「含まれる皮肉は痛烈無比」身代わり忠臣蔵 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
含まれる皮肉は痛烈無比
<映画のことば>
「ちょっと待て。もし戦ったら、吉良の家臣もただでは済まんぞ。」
「家のために死ぬのが武士というものです。」
「命より、お家が大事か。家臣あっての、お家じゃねぇのかよ。」
<映画のことば>
筋を通した赤穂を討つのか。
武士ってのは、哀れな稼業だねぇ。
自らの判断ミスを糊塗するための幕府の「のらりくらり」「時間稼ぎ」のせいもあって、赤穂の仇討ちが不可避と知るや、硬軟両方の方策を構じ、それでもダメなら自らの身代わりを明らかにすることで、無用な殺生を避けて、事態のソフトランディング(軟着陸)を模索するー。
実際の「本物」は、家臣が討ち入り隊と戦っている間も、屋敷内の漬け物小屋に隠れていたという説もあるようですが(本作での吉良家の重臣・斎藤の趣味が漬物という設定だったり、モノホンの上野介の遺体の防腐処理のやり方が「あの方法」だったのも、意外とその意味?)、自ら名乗り出ることで彼我の犠牲者(死者、怪我人)を最小限に抑えようとする姿勢には、素直な感銘を覚えます。
「寄らしむべし、知らしむべからず」とか、為政者(幕府ひいては行政?)の無謬(むびゅう)とか、「武士の誇り(一分)」などなど、(今でもお役所には脈々と生き残っているかような?)頑迷固陋(がんめいころう)ともいうべき幕府の旧慣を痛烈に皮肉り、「吉良と赤穂の大芝居」でそこに風穴を開けようとするかのような本作は、ある意味では痛快無比というべきでしょう。
言ってみれば「歴史エンターティンメント」ともいうべき一本なのですけれども。
しかし、笑いの中にもしっかりと痛烈な世相風刺(皮肉?)が仕込まれていた点で、なかなかの作品に仕上がっていたのではないかというのが、本作に対する評論子の評です。
佳作であったと評することは、決して誇張ではないと思います。
(追記)
「適材適所」とでもいうべきなのか、見事なキャスティングで、ムロツヨシのキャラクターが活きていたと思います。
(追記)
この時代の密談の場というと、やはり川面に浮かべた屋形船で一献傾けながら…ということになるのでしょう。
何となく、舟の居室には背を向けて何も聞かなかったふうを装っていた船頭さんではありましたけれども。
ことあと、斬られちゃったりしたのでしょうか。「機密保持」の観点から。
屋形船というと、そういう密談の場として使われるというのが「よくある設定」であれば、その船頭というのも、ある意味、命がけの商売かとも思いました。