「吉良もつらいよ」身代わり忠臣蔵 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
吉良もつらいよ
日本の年末の風物詩であった『忠臣蔵』。
しかし今ではすっかり廃れ、Z世代は概要どころか“忠臣蔵”という言葉すら知らないという。
不当に罰せられた亡き主君の仇討ち。非暴力時代の昨今では仇討ちはコンプライアンス的に問題ありなのかもしれないが、儀や忠を重んじる精神は侍を体現し、我々日本人に響く。
日本史の中でも語り継がれる事件であると同時に、映画、演劇、小説、TVドラマなどエンタメの題材としても恰好。
映画は戦前~1960年代にはほぼ毎年のように作られ、その数実に80本以上。いつぞやハリウッドでも映像化されたほど。とんだ珍作だったけど…。
直近では2019年の『決算!忠臣蔵』。こちら討ち入りをお金の視点からユニークに。
その前は『最後の忠臣蔵』。“その後”として。名篇だった。
いずれも変化球。今回も。だってもう、タイトルが。
で、“身代わり”とは…?
有名な“松之廊下事件”。吉良上野介の侮辱に対し浅野内匠頭が斬り付けてしまった傷害事件であったが…、もしこの時深手を負っていたら…?
そしてそのままぽっくり逝ってしまったら…?(それが致命傷ではなく、死んでしまった理由はちょい訳ありなんだけど…)
そんな事がバレたら武士の恥。ただでさえ背中に逃げ傷を負わされ…。お家も取り潰し。家臣たちも路頭に迷う。
吉良上野介は健在で、上役に申し開きしなければならない。
その“代役”。
何と、吉良には弟がいた…!?
これは私が無知だったに過ぎない。
主人公・孝証は実在の人物。劇中通り五人兄弟の末弟で、僧。性格は演者に合わせ創作だろうけど。
長兄と末弟じゃ何もかも月とスッポン。あちら権力者として好き放題なのに、こちらは日々の暮らしにも困窮のド貧乏。お金を恵んで貰おうと兄邸を訪れようも、見下し虫ケラ扱い。家族の情など微塵もない。
本ッ当にムカつく奴! 罰でも当たれ!
本当に当たってしまった…! 瀕死の状態。自分の横柄さが招いた自業自得だが。
その兄の言わば尻拭い。やってられるか! 知った事か! お家取り潰しでも何でもなっちまえ!
しかし側近の懇願に…と言うか報酬金に目が眩み、引き受ける。
この“身代わり”というのも面白いが、『忠臣蔵』で悪役として描かれてきた吉良を主役に据えた事がまた目新しい。
吉良(身代わりだけど)の視点から見えてくる、『忠臣蔵』の真実…!?
大老に申し開き。
怪しまれつつも何とかやり過ごすが、上野介が死んでしまった。(死因は訳ありだけど…)
一回きりの約束じゃん。ずっとなんてヤだよ!
食い下がらぬ側近。上手く言いくるめる。
まあ…、ド貧乏から贅沢三昧の殿様も悪くない。
それに、お世話係が優しくて美人な桔梗さん…(///ω///)♪
しょうがねぇ、やってやるか。
“三文役者”が一世一代の大芝居。
だけどどうしても地が出てしまう。
ちゃらんぽらんな性格。
にしても、兄貴って本当に嫌な奴だったんだ。
横柄な態度、威圧的な口調。側近にはパワハラ。下々の者を何とも思わない。ま、恨み買われても当然だな。
時代劇のみならず、日本のエンタメ界に於いても“悪役”の代表格。ちなみにゴジラシリーズの『怪獣総進撃』は当初『怪獣忠臣蔵』というタイトルだったらしく、敵対する宇宙人は“キラアク(吉良悪)星人”。『忠臣蔵』がモチーフになっているという。
その一方…
下からは嫌われ、上(大老)からは圧力。大老には常に言いなり。
吉良を板挟みの中間管理職として描いたのも全く新しい。
吉良もつらいよ。
誰がそれをどう演じるかが、本作の死活問題。
ムロツヨシがいなければ。
ムロツヨシ劇場。ムロツヨシの土壇場。
一人二役という腕の見せ所と旨味たっぷりの役所。
上野介は嫌みたっぷりに。孝証はほとんど素のように。
ナチュラルもユーモアもアドリブも全開。その中に、シリアスや人情も滲ませる。
福田作品を離れれば見事な演技と魅力を発揮する。
それくらい良かった。堂々主演だし、役の知名度も含め、代表作の一つにしてもいい。いや、しちゃいましょう!
側近の林遣都。上野介を一番側で見てきたとは言え、あれじゃあM男…?
川口春奈は清涼剤。孝証でなくとも、桔梗さん…(///ω///)♪
ヤな奴上野介。が、上野介を上回るヤな奴が、大老。演じるは近年さらに快進撃止まらぬ柄本明。そのヤな奴っぷりは言うまでもないだろう。
“吉良側”から描いているのが本作の面白い所。
だけど勿論、“赤穂藩”も黙っちゃいない。
大石内蔵助や赤穂藩士のドラマも描かれる。
当初の大石は仇討ちに消極的。嘆願書を書いてお家再興を乞う。
藩士や民からは不満の声続出。仇討ちもしないなんて…。それでも武士か、臣下か。
道楽に惚け、『決算!忠臣蔵』の堤内蔵助といい勝負。『四十七人の刺客』の高倉内蔵助とは雲泥の差。最も、実際の内蔵助も“昼行燈”と揶揄されていたらしいが…。
しかし、藩士たちの処遇や声、嘆願書の無視やお家再興の望み絶たれ、主君の無念と忠義…。
我々がよく知っている『忠臣蔵』を描きつつ、永山瑛太も新たな大石像を魅せる。
全く新たな視点の『忠臣蔵』。
それは、二人の男の出会い…。
開幕、川に落ちた孝証。一人の男に助けられる。しょっぱい塩飴も貰う。
“吉良”の代役に。こっそり屋敷を抜け出して、吉原へ。豪遊。
そこで川に落ちた時助けてくれた男と再会する。
意気投合。朝までどんちゃん騒ぎ。
そこへ相手の迎えが来て、その男の事情や誰かを知る。
不当に罰せられ切腹した主君の仇討ちをするか否か。それを決行するかはこの男の一存で。
意気投合した男の名は、大石内蔵助。
よりによって…。
こちとらお主の憎き敵の弟…なんて言えやしない。
藩士たちは仇討ちを叫んでいる。俺、標的なの…? 殺されるの…?
是が非でも止めさせたい仇討ち。
しかし徐々に、大石の決意も固まってくる。
身代わりなのに仇討ちされる…。
当初はびくびくしていた孝証だったが、彼も彼で心境に変化が…。
そもそもは恨みを買われるほどの侮辱をした兄が悪い。
刀を抜く事を禁じられている場で刀を抜いてしまった浅野内匠頭にも非はあるかもしれないが、ならば喧嘩両成敗が妥当。話は逸れるが、いつぞやのアカデミー賞での“ビンタ事件”もそうすべきだった。
なのに…、一方は罪を負わされ、一方は全くのお咎めナシ。
しかも主君の罪だけじゃなく、臣下全員職も暮らしも奪われ…。
不祥事を起こした会社が丸々潰れ、社員とその家族が全てを無くしたようなもの。ウィル・スミスの奥さんと子供もハリウッドから追放されたようなもの。
あまりにも不公平だ。不満、悲しみ、憤りが出て当然だ。仇討ち…今で言ったら不当に解雇された事に対して訴えを起こすのも当然だ。
こちらが非を認め、謝罪をすれば良かった。
が、上野介が生きていても絶対しなかっただろうし、大老がそんな事許す訳ない。幕府=上様の沙汰に異を唱えるのか。言語道断。
昔も今も権力者のやる事は同じ。時代は変わったのに、腹黒さは変わらない。
こんな面倒に巻き込まれるなら、身代わりなんて引き受けなければ良かった。
本ッ当に面倒な事を押し付けてくれたよ、兄貴は。
俺と兄貴は違うんだ。
…そう。違う。
じゃあ、兄貴に出来なくて、俺に出来る事は…?
ここからが本当の意味での“身代わり忠臣蔵”。
当初は劇場で観る予定なかったが、話が面白そうだし、『忠臣蔵』題材だし、昨今のユニークな趣向を凝らした時代劇コメディには良作多く本作もその系統で、原作/脚本が土橋章宏。
この人の書いた『超高速!参勤交代』がまさにユニーク趣向の時代劇コメディの始まりだったし、『引っ越し大名!』も良かった。『サムライマラソン』はビミョーだったけど…。
時代劇を見ない若い世代でも見れる現代的な感覚。
序盤はコメディ色が強く、演技も演出もオーバーでドタバタ漫画的だが、次第に人情要素が心に染み入ってくる。
孝証の人望で藩の雰囲気も臣下たちや民の暮らしもより良くなった。君主に相応しかったのは上野介より…?
加えて本作は、“忠臣蔵”だ。語り尽くされたこの物語に、どう新風を吹き込むか…?
勿論“身代わり”がポイント。
ある時孝証は、内蔵助に全てを打ち明ける。自分が弟の孝証である事、身代わりである事、上野介はすでに死んだ事…。
それでも仇討ちをするのか…? 例え自分や臣下が死ぬ事になっても…。
武士の一分…も分からなくはないが、でもやっぱり分からない。
命を犠牲にしてでもやらなければならないのか…? 命あってこそではないのか。
そんなにお家が大事か…? お家の為じゃなく、臣下や民が居てのお家ではないのか…?
内蔵助の決意は変わらない。
そっちがその覚悟なら、こっちも。孝証も決心が付いた。
遺恨や不条理をここで打ち消す為、斬られる。
双方の臣下に犠牲を出さない。緻密な計画。決行は12月14日。
たった一人、自分の命一つで済むのなら…。
人の役になど立てないと思っていた自分。
やっと人の役に立てる時が来た。自分の命は、この為にあったのだ…。
あのちゃらんぽらんな孝証の姿はもう無い。覚悟を決めた名君。
赤穂浪士四十七人を率いてきた内蔵助。彼は、孝証を斬れるのか…? 討ち入りは決意したが、友を斬る決意は未だ…。
そして運命の12月14日が…。
序盤で上野介が死んだ事で何となく察しは付いたが、それでも“身代わり”の巧みさに天晴れ!
終盤の“ラグビー”は本作が“時代劇コメディ”である事を明確に。あれこそ本当の“首”…?
大石内蔵助の最期は知られ、本作でも史実通り。
犠牲者は出さない筈が、最も大事な友が…。
友情と悲しみ。でもそれを押し付けようとはせず、何処か見終わって晴れ晴れと。
“三文役者”が“千両役者”へ。
“うつけ”が“大義”を。
趣向や視点を変えれば、語り尽くされた『忠臣蔵』もまだまだ語れるものはある。色褪せる事はない。