劇場公開日 2024年3月29日

「反戦映画ではない」オッペンハイマー keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5反戦映画ではない

2024年4月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

既に公開から3週間経過し、多くの方が講評をリリースしている中、敢えて自分なりの見解を申し上げます。
多くのコメントで明瞭な反戦映画と評していますが、私はそうは思えません。ごくごく普通の平凡で根は小心な一市民が、人より優れた知能を有して、そしてそのためにほんの少しの功名心と虚栄心を抱いたがゆえに、図らずも緊迫した時代環境に流されてスパイラルに狂気に陥っていった、一人の職人的科学者の壮絶な生き様を描いた伝記的作品だと思います。

オッペンハイマーの小心さは、二人だけの会話で顕著に現れます。彼は相手と目を合わしません。相手の目線を避けて会話していて、いつもおどおどとして喜怒哀楽を表に出さず落ち着きません。
そもそも本作には自然描写も、ラブロマンスも、アクションもなく、クライマックスの原爆の実験シーンを除いた殆どのシーンが室内の会話で進行します。その上、非常に多くの登場人物が現れ、各々が自己の意見や感情を言葉で表現していきますが、各人物のプロフィールや事情背景に一切説明はありません。
実に鬱々として延々3時間に亘って、短いカットを刻んで長回しは殆どなく、息つく間もなく速いテンポでドラマが展開していきますが、しかし迷子にもならず退屈することもなく、一気にラストまで観客を惹き付けたのは、さすがにアカデミー賞作品賞受賞に値します。

その一つの要因はBGMの見事さです。あまり感情を表情や言動に出さず、寡黙な主人公のその時々の心の内を如実に表していたのは都度奏でられる多種多様なBGMでした。アカデミー賞音楽賞受賞は当然の結果です。
もう一つの要因は編集の見事さです。クリストファー・ノーラン監督のあの独特の、頻繁に、そして小刻みに時制を行き来するカット割り、カラーとモノクロを織り交ぜて、何の注釈もなく組み合わせる映像構成は、観客を翻弄し大いに戸惑わせます。それでも迷路に陥ることなくスクリーンに注視させ続けたのは、偏に編集の技量によると思います。アカデミー賞編集賞を受賞したのも宜なるかなと思うしだいです。

狂気に陥った天才科学者を描いた点で、『ビューティフル・マインド』(2001年)に通じるようにも感じます。幸いにもオッペンハイマーは、天才性の人並外れ度合いがまだ常識的だったのでしょう。精神の異常と正常の境目で留まったのですが、ただそれゆえに一般市民としての苦しみに苛まれたのだと思います。
原爆開発は、彼にとっては一科学者としての研究目標達成の結果に過ぎなかったのであり、その成功によって普く称賛されたことは、彼には寧ろ意外で訳が分からない結末だったのではないでしょうか。
ただ原爆実験に成功し、どこか照れくさげに胸を張る彼の姿は、私には京都高尾の古刹・神護寺が蔵する「伝源頼朝像絵画」がオーバーラップして見えました。偉大な業績を成し遂げた自信と達成感、そして充足感を発散しつつも、結果への戦慄感とこれからの未来への漠然とした不安感が併存して見えた気がしました。

一方で、原爆が決して順当なプロセスを経て計画通りに完成したのではなく、奇跡と偶然の結果として描かれたのは非常に印象的でした。オッペンハイマーを含め、内心では確証が持てないままに試行錯誤を繰り返し、紆余曲折を経て漸く辿り着けたゴールであり、関わった人間たちの叡智と探求心、崇高で気高い使命感によって成し遂げられたのであって、それゆえにその時々に携わったスタッフの極度の緊張感と不安感がスクリーンに溢れていました。
将にオッペンハイマーという科学者を中心に据えた、原爆開発という科学的研究に集中し実現に導いた人間たちの集団ヒューマンドラマであり、その象徴としてリーダーのオッペンハイマーにフォーカスした作品だと思います。

keithKH