「フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ」月 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
♪ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか
ニ・ニ・ニーチェかサルトルか
みんな悩んで大きくなった(大きいわぁ大物よぉ)
俺もお前も大物だ(そうよ大物よぉ)♪
BY野坂昭如「ソ・ソ・ソクラテス」 1976年サントリーオールドCM
ニーチェは1865年、ケルンにて娼婦から感染、最終的には神経梅毒の症状に冒される その病気の中、「病人や弱者は社会を弱体化させる有害な存在であるから、積極的に殺害すべき」だと主張した。
そんな男がナチスドイツ時代に生きていたら、たちまちT4作戦により処分対象だっただろう それとも実存哲学の先駆者たる彼は自分は違うと反論できたであろうか?
7月26日は幽霊の日
1825年7月26日に、実際に起こった事件がモデルとされる怪談劇「東海道四谷怪談」の初演が行われたことを記念して制定された日
この日に犯行に至った事を奴は知っていたのだろうか? 物言わぬ死者と勝手に断罪と称し禁忌を貪った奴は、物言わぬ無数の天使達に無慈悲に何度も何度も限りなく肉体と精神を雲散霧消とされ続ける悪夢を見続けて欲しいと願うばかりである
作中、何度も何度も問い続ける「お前も思っているのではないか?」
アバンの旧約聖書「コヘレトの言葉」3章15節 『今あることはすでにあった これから起ることもすでにあった』は、人間の思っていることは未来永劫消えぬ原罪を既に現わしている言葉だ
"相模原障害者施設殺傷事件"をモチーフとした原作本の映画化とのこと、原作未読である
今作を鑑賞して、気が付いた映像的特徴がある 初めて映画制作をした人でもないのに、多分恣意的にそのカメラワークが、安易な動きでアマチュア的手法を用いている それはアマチュアというより、運動会のホームカメラのような動きが随所に施されている これの意味するところは自分の能力の低さでは考察が困難である 他の考察サイトの批評を待とう 只の気付きである
モチーフであるから、実際の事件での関係者の心情や思考の遷移、そもそもの思想や主義の明確な解説は成されない それは多分どんなに研究してもし尽くせないことであろうし、そこに力を注ぐ必要も無いと考える
自分が社会的に劣っていると感じるとき、努力を惜しまず精進するか、諦めて日々をやり過ごすか、この世の未練を断ち切り旅立つか そんな大まかな選択であろう そしてその選択に他人を消極的に巻き込む(悲しませる等)ことはあるにせよ、自分の死を代替する対象を作るなんてことは考えない その考えないことを考えたらしめる環境がベースとなり、安易に結びつく萎縮した思考の欠如、想像力の閉塞 世間で言うところの『無敵の人』の誕生である ニーチェは『超人』を望んだがこれがそうなのか?
その悪魔に魂を売り飛ばした人間が常に切っ先を向けてくる、「お前も思っているのではないか?」 どんどんとジグソーの如く嵌められる日常の暴力
マスターピースを埋めない様、一体何が必要なのか? それは常に二股に分れる岐路の如く、天国と地獄を自ら課す 何が譲れて、何が譲れないのか? 自らのプライド?それとも家族の尊厳? しかしその抵抗は防御の為であり、より弱い者への矛先ではない 抵抗できない悔しさを晴らすための格好の獲物だと思ったのならば、そこに美辞麗句を飾っても何も響かない、届かない
猫も象も、自分が永くはないと悟ったのならば静かに退場する 本能で生きている動物ですら清々しい 東日本大震災、創作活動、重度障碍者介護、それぞれが天災やイマジネーション、極度の職場環境というMAXストレスの中でフラストレーションを如何にして鎮める事が可能か?
その答えを探す為の動機をこうして映像化し続ける事 常に弛まぬ持続を怠らない映画界で有って欲しいと願いつつ、丁寧且つ真面目で親切なしつらえを施した今作に最大限の称賛を送りたい
PS.勿論、観賞を保証してのレビューである 疑うならばコメント願いたい
こんばんは。
いぱねまさんの今作へのレビューは勿論、ひとつひとつ丁寧にいろいろなレビューへのコメントを出されている姿勢にいつも感心しながら読ませていただいています。
作品にも通ずる大切なものがそこにあると感じます。
いえいえとんでもございません。
そもそも私はカレンダーに何が書かれていたか覚えてませんから。
ただ、日付がモデルの事件の日と一緒だなと…(友人の誕生日なので覚えていただけですが)
今作品に嫌悪感を抱いているレビュアーの原因の一つは故河村光庸プロデューサーの存在があるのではと気付いた 今作品に於いても主要キャストはプロデューサーの企画書に応じて主演許諾をしているという真相を明かしているサイトが散見される
勿論、素直にこれを受け止めるほど子供ではないので業界的に何かの力が働いているのかもとは思うのだが、しかしスターサンズ配給という作品に対しての無知な人が多すぎるのも学習されていない、もしくは敢えて罵詈雑言をアップして被疑者意識を表明したいのではないかと勘ぐる位、自ら地雷原に足を踏み入れてるとしか思えない
低評価の人は、先ずは自分が視たい思想や方向性をよくよく抽出して、それと真逆の作品を避けるべき、若しくはスられると分っていて財布を半分ポケットから出しているようなスタンスは止めて欲しいと願う
自分が好きな作品を貶される気持を理解して、でも、理性的に具体的にそして謙虚に評価して欲しいと願うばかりである