「誰かに委ねた瞬間に後戻りできなくなる」オッペンハイマー eririnさんの映画レビュー(感想・評価)
誰かに委ねた瞬間に後戻りできなくなる
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トリニティの実験が成功した後に、オッペンハイマーが「原爆の使い方の責任は科学者にはない」と言ったことや、
原爆投下地を決める会議で原爆使用や水爆開発への正当性を指示する雰囲気、
日本への原爆投下後にオッペンハイマーが演説する際の聴衆の盛り上がり方。
今でこそ核拡張反対な意見は当たり前にあるからこそ、この映画内の空気に強烈な違和感、居心地の悪さを感じたけれど(日本人にとってはとくに)、
それは今の時代にも形を変えて起こりうる、もしくは起こっている可能性のあることなのだと、実感させられる。
映画の中では、原爆開発や実際の投下に反対する科学者がいたことも描かれてはいるが、世論の流れを止めるには至らなかった。
そして投下した後も正当化されて、さらに水爆開発も進んでいく。
作中で「いつ呵責が芽生えたか?」という質問にオッペンハイマーは、「人間はどんな兵器であっても使用するということが分かった時」と答えていた。
生まれてしまった恐怖に対抗する思想は、集団的な流れの中で増幅し、それがいかに非道なものであっても人間は選択してしまうことがある。
それを選択すべきではないという決意は、政治家であっても無くても、誰かに委ねることなく、全ての人間が自ら考えて意思表示していくことの重要性を改めて感じさせられた作品だった。
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Mさんのコメント
2024年5月5日
必ずしも、オッペンハイマーは倫理的な判断を他人に預けたわけではないのでしょうが、この爆弾が完成した時、どのような使われ方をするのか、という想像力は、確かに欠けていたのかもしれません。
たぶん、本気で、こんな恐ろしい武器を見たら、人間は戦争なんかしようと思わないはず、という(自分達に都合のよい)思い込みがあったのでしょうね。