「見た。 ⚫︎4/10追記⚫︎」オッペンハイマー ゆきさんの映画レビュー(感想・評価)
見た。 ⚫︎4/10追記⚫︎
この作品は、映画界トップを走る
C・ノーラン監督が訴える「反核」作品だと受け取った。
それはオッペンハイマーの後悔が何度も何度も悪魔のように映し出される事からも読み取れた。
原爆投下で歓喜しているアメリカ人。
あの不快なシーンをわかった上で敢えて入れ込んでいる意味。
それを見ているオッペンハイマーの恐怖と後悔がはっきり描かれる。
勝利に歓喜している人々は、彼には、爆撃によって焼けただれたように肌がめくれ落ちる女の子とシンクロして見えていたし、足元には黒く焦げた死体まで見えているのだ。
彼にはその惨状が見えていた。
とても苦しいシーンで、怒りの感情が込み上げた。乗り越えられるか不安になった。
鑑賞後知ったのだが、この焼けただれたような肌の女の子は、ノーランの娘さんなのだそうだ。
そしてこの題材で映画を撮ろうとしたきっかけは、息子さんとの会話からだったそうで、この世代の、化学兵器や戦争に対する関心の低さを危惧したからだとか。。
この事からも、原爆投下によって起こった悲劇を、ノーランが「他人事」として扱っていない事がよくわかる。
どうしても、我々日本人は怒りの感情を抑えて観るのは難しい作品。
しかし、アメリカの罪を大義として過去に葬る事に「NO」とした姿勢を示した、ノーランの覚悟が伝わってきた。
この作品はオッペンハイマーの視点
(伝記映画)で描かれているので、日本人としての怒りだけを軸にして観るのは少し違うのかもと、冷静になろうとした。
彼の科学者としての考え、敵国よりも先に核兵器を開発しなければという焦り、ジレンマ、葛藤する姿に注目すべきなのかもと自分に言い聞かせる。
そして、
核を作ってしまった人間の物語であり、当時の世界情勢(駆け引き、戦争)や、アメリカの政治、思想を理解する為にはとても意味のある作品だなと思った。
21万人以上が亡くなった、ヒロシマ・ナガサキの直接的な描写がない事の是非。
オッペンハイマー視点の作品だから、作品上の展開としては妥当な選択だったのかもと納得するようにした。
ノーランの配慮や慎重さも感じられた。
だだ、どうしても気になった事。
オッペンハイマーの後悔について。
彼の、科学者としての抑えられない欲求、大義については何とか理解するようにした。
しかし、その後悔。
学校や病院もある、人々が普通に暮らす場所。ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下された事実。
被害者となった方々への懺悔、後悔というより、次のステージの扉を開けてしまった事への後悔の方が、勝って見えてしまい仕方なかった。
オッペンハイマーという人物、彼とストローズの確執をメインに描きたかったのかな。。
残念に感じた所でした。
そして、人間は、手にした力は使ってみたくなる生き物なんだなと。
ヒトラーだって迷わず使っていたと推測するし、日本だって、、
もし手にしていたら、敵国に、確実に、使っていたのでは、と、思えてならない。
昨今の世界情勢を見てみても、もうヒロシマ・ナガサキの次はどこになるのか?という心配をしなくてはいけないんじゃないかという危機感。
ヒロシマ・ナガサキの悲劇は、過去の事ではなく、次の破滅への連鎖なのでは。。という、恐ろしい想像を嫌でもしてしまう。
核(水爆)を実際に兵器として使う時代になっていくかもしれない。私たちは壊れゆく世界に生きているのかと震える思いがした。
もう、エヴァの「人類補完計画」になってまう。。
無知なりに色々書いてみましたが、この作品は、原爆を肯定しているのではないのは伝わった。
オッペンハイマーの姿を淡々と描く事で、彼の功績と、それに対峙する彼の心の内を描いた、とてもパーソナルな作品だったのだと、理解した。
キティの「罪を犯しておきながら、その結果に同情しろと?」のセリフ、
聴聞会での堂々たる受け答え、フェルミ賞受賞の時にテラーの握手を拒否した姿など、唯一胸がスッとしたシーンでした。
やはりノーラン。
毎度お馴染みの時間軸の操作に加えて、説明が一切なく進む展開。
登場人物の多さ、踏み込みにくいテーマ、加えて歴史の細部や裏側に疎い私には、とても難解な作品でした。
すぐにみなさんのレビューを拝読したいです。
⚫︎4/10 追記⚫︎
鑑賞後、本作の感想を主人に聞かれたので、上記の事を伝えました。
そこから、太平洋戦争やポツダム宣言、原爆投下について話が広がり、ちょっとした議論になりました。
主人は、小・中学生の時にフランスに住んでいたので、日本にずっと暮らしている私とはかなり意見が違い驚きました。
もちろん、反戦・反核については共通の感情としてあります。
しかし、日本人学校ではなかった主人の、小中学校教育で扱われるWW IIや原爆投下についての授業は、日本のそれとはかなりかけ離れていた様でした。
(もう、何十年も前の事なので、今はわかりません)
私の様にずっと日本で暮らし、日本の教育を受け、「被爆国日本」として、広島・長崎については特別な感情を持っている身としては、それが当たり前と思っていた事が、当たり前ではなかった事に衝撃を受けました。
主人の方があの年代の歴史(だけじゃなく全てですが。。)について私よりたくさんの知識があります。
歴史的事象を、政治的、経済的、社会的といった様々な側面から見て捉えているし、異なった立場から見る事も出来ている。
又、現在も進行中の問題として、様々な国々が政府の情報操作によって、真実が隠されたり曲げられたりしている事実がある。
そんな事も視野に入れて語る主人の意見は正論なのだと思う。
「被害者は日本だ」という感情だけで語るべきでは無いという意見が重くのしかかっている。
だけど、どーしても悔しかったです。
本作の、あんな不倫男にやられたのか。とか、単純ですが、思って悔しかったです。被害者の方々に思いを馳せると涙が出てきます。
鑑賞後もみなさんのレビューを拝読させて頂き、自分なりに色々考えたり、調べたりしています。
稚レビューにコメントを下さった方々にお返事を書く元気もまだありません。
もう少し考えがまとまったら、お邪魔させて頂きますm(__)m
大変、参考なりました。「おかあさんの被爆ピアノ」を観て心を打たれて以来この作品については躊躇していますが機会があれば映画館でチケットを購入してみたいですね。
共感ありがとうございます。
我々は、世界唯一の被爆国の国民として観れば良いと思います。
被爆国民の感性で観れば良いと思います。
客観的に観れないのは当たり前です。
それで良いのだと私は思います。
被爆当時国の視点で本作を観れるのは日本人だけなのですから。
では、また共感作で。
ー以上ー
ゆきさん、こんにちは。追記も拝読しました。アメリカ合衆国は知りませんし、私自身ヨーロッパで中学・高校などに通っていた訳ではありません。でも第二次世界大戦を中心とした「現代史」の教育は日本とはかなり異なると思います。ヨーロッパといっても連合国側のフランス、イギリスのそれと、敗戦国でホロコースト加害者のドイツとでは違います。でも、今はドイツやイタリア(は、ドイツと全く異なる歴史意識持っているみたいです)だけでなく、どの国も右傾化してます、日本は言うまでもなく。一方でナチス映画はインフレ起こしているほどいっぱい作られています。決定的な悪だからでしょう。一方で日本兵のほとんどが飢えや病気といった野垂れ死で、戦争に向かわされた人を英雄視する場がまだあって、英霊いう言葉が有ることに愕然とします。
とりとめないことを書いてすみません
ゆきさん フォローありがとうございます。
私は今回、少し寝てしまったのと扱う内容になんとなく疲れ、うまく語れず積極的には皆さんのレビューを読みにいけませんでした。
ただヒロシマナガサキについては、「あんまり見たくない」という気持ち。
追記まで読ませていただきました。お考えを聞かせていただきありがとうございます。お気持ちが伝わってきました。
4/10追記読ませていただきました。
ゆきさんの理性的であろうとする気持ちと、感情でどうしてもそれが押さえられない気持ちの葛藤が、とてもよくわかります。
ご主人の件に関しても、私は(家内も)ずっと日本に住んでいたので、たぶんゆきさんと同じ認識です。へえ、外国ではそうなのか、と改めて思いました。
あまり、根を詰められないようにしてくださいね。
おはようございます。
原爆は必要なかったのではないか、という非難の声は米国内でもあがり、罪悪感を覚える人たちもかなりいたそうです。
冷戦下の開発競争の遅れを恐れた政府が1947年、元陸軍長官に『原爆投下を行わず、日本上陸作戦を行えば、100万人以上の米国軍兵士が犠牲になっていた』と言わせ(雑誌記事)、それ以降、多くの国民がそれに飛びついてしまった。
今のロシア国民がウクライナ戦争について、同じようなパターンで政府に騙されていることと大差ないように感じます。
今晩は。
今日の7時のNHKのニュースでこの作品が扱われていたのには、驚きました。
仰るように私も今作は”この作品は、映画界トップを走るC・ノーラン監督が訴える「反核」作品”と思い観ていました。
広島、長崎の被爆の状態を敢えて映さずに、キリアン・マーフィ演じるオッペンハイマーの驚愕の表情を映す所は、意見が分かれるでしょうが、私はあのシーンを肯定します。
それにしても、米英を始め、全世界でこの作品を公開出来る監督は限られるでしょうし、故に今作の反核を訴える意味は大きいと私は思います。では。返信は不要ですよ。
「何に後悔したのか」という点は、まったく同じことを考えました。
もちろん、どちらのことへも後悔はあるのでしょうが、広島や長崎の人々への懺悔の気持ちは、もう少し表現して欲しかった気がします。日本に原爆を落とすこと自体には反対しなかったわけですから。
娘さんの肌の表現ですが、日本人ならみんな知ってる通り、原爆によるケロイドのひどさは、あの映画の表現とはずいぶん違います。知っていて、アメリカ人への様々な反響などを気にしてあえてあの表現にしたのか、それとも原爆の実態を知らなかったのか。
いろいろなことを考えさせる映画でした。
共感ありがとうございます。
反核思想は在るんでしょうが、慎重な用心深い造りであまり強く感じられませんでしたね。それこそノーラン監督の狙いだったような気もしてます。でないとアメリカ人がそこまで観に行かないんじゃ?