「アントニオ猪木をさがしに行けなかった製作陣。 たが、これをロードショー公開した意義は認める。」アントニオ猪木をさがして kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
アントニオ猪木をさがしに行けなかった製作陣。 たが、これをロードショー公開した意義は認める。
正直言って、期待外れ。…いや、そもそも製作委員会に新日本プロレスとテレビ朝日が名を連ねていることで推して知るべしだった。
追悼番組としてテレ朝の◯曜スペシャルで放送する程度の内容であり、巨星が墜ちた悲しみもまだ癒えぬこの時期を、新日本プロレスが50周年記念事業に利用したことは明白だったのだ。
だが、幼い頃、TVの向こうのヒーローは王でも長嶋でもなく、貴ノ花でも輪島功一でも沢村忠でもなく、紛れもなくアントニオ猪木だった自分としては、観なければならなかった。
内容はともかく、一人の人物を追うドキュメンタリーが全国一斉ロードショー公開されたのは、凄いことだ。
出だしは良い。
ブラジル時代の猪木を知る3人の老日系ブラジル人が、順に猪木との思い出の地を紹介する。
人間アントニオ猪木の原点を掘り起こすのか…と期待させる。が、それはそこまで。
後は猪木に心酔する人たちが交互に猪木感を語るのだが、直弟子ではない棚橋弘至、オカダ・カズチカに尺をとって喋らせていることで、50周年新日本プロレスの宣伝の意味が強いことが分かる。
だが、現代の新日本プロレスで座長を張った二人だけあって、感心する言葉もあった。
「プロレスに市民権を」と言ったのは若かりし頃の猪木。棚橋はプロレスを「マイノリティだからこそ」と語っている。
オカダは「猪木さんは誰にも捕まえられない」とテーマに即して締めくくった。
アントニオ猪木という人は、清濁が混在した奇人であり、彼を本気で非難する者もいなくはない。
そもそもプロレスという常人が理解しがたい虚実一体のジャンルで名を成した人である。
この映画は、そのアントニオ猪木をいったいどこに探しに行ったというのか。
プロレスラー猪木の何かを探すなら、伝説的な試合か疑惑の試合のどれか一つを深堀りするとか…
人間猪木の何かを探すのなら、日本プロレス除名事件、国政立候補、イラク人質開放、ブラジルとの親交、北朝鮮との親交、永久電池騒動、新日本プロレスの株譲渡、他にも知られざるエピソードは多数あるはずで、そのどれか一つを深堀りするとか…
海外の対戦相手、当時近くにいた人、対極にいた人、それらの人たちが故人なら親族友人など話を聞いていた人など、取材先こそ探さなければならない。そこから、意外な証言を引き出せたり、お宝的な何かを見つけたりできるのではないか。
手近な相手へのインタビュー集で、新たな発見は皆無。つまり、ドキュメンタリー映画の体を成しておらず、全く物足りない。
ミニドラマは取材力のなさを誤魔化すものでしかない。
重ねて、福山雅治のナレーションは…「実に面白くない」
だが、追悼番組であろうとも、これを劇場公開させたのは、日本人におけるアントニオ猪木の存在感の大きさだと思う。
各劇場も話題作並みの上映回を組んでいる。
アントニオ猪木のファンで良かった…と、思わせる映画ではある。
BOM-BA-YE❗