劇場公開日 2023年9月8日

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「オーソドックスな仕上がりの復古調海洋ゴチック・ホラー。ノスフェラトウと夜に闘う愚!」ドラキュラ デメテル号最期の航海 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5オーソドックスな仕上がりの復古調海洋ゴチック・ホラー。ノスフェラトウと夜に闘う愚!

2023年9月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

あのさあ、あんたら「昼間」のうちに戦えよ!! バカなの??

と劇場中から猛烈なツッコミが入りまくっていたのではないかと推察するが……(笑)

そこはさておき、
それでも総じての内容としては、しごくまっとうなゴチック・ホラー。
19世紀末の帆船の内部構造を、きっちり時代考証を行ったうえでフルサイズで建設して再現していることといい、あえてベラ・ルゴシやクリストファー・リー風の「ドラキュラ伯爵」ではなく、ムルナウ作品を彷彿させる「不死者ノスフェラトウ」を敵役に登場させていることといい、まじめに原作の内容及び、書かれた時代背景と向き合って、地味ながらきっちり仕上げてきている印象で、好感がもてる。

「A24」が日の出の勢いで台頭してから、アメリカの大手製作会社の作品でも、エッジの立った陰影の濃いカメラワークと文芸的なテイストを打ち出したホラーが散見されるようになってきたのは、実に嬉しい現象だ。今回は怪奇映画の老舗ユニバーサルの製作だが、明らかにA24 っぽい玄人好みの作風に「寄せて」きているのが感じられる。

本作では、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』のなかから、「デメテル号の航海日誌」を原作として選択。通例のドラキュラ映画は、伯爵がトランシルヴァニアにいる間の話と、イギリスにわたって以降の物語を扱っているが、敢えてその「つなぎ」にあたる、余り人口に膾炙していない(長さとしても創元推理文庫版の本文548頁中、16頁しかない)英国までの航海の部分を持ってきたということだ。
そもそも、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』は、実際に読んでみるとびっくりするのだが、一続きのモンスター小説として書かれているわけではない。様々な吸血鬼ドラキュラに関する日記や回顧録の集合体として、ノンフィクションのような体裁をとっているのだ(のちにスティーヴン・キングは『キャリー』において、このフォーマットをリファインした形で踏襲している)。ちょうど、知っているような気で『白鯨』や『ああ無情』を読んだら、思っていた内容とのあまりの相違にびっくりするのと同じようなものだ。
原作における描写は、まず映画冒頭にも出てくる機帆船の座礁シーンから始まり、舵輪に縛り付けられていた船長の遺体から航海日誌が発見され、簡潔にその内容が呈示される程度に過ぎない。「ひとりずつ船員が姿を消す」という以外の怪異が殊更起きるわけでもなく、映画内で描かれるノスフェラトウの暗躍ぶりは、概ね別の映画からのインスパイアか、製作者による完全な創作である。
キャラクターも、原作で出てくるのは船長と船員&コックだけ(名前が出てくるのはオルガレンとペトロフスキー)で、黒人医師クレメンスも、密航者アナも、トビー少年も、犬のハックも、映画版のオリジナル・キャラだ。
なので、設定自体はおおむね原作準拠だが、物語とキャラ構成はほぼ映画オリジナルといって差し支えない。

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製作者が、この短いエピソードを映画化するに際して土台にしたのは、SFホラーの古典的名作『エイリアン』(79)だった。
閉鎖空間で、人知の及ばない強大な存在に次々と屠られてゆくクルー。
話の骨格は、マジでほぼ『エイリアン』と同じである。
基礎がしっかりしているぶん、話も総じて面白く観られるし、全体の完成度はそれなりに高いと思う。意外と早い目に、通常なら助かりそうなキャラクターが犠牲になったり、終盤で思いがけないノスフェラトウの「特技」が開花したりするのも、なかなか観客の意表を突いていて良い。

主人公がインテリの黒人医師(&ヒロインはロマ)というのは、いかにもポリコレ臭くてうざったい印象もあるけど、インテリ黒人青年が頭の弱い白人に邪魔されながら不死者と戦うのは、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』以来のアメリカ・ホラー映画の伝統を踏襲しているとも言える。『エイリアン』でも黒人機関士が出て来たし、『アイ・アム・レジェンド』のリメイク版で頑張ってたのも黒人のウィル・スミスだったし(本人がもはや遠いレジェンドとなってしまったがw)。

中盤で、クレメンス医師が「自分が信じるのは、科学と自然の摂理だけだ」とか何とか信条を述べたあと、コックが「じゃあ、船で鼠が一匹もいなくなるってのは、それこそ“自然に反する”んじゃないか」と切り返すのも、気の利いたうまいせりふ回しだと思う。

あと、救命ボートで逃げ出した船員をノスフェラトウがわざわざ追ってくる描写があるんだけど、「船がロンドンに着くまで、日割りで犠牲者の数を調整して血を吸ってるから、これを逃すと“食料”のストックが足りなくなるから」ってロジックが呈示されるのは面白かった。貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』に出てくる「人間弁当」みたい(笑)。

きちんと、ドラキュラ映画の伝統に則した形で、単なるサバイバル・ホラーの要素に加えて、「ゾンビ映画」の復活&感染要素や、「スポンティニアス・コンヴァッション」(人体自然発火)の要素を組み込んできているのも、うれしいところだ。
いろいろ、旧作のドラキュラ映画への目配せもきいているし、子供がドア越しに屈強な船員に追い詰められるのって『シャイニング』だよね。

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ただねえ。細かい部分ではいろいろとひっかかる部分も多いんだよな。

●出だしからして、捜索隊が大雨のなかで船長の航海日誌思い切り開けて読んでる時点で、おいおいとツッコミを入れたくなる。にじんでインク溶け出してるじゃん。
ちなみに原作だと、船長は首からガラス瓶に封じた航海日誌の断片を提げており、防水処置は万全である。

●とにかく、まずは船内で不審な人物が暗躍しているっていうのに、ちゃんと船荷を確かめようという空気が醸成されるのが、出航してから何週間も経ってからってのはおかしすぎる。
早いうちに、土の中からアナが見つかって、密航者として処理されてるのに……。
なんでしらみつぶしに、積み荷を開けてみないのか。

●だいたい、積み荷が「土」とかいう異常な内容物なのに、なんできちんと出航前に検査していないのかも謎だ(原作では「銀砂と泥」という一応価値のありそうな設定になっている)。
あと、ドラキュラ自身の入ってる土以外にも、大量の土を積み荷にしているのって、単なるめくらまし? イギリスでも霊的な理由で邸宅付近に撒いたりとか使用する予定があるのか? それから、外側の角に箱根細工みたいな仕掛けのある棺が出てくるのだが、あの構造で「中から」どうやって開けるのかも気になる(そちらのほうがドラキュラにとっては重要だと思うのだが)。

●しょっぱなから、ドラキュラに連れられてきたことが明白なアナという女性が居て、彼女のほうは情報を提供する気まんまんなのに、ドラキュラの正体や特性、どうやって船に乗ってきたかなど、誰一人としてアナに事情聴取しようとしないのも、大いに納得いかない。
あと、あんなずさんなやり方で輸血とかやって、噛まれた相手の血でこっちが汚染されたりしないのかも観ていて不安。あれだけ船員たちみんな最初はアナを警戒していたのに、目が覚めてからのアナがほぼ放置されたまま船内を自由にうろちょろしているのも、ちょっと解せなかった。

●ドラキュラにとっては、とにかく食料としての「血」を確保するのが最大の目的なのに、相手の首を掻き切って甲板に押し倒したままにして、あたりじゅうが血の海になっていたり、明らかに失血するまで血をすすらない状態のまま、船上の見えるところに犠牲者を放置してたり、あんまり「血」を大切にしながら過ごしてる感じが観ててしないのもなんだかなあ、と。

●とにもかくにも最大の問題は、ドラキュラが「夜」だけ活動して、「昼」はねぐらに隠れているって生態を「乗組員もみんなわかっている」のに、なぜわざわざ「夜」に罠をはって、怪物と戦おうとかいう「必敗の作戦」を思いついてしまったのか。
ケンブリッジ大学出身の黒人ふくめて、ほんとバカばっかりすぎる……(笑)。
これまでのドラキュラ映画でも、つねにヘルシング教授は「夜のドラキュラ」に対してはとにかく防戦一方でやり過ごしたうえで、「昼のドラキュラ」を見出して狩ることを目指していたわけで、わざわざ夜に戦おうとするヴァンパイア・ハントを見たのは個人的に今回が初めてである。だからいわんこっちゃないっていう……。いや、俺もまさかあんなにびゅんびゅん●●●●●とは思ってませんでしたが。

物語構造上も、いまひとつ話が盛り上がらない理由が明確にあって、
●冒頭で「最終的に船がどういう末路を辿るのか」という「結末」が明らかにされているぶん、そのあと辿る可能性のある物語展開が限られる。なので、「誰が犠牲者になるか」というスリルがほとんどない。
●『エイリアン』では船内に何が潜んでいるのかは途中まで「謎」だったし、多くのスラッシャーホラーでも真犯人の正体にどんでん返しを仕掛けてくるパターンが多いが、本作の場合は最初から敵はドラキュラだということが明白で、「誰が犯人か」というスリルもほとんどない。実は●●もドラキュラの仲間でしたとか、ドラキュラに見せかけて全ては●●の謀略でしたといった叙述トリックめいたことも、一切成されていない。
●さらにいえば、ドラキュラがその後イギリスに渡ることも、今までの映画体験から観客はだいたい知っているので、ラスト付近でドラキュラがどうなっていようが衝撃はほとんどない。
とまあ、生来的にかなり「先の読める」物語であることを逃れられず、そのぶん緊迫感が薄い点はどうしても否めない。

とはいえ、間違いなく「丁寧に」「相応の金額をかけて」つくられた重厚なゴチック・ホラーであることは確かだし、同時に19世紀の機帆船を用いたドストレートの海洋冒険スリラーとしても、見ごたえはかなりのものだ。
時代背景としては1897年と、ずいぶん昔の話にも思えるが、タイタニック号が沈むのは1912年のことだから、デメテル号の航海からたった15年後の出来事である。
逆に言えば、タイタニック号に先んじること15年前に、巨大な厄災に遭遇した船舶の「最期の航海」を描く、王道の海洋冒険ものだと思って観れば、ホラーとしての説得力の弱さやイベント数の薄さなんかをあまり気にせずに観られるかもしれない。

もともとこの企画、ギレルモ・デル・トロにオファーが出されていたのだが、どうしても予定がつかず、デル・トロの推薦で結局アンドレ・ウーヴレダルが登板することになったらしい。
もし、ギレルモ・デル・トロ本人が監督していたら、いったいどんな映画に仕上がっていたんだろうね? もう少し穴の少ない映画にはなってたかも……。って、まあ言ってもしょうがないけど。あと、なんとなく続編のありそうな感じだけど……さて実現するんだろうか。
この程度の出来どまりだと、ちょっと厳しいかもなあ。

じゃい