「幸福な国だから無邪気な悪も描けるのかな?」イノセンツ クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
幸福な国だから無邪気な悪も描けるのかな?
北欧産のグロいスリラー、ノルウェーが舞台のようで、平穏な日常が静かに侵食されてゆく恐怖を描く。昨年公開の「ハッチング-孵化-」はフィンランド製、男と女の性差から生ずる恐怖をみるみる攻撃的になる女性がポイントだったが、そっくりそのままそれを「子供」に振り当てたのが本作とも言える。全ては子供の世界だけで生ずる事象で、一切大人の介在する余地も余白もないところに恐怖のポイントを据える。日本でしたら、非常識の一言で窘められる映画のポイントですが、本質的に北欧各国と比較し、子供を守っているとは言えない日本で、だからこそこんな映画は到底日本では創られない。
北欧では、子供に対し積極的に税金を投入し、他の子どもと比較せず、長所を伸ばし個性を尊重する教育が、無償で受けられ、女性の社会進出も支える。2言目には「子供手当」と口にする、金さえ出せばの発想しかない無能な政治家の国とは、全く異なる。社会全体のコンセンサスが確立されているからこそ、無垢の色合いの本質的な攻撃性にテーマを挙げてもこうして成り立つわけで。
舞台は、いわゆる団地で、決して裕福とは言い難い人々が集う。分かり易く言えば多数の移民を受け入れ、多種多様な人種が住んでいる。ここに引っ越したばかりの白人姉妹とラティーノ系とインド系?の4人の子供が主役。「系」としか書けないのは、よく分からないし、そんな事は映画の作者にはどうでもいい事のようだから。姉妹の姉は自閉症のようで、実質妹が本作のメイン。
徐々に徐々に子供達の関係性に不思議な能力を描いてゆく。本作は音楽が秀逸で空気感の描写には舌を巻く。不穏な空気が一瞬のサイキック描写を浮き彫りにし、しかし演出的に過度な描写は一切せず、ってところが本作の良さ。一種の超能力は初めは4人の輪となり潤滑していたものの、次第に攻撃に向くところが恐ろしい。ついに矛先が大人にまで向かうものの、大人社会には一切響かない。何故か? 一種のピーターパン症候群の範疇なのか、世の不可解事件が子供の無垢によって引き起こされていたかも知れないと言うのに。
猫殺害の残忍も無邪気の延長線上にあり、死の認識も出来ない子供達だからこそ平気なのである。当たり前ですが、本当に殺しているはずもなく、この程度の描写で騒いでいたら、日本人甘すぎますと言われますよ。でも流石に子役がこの殺害演技をする辺りはどう説明したのでしょうね?
「わたしは最悪」の脚本書かれた方が監督だそうで、物事総てが極私に収斂する閉塞感を感じてしまうのは、冬の長い北欧だからこそなんでしょうかね。