「使い捨ての英雄になるまで」オッペンハイマー humさんの映画レビュー(感想・評価)
使い捨ての英雄になるまで
恐怖をみせつけ相手を降伏させ平和を守るという大義のもと、政府の計画の主役になった天才の頭脳。
そして日本への原爆投下を遂げアメリカの英雄となるオッペンハイマーはその一方で成功の罪に苛まれていく。
幻想シーンは自分自身を追い詰める様子が見事に表現されており彼の苦悩の程がよくわかり苦しい。
いや、罪なき命を一瞬にして奪う兵器の開発をすすめてしまった報いならばそれは甘いくらいなのかも知れない。
なぜなら現地には比べようもないくらいの地獄が広がっていたのだから。
しかし、彼がどんなに悔やもうがその危険を止めるボタンはすでに手元にはない。
これが一番の恐怖なのは、世界の現在、未来に続く〝脅威〟だからだ。
英雄を賞賛する関係者や民衆が喜ぶシーンのおぞましさを味わうのはそのことを知っている私達ならではだろう。
鑑賞後、レビューを書くにも気持ちが前を向かずにいるなか、オッピー、オッピーと歓喜と感動に浸る人々の笑顔が瞼の奥にこびりつく。ダンダンダンと賞賛をあらわす重い音が耳のなかでリフレインする。自己中心性と想像の欠落した熱いコールのうねりが人間によって迎えるこの星の終焉の可能性を告げていることに震えるのだ。
そして物語が進む中、そこに至るものがみえてくるとさらに唖然とする。
より強く、より速く相手を凌ぐために〝陰にとどまる権力〟の陰謀に包囲された使い捨ての英雄オッペンハイマー。
本質を見抜く目が茫然と自分から去ったあの時、水面に歪む自分と背後の世界にとりかえしのつかない未来が渦巻いたのを彼はみたのだろう。
答えを出された蒼白の顔を思い出しては考える。
人種や思想の差別、国同士の権力争い、とまらない確執…次の開発に反対した彼の人間性をそこに垣間見れたものの時既におそし。
悪意を帯びて転がっていく悲劇の過去から人はなにを学んだのか。果たしてここからの希望をどうつなげていけばいいのだろうか。でも諦めたら最後だ。もはや瓶のなかの蠍が2匹だけではないことをわかっていても。
修正済み
長い長いレビューを読んでくださってありがとうございました。
今年のノーベル平和賞も、もはや「核の廃絶」というよりも、「核の不使用」を目標にしたような気がしています。
「使い捨ての英雄」まさにそんな感じなのでしょうね。
私は今の時点で、明日世界が滅びることなどないと信じて疑いませんが、「そうでない可能性」も0でないところが怖いです。
好きな映画ではなかったのですが、ついいろいろレビューを書きたくなるような作品でした。(humさんとちょうど反対ですね)
レビューは長い文章ですが、いつか時間のある時に読んでみてくださいね。
共感&コメントありがとうございます。
拙いレビューにお褒めの言葉をいただき恐縮です。
私の方こそ、humさんの歯切れのよい文体で紡がれるレビューにいつも感じ入っています。
フォロー外れの件は、私も何度かやらかしてますのでお気になさらずに。
指が当たりやすい位置にフォローボタンがあるので、レイアウトをちょっと改善してほしいですよね。
違う作品ベルリンオリンピックで陸上3冠か4冠金メダル獲ったアメリカ🇺🇸の黒人選手の作品でも
ユダヤ人を虐げるドイツナチ🇩🇪にアメリカ🇺🇸国民は反発していてオッペンハイマーもユダヤ人なのでその感情もあったのでしょうね。
でも、戦争やめない日本🇯🇵がいつの間にか標的に。アジアなら落としてもいい、とか。
ここが違えば、
その子孫がたくさん生きてられるでしょうね。
共感ありがとうございます😊
使い捨て、成功の罪、
言葉にう〜んなるほどと思いました。オッペンハイマーじゃなくても作れたら誰でもいいですからね。科学者の欲が抜き差しならぬところへ導いてしまった、後悔先に立たず←この諺考えた人凄い‼️