「ゴシックホラーのリアリティを感じた」ドラキュラ デメテル号最期の航海 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
ゴシックホラーのリアリティを感じた
原作に則った作りが、ホラーのど真ん中を突いている。
誰もが知るヴァンパイア作品だが、登場人物たちは何も知らないまま事件に巻き込まれていく。
この型は初代エイリアンなどにも使われている手法。何が恐怖かを知る視聴者は、それが何かを知った上でその恐怖を登場人物たちととともに体験する。
この型の作品はごまんとあるが、これは登場人物のキャラ設定が厳密で、パニックになりながら事態に対処する様に違和感はない。まったくその通りだ。
船で起きている出来事がクレメンスによるもの、アナによるもの、または狂犬病、そして神の罰だとする乗組員。疑心暗鬼のままクレメンスの的確な状況把握によってようやく船の中に何かいるということに焦点が絞られていく。
しかしそのクレメンスも「俺は科学を信じるが迷信は信じない」と言い切るあたりに、もどかしさとドキドキ感があふれてくる。
そうしながらも毎晩ひとりずつ乗務員が犠牲となるなか、対処方法がまったくわからない。
密航者扱いされたアナが意識を取り戻し重要なヒントを口走るものの、乗組員たちの理解は追いつかないまま、また夜を迎えてしまう。
そして噛まれた者が変身、取り押さえてマストに縛り付け朝日を浴びると、燃えてしまうのだ。
「知らない」という一点だけで、ヴァンパイア退治に奴の弱点を突いた作戦を立てようとしないことがもどかしく思えてしまう。作品にまんまと乗せられてしまった。
アナが決死の思いでロープを切ったことで、ヴァンパイアがマストとマストに挟まれて絶叫するが、決して杭で打たれたわけではなかったのだ。
この作品の中でこの怪物の弱点は明確にされていない。噛まれたものが変化し、それは陽で燃えること以外、何も弱点に触れることがない。十字架も効かない。木の杭は、打ち損ねている。銃撃はどれほど効果があったのか不明だ。乗務員たちは逃げることしかできない。
そして生き残った怪物はロンドンに降り立った。
最後に生き残ったはずのクレメンスは、デメテル号の乗務員として認知されることなくロンドンの町のパブにいる。
そこにあの杖を持ったドラキュラ伯爵がいるのだ。
作品は、クレメンスが人生をかけてあの怪物を、悪の根源を地獄に返すという誓いを立てて幕を閉じる。
モンスターパニック映画では、当然モンスターの全容を映像として登場させるが、怖くない、期待通りではない、面白くない… などがっかりすることが多いが、この作品はモンスターの顔だけ見れば一見「?」になるものの、微妙な変身具合や、やがて紳士として登場するあたりは、非常によく作られてたと思う。しかも、賢いのだ。
伯爵がパブから去る時、クレメンスの首の傷をなでるシーンがある。クレメンスはアナの思い出とともに彼女の絵を描きながら、科学と相反する邪悪のものがこの世に存在するという、自分の体験を認めざるを得ないことを追憶していた。伯爵に撫でられたことで初めてクレメンスは誓いを立てる。
これは、もしかしたら伯爵の為せる業なのではないだろうか? 奴は奴の人生を楽しんでいるのだ。単に人間を狩るのではなく、あえて自分の存在を知らしめることで人間と対峙するのを楽しんでいるのだ。
伯爵はクレメンスを追いかけてきたのだろう。自分の健在さを周知させ、追いかけるように仕向けたのだ。そしてロンドンで新しい彼の遊びが始まる。
面白かった………。