「二面性で描く、「揺らぎ」のオッペンハイマー。」オッペンハイマー すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
二面性で描く、「揺らぎ」のオッペンハイマー。
◯作品全体
オッペンハイマーの二面性が非常に印象的な作品だった。
「科学者と政治家」、「愛妻家と遊び人」、「原爆作成とその使用の躊躇」。社会的に見ても個人的な面から見ても、その行動に一貫性がない。
作中でも聴聞会でテラーが「何を考えているかわからない」とオッペンハイマー像を話している。
その常人には理解できない思考こそが「天才」たる所以なのかもしれないが、個人的にはこの二面性という要素が、一人の人間としてオッペンハイマーを浮き彫りしていた。
先に挙げた二面性は、いずれも両立させた二面性ではない。
科学者としては非常に秀でたオッペンハイマーだが、人をまとめる政治力は不完全で、その結果、ソ連のスパイを呼び寄せたと誤解され、そしてストローズとは敵対関係になってしまう。科学者として生きていれば違う結末もあっただろうが、結果として妻をも巻き込み、自分自身の名誉回復に奔走しなければならなくなってしまった。
愛妻家、というには表現が少なかったかもしれないが、後妻のキティへの愛情や信頼は随所に描かれている。聴聞会にキティが呼ばれた際に、弁護人がキティが来るのかボヤくシーンは印象的だ。それに対してオッペンハイマーは「妻を信用しないのは馬鹿か未熟者だ」というようなセリフを吐く。ジーンとの関係を知られたにもかかわらず、それまでに共有した長い年月をもって信頼している、ということだろう。また、キティが育児でノイローゼになったときもいち早く解決へ動いている。
一方でそのキティを事実上裏切る行為もしている。そして実際に聴聞会ではキティを傷つけることになった。
原爆に関しては、オッペンハイマー自身の立ち位置の不安定さが明確だ。
原爆完成後の結末を考えておきながら、その直前になって使用をなんとか抑えようとする。抑止力に留めてほしいという気持ちはわかるが、戦時中の人間としては非常に甘い考えだと感じる。
いずれも、確固たる意思があって二面性を抱えているわけではない。「天才」、「偉人」として語られているオッペンハイマーでありながら、自身の二面性をコントロールしていないのだ。
そしてこの二面性はオッペンハイマーという人物描写のみならず、作品の構成でも表現しているところが本作の面白いところだ。
伝記映画としてよくある構成は、時系列順に生い立ちから語っていくのが定石だ。
しかし本作では時系列の物語に加えて、オッペンハイマーが失脚する聴聞会と、オッペンハイマーを失脚させたストローズの諮問委員会の様子が挿入される。
これによってオッペンハイマーの隆盛や凋落を分けて描くのではなく、その二つがオッペンハイマーの人生にとっての二面性として並行に描かれていた。
時間の演出に定評のあるノーラン監督だが、ここでもそのワザを見せた格好だ。
一貫性を持たずに揺れ動く姿は、偉人の光と影を等しく浮かび上がらせる。ノーランは時間軸を交錯させる構成によって、その二面性を映像表現に重ね、オッペンハイマーという人物の不可解さを深く刻みつけた。
その揺らぎは、原爆や水爆そのものの持つ制御不能さに重なる。人が作り出した力が人を超えていくように、オッペンハイマーという人物もまた自らの矛盾を超えて、影を落としてしまったのだ。
単なる成功物語でも、凋落物語でもない本作は、こうした「揺らぎ」と「時間の重ね方」で多層的な伝記映画となっていた。
◯カメラワークとか
・『インターステラー』ではアスペクト比を変えて時間軸を区切っていたけれど、本作ではモノクロを使ってた。時間的にはストローズ失脚の方が新しい出来事なのにモノクロにしていた。オッペンハイマーが表舞台からいなくなった後のエピローグのような時間軸だから、そこをモノクロにしたのだろうか。そう考えるとオッペンハイマー失脚の聴聞会はカラーだったことに納得がいく。
・原爆実験シーンとその後の足踏みで歓迎されるオッペンハイマーの演説シーンは劇場で見るべきシーンだったかも。
・登場人物が多いからか、複数人で会話するシーンは結構カットを割って抑揚をつけてた気がする。それでも少し単調に感じてしまった。モノクロ以外は画面の色味が全然変わんないからかもしれない。
・ジーンとの最初の情事シーンは、ぶっちゃけダサかった。
「揺れていたい」みたいなこと言い合った次のカットでベッドで揺れてるって、もうなんかちょっと恥ずかしいくらい直接的すぎてダサい。
他の相手は微かな匂わせっぽい演出で終わらせてるだけに、なんかここだけは随分野暮ったかった。
それだけジーンとの時間が特別だったっていうのはなんとなくわかるけど、まあダサさが勝る。
・ジーンが自死したことにショックを受けるオッペンハイマーのシーンも場面設定があからさまに「ショックですよ」って訴えてて笑ってしまった。なんだかよくわかんない岩の下で丸くなってるオッペンハイマー、シュール。
・聴聞会でオッペンハイマーに跨るジーンの演出は、キティの嫌悪感がよく出ていて面白い演出だった。超主観だけど、ギリギリカッコ悪くないラインを行ってる。
◯その他
・ジーンみたいなミステリアスな人物って、創作でよくありがちな登場人物だけど、巧くコントロールできてる作品ってあんまりない気がするなあ。パッと浮かんだのがハンターハンターのヒソカだったんだけど…。
ヤッてる最中に急に本のここ読めって言ってくる女、シンプルに嫌すぎる。
・Wikipedia見て思ったけど、被爆の描写がないっていうのはオッペンハイマーという人物の立場上、全然違和感なかったなあ。創作物を啓蒙の道具としてしか見てない気がする。
でも女の人の皮がめくれる演出は、確かに日和ってるなと思った。実際の酷い姿を写真で見たことある側からするとキレイすぎるっていうのはもっともだな、と思う。あそこはオッペンハイマーの道徳心が揺れるトラウマチックなカットなわけだし。あんな中途半端なことするなら炭化した人間だけで良かった気がする。
・原爆投下の後の、失脚にまつわるシークエンスが長すぎる。オッペンハイマーにとって原爆投下が終わりじゃなくて、その後続く冷戦にも深く人生を左右される…っていうのはわかるんだけど、名誉回復までの道のりと絵面が地味すぎて、それまでのオッペンハイマーの感情の揺らぎに比べて、随分揺れ幅が少ない。