「物理学の人間の様相、その関係性」オッペンハイマー ZERO2さんの映画レビュー(感想・評価)
物理学の人間の様相、その関係性
Fission.核分裂爆弾(原子爆弾)がアメリカでどのような過程を経て作られたのかを描いたクリストファーノーランの作品は様々な意見が見られる。
原子爆弾が広島と長崎に落とされ、それによって多数の無実の人々の犠牲者が出たことは日本だけでなく世界の永遠の歴史として刻まれ、2度とこの惨劇を繰り返してはいけないとして後世に語り継がれていかなければならない。
事実としてこのことを日本はアメリカに対して決して許したことはないし彼らはその代償を払い続けなければならない。
私はノーラン信者でもなければ共産党員でもないことを言っておくが、ここでこの作品のことを日本の被害の映像が流れていないからだめだ、とか訳のわからないことを言っていると日本の映画リテラシーの欠如が露呈してしまうのでやめていただきたいと思う。
日本は被害者であるが我々の使命は過去の歴史から学び世界の代表としてどのように対策して国同士が手を取り合える策を考え発信し続けられなければならないのだ。日本人としてだけでなく皆同じ地球人としての矜持と発想を持たなければならない。今を生きる人々はほとんどの人が経験していないのだ。日本のテレビや新聞、学校で流れる映像や漫画を通して見てきたもの、聞いてきたことを悲壮感に浸り、何も知ろうとしないで被害者ぶり続けるのは過去犠牲となった人々に対してあまりに無神経で失礼まである。
映画の話に戻るが、その影響力は現世にまで及ぶ1900年代前半、当時は物理の革命期にあり、その世界最先端をゆく学者たちが集まり、アメリカの叡智を結集してナチスドイツと鎬(しのぎ)を削る様が描かれている。歴史的な背景や当時の人々の気持ちを見ていくと理解はできる。
知ろうとしないのは罪である。
我々は映画を通してこの過去とそして未来に向かう道を正しく導くために向き合い続けなければいけないのだ。
印象的なのは最後に、オッペンハイマーがアインシュタインに一言、I believe we did.(私は我々がしたと確信している)と言い放ちAlbertは背を向けて歩いていくシーンは世界を英断に導くはずだった答えがあまりにも滑稽で恐ろしい一言で閉められている。
天才たちでさえも想像できなかった、ほぼゼロの確率、大気に核分裂反応が広がり世界を破壊する。プロメテウスが気づいた時にはあまりにも遅すぎる。
永遠に消えない負の遺産は今我々の世界に残されている。