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冒頭のドローン撮影での蝶の大群の飛行からの自慰シーンは、中々ユニークである そして主人公役を演じた俳優のユニセックスな演技が一際光る作品であり、彼女の演技の高さや、演出の細かさも充分描いている あんな早くしかもリズムの一定及び長時間ならば、そりゃ仮性になっちゃうなと体験談から(苦笑
猫背の演技もオーバー目に映るかも知れないが、元々お国柄の演出なのだろうと思うのは、その他の登場人物達の良く言えばしっかりしたキャラ設定、悪く言えばステレオタイプ的背景の貼付けが、台湾映画の一つの特徴なのだからであろう
そういう意味では意外に演技自体は分り易い 但しその辺りのアジア映画の"クセ"を監督や制作陣の特徴だと信じてしまうと、本作は見誤ってしまうのかなとも思う 描き方やキャラ設定、そもそものシナリオも伴すれば『子供に寄り添わない悪い大人』という簡単な構図として捉えられてしまうのが非情に惜しいし、テーマが良いだけに深い人物背景描写があるとこの問題の根深さが浮き彫りになると思うのだが、主人公の演じ分けという単純さではないボリュームの部分、そして女性ホルモン剤を投与されていた時期と呑んでいない時期とのきめ細かい演技は天才以外に思い浮かべない評価である
本作に通底する"良かれと思ってやったこと"の不誠実さと自己満足感、そして本人も自己主張を発揮できない性格問題と、どちらかの適否という"楽"に転がり落ちた因果応報であることを観賞時間全てを費やして投げ掛けているように感じ取った ストーリーテリングのスピード感も又アジア感ならではであり、サクサク進んでしまうのは好みが分れるかも知れない
そして今作のクライマックス&ラストのダンスは正に観客への問い掛け、『ジョーカー』的アプローチなのかもしれない その前の医者の家に行って、殺すと思ったら殺さず、家に帰る迄に自殺を想像させる商店街の解体シーン、最後の花屋で購入した、医者宅でジグソー(性的モザイクの暗喩)に興じていたゴッホのひまわりを模倣したひまわりを自宅にお土産にする等々、色々な可能性を彷彿させての奇怪な踊りは、精神が崩壊しこれからの"ヴィラン"としての新たな再生を匂わす不気味な笑顔で締めくくる この世を呪う準備は充分であり、これからの復讐を誓う彼女(彼)は、正にバットマンに於けるヴィランのバックグラウンドそのものではないだろうか・・・