「【良作】彼らに厳しく罰せられたら世界が赦すとでも?無理よ」オッペンハイマー 夏斗さんの映画レビュー(感想・評価)
【良作】彼らに厳しく罰せられたら世界が赦すとでも?無理よ
日本公開前「オッペンハイマー」公式Xが映画「バービー」と合わせて原爆をエンタメ化したようなプロモーションを行い炎上。日本の配給会社が日和って手を上げず、日本公開が遅れに遅れ、私も劇場まで行く必要ないっかーってサブスクで観た次第。
結果、観に行けば良かったと後悔しました。
ノーランは、なんだかんだ哲学的な小難しい台詞の応酬をしながら、平凡なディズニー的エンタメ着地をするから苦手だったけど、大っぴらに広島・長崎を描くとハリウッド(お金を出す人達)の抵抗に合うから、原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーを巧妙に「赦してはいけない人」として描いていて巧いなぁと思った。
オッペンハイマーが科学者チームのリーダーとして原爆を作り、戦後すぐは「第二次世界大戦を終わらせたヒーロー」として祭り上げられるも、広島・長崎の惨状を目の当たりにして、核・水爆反対の立場となり、コミュニスト、危険思想の持ち主として、公職を解かれ、名声が地に落ちる……、までを描いている。
「“卑しい“靴屋」ウェイトレス“ごとき“と結婚するのかなどと、言葉の端々に選民意識が表れるオッペンハイマー。能力と実績のある自分は、何をしても、言っても「許される」と思っている。そんなオッペンハイマーを、俯瞰して見てる奥さんのセリフが、本作でノーランが言いたいことなのではないかと思った。
学生時代からの恋人で、結婚してからも愛人関係にあった女性が自殺(他殺?ここは曖昧に描かれている)自分のせいで愛人が死んだと、打ちのめされ、泣き崩れる夫に奥さんがいう。
「罪を犯しておいて、その結果(貴方)に同情しろと?しっかりしなさいよ!」
これは、浮気に対してのセリフだけど、原爆投下後、罪悪感に苛まれトルーマンの前で泣くオッペンハイマーにスライドできる。
「卑しい靴屋」と呼んだストローズから陥れた審問会の場で、オッペンハイマーは自己弁護しない。沈黙し、むしろ厳しく罰してほしいとすら思っているように見える。それは大量虐殺兵器を作ってしまった自責の念からではなく、殉教者のように自己犠牲をすれば、自らの罪がいつか赦されると思っているからだ。そう、罪悪感からではなく、世界から大量破壊兵器を作った破壊者と見られている自分への評価を変えたいんだ。
どこまで行ってもこの人は「自分のこと」しか考えていない。
そうやって、もやもやしているところに、また奥さんが言ってくれる。
「彼ら(審問会で)に厳しく罰せられたら、世界が赦すとでも?無理よ」
更にノーランは被せてくる。
ストローズは、アインシュタインとオッペンハイマーが話しているのを見て、自分を孤立させることを画策してると「思い込む」が、実際は全く別のこと(この冒頭のシーンが後半に効いてくる)。出自や学歴から来るコンプレックスによる被害妄想。ルサンチマン的な思考が垣間見えるが、その辺りを深く掘り下げることはしない。
また、涙するオッペンハイマーに時の大統領トルーマンがいう。「皆が憎むのは原爆を作った人じゃない。落としたやつ。つまり俺」みたいな。
こう解釈した。
原爆による、無差別大量殺戮、大量破壊、放射能の障がいによる長きに渡る苦しみより、ストローズの成り上がり劇や、オッペンハイマーの苦しみを大きく、ドラマティックに描くことはできない。お前らの苦しみなど、広島・長崎の人達の苦しみに比べたら、取るに足らない、どーでも良いことだ。
ノーランはそう言いたかったのじゃないか。
広島・長崎の惨状が映像としてないことに批判があるようだが、
私は原爆投下が「決して赦されないこと」として描かれていることを(偉そうだけど)評価したい。そこが一番、重要でしょ。
良作。