劇場公開日 2024年3月29日

「JFKの名前までだして。。。ハリウッドが民主党びいきな事は知っているが、日本人の目は節穴てはないよ!」オッペンハイマー YAS!さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5JFKの名前までだして。。。ハリウッドが民主党びいきな事は知っているが、日本人の目は節穴てはないよ!

2024年4月5日
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鑑賞方法:映画館

アカデミーショーを取ったので、バイアスの係った映画だと覚悟して、とりあえず観ました。

この映画を「反戦映画!」と言う人は。。。アレです。
この映画は、原爆には肯定的な映画です。
予備知識と歴史観なく、この映画を観る事は、
真実とは関係なく、米国の都合の良い点だけを洗脳される事への"無謀なる挑戦"であり、ぜったいに勧めません。

主要登場人物数人は、判別できるが、他の人物が誰なのか、どのような肩書で、どんな相関図になっているのか、
背景を理解していない人が、この映画を観ても、まったく意味が解らないのではないかと、危惧します。
僕も判らない人 多々。
 また、前半1/3位まで"白黒シーン"は"公聴会前後のできごと"を示すものだと、勘違いして映画を鑑賞していましたが
途中から、その判断の間違いに気づき、
本作の「カラーと白黒とのすみわけ」は、時間軸ではなく
主人公:オッペンハイマー視点かどうかのポイントである事を、理解する事が たまたま できたが。。。
 本作では、交差する"時間軸"の対応と、登場人物の"名前"と"肩書"と"日時"を
絶えず、テロップとして入れ続けた方が、
観ている人には、映画の内面を観る事に専念できて、親切だったと思う。
逆に、鑑賞者に深堀りさせずに、流れだけに集中させる目的と 深い部分を理解させずらくさせる「オレ様」的な手法は
「監督が、自分が創った映画の解釈を、よく魅せる為」の邪道な手法であって、正統派映画で使う手段ではない。

幾度と出てくる 主人公の"脳内シーン"は、「インターステラ」を彷彿させるマトマリがあったが、
日本人からすれば、アレは「ウルトラセブン」の世界で、
絵的には美しいが、物理学者の脳内は、本作品のような映像では けしてない と、理系的には感じた。

セリフを持つ、ほぼ全ての役者が着ている服は、超1級の仕立て の"完璧なる 服のすばらしさ" を魅る事ができた事に感動し、ため息さえ出ました。

個人的な疑問だが、WW1の時点では、既に実用化されていた放射線防御服(鉛服)を研究者たちが、着ていないのは、不用心だと思った。考証的には史実なのでしょうけど。
口封じの為に、施設内の人間を 早期に始末したかったのか?

劇中、ピカソの絵が数点 登場したが、
広島・長崎の被災画像を映画内に出さないならば、代わりに ゲルニカ(ピカソさんによる スペインでの爆撃された街の抽象画)を出す事こそ、本作中では、必要だったと思う。
それとも、当初は作中にゲルニカを入れたが、映画の論点が、そっちに行かない様、ソフトな映画にする為にカットしたのか?

本作は「原爆の比較実験の意味」の重要部分には触れておらず、
ガラス鉢に、B玉を入れるだけで、お茶を濁しているが
 アメリカ人自身やアメリカンマジックに汚染された多くの鑑賞者は。。。
『1945年時の日本に対する、国連側が取れる戦略は「原爆投下」と「ダウンフォール作戦(日本上陸作戦)」の2択しかないので、
「原爆投下の方が、両国両軍とも損害が少ない」選択肢だった』と、本作映画でも世論でも弁明しているが。。。
当時の日本は、1944年初頭から、再び和平工作に趣をおいて、再開していたが、
日本が何度も提示した"降伏条件"を まったく譲歩しないアメリカは
日本の持つ全派遣を手に入れる為に、日本を完全に粉砕しなければならなかったのだが、その2択のみの考え方の呈示こそ" 米国の帝国主義"の何物でもない。
当時のアメリカが本当に、和平を選ぶならば、幾らでも手法はありました。

この当時の両国が持っていた考え方を たとえていうと、
"日本の将棋型戦略概念"は、戦争の中で、敵の駒(地域)をドンドンこちら側の味方につけ、
最後は相手が「まいりました」と言えば、戦いが終わります。
即ち、敗者が終焉のタイミング(降参)の権利をもつのに対して
欧米の"チェス型の戦略概念"は、戦いによって、味方(人)も犠牲するが、敵(人)を殲滅し、
最後は敵王の動きを完全に封じる 勝利を目的とした
あくまで「勝者側本位による戦いの終焉」する論理に基づいています。

本作の中で、オッペンハイマー氏の悪意を表現してしまうと「坊主にくけりゃ、袈裟までニクイ」と映画評価が落ちる事を恐れて、
映画(映画評価)を護る為に
監督は、あえて、広島・長崎への投下・罪である"汚点"をはぐらかせていたが、
オッペンハイマー氏には、途中 何度も原子爆弾・水素爆弾を中止させるタイミングがあった筈だが、
それをしないばかりか、ウラン型とプルトニュウム型の"比較実験"を 同規模な街を使って行う事を、推奨した人間です。
 原爆を作るだけならば、臨界点爆発だけで済む"ウラン型"だけで良い筈なのに、
あえて水爆とは反対方向に分岐を行わせるウランから生成(超ウラン元素)する 第二段階である「プルトニウム」を使用し、起爆剤を必要とさせてまで"プルトニュウム型"を並行させた事は
水爆製造の阻止を裏隠した意図があったと、僕は洞察している。
B玉を使ったプルトニウム型への誘導も。。。

また、原子爆弾開発・製造に当たっての全体オーガナイザーは、オッペンハイマー氏ではなく、
バットサイモンさんが演じた レズリー・グローヴス氏であり、包括的な評価を受ける冪人間は、彼であるが、軍人ゆえ、その名誉?が、民間人であるオッペンハイマーに棚ぼたされただけである。
オッペンハイマー氏は、長崎に落とした2発目のプルトニウム爆弾を、あくまで"製作しただけ"の人間であり
ウラン型 プルトニウム型 双方の開発・製造者でもない 単なる制作現場(ロスアラモス)の現場監督でしかなく。
オッペンハイマー氏が最終進化型である"水素爆弾"に関して、反対をした事は、論点ではなく、
あくまで彼は、当時の流行りである"赤"だったと、僕は考えている。

劇中、「核爆発により連鎖反応で、地球全ての空気まで、連鎖爆発するかもしれない」と主人公達に警告していたが、
故ホーキング博士は、LHC素粒子加速器による 素粒子の衝突実験はブラックホールを2次的に生成し、地球自体を飲み込むかもしれない」と忠告している。
アインシュタインさんを、映画に出したのも、映画に見せかけ的な趣をつけた小ネタでしかない。
オッペンハイマー氏は小賢しいが、本監督も小賢しい。

本作を観て、言いたいことが沢山あったが、ここでは相当な部分を割愛したが、
これ以上の長文は、ここでは辞めて、
後日、FBに書くようにします。

3度鑑賞した「シン・ゴジラ」では、毎回
「日本に原爆を落とす」という脅しで、僕は無意識の内に 涙が止まらなくなるが、
日本人は、けして"原爆被害"の経験を忘れない為に、「シン・ゴジラ」を、たびたび見る事が責務である。

YAS!
YAS!さんのコメント
2024年5月17日

トミーん、Mr.C.B.2さん メッセージありがとうございます。

たしかに、日本人に対する配慮の かけら は ありましたね。そのへんは 評価できます。
監督は映画賞を取るために、この題材を選んだと思います。

YAS!
Mr.C.B.2さんのコメント
2024年5月4日

本作は、クリストファー・ノーランのアカデミー賞取りたい願望の映画で、結果としてそれは成功したと言う事だと思います。
広島・長崎の被爆後の姿を描いていたらアレルギーで取れなかったと思います。

Mr.C.B.2
トミーさんのコメント
2024年4月6日

共感ありがとうございます。
所詮、イギリス人、欧米人の共感度はこの程度でしょう。日本人の反感を極力買わないようにとの配慮が見えたと思います。無難な作家性だったんじゃないでしょうか?

トミー