「「原爆の父」功罪を全て背負い込むということ」オッペンハイマー bionさんの映画レビュー(感想・評価)
「原爆の父」功罪を全て背負い込むということ
原爆投下成功に対する無邪気な喝采、声の代わりに足を踏み鳴らして意思を表示する人々。その場にいると感じるくらいの大きな音が四方から響いてくる。
極め付けは、原爆実験の音。映像だけで爆発の威力を表現するんだ、と思いに耽っていると、耳をつんざくような轟音が突然やってくる。遅れた時間が爆心地までの距離のリアルに体感するとともに、爆音がもたらす振動に恐怖を感じる
メメントと同じくらい時系列が飛び飛びで混乱した頭の中も真っ白に。
あまりにも巨大な力で、興奮し、高揚する科学者や軍人。オッペンハイマーの表情から、神の領域に踏み込んで後戻りできないジレンマが読み取れる。
歴史にたらればはないが、ナチスドイツが先に原子爆弾の開発に成功していたならば、躊躇なくイギリスやソ連に投下したはず。
ドイツ系ユダヤ人であるオッペンハイマーが、あらゆる人材やリソースを駆使して原爆開発に全精力を注いだことは理解できる。だからといって、この映画が、原爆を肯定するわけでもなく、歴史的意義を説明するために作られていないことはラストを見れば明らか。
アインシュタインといい、オッペンハイマーといい、恋多きでは済まされない女性関係の多さだが、このことがオッペンハイマーを窮地に陥れてしまうのだから省略もできない。それにしてもフローレンス・ピューの圧倒的な存在感。エミリー・グラントが霞んでしまう。
「原爆の父」という呼び名の功罪を全て背負い込むことができた時、産みの親の責任から解放される。そんな物語でございました。
日本もボーアやハイゼンベルグ、ローレンスの下で学んだ理研の仁科芳雄博士らに「二号研究」と称して原爆開発させてましたからね。成功していたら間違いなく使っていた事でしょうね。
この作品は原爆開発そのものについては、否定も肯定も擁護も弁明もせず、オッペンハイマー博士その人とルイス・ストローズ長官に焦点をあてて描いていますね。その物語の視点自体が十分に核の恐怖と反核の訴えになってる様に感じました。
共感ありがとうございます。
オキシジェン・デストロイヤーは発明者と共に闇に葬られましたが、ロバートたちは更に進化していく様を見続けなければならないので辛いですね。