ニッツ・アイランド 非人間のレポートのレビュー・感想・評価
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音は現実、映像は虚構
オープンワールド世界のドキュメンタリー映画という点で、本作は「実写か、アニメーションか」という議論を巻き起こした作品だ。写される映像は全て、ゲーム世界の空間であり、生身の人物はいない。しかし、ゲーム映像の背後には、生身の人間が存在しているという点では、まぎれもなく現実でもある。虚構の存在しか画面には映っていないが、音は本物であるという二重性(飼ってる犬が吠えたりする音などが混入する)が映画とは何かを考える上で非常に興味深いサンプルとなっている。
「Day Z」というゲームで人間狩りに興じる一群を主に追いかけているのだが、その狂気性を感じさせつつも、ゲームを離れれば一般人であることも示唆される。中には、ヴィ―ガンの女性もいたりする。現実では、動物を殺したくないというヴィ―ガン思想を持ちながら、ゲームでは人を殺すことを娯楽として楽しむ二重性が人間の奥深さを表していて興味深い。
少し不満があるとすれば、この映画の制作者たちはゲームで過ごすうちに何か心の変化はあったのかどうかは描かれないところだ。900時間以上を「Day Z」で過ごして、自身のリアリティに特に変化は生じなかったのだろうか。あるいはゲーム内で人を撃ったりしなかったのだろうか。多少、取材対象者と喋るシーンはあるが、基本的に制作者たちはずっと客観的立場を貫いている。しかし、ゲームにログインしているからには、自らの主体的な感覚も盛り込んでも面白かったんじゃないか。
膨大な時間と引き換えに
狂った”島”へようこそ、とあるが・・・
アオリに「狂った”島”へようこそ」とあるものの、正直そこまで狂ってはいない。
前半に出てくるアイリス率いるコミュニティがゲーム内の殺しを積極的に楽しんでいるくらいで、他のメンバーはそこまで「狂っている」というほどではない。
テトリスくらいしかゲームをやらない自分のような人間からしたら、何故そこまでこのゲームに入れ込みたくなるのかは不思議だが、明確なゴールがないこと、ゲーム内の世界が広くスマホの時代にあえて知り合いに会うためだけに何時間も歩くなどのアナログ感が魅力なのだろうか。
ゲームにおいてのプレイヤーの役割が決められる点も興味深い。役割と行ってもひたすら畑を耕したり、略奪に走ったり、謎の宗教の教祖になったりと謎な役割だが、これも一種の現実逃避なのだろう。撮影隊のプレイ時間が長くなるにつれ、各プレイターの実際の職業や家族構成などが垣間見える野が興味深い。
まだ幼い子供が居る親もよくプレイヤーとして参加しているようだが、仕事に子育てを終えた後に深夜にログインして良く体力が持つ者だと感心する。
「殺しは私たちの日課」だと語るアイリスたちも、現実ではごく真面目に仕事の従事しているのかもしれない、想像に過ぎないが。
コロナ禍によって現実世界での接触が出来なくなった分、ゲーム内でパーティーをして盛り上がる様も、このゲームに限ったこではないだろう。虚構の世界と言えばそれまでだが確かにそこには交流があり、決して非現実ではない野が奇妙なところだ。
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