オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
全958件中、381~400件目を表示
タイトルなし(ネタバレ)
1950年代、原子力委員会の委員となっていた「原爆の父」オッペンハイマー博士(キリアン・マーフィー)は、赤狩りの渦の中、コミュニストの嫌疑をかけられ、委員から除名されようとしていた。
彼は、原爆開発後、広島・長崎の惨状から戦後は原水爆禁止・不使用の立場に翻っていた。
一方、原子力委員会に君臨していたストロース(ロバート・ダウニーJr)も公聴会に挑んでおり、それは政府閣僚・商務長官指名を狙ってのものだった。
ふたりの確執は原子力委員会設置時から始まっており、推進派のストロースにとって、反対派のオッペンハイマーは宿敵ともいえる存在だった・・・
というところからはじまる物語で、あれれ、原爆開発の「マンハッタン計画」が主軸ではないのね?というのが観始めてすぐの思い。
で、ストロースの公聴会、オッペンハイマーの諮問会とふたつのことなる裁判にも似た会議が現在時間軸で、それぞれの回想(というかなんというか)の形式で過去の出来事が綴られていきます。
うーむ、なんやねん。
別に時間軸に沿って順に描けばいいじゃないか、と思うわけですが、それをやると倍ぐらい時間がかかるので、「さわり(見どころ)」だけで綴ったのではないか思うようなつくり。
前半30分ぐらいまでに、オッペンハイマーがアカとみなされる要素を出してくる脚色は相当上手い。
けれども、それは、(わたしが期待した)映画の語りとは異なっていた。
前半に提示される要素が、最終的にオッペンハイマーのアカ/非アカを決定づける要素となっておらず、そういう意味では伏線になっていない。
なので、時間軸どおりでいいんじゃないかと思うわけで、そう思うのにはもう一つ理由があって、オッペンハイマーが「マンハッタン計画」主導時と戦後における変転は、やはり時間軸に沿って描き、「おお、そりゃ心変わりするよね」と納得させる演出が欲しかった。
あえて原爆投下後の広島・長崎の画を撮らず、露出過多で悪夢を描く演出は評価できるが、その演出も今回の語り口では、鬼面人を驚かすの域を出ていないように感じました。
さらに戦後政治に飲み込まれていくオッペンハイマーの対立軸のストロースがあまりに生臭く(つまり演技的には素晴らしい)、彼の政治的野心との対立みないな感じがするのもマイナス要素。
ということで、個人的には「ところで、オッペンハイマーってどんな人物よ?」と思ってしまい、意欲空回り的な映画かなぁとも思った次第。
のべつ流れる劇伴、うっとおしいなぁと思ったら、最終実験の際の無音演出、その後のオッペンハイマーのトラウマ演出への伏線だったのね。
この点は、おおおお、と思いました。
原爆が落とされるシーンはないが、日本人が見るにはやはり辛い
最初に、広島、長崎の原爆シーンはありません。会話とストーリー上ではでてきますが、主人公が自責の念に駆られ幻覚幻聴を感じるシーンで少し触れます。また、原爆の威力がわかるのはニューメキシコで行われるトリニティ実験のシーンとなります。
クリストファー・ノーランの作品らしく、終始暗いです。音楽も映像も暗いです。
オッペンハイマーが主導して原爆を作り実際にそれが日本に落とされたことで彼が苦悩、後悔することに映画化する意味があり、視聴者が救われると思います。これだけのことをして、葛藤、苦悩しないならば、それは人間ではありません。
時系列が何度も入れ替わり、カラー、モノクロ、関わる登場人物も多いので難解なところもありますが、科学者として、探求心、他からの期待、大義名分をもって開発を進め、実験、原爆投下、終戦、その後の没落まで丁寧に描かれています。
作品中に出てくる大統領とのシーンで、戦争で原爆を落とすという判断を下せる人は、良くも悪くもこんなに強いんだな、と深く考えさせられました。私は弱虫と言われようともオッペンハイマーのように自責の念にかられ苦悩する側の人間でいたい。
予備知識なく見て、アイアンマンのロバート・ダウニー・jrに似てるけど、いやーこんなおじいちゃんじゃないしなー、しかし似てるなあなんて見てたらやっぱりご本人でした。役者さんて本当にすごいです。ナイトミュージアムやqueenの俳優さんもいい役どころで出てますし、なかなか見ごたえありましたね。
オッペンハイマーの苦悩でもわかるように、原爆が開発される前の時代に戻れることはないわけで、、、現在核保有国も何か国もありますが。
今後、核で人類が人類を滅ぼすようなことがないことを祈りたいです。
長い‥ついていくの大変
アインシュタイン多め
アインシュタインの出番が結構多めでしたw
似てる! w
て言うか似すぎてて意識を持っていかれ過ぎて困った
むしろアインシュタインの映画観たくなるw
てかオッペンハイマーとアインシュタインてそんなに親交あったのか?
アカデミーも取ったしこれはいよいよ観に行くぜ!と気分も盛り上がってたところ、早々に縮小傾向で、コナン公開日には虫の息 wいつ打ち切りになるかと怖くなって有休取って朝から観に行く。
大画面のスクリーンで上映してる所も無く小さなスクリーンばかりで、客も朝イチとはいえかなりまばら。客層の年齢も定年後の爺さんばかり、、そりゃ爆死するわ
デカいスクリーンで観れなくなって後悔してたけど、観終わってからは、、高い金払わなくて済んで良かったwでした
デューンみたいに大画面で見るべきシーンなんてあった?
そういう意味でも、今までのノーランの大作気分で行くとガッカリするかも
点数低めなのは、いつもの思ってたんと違ったから…でもあるんだけど、そうでなくてもポイントを変えて撮ったら良かったのにと思わずにはいられなかった
最初から最後まで、ずーっと「オッペンハイマーは共産主義に加担したのか?」という疑惑についての話が何度も何度も出てきて…え?コレがこの映画のポイント?て思った。正直面白くも何ともない部分を掘り下げてる感じで、何でここを強調したのかサッパリだった
逆に、原爆開発や研究についてはお飾りみたいな扱いで、爆発シーンもショボい
そして実験成功から後の上映時間が長い長い!むしろそこからが本編 w何度か落ちた
あとセックスシーン含めて恋人との話全く要らんやろ?
コレ無くしたら2時間に収まるんじゃね?w
オッペンハイマーの苦悩とかも、描けば描くほどしらけてくるのは目に見えてるので、最初からどうでも良かったし
これを反戦映画とか被爆者のシーンが無いとか、、そういう目線で見るのは全然あたらないとおもた
これはオッペンハイマーがアカだったかどうかを問うた映画だからw
と言うわけでノーランさんには次回作に期待です
でもこれで日本では大損こいたろうな…😅
語りたい要素満載
”新型爆弾”開発競争の中、政府・軍部から猛烈な督促を受けつつ迎える実験日。暴風雨。嵐は止むのか?実験は延期か?しかし主人公は天候を予測し5時半には実験ボタンを押す決意を周囲に告げる。夜が明けてくる。止まない雨。さーどうなる? 歴史的にはわかっていることなのに、ここへ向かっていく緊迫感が半端ない。夜明け、晴れあがる。音響による畳み掛けもマックス。そして遂に!無音が訪れる。スクリーンの中は火の渦。露光オーバーの人々の表情が次々アップでスライドしていく。一巡して爆音が突然戻るっ!ここへ向かって物語は前半を終える。
この実験が成功することはわかっているのに、「うまくいくのか?大丈夫か?」と客席からハラハラ見守った自分。
3分くらい続いただろうか。火球の嵐の最中から、激しい動揺が湧き上がり涙目になってしまった。成功しちゃったよ。声にならない。
この両面体験は、人によって様々だろうけど、もう、まぁ見事というか。やってくれちゃったね。はぁ、圧巻でした。
そしてまたキャステイングに痺れました。物語にはまりこんで、ストローズがスターク社長だとはしばらく気づかず、なんかヘンリー・フォンダによく似た人がしゃべってるなーと思ってみてました。他、要所にそれぞれ多数配役された脇役さんたちは、自分的にとても馴染みの主役級が多かったことも、語りたい要素の一つです。大統領が、同時期のチャーチルだったことも納得の配役というか。それらのことは、しゃべりたい欲求が込み上げるも逆に多くを語る必要がないとも思える。この映画に参加する意義とか。
日本人だからこそ観る意味がある
日本人はどうしても目を背けがちなテーマ
しかし、アメリカという国の行動原理と思考を知る意味で、1人の人間を通して描かれる原爆の開発から日本への投下に至るアメリカの中身を描くこの映画を観ることには意味があると思う。
日本で公開されて良かった。
罪深い人類の物語
オッペンハイマーをプロメテウスに例えるというより、これはプロメテウスが火を与えた人類の物語の続きで、プロメテウスは今もなお責苦を追い続けているんだろうな。
と思ったわけで、テーマ性として、善悪とは、科学と政治とは、作ると使うとは、みたいな論点もあれば、イスラエル/パレスチナ問題に通じるユダヤ人の論点もあれば、原爆を日本に落とさなければ戦争は終わらなかったのか、また落とさないで終わりを迎えたとしたら世界の形はどうなっていたのかというif的な論点もある。
いろんな論点を問い続け、人類の罪に対して罰を受け続ければならない、この悲しい人類の物語について、じっくり考えるための作品。オッペンハイマーの功罪とか、彼が個人として負い続けなければならない永遠の責苦について考えさせられるのではなく、自分自身が負っている責苦をよく考えなければならない。
そして、彼が実際に責められたのは赤狩りを背景としたものなので、共産主義を改めどう捉えるか。また、現在の原子力政策をどう捉えるか、気候変動問題をどう捉えるか、いろいろ考えないといけない問題が沢山あるので、我々人類に思考停止に陥っている暇はそれほど残されてはいない。
栄枯盛衰オッペケぺ〰️
長い
オッペンハイマー=原爆製作者というイメージだったけど、あくまでもイニシアチブをとっていた人だったんだね
ま、色々な分野の専門家を集めて、早く戦争を終わらせることをパーパスに取り組んで、成功させた功績は大きいと思います(日本人の不得手な分野)
登場人物としてアインシュタインもでてきたのは、少し驚き👀‼️以外にオッペンも色男だったことや、騙されていたことも…
ノーベル(ダイナマイト発明家)も同じ境遇だったのかな〰️とか、あまり目立ちすぎると疎まれるのは全世界共通なんだな~とか、最後には天皇の戦争責任について(なぜ今も税金でのうのうと…)日本国民だけでなく、判断ミスで苦しんだオッペン達等々
内容としては…😞
この上無い描写力
原爆の父と評された物理学者オッペンハイマの苦悩の半生を描いた映画である。この上無い描写力はさすがはアカデミー賞作品賞を含む7部門を受賞しただけのことはある。特に映画館という大きな箱の中で視聴者の耳には主人公に差し迫る危機を掻き立てるような緊迫感が溢れる音が終始鳴り響いていた。それがオッペンハイマの世界観に導かれたままのあっという間に3時間が過ぎた。只、現代進行形シーンと懐古シーンが頻繁に入れ替わるのでとてもわかりにくかった。この映画はアメリカ人の視点で描かれており、会話としては出るが、広島。長崎での原爆投下のシーンは全く出てこない。もちろん被災国日本人の心情としては決して穏やかではない。今も原爆投下によって終戦が早まったと正当性を主張するアメリカ人は結構な数でいる。そんな中でよくここまで踏み込んだと思える内容だ。原発や原爆を恫喝に使う独裁者が出たり、今もガザでここまでやるのかと思うくらいの罪のない何万人の市民の悲惨な殺戮が繰り返されている。確かに重いテーマが背景にある。近年核なき世界がずいぶん遠のいたと感じている。本当にこのままで良いのか?この映画はそれを問い掛けているようにも思う。ぜひ観ていただきたい。
象牙の塔の外には獣たちがいる
伝記映画というより政治もので、時の人や権力者の栄枯盛衰を、審問の現場とそこで取り沙汰される過去の回想とで描く物語である。
つまり本作は昨年、海外でオッペンハイマーの伝記映画が公開されるという話題が届いた時に日本で懸念されたような内容でもなければ、平和団体が期待していたような内容でもなかったのだ。
さらに時系列をシャッフルした構成はやや難解である。室内の会話劇を主体とした本編が冗長になることを避けるためと、ノーラン監督の作風故に仕方がないことなのだろうが、普段映画館に足を運ばない人には結構辛い構成だったのではなかろうか。
戦中戦後のファッショントレンドを取り入れ老けメイクを凝らして観客の理解を助けようとはしているが、事実ベースの作品でもノーラン流を貫かなくてもなぁ、とも思う。
イデオロギーが二転三転する時世において、二足どころか何足も草鞋を履くことになった結果、足がもつれて転倒したまま消えていく人物は歴史において枚挙にいとまがない。原爆開発の中でプレイヤーでもありマネージャーでもあったオッペンハイマーもまた、沢山の役割と個人の見解や関心、公人としての立場の矛盾に足を取られていく。
戦争裁判と同様、事後のルールで過去の行いを裁くことの矛盾や、権限のないことに対する責任を問われる不条理が何とも恐ろしい。
余生にあるかのように池のほとりに佇むアインシュタインは、開発の舞台に上がらなかったifのオッペンハイマーでもあったのだろう。
焼夷弾、劣化ウラン弾、対人地雷、クラスター弾など、実戦投入後、破壊力と事後処理の厄介さから後年禁止される兵器は沢山ある。そして使用を禁止する法や条約を批准していない国や組織の戦場では、それらが今日も使われているのが現実だ。
核兵器に限らず、兵器開発の裏には開発者と政治家のジレンマがあることは想像に難くない。
史実のオッペンハイマーは公職追放の後にも原爆や核兵器について個人としてコメントを残している。重要機密に立ち会った過去があり学術的には依然重要人物であるため、冷戦下ではずっと監視下に置かれており、言葉選びには用心せざるを得なかっただろうが、核拡散の看板として振舞っていた時期よりは本心に因ったコメントをしていると見られている。
世界のステージを変えてしまったことに個人として向き合う彼の内心を重要視しているならば、公職追放後の描写があった方が良い気がした。
その時期を描かなかったことと、原爆被害を口頭と想像で済ませたことから、ノーラン監督がメインに描きたかったのはオッペンハイマーと核兵器の関係よりも、思想や大義というルーレット盤の上で戦争・人命・経済・科学という球が人間の感情によって回転している絵図や、先述の科学と政治のジレンマだったのではないか。
オッペンハイマーの半生を通り過ぎていく、労働者の権利のために左派の集会に集う人々、反ナチスの旗印の下で連帯するユダヤ系科学者、未知の破壊力に怯えながらも期待感を隠せない開発者たち、オッペンハイマーが発言力を持つことを嫌う軍部やストローズ、一人池を見つめるアインシュタイン、反枢軸から反共産主義に流れていく世相…を振り返ると、どうにもその印象が拭えなかった。
本国やヨーロッパ、日本以外のアジア地域において本作は昨年の夏に公開済である。本国を中心に同時期のビッグタイトル映画「バービー」と絡めて「バーベンハイマー」というフレーズが盛り上がり、二作が顔を合わせた96回アカデミー賞の会場でも度々そのワードが出て来た。
自分は夏の時点では日本で公開された「バービー」しか観ていなかったので、「バーベンハイマー」の流行は静観していた。
本作を観て改めて騒動を振り返ると、この作品を観た上で「バーベンハイマー」を冠した破壊的なコラージュ画像を作り賞賛した人々には、劇中で示されるオッペンハイマーの心の痛みは届かなかったのだろうな、と感じた。
優秀な科学者であるが優秀な人間ではない
原爆を開発したオッペンハイマー博士を描いた伝記映画ということから、原爆を描いているのに広島、長崎が描かれないのはおかしい、という論調が一人歩きしている。
映画を観ればわかるが、この映画は”原爆を描いているのではない”。
アメリカでヒットさせるためにオッペンハイマー=日本との戦争を終わらせた英雄、というイメージを覆させないため広島、長崎は描かれなかった、という推測も間違いと考える。
この映画は原爆を開発したロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)の生き様と、水爆開発をめぐって対立する原子力委員会会長のストローズ(ロバート・ダウニーJr)の対立を中心に描いている。
基本2人の周辺で起こる事実しか映画には登場しないので、広島、長崎に関しては効果を実録した映像をオッペンハイマーが確認しているシーンとして登場する。
広島、長崎を映像として登場させたとしたら視点がずれてしまうし、そこに引っ張られあらぬ論評が巻き起こってしまうだろう。
この映画が描くのはオッペンハイマーの科学者としての功績と成果として生み出したものが大量殺戮兵器であることの苦悩。
一方、私生活では略奪婚に子育て放棄、不倫と人間的には不完全であったこと。
そして、英雄が一転、水爆に反対したことで、米ソ冷戦に巻き込まれソ連のスパイとみなされる国家権力の恐ろしさだ。
道徳観念が欠如した人間が研究の成果を目指して完成させた原子力爆弾。
そして、ドイツに投下するという目的を失った原爆を覇権の為に広島、長崎に投下してしまった国家の恐ろしさ。
もっと恐ろしいことは核兵器は一瞬にして世界を滅ぼす危険性を孕んでいるということだ。
この事はノーラン監督の前作「TENET」でも言及されている。
SF映画と伝記映画と表現は違ってもノーラン監督の視点は一貫している。
続・ゴジラ-1.0を見たい
この作品は賞狙いの作品。
いかにも審査員受けする、構成、編集だった。
庶民のための映画なら、女性関係や、公聴会を詳しくやる必要はなかったし、何よりも原爆投下の結果をさらりと流して、アメリカの世論に配慮していることが伺える。
ノーラン監督でさえ、広島、長崎の惨状から逃げた。
アメリカ政府はもちろん、世界中の人々が広島、長崎の結果を直視して、戦勝国と言えども、一般人の大量殺人に対する戦争裁判を受けばならないのに、どこも逃げ続けている。
戦勝国に何の裁きもしないから、ロシアはいい気になってウクライナに進攻するし、中国も台湾に進攻するかもしれない。
今後広島、長崎の惨状を映画の一部として世界中に見せるためには、山崎貴監督が「ゴジラ-1.0」の続きとして、戦後の広島、長崎にゴジラを上陸させて欲しい。
ヒトラーより先に 〜 私は破壊者となった
秘密裏に行われた「 マンハッタン計画 」の主導者として招かれたアメリカの科学者ロバート・オッペンハイマーをキリアン・マーフィーが熱演。
何かに突き動かされるように原子爆弾の開発に力を注いだオッペンハイマー。
少し前にNHKで放送された「 映像の世紀 バタフライエフェクト『 マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪 』」のオッペンハイマーのリアルな表情が思い起こされた。本作では人としての弱さも描かれていました。その意図とは。
軍服姿のマット・デイモンに驚きました。本作でも熱演。
折しも今、アメリカのバイデン大統領と岸田総理による首脳会談がワシントンで行われている。日本はまたもや軍事国家へと突き進んで行くのでしょうか。
悲しい事に、人類は二度と核を持たない世界には戻れない。
ー ロスアラモス国立研究所
ー 君はアメリカのプロメテウスとなった
ー 諮問機関
映画館での鑑賞
IMAXで鑑賞
昨日観てきました。
久しぶりに映画の迫力ある映像と音響を体感できました。事実に基づくオッペンハイマーの生き様、どれだけの成功者も周りから妬まれ貶められる、人生とはこんなもんだってセリフありましたけどまさに人の一生を見ているようでした。
原子爆弾を作り出し使用するまでの流れは非常に納得がいくというか終わらせるために使用した、アメリカ人だけではなく日本人を救ってくれたことにとても感謝の思いです。今の平和な日本があるのはきっとナチスと戦うために努力した世界中の科学者のおかげだと思ってます。科学の進歩は人類にとって素晴らしいことです。想像は破壊からしか生まれない。自分はこの映画でオッペンハイマーのことをよく知ることができ興味が湧いたので色々彼のこと、彼のしたこと、調べてみるつもりです。
第2次世界大戦で原子爆弾の恐ろしさ、それよりも恐ろしい水素爆弾、世界を滅ぼす核拡散、核を搭載したミサイル(オッペンハイマーが飛行機に乗って見つめているシーン)未来を余地していたオッペンハイマーは誰よりも苦しみ戦って散っていった天才物理学者でした。家族のことや愛人、アカ狩りなどもあって気苦労が絶えない中、彼は立派に素晴らしい仕事をやり遂げたんだと思いました。感動しました。
24-041
日本人ゆえの踏み絵感
時系列は入り組んでますが、ノーラン監督作の中ではかなり分かりやすい部類に入るかと。
3時間、緊張感が持続し続ける構成はさすがの手腕。
同じく3時間あった、マーティン・スコセッシ監督のキラーズ・オブ・ザ・フラワームーン同様、登場人物の多さに対して各人物の説明がやや弱く、メインの3〜4人以外は関係性が把握しづらいのが難か。
主題といえる原爆に関しては、日本人としての知識や倫理観が、理解を深める材料にも、理解を妨げる壁にも感じられました。
世界唯一の被爆国として、原爆の悲惨さを訴えることは本当に大事であるけれども、そんな意識が逆に開かれた議論を妨げてはいないか、とは常々感じておりまして、そんな二律背反な意識を本作は激しく揺さぶってきました。
いやはや…重い作品でした。
作った学者と使った政治家
全958件中、381~400件目を表示