「差別と恐れ」キリング・オブ・ケネス・チェンバレン sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
差別と恐れ
をまっとうすることが全ての目的であるかのように錯覚してしまう。
まだ新米の警官ロッシは精神障害のあるケネスを気遣う素振りを見せるが、他の二人はそうではない。
警部補のパークスはまるでここが犯罪者の巣窟であるかのような偏見を持ち、自分の判断が正しいと信じて疑わない。
またジャクソンは完全に差別主義者で、力を与えてしまうとそれを乱用する警官としては一番ふさわしくない人間だ。
その後応援に駆けつけた警官隊は、これまた時代錯誤もいいところの荒くれ者たちばかり。
ライフガード社のオペレーターが必死でケネスを宥め、事態を解決しようと働きかけるが警察の横暴は止まらない。
ケネスの家族も何とか彼を救おうとするがあまりにも無力である。
やがてドアは破壊され警官隊が部屋に突入し、最後の悲劇へと繋がっていく。
第三者の視点から冷静に物事を見れば、決してこんな大事にはならなかったはずだ。
思い込みとはとても恐ろしいものだ。
部屋の中では何か危険なことが行われている。
その思い込みがどんどん大きくなり、それが人から人へと伝染していく。
ほぼ無抵抗なケネスを殺す理由など何もないはずなのに、思い込みにより過剰に神経過敏になってしまったジャクソンが越えてはならない一線を越えてしまう。
もともと問題の多い警官だったらしいが、これまでに免職されることはなかったらしい。
そんな人間でも必要とされるほど手が足りていないのか。
それともこれがアメリカの警察の体質なのか。
色々と問題はあるが、一番の根底にあるのはやはり黒人差別だろう。
たとえば同じ躁うつ病でも、これが白人ならそれほど危険視はされなかったはずだ。
またケネスは元海兵隊員だった。
本来なら尊敬されるべきはずが、これもまた警官たちを警戒させる要因になってしまった。
歴史的に白人は黒人を差別し続けてきたからこそ、逆に白人は黒人による反発を心のどこかで恐れているのだろう。
この事件で有罪判決を受けた警官は一人もいないらしい。
しかしラストに流れるケネスとオペレーターのやり取りの一部始終が、そこで起こっていたことを克明に記していた。
どれだけ隠そうとしても、世界はこの事実を知ってしまっている。
決して遠い国の他人事には感じられない衝撃の内容にただただ呆然とさせられた。