「なぜノーランはオッペンハイマーを描いたのか」オッペンハイマー atsushiさんの映画レビュー(感想・評価)
なぜノーランはオッペンハイマーを描いたのか
(映像と音響による観客の没入体験に重きをおく)鬼才ノーラン監督がなぜオッペンハイマーを題材に作品を作ったのか、納得できた気がする。
過去と今の時間を複雑に交差させる構成、主観と客観を織り交ぜたストーリー構造。三時間という短い時間で決して詰め込み感を感じさせないのはノーラン監督ならではの力量。
広島、長崎の惨状を描かないことに賛否両論入り乱れているが、(長崎市出身で友人知人に被爆者家族もいる)自分としては、そのシーンは(作品の構成を歪める可能性が高くなり)必要ないと解釈した
(鑑賞のうえで、この論点を盛んに議論できることは歓迎したい)。原爆の暴力性は別のシーンで十分に伝えられているし、被爆シーンがあったとしても伝わらない人には決して届かない。
(いつか誰かが発見するという意味での)経路依存性を持たない自然科学の研究者が陥る「悪魔の誘惑」や、神への生贄を誰かに負わせたがる大衆の暴力性、悪魔性は十二分に伝わってくる。
何度か観ないと監督の本当の意図は理解できないかもしれない。
atsushiさん、コメントありがとうございます。今日、2回目鑑賞しました。オリジナル音声&日本語字幕が本当にありがたかったです。聞き落としや聞き間違いもわかったし、音楽の良さもわかりました。
日本という国は、捕虜やアジア人への加害者だけでなく自国民に対しても加害者であったってことを(こういう状況は日本だけでないかもしれませんが)冷静にわからないと、とおもいます。なんだか同じ様なことをなんども書いて失礼しました
確かに 日本側の視点は不要ですね。なんかアメリカが悪い的な論調の人にガッカリ😞です。日本も開発してましたので さらに 午前会議の決断が10日早ければ投下されてないので
監督の意図、そうですね。映画が小説などと同じであれば、作品が完成した後は原作者なり監督の手を離れ、作品をどう理解し解釈するかは映画の観客に委ねられるとも思います。その「映画の観客」もその時代の枠内で考えると思います。30年後、50年後の観客はこの作品をどう見るのだろう
コメントありがとうございます。
熱狂的な支持怖かったですね~(デューン2みたいでした)掌返しでバッシング、聴聞会で広島・長崎の犠牲者数に言及して責め立てるのは流石にむかつきました。
色々と科学者の心理が描かれて興味深いですね。先へ先へ探求する姿勢、原爆で一旦停めておこう、いやもっと先の水爆まで・・という意志等々。ノーベルも映画化されるかもしれませんね。