帳の外に置かれていたことは間違いないのだから。
IMAX視聴。続けて観たせいもあってDUNE2と色々印象が重なる。...
IMAX視聴。続けて観たせいもあってDUNE2と色々印象が重なる。今時珍しい白人男性主人公が、破滅のビジョンにおののきながらも、優れた能力ゆえに取り返しのつかない「偉業」を成し遂げてしまう、という…。本作のアインシュタインもほとんど予言者的な立ち位置だ。ただ、複雑な背景のお話を、ここまで複雑な語り口で見せるのはある種韜晦なのではないかという疑念も。どれだけ懊悩してもオッペンハイマー個人の内面でケリのつく話ではないし、結局監督も観客も、あのあまりにも見事な「爆発」のシーンこそが観たいのではないか。カウントダウンで鳴り響いていた重低音がフっと消え、闇の砂漠に咲く閃光と炎…。サングラスをかけ、日焼け止めクリーム(!)で顔をべたべたにしてその一瞬を待つ人々と、どうしたって観客もシンクロしてしまうのだから。
クリストファー・ノーランのアルターエゴ
「面白かった」と書くと語弊を生むかもしれないので、こう評す「見応えがあった」。
ノーランお得意の時間軸の交差はあるけど、今回はオッペンハイマー視点(主に戦前)はカラー、オッペンハイマー以外の視点(主に戦後)はモノクロにしているので、完全理解は難しくても大まかには把握できるようになっている。
一部で「原爆の悲惨さが描写されていない」という感想があったようだが、確かに直接的描写はないにせよ、原爆が投下されたことで歓喜を上げる米国民を前にしたオッペンハイマーの狼狽ぶりと、原爆が引き起こした惨状を間接的に描写しているではないか。「原爆を開発したオッペンハイマーを称賛した映画」と評する者もいるようだが、確かに原爆を開発した事でオッペンハイマーは称賛された。しかし戦後の彼がどうなっていったかはラスト1時間あたりから執拗かつ冷酷に描かれている。的外れな感想を述べている輩はちゃんと観ていたのだろうか。
英雄と崇められたかと思いきや、真実と異なる見解から一気に非国民扱いされてしまう。SNSでいわれのない誹謗中傷をされ信用を失してしまう現代と大して変わらない。ネット嫌いのノーランらしい視点だ。
「万人には理解されなくてもいい、俺はこれがやりたいんだ!」というノーランの頑固さは相変わらず。同僚たちにはおぼつきもしない原子力学を持つオッペンハイマーは、彼のアルターエゴだった。
シンゴジラとの共通点
・核にまつわる話である
・政治と深く結びつきがある
・情報過多なつくりである
・人間がずっと喋っている
・ハッピーエンドと割り切れるものではなく、解釈は個々人に委ねられている
・名前は聞いたことがあっても、内部について詳しく知られていない施設が舞台となっている(ロスアラモス、立川の防災拠点)←若干無理がありますね!
これは反戦映画ではない
これは反戦映画ではない。
戦争や科学を小道具にした壮大な政治闘争劇である。広島も長崎もストーリーの中の出汁になってるにすぎない。
体験型映画という言葉に釣られてIMAXでわざわざ観たが爆音はほぼオッペンハイマーの妄想、実際には密室の中の会話でストーリーが完了している(戦場のシーンが一切ない)。フローレンスピューが味変になっていたが、それがなければ退屈極まりない3時間になるところだった。
わざわざIMAXで観る必要はなかった。
公開週にもかかわらず興収第4位スタート。変な家やドラえもんにも負けてる有様。たいして混んでないから暇なら皆さん観てください。
(独り言)
見掛けだおしだぞ、クリストファー・ノーラン。俺はムンクの叫びを見たいわけじゃない。オッピーの苦悩だけで3時間、俺にとっては財津一郎だよ(きびし〜ぃ!!)キリアン・マーフィーの独り芝居はもういい。
2024.4.22再見
どう観ても、ノーランの言う反戦映画には観えなかった。科学者対政治家の小競合にしか見えない。ストローズは悪目立ちし過ぎだし、結果オッペンハイマーが復権したってだけで平和なんかそっちのけに感じた。きっと日本の描写がなかったせいだな、単なる伝記映画だとわかった。
世界の終わりの始まりの物語
原作小説は未読です。原爆の父として知られるオッペンハイマーの半生、特に学者としての人物像を時代背景も交えて描いた社会派作品でした。
冒頭、時系列に少し戸惑いました。が、徐々に理解できました。本作はただ史実を列挙した伝記映画でないと。技術的特異点で起きたとある顛末でした。
序盤、オッペンハイマーの若手時代の活動や交友を通じて人物像が伝わりました。行動的で革新的で感情的な姿は物理学者としてだけでなく、多くの人を惹きつける要因になったと思います。オッペンハイマーはどこにでもいそうな人気の大学教授みたいでした。
そして、マンハッタン計画へ。オッペンハイマーが主体となって開発を進めていた事実に驚きました。それも現代的なプロジェクトと言う形で。また、政治的な面や家族思いな面も含め、非常に人間味のあるシーンが続きました。でも、原爆実験の日の凄まじい光と音。あの光景を目にした後のオッペンハイマーの葛藤が描かずとも演技に表れていました。
オッペンハイマー演じるキリアン・マーフィは文句なしの主演男優賞の一言でした。態度や表情はクールでどこか艷やかだけど、目の動きと口の動きが物語る。特に、原爆投下後のスピーチで見せた憔悴した表情は目に焼きつきました。ストローズ演じるはロバート・ダウニー・Jrの政治家役も意外としっくり。アイアンマンくらい傲慢だったからかも。その他、豪華俳優陣が作品に色味を与えていました。
改めて、第96回アカデミー賞作品賞受賞おめでとうございます。原爆に関し、これまで被爆国の日本はもちろん、世界的にもタブー視されてきました。でも、戦勝国のアメリカにとって世界に自らの力を示し、間接的に多くの兵士の命を救った栄光の瞬間でした。情報のグローバル化が進んだ現代、様々な感情を超えて歴史共有ができるようになり、本作は描かれるべき時が来たのかなと感じました。
終盤、「兵器は使わずにはいられない」という言葉がでてきました。終わりの始まりの門を開いてしまった身として、終戦後のオッペンハイマーは何を思ったのか。原爆の父として人類の未来に何を見たのか。力を持ったアメリカを抑えられるのは、力を与えた者だけということなのか。それでも軍拡という時代のうねりに飲まれてしまうのだけど…。オッペンハイマーは軍人でもなく政治家でもなく学者として戦い続けた人物だったと知れてよかったです。
ある意味、ターミーネーターなどのSF映画や冷戦以降の戦争映画に多大なインスピレーションを与えた人物でもあり、改めて評価すべき人物であるとノーラン監督は訴えたかったのかもしれませんね。
ピカドン
オッペンハイマー
兵庫県西宮市にある映画館TOHOシネマズ西宮OSにて鑑賞 2024年4月1日(月)
パンフレット入手
オッペンハイマーが生きた、アメリカ激動の時代
オッペンハイマーが大学で教鞭をとり始めたのは株価暴落をきっかけとしたアメリカ史上最大の経済恐慌、大恐慌の始まった1929年だった。恐慌は世界に広がり、第一次大戦の賠償金支払いで行き詰まるドイツにヒトラー率いるナチスが現れる。ナチスは第二次世界大戦を起こし、当初、戦況を優位に進める。このドイツに負けまいとアメリカが完成を急いだ原爆は、1945年、日本を降伏させるだけでなく、一瞬にしてアメリカをかつてない超大国にさせた。ただ、その4年後にソ連も核実験を成功させる。米ソが核兵器で脅し合う冷戦の中で反共思想がアメリカでは一気に広がっていく。ヒステリックな「赤狩り」の渦中で、オッペンハイマーも共産主義者との過去が問われているのである。
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ストーリー
1925年 J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)イギリスのケンブリッジ大学で実験物理学を専攻していた。敬愛する客員教授のニールスボーアに勧められ、ドイツへ渡って理論物理学を学ぶことに。そこで才覚を開花させたオッペンハイマーは、博士号を取得してアメリカに帰国。カルフォルニア大学バークレー校で教鞭を執るようになる。また、同大学の准教授で、社交的な物理学者のアーネスト・ローレンス(ジョシュ・ハーネット)と意気投合する。
1936年 オッペンハイマーは家主が開いた集会で共産党党員のジーン・タトロック(フローレンス・ビュー)と出会い、彼女と恋仲となる。聡明ながらも奔放なジーンとは長く続かなかったが、その後であった当時既婚者の植物学者の”キティ”(キャサリン)(エミリー・プラント)と結婚。ふたりの間にはこどもが生まれ、幸せな家庭を築いていく。1941年、FBIはオッペンハイマーの捜査を開始
1942年オッペンハイマーは「マンハッタン計画」の最高責任者である陸軍のレズリー・グローヴス(マット・デイモン)から、原子爆弾開発に関する極秘プロジェクトへの参加を打診される。この前年、アメリアは第二次世界大戦に参戦。ナチスドイツによる原子爆弾の開発が、もはや時間の問題だとみられていたのだ。オッペンハイマーは参加を快諾し、優秀な科学者たちを全米から招聘。ニューメキシコ州にあるロスアモラス研究所を建設して、彼らを家族ごと移住させた。それは国家の存亡をかけた核開発競争の始まりだった。
1945年 ナチスの降伏後、今度は日本を降伏させるための武器として、原子力爆弾の研究がつづけられていた。この国家プロジェクトは、1945年7月に行った「トリニティ実験」でついに成功を収める。計画の成功を喜んだのもつかの間、8月に広島、長崎に原爆が投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。
そして、戦後。戦争を終結させた立役者として賞賛されるべきオッペンハイマーだったが、時代冷戦に突入。アメリア政府はさらなる威力を持つ水爆の開発を推進していくのだった。ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・jr)によりブリンストン高等研究所の所長に抜擢され、また原子力委員会のアドバタイザーとなったオッペンハイマーは核開発競争の加速を懸念し、水爆開発に反対の姿勢をとったことで次第に追い詰められてゆく。1950年代、赤狩りの嵐の中、彼の人生は大きくかわっていくのだ。
クリストファー・ノーラン 監督・脚本・制作
感想
原爆の製造は最初はドイツに落とすことが目的であった。独裁指導者ヒトラーが死んだことでドイツに落とす意義がなくなった。そこで日本がターゲットになったということです。
日本の次はイタリアが狙われた可能性がある。
「トリニティ実験」の様子を映画館で鑑賞した。原爆を作ってアメリカで行ったその内容があまりにも衝撃的でした。
膨大なエネルギーによって崩壊されてゆくのは強い光線である。その直後に大きな轟音が響く・・・
映画館というところは、迫力があって臨場感があるのが特徴。原爆投下を「ピカドン」と表現されていることを思い出した。
そしてこのすごい恐ろしいものが、広島と長崎に落下したのかと感じた・・・
日本でこの映画を見られる平和がいい
映画『アルキメデスの大戦』では、平山忠道造船中将が「巨大戦艦「大和」が沈むことで日本は戦争をやめるだろう」
この言葉が蘇る
しかしそれでも日本人は辞めなかった
さらに戦争が続いていたら日本国自体が消滅していたかも知れない
あの時代は命は軽く小さかったのかも知れないのだろうか
それが原爆を使う事への正当な理由にはならないことは当然だと思う
その昔、ダイナマイトが発明された時もそうだろうしこの映画の冒頭に出てくる「プロメテウスの火」そのもののように思われます
文明は発展すればするほど弱い者が損をするのかも
どこまで発展してどこまで便利になったら幸せなのだろうか
今まで戦争も天災にもあったことのない私はきっと軟弱で物事を上っ面でしか見られない卑怯者だ
そんな私ですら戦争や災害のニュースを見て心が苦しくなるのは何故なのだろう
映画やドラマを見て涙が流れるのはどうしてなんだろう
生と死は同じことなのだと思う
科学者の倫理とか考えちゃうよね
かつて物理学を、しかも原子核理学を志向した者としては観ておかなくてはと思い、観てきた。だが、オッペンハイマーについては、マンハッタン計画のリーダー位の認識しか無かった。実際、大学初等程度の物理学ではオッペンハイマーの名前の付いた法則は出てこないので、彼の仕事を具体的に知る事はまずない。もっとも、誰でも知ってるブラックホールの存在を理論的に予言したのは彼で、映画の中でも描かれる。
映画は、マンハッタン計画と、その後ストローズとの対立の二軸で描かれる。それ以外の業績や仕事ぶりは描かれない。戦後、核兵器技術の国際協調と管理、水爆への反対を唱えて米国政府から煙たがられ、レッドパージのあおりを受けて政治的な場から降ろされたが、科学者としてはプリンストン高等研究所の所長を長年勤めて指導的立場にあったのだから、科学者としては幸せだったのではないだろうか。
科学者は原理を見つけ、技術者は実用化し、使うのはあくまで政治家である。大量破壊兵器を開発したからといって、科学者が責任を感じる必要はないのである。トルーマンが面談で言ったように、恨まれるべきは政治家なのだから。
マンハッタン計画に関わった科学者の多くは戦後、核の平和利用を唱える側に回った。TOHOシネマズでは奇しくも開始前にJERAが「CO2を出さないエネルギー」とCMしているが、そこに原子力という選択肢はおそらく無い。
恐怖感を煽る演出で見せられるトリニティ実験に「悪魔の火だ」と感じても、フィクションではなく、これは今人類が手にしてしまったプロメテウスの火なのである。どう使うかは我々次第なのだ。
よくわからない
私の感受性が悪いのか、何が言いたいのかよくわからなかった。
アカデミー賞を取ったし、興味ある分野だったので観に行ったが、長く感じたし(3時間は長かった)流れが全編通してつかめなかった。
もう二度と行かないだろうし、これを観た長崎や広島の人はどう思うだろう。
IMAXで観る金があれば他の映画をもう1本観る
きっかり3時間またしてもクリストファー・ノーランの時系列交錯難解ものという前評判だったので覚悟していたのだが全くの肩透かしをくらった。時間の行きつ戻りつは映画的手法の常識範囲を逸脱しておらず聴聞会部分を白黒できっちり区別していて寧ろ親切で「ダンケルク」や「TENET」に比べれば100倍分かりやすい。さすがに議会と小部屋での吊し上げの前後関係は分かりづらかったが…私は赤狩りが時間的に後だと思い込んでいたしまさか5年も隔たっていて…研究者生命を絶たれたところで終わりだと映画的に分かりやすいのだがルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr)の物語がそのあとにくるとは。SFでもアクションでもなく大虐殺兵器を生み出した男の生涯というだけで長時間引っ張るのだが、米ではトリニティ実験が成功した7月に公開して大ヒットしており決して原爆礼賛映画ではないのだから日本でもすぐに公開して何の問題もなかったのだと思うのだが東宝東和は何をびびったのか逃げて、ビターズ・エンドがアカデミー賞まで待ったのは被爆関係者たちの批判を恐れてというより寧ろ内容の地味さによる不入りを心配したのではないだろうか?作品賞・監督賞含め7部門独占したらさすがにね。対話劇が8割を占めるのだが驚くべきカットつなぎが切れ味鋭くテンポ良くて飽きさせず普通に面白いのだがここまで評価される作品では無いしまして2度3度観れば良く分かるIMAXで観なきゃダメなんて評論家は配給会社の回し者としか思えない。クライマックスのトリニティ実験での描写は映像で1回、爆音で1回という凄まじさを見事に表現しきっていてさすが。でも鑑賞後に広島で使われたのが他チームが作った原爆(リトルボーイ型)だと知って複雑な気持ちが膨らむ今日この頃。「原爆の父」というレッテルを貼ることで核兵器開発責任をこの気弱な理論物理学者一人に押し付けていることは明白でそこを曖昧にして逃げたノーランもちょっとずるい。
原爆の父と呼ばれて
戦時下、レッドパージ、激動の時代のアメリカを生きた一人の天才物理学者の半生。
裕福なユダヤ人家庭で生まれ育ったロバート・オッペンハイマー。母親譲りで芸術に造詣が深く、また成績優秀でハーバードを飛び級の首席で卒業するほど。語学は6か国語を習得するまでに。
しかし、若き日の彼は挫折の連続だった。文学の道を志すもあえなく挫折、社交の場でもうまく立ち回れず、実験物理も向いていなかった。劣等感にさいなまれ精神を病んだ時期もあった。
ただその後、量子力学という新しい学問が発見されてからは彼のこの分野での飛躍は目覚ましいものがあった。注目される二つの論文を書き上げて学界でその名を知られるようになる。彼自身この量子力学の分野に自分の人生の光明を見出したようで、まるでそれからの彼の人生は水を得た魚のように活気づいた。
バークレーでの彼の教授としての地位はその人望も含めて確固たるものとなった。そんな中、第二次大戦が勃発。ナチスによる核開発の懸念からアメリカで本格的な核兵器開発プロジェクトが始まる。
総責任者グローブスのお眼鏡にかなったオッペンハイマーは研究所所長に抜擢され、ロスアラモスで彼は大学教授の時代同様、人望を集め見事なリーダーシップを発揮する。まさにそれは彼の人生における絶頂期のような輝かしきものだった。
研究所では科学者スタッフが精製されたウラニウムの塊のように一丸となって核開発に没頭した。そしてナチスドイツの敗戦が知らされる。
核開発を正当化する理由は失われた。しかしドイツの敗戦を知って開発から手を引きロスアラモスを去ったのは科学者たった一人だった。
ファシズムとの戦いは日本がまだ残っている、戦争を終わらせるためには原爆が必要だ。それらの大義とはまた別に科学者としてこの大規模国家プロジェクトに携われたことへの名誉、そして自分たちの研究の成果をこの目で見てみたいという科学者としての願望もあったのかもしれない。
冷静に考えれば自分たちが開発しているのは超強力な爆弾である。本来それを開発する技術は永遠に封印されるべきものだった。しかし、これが科学者の、いや人間の性なんだろうか。未知なる技術への知的探求心を抑えられる者はここにはいなかった。もはやこの開発に歯止めをかけるものは何一つ見当たらなかった。的に向けられて発射された弾丸が自ら止まることができないように。そしてそれは原爆使用に関しても同じだった。
オッペンハイマー自身この兵器が完成し、人に対して使用されたならどのような惨劇に見舞われるかは十分わかっていたはず。だが彼は自分を納得させる。我々科学者は開発が任務であり、開発された兵器をどうするかまでは権限がないと。
この考えが彼がその罪悪感から逃れるための唯一のよりどころだったのかもしれない。だがそんなよりどころはもろくも打ち砕かれる。実際の広島、長崎への原爆投下によって。
この時、もはや彼の中で罪悪感は言い逃れができないほど大きなものになっていたはずである。
彼は自伝などは残しておらず、彼のその時々の心情は彼の書簡や彼の周りにいた人物の回顧録などからひも解くしかないが、間違いなく言えることは彼は開発を悔いていたということだろう。
劇中で述べられた、人はたやすく兵器を使ってしまうものだという言葉。彼は原爆を開発しながらもこんな恐ろしい兵器が使われることはないだろう。どうか使わないでくれと心のどこかで願っていたのかもしれない。しかし、アメリカはあっさりと使用してしまう。それも立て続けに二度も。
開発は使用を必ず促すということを思い知った。もはや開発しただけだという彼の言い訳は彼の中では通用しないものとなっていたはず。
だからこそ彼はその後、さらに強力な水爆開発に反対し、核の国際管理の徹底、核による戦略爆撃に反対した。二度と広島長崎のような悲劇を繰り返してはならない、人に使用される核兵器は広島長崎が最初で最後になるようにと。
しかし、彼に対して私怨を抱く少数の者たちによって彼は陥れられる。時代はまさに赤狩りの時代。彼の過去の共産党との関わりがあだとなって不当な裁判で公職追放の身となる。
原爆の父からソ連のスパイとまで呼ばれたオッペンハイマー。当時の赤狩りの犠牲者であるが、彼を陥れたテラーは新たに水爆の父となり、その後のアメリカの核開発武装路線で大きな役割をはたすこととなる。そして米ソの核開発競争に歯止めがかからなくなり冷戦の時代へと突入する。
オッペンハイマーの理論物理学者としての先見性は確かなものだった。世界に30年以上先んじてブラックホールの存在を言い当てていたように一つの核兵器の完成によってこの米ソ冷戦に至る世界を思い描いていた。まるで一つの核分裂がまた更なる核分裂を引き起こし、その連鎖反応が限りなく広がるように核への恐怖が広がり核武装せずにはいられなくなるこの世界を予見していたのだろう。
彼がアインシュタインに述べた、自分は世界を破壊してしまったという言葉はまさにその言葉通り世界を何百回も破壊できる数の核保有という冷戦時代を作り上げてしまったことに対しての悔恨の言葉だったのだろう。この冷戦は彼の死後22年以上続くこととなる。
彼は喉頭癌を患い62歳で亡くなる。物理学は原爆を生み出したが、彼の癌を治すことはできなかった。
当時核開発競争に明け暮れた時代。日本でも理化学研究所ではその開発が進められ、日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹氏でさえその開発に関わっていた。
彼のノーベル賞受賞はオッペンハイマーの推薦によるものが大きいとも言われている。
原爆を生み出した張本人として知られるオッペンハイマー、しかし彼の人生はむしろ原爆を生み出してしまったことによる責任を重く受け止め、核兵器誕生以後の世界に対して自分がなすべきことに何の迷いもなく突き進んだことにこそ、その人生の意義があったのではないだろうか。
作品はオッペンハイマーの人生を複数の時系列に分けて並行して見せることにより、長時間の上映時間でも一切だれることのない、見ごたえのあるものに仕上がっていた。
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