「映像の暴力性とともに突きつけられる、善悪とはという問い」オッペンハイマー sannemusaさんの映画レビュー(感想・評価)
映像の暴力性とともに突きつけられる、善悪とはという問い
映像と音に確信犯的な暴力みがあってこれぞクリストファーノーランという映像だった。
あの緊張と恐怖と刺激を求めてる自分もいる、、
カメラはオッペンハイマーをずっと追いかけているのに、彼がどんな人間なのかをわからせようと、悟らせようとはけしてしない。
キリアンマーフィ演じるオッペンハイマーは、神経質そうでさみしそうでどこか怯えているところもあり。
それはとても人間らしかった。
終始さみしそうなオッペンハイマーの透き通る眼に吸い寄せられる。
原爆の落ちた国に育った私は
それでもこの作品を客観的に観てしまった。
たとえその実やっていることは人殺しであっても、悪魔のような所業であっても
念入りに計画し、準備し、成し遂げた実績には達成感が伴い、それを人と協力しようもんならより大きな喜びがある。
誰かが称賛し、大義や正義を与えてくれるのなら尚更だ。
そのことも私は知っている。
その中の自らの犯した悪業にだけ目を向けられるような心の強い人間はいるのか。きっとそんな奴は事を成し遂げられない。その前に心が壊れる。
科学の発展は、そうやって成し遂げられてきたのかなと。
でも、それでいいのか。
仲間の利益だけを守ろうとする、視野の狭い人間が権力を持つことの恐ろしさ。でもそれを外から計ることなんて誰ができようか。
私は今ですら、あの原爆投下が、原爆開発が、間違っていたとはっきりと言えない。わからない。
大量殺戮についてははっきりとNOといえる。あの原爆の恐ろしさ、悲惨さについてもはっきりとYESと言える。
東京大空襲で10万人が死んだことも恐ろしいことだ。
だからはっきりと、戦争にはNOだと言える。
人間は弱くて愚かで、いとも簡単に踊らされるということ。
狭い価値観で世界を動かしている奴らはきっといる。
口がうまくて、力があって、人を丸め込むのがうまくて、そういう人間であれば私もきっと簡単に騙される。
集団や人間の恐ろしさに目を向けざるを得ない作品であった。