「ドラマとして良かったと思います」オッペンハイマー 福島健太さんの映画レビュー(感想・評価)
ドラマとして良かったと思います
最初は「これは裁判ではない」なんていいながら小部屋で聞き取り調査をされていたり、会議場みたいな場所で証言をしていたり、大学などで実験や講義をしていたり、場面はコロコロ切り替わるし、それがカラーだったりモノクロだったり、とらえどころのない、奇妙な映像だと感じました。
でも、お話としては一見善悪に頓着がなさそうな根っからの科学者が、軍拡競争が起こることを懸念しながらも、技術の進歩やドイツに先駆けた開発成功による戦争の早期終結などと、平和を考えて原子爆弾を作って、その力が政治を増長させて、政治家の悪意で名誉を失ったけれど、最後には悪い政治家が失脚して科学者は勲章を得るっていう、いい話だと思いました。
たしかに日本は被爆国で、子供達は修学旅行で原爆ドームへ行き、戦争の歴史の爪跡や戦争を経験した語り部さんの話を聞いて、「核兵器を二度と使ってはいけない」と教わります。
でも、僕らは自分が被爆したわけでなく、その苦しみを聞いた話でしか知らないのに、「日本は被爆国だ」と声高にいうのはおかしいと思うし、この映画が日本で上映されることに対してなんらかの特別の感情を持つのはどうかと思います。
ファーブルやエジソンの伝記を読むのと同じように、偉人の偉業を、文章や映像などの記録媒体から追体験して学ぶ以上の、なんらかの政治的な意図を持って観るのは良くないと思うのです。
原爆の標的を決める会議で、京都は歴史的価値があるからやめよう、妻と新婚旅行で行ったなどという話が歴史上の事実として存在したとしても、ただありのままでいいと思います。
何らかの思想によって過去の事実をねじ曲げるのを政治的といいます。
ネット上のコラムなどで、日本への原爆投下があっさりし過ぎていたという感想を見ましたが、オッペンハイマー氏にスポットを当てるなら、自分の開発した爆弾がどのような被害をもたらすのか不安を抱えながらも、ラジオなどのメディアを通じてしか知ることができなかったという表現は自然だと思います。
原爆投下が成功した後、悲鳴の幻聴などに目眩している場面も、科学者もやっぱり人間で、自分の作った物が多くの人の命を奪う罪悪感と苦悩が表現されているようで気に入りました。
映画を観始めたときには、「この淡々とした流れで3時間の上映は、眠ってしまいそうだ」と思ったけれど、終わってみれば普通にいい話でした。