ザ・クリエイター 創造者のレビュー・感想・評価
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死はどこへと繋がっているのだろうか?
人間が「死」の存在に気づいて以来の未解決問題である。
人類が誕生して以来、この問いに答えを得た者がいるのだろうか。
AIと人間の戦いを描いた本作ではあるが、ここに登場するAIは、もはやターミネーターのようなものではなく愛という複雑な感情ですら搭載され文化をも築いている。そして、そのAIもがたどり着いた「死」のその先はどこなのか。
彼らも「オフ」のその先が未解決問題なのだ。
人間もAIも孤独であれば「死」や「オフ」のその先など気にしなくてもいい。愛する世界や愛する者があればこそ、別れがたいものがあればこそ「その先」が気になるのだ。
おもしろいと思ったのは、クリエイター創造者であるマヤが運び込まれていたのはチベット仏教寺院のような場所だった。仏教では人の創造を語っていないのに。
そして母なるマヤの元で「誕生」した救世主アルフィー。ある意味無原罪のお宿りよね。
ここで「なんのために生まれ、なんのために生きていくのか」という生命体全てへの問いかけも出てくる。まさに「死」を考えると「生」を考えることになる。メビウスの輪のようだ。
人はいつか死ぬことを理解して生きていく。
でももし、死なないとわかったらどう生きて行くのだろうか。
「記憶の中にある大好きなSFアニメ」の最高の実写化
ギャレス・エドワーズが、大好きな映画『モンスターズ/地球外生命体』のゲリラ撮影スタイルに立ち返り、中二感あふれる青臭いSFを全力で撮った。既視感のある物語ではあるけれど、ギャレス自身が筋金入りのオタクであり、「記憶の中にある大好きなSFアニメ」を実写化するような気持ちで作ったんじゃないだろうか。
AIが自我を持つシンギュラリティ以降を描いた近未来SF、という体裁だが、この映画のAIたちは、わりと慌てた動きをすることからも、ほぼ人間と同じだと考えていい。ギャレスのインタビュー記事を読んでいたら「AIがまだ自我や感情を持ってないといいな。人類はAIを奴隷扱いしてるから」みたいなことを言っていて、ああ、これこそがギャレスという映画作家の本質ではないか、と思った。
つまり、イギリスの特権的な白人男性である事実はさておいて、どうしてもマイノリティである他者に感情移入してしまうような。それが人間のマイノリティだけでなく、『モンスターズ』の宇宙生物や本作のAIにも適用されてしまうような。
その意味では、科学的SFではまったくない。イメージとエモーションとノスタルジーを駆使して、とことん弱いものに肩入れしたい!という無邪気さは、「この話は主人公は黒人男性でも白人救世主と同じ構図ではないか」という批判にも繋がると思うのだが、それでもなお、やっぱりギャレスの無邪気な判官贔屓に好感を持たずにはいられないのである。
壮大かつ緻密にデザインされた近未来の神話
ギャレス・エドワーズは我々が触れたことのない静かなる驚きの映像世界を展開させる人なのだと改めて思い知った。とりわけ本作は舞台となる近未来を断片的に垣間見せるのではなく、地球規模で壮大かつ緻密にデザインし、今すでにAI技術の転換期の隣り合わせにある我々に「手の届きそうな距離のリアリティ」として実感させてくれる。それでいて悲観的なビジョンばかりを提示するのではなく、深い感情や体温で満たされたエモーショナルな物語を根付かせていることが極めて尊い。数々の名作映画の影響を感じる一方、それ以上にエドワーズの過去作を思い起こす瞬間も多かった。実写と特殊効果を生々しく融合させた『モンスターズ』、人間の理解や常識を超えて”生命体”を広く見つめた『GODZILLA』、一つの使命を繋ぐため身を捧げる『ローグ・ワン』という旅路を辿ってきたからこそ、この作品は今、まさにキャリアの集約地のごとく産声を上げたのだろう。
見ごたえがあった
ツッコミどころが多い(これはレビューで見る常套句)という意見もあるが、ツッコミどころがほとんどないエンタメ映画があるなら教えてもらいたい。ストーリー展開はありがちな感じだが、主人公に共感させる演出はうまいし、優れたVFXと、スケールのでかいお金のかかってそうな未来像も手伝って飽きずに最後まで見られた。
個人的には切ないストーリーに弱いので、見終わって余韻に浸ることができた。子供のAIがかわいいし、そして切ない。全編で駆使されているVFXも自然で違和感がない。
内容的には、ベトナム戦争やイラク戦争などのように、なんでもかんでも力ずくで思い通りにしようとする現実のアメリカのやり方への皮肉が込められているのかもしれない。
余談だが、『ゴジラ-1.0』がアカデミー賞の視覚効果賞をとったことが「ハリウッドに並んだ」みたいに受け止められているが、この映画を観ると、やはりお金をかけたハリウッドのVFXは邦画の比じゃないと感じる。
色々と酷い映画
サイエンス・フィクションとして考証や設定が酷すぎる。
脚本も面白みに欠け、ご都合主義で非現実的。
「んなわけねーだろ」の連続で観ていて呆れる。
底流に普遍的なテーマがあるわけでもない。
作り手はAIとの共存とかを込めたつもりか知らんが、余りにちゃちくて消化不良。
何よりアジア人差別てんこ盛り。
東南アジアを主な舞台にしているが、何故か日本が主人公と敵対するAI陣営に加わっている。
中国人には沢山観て欲しいためだろうか。
舞台の東南アジア人は50年経っても現在より文化的に遅れた生活をしている。
敵方の科学力を考えればノマドとか言う空飛ぶ基地なんぞ一発で撃墜されるのが普通。
ちょいちょい過去の作品からの盗用も目立つ。
主人公は黒人、女性指揮官も登場しアメリカ側のポリコレには十二分の配慮をしつつ、どえらいアジア人差別の映画。
ディズニー絡みのSFにはロクなものがない。
渡辺謙も出る作品を選べよ。
悪いのはアメリカ軍でしょ
模造人間シュミラントと呼ばれるAIと米国人の闘いの映画、冒頭、LAが核攻撃されたことになっているが劇中で核爆発は軍のミスだとAIが言っていました、「ターミネーター」はじめロボットの反乱、人類の敵として描かれる映画が大半ですが本作は「ブレードランナー」寄り、一方的に悪とされる模造人間に同情的視点、愛すべき存在に描いていました。
模造人間は米軍の巨大な飛行船ノマドのミサイル攻撃で絶滅寸前、主人公は模造人間を作った博士の娘マヤと恋に落ちた軍人ジョシュアと娘の模造人間アルフィー、前半は死んだはずのマヤを探すジョシュアの潜伏捜査、途中でアルフィーが出てくるが彼はマヤが作った二人の娘とは気づかないままマヤ探しの逃亡劇が続きます。
彼の視点から見れば人類とAIは共存すべき存在、米軍の兵器ノマドを破壊します。マヤとジョシュアの抱き合うシーンは天国ということなのでしょうがちょっと紛らわしかったですね。ディズニー映画だから子供が活躍するのはお約束だろうがアルフィーが可愛いので傷つかないかとハラハラしながら観ていましたが2時間越えはちょっと長すぎますね・・。
激しく考え込んでしまう
この作品にはっきりと見えるのが、価値観の転換点
これもまたLGBT法から波及したものだろう。
この作品の絶妙な部分がLGBT法のように逆差別をしない点だが、逆にこの価値転換をするには戦争のように「決着をつける」必要があるということも、この作品は暗に示している。
人類の歴史とは戦争の歴史であり、争いでは何も「解決」しないというあたかも正論のような概念がまかり通っているが、戦争や内戦が勃発するまでの過程で話し合いや取り決めなどによる「折り合い」は大岡越前の三方一両損のようにはいかず、結局誰も納得できるものではなく、その先にあるのは「決着をつける」以外の方法がなくなるというのが「人類が得てきた教訓」なのではないだろうか?
LGBT法をバックに逆差別し始めた人々
ヴィーガンによる肉を食べる人に対する口撃
シーシェパード…
人類はこれまで「解決」してきたことなど何もなく、すべてが「決着」していただけだということ。
彼らのような逆差別による口撃が戦争のきっかけになっている。
しかし、この脚本の練りこみ方は凄い。
核爆発事故の責任をAIの所為にして、でっちあげたAIの是非の論争が戦争になったという背景はいかにもアメリカ的だが、AIからシミュラントなるアンドロイドを徹底破壊するに至ったのは、その設計においてニューアジアにとてもかなわなかったという背景がある。
西側は近代的に発展しており、都会的 かつ軍の勢力が強いことが伺える。
それに比べニューアジアでは20世紀的な暮らし方だが、農産物の生産にシミュラントが活用されていて、問題発生時に駆け付けるのが警察だ。
ここで監督が仕掛けているのが「正邪論」
誘導的なのは、ニューアジアの風景がアメリカ人にとってはベトナムに見えること。
天才設計士のニルマートと未知なる武器「アルファウォー」を捉えるのがこの戦争の表面上の目標
そのために潜入捜査し、ニルマートの娘マヤと結婚までしたジョシュア
このジョシュアがマヤとの暮らしの中で感じたのが「幸せ」という概念なのだろう。
それが都会生活と田舎生活 ファスト生活とスロー生活の違い。
西側が起こした戦争は、9.11とまったく同じ構造
つまり、自作自演でアメリカが以前からずっとしてきたこと。
ジョシュアのセリフに「人類よりもオレの家族」というセリフがあるが、彼にとって救うべきものが何か、失って初めて明確化したことが伺える。
彼にとっての戦争とは、任務ではなく味方によって襲撃されて家族を失ったことにほかならない。
さて、
タイトルの「創造者」だが、ニルマートだったマヤが胎児をスキャンして創ったアルフィー
彼の名前をジョシュアが付けるという点にも大きな含みを感じる。
それは「祝福」という概念
聖書の神の言葉「私はアルファでありオメガである」
いくつもの含みがある
救世主 神 キリストの再臨 そして新人類の誕生
口の悪い女大佐は、ネアンデルタール人とホモサピエンスを引き合いに出す。
本編には描かれていないが、つまり、新人類は人類を滅ぼす可能性を示唆している。
この物語が「人類」にとってハッピーエンドではなかったのかもしれないという含みがある。
AIの人権と彼らの感情、愛などはプログラムなのか発生したのか?
人の死は基本的に呼吸と心臓が止まることだが、細胞はまだ生きている。
そこから取り出す記憶と意識
この記憶と意識に加え感情があれば、それはもう人間として認めざるを得ないのだろうか?
ジョシュアは何年かの間シミュラントや彼らを人間扱いする人々と暮したことで、アンドロイドと人間という区別をしなくなったのだろう。
加えて彼自身が片腕と片足がブレインマシンインターフェイスになっている。
このことが半身人間、半身機械両方の感覚がわかることを表現している。
彼にとってマヤとお腹の中の子の喪失は堪え難いものだというのもわかる。
両方人間だ。
マヤが創ったアルフィー その作り出す過程から、自分の息子のコピーだというのを理解し始める。
マシンである彼と一緒に戦火を逃れながら情が移っていく。
しかし、それがクローンであればまだしも、機械とAIだ。
ここに視聴者の中に芽生える葛藤がある。受け入れざるを得ないのか、それとも分類すべきなのか?
マヤは生前自分の分身を提供していたことで、ノマドの中にもその一体があった。
これをアルフィーが見つけ、マヤの記憶を移植した。
アルフィーは途中から言葉遣いが女性的になる。
つまりそのメモリにあるのがマヤだ。
アルフィーの中にはマヤの記憶も収められている。
そして天国という概念
ジョシュアの死生観は、この作品において非常に興味深いところ。
このあたりからアルフィーの中のマヤが覚醒し始めている。
肉体よりも記憶と意識と感情
これを持ったAIこそ新人類なのかもしれない。
この物語の示すコピーとは、肉体だけにとどまらず、記憶や意識や感情までも示しているのではないだろうか?
そのマヤの想いは、マヤの肉体をしたシミュラントに自分の記憶をインプットすること。
それはもう一度肉体を持ってジョシュアに再会したいから。
そしてジョシュアとマヤとの感動の再会となった訳だが、そもそもノマドの中になぜたくさんのシミュラントがいたのだろう?
徹底的に破壊するのが西側の目的だったはずだ。
監督はここに自作自演で戦争を仕掛け、そこにある土地や資源を奪ってきた「西側諸国」のやり方を忍ばせた。
大佐がアルフィーを確保させた理由
アルフィーを処分すれば西側が有利になる。
または西側とは人類史における「過去」を表現したのかもしれない。
この部分を同時に表現するという脚本の練りこみ方は凄すぎる。
ただ、
少々納得できない点がアルファウォーで、ジョシュアがアルフィーが「武器」だと見抜いた点、それがアルファウォーだという点を西側と共有するまでの過程を急ぎ過ぎていたこと。
そもそも練りこまれた物語とSFなので、この部分は丁寧に表現してほしかった。
さて、、
昔から教科書に載っている人類の進化の絵
サルから大きなサルへ、そしてたったサル 毛の生えた猿人 武器を持った猿人 ホモサピエンス クロマニヨン人
実際それはは間違いで、アウストラロピテクスからホモエレクトス、ネアンデルタール人、ホモサピエンスは若干の差はあれ同時発生していた。
それが発生であって創造ではないのかもしれない。
この作品の創造主というタイトルは、どうしても神という概念に直結する。
私は、ここがキリスト教世界で切っても切り離せない箇所であり、絶対譲れない箇所だと思うが、もうそこは卒業してもいいんじゃないかなとも思う。
さて、、、
ノマドは地上で崩壊したが爆破炎上していない。
おそらく、
肉体のジョシュアはこの墜落で死んでも、その記憶は復活されるのではないだろうか?
つまりこの物語には先があり、自分のコピーが生き続ける未来
自分を増殖できる未来
従来虐げられてきたことが終焉し、ひと時の平和が訪れるが、この人というものに染みついた争いの種がなくなることなどあるのだろうか?
気の合わない誰かを殺害し滅ぼし、そうして何種類かの人格だけになっていく未来
人類がAIになっても、何だか恐ろしい。
新潟県小出町
日本語や中国語、東南アジアの言語、そこに英語が支配者のように存在する。特にニューアジアの『ブレードランナー』ぽい夜の街にも数々の日本語表記が多くて笑ってしまいそうになったけど、渡辺謙演ずるハルンが双眼鏡を覗いたときにターゲットの「ノマド」という文字が映し出される直前に「小出町新潟県」という文字が出てきてビックリ!渡辺謙が新潟県出身なのは知ってたけど、ここまでギャグをかますか(笑)。尚、小出町は合併により魚沼市となっています。
音楽は壮大なオーケストラ曲がよく似合うハンス・ジマーだけど、それよりもディープパープルの曲(チャイルド・イン・タイム、他)が流れてきたのには驚きだった。その他にもアジアのロックバンド曲もあったり、全般には60~80年代の曲が多い。軍事基地ではAIを使ってないことを強調するためか、冒頭からアナログ感覚を植え付けてくれたのだ。尚、ボカロ曲や新しい学校のリーダーズ(英語表記はAtarashii Gakko!)はご愛嬌か。
大まかなストーリーは、アメリカ軍の潜入捜査員ジョシュアがニューアジアの現地でマヤという女性と恋仲になり、出産間近という中で軍が急襲してくるという序盤から、死んだと思ってたマヤが生きていることを知り、AI少女アルフィーの力を借りて命令を無視して探す旅に出るというもの。ロサンゼルスで100万人の犠牲者を出したのはAIの核攻撃によるものだという人類対AIという戦争をおっぱじめたという近未来の設定だ。
しかし、描かれる映像としてはベトナム戦争を想起させるものであり、「AIは捨てた」と主張するアメリカ側の論理があるにもかかわらず、実際には西側諸国に対抗する新興国ニューアジアがAI開発を止めないという理由で工場を破壊しまくり、人間をも殺しまくり・・・“グラウンドゼロ”というネーミングから考えても9.11の報復戦争の描写としか言いようがない。
また、ニール・ブロムカンプ監督の『第9地区』『エリジウム』『チャッピー』をも思い出してしまう映像オンパレード。格差社会や貧富の差までは描かれてないけど、むしろ戦争の風刺が強く感じられた。相手はロボットだからと、現地の人間をも殺していく冷酷さにはゾッとさせられた。
ただ、AIとロボットの違いが理解しにくいのが残念なところだったか。ロボットは奴隷として作られ、人間の命令に忠実ということなら、憎々しい女性大佐の部下である下の兵士たちもロボットみたいなものだと強調してくれたら尚可。ロボット三原則なんて通り越しちゃってるところが新しいかも。今年初の映画鑑賞(アマプラだけど)でしたが、映画脳がちょいとオンになったかも。去年はオフしっぱなし・・・いやスタンバイだったかな?
人間のエゴも含めた、人間とAIロボットの戦いを描いた作品
映画館で上映されている時期に、予告で何度もTVCMで流れていて気になっていたものの、映画館に行けずVODで鑑賞できるようになったので、どんな内容なのか気になり鑑賞。
舞台は2075年、人間を守るために開発されたAIがロサンゼルスで核爆発を引き起こす。この事がキッカケとなり、人間とAIの存亡をかけた戦争が始まる。
その中で、元特殊部隊である主人公のジョシュアは退役していたが、軍の司令官からの依頼で人類を滅亡させる兵器を創りだした「クリエイター」の潜伏先に向かって暗殺に行くことになるという感じで物語が進行していく。
序盤は、ターミネーターのように暴走したAIロボットを破壊するためという感じを受けつつ鑑賞していたが、物語が後半に入っていくと今迄とは逆でAIロボットの視点になっていってAIロボットの存続をかけた戦いという感じになっているように感じた。
日本人俳優の渡辺謙も重要な役で出演しており、理不尽な理由でAIロボットを破壊しようとする人間側のエゴを感じたし、それに抵抗するAIロボットたちの戦いは「ラストサムライ」に通じる部分もあって、いつの間にかAIロボットを応援する気持ちになってました。
この戦いで重要な役を担う、幼い姿をした超進化型AIのアルフィー(最初は男の子かと思ったが、調べてみると女の子だったので驚いた)も、表情の演技が上手くて驚きました。
今AIは進化しているけど、将来的にはこの作品に登場してくるAIロボットのように感情表現も豊かになるのかなと感じたし、今迄描かれていた他の作品と違ってAIロボットの感情が丁寧に描かれているからこそ人間味を感じました。
予想を上回る面白い作品でしたし、人間のエゴを上手く映画に取り入れた今迄にない人間vsAIロボットの戦いを描いた内容だったなと感じました。
未来描写より顔のアップばかりの戦争映画
景色や背景を見たいのに顔のアップばかりでした。夜のシーンになる度に眠くなりました。昼になると今度は、煙や砂埃で背景が見えません。
4章くらいに分けて、章ごとにタイトルまで付けています。「友達」、「母」など、分ける必要がなさそうですが、『2001年宇宙の旅』(キューブリック監督作品)のオマージュのつもりかもしれませんね。
BGMは、眠れるサウンドとしては良かったです。CGは素晴らしいのですが、デザインとカメラワークが面白みに欠けていました。
AIの製造工場の描写は、精密機器を扱っているとは思えない雰囲気でした。
AIの仕組み等テクノロジーについては、『ガンダム』の世界のように視聴者に説明する氣がさらさら無いのでしょう。
終盤、アルフィーのスピーディーで有能な活躍ぶりが、それまでのスローでだるい眠くなる時間を忘れさせてくれました。
期待値高めでこけた?
この映画アメリカで先にAIが流行りだしAIが核を落としたという話なのだがその核を落としたのは人間のヒューマンエラーで起きた事故である その起きた事故をAIのせいにして
あとからニューアジアではいまだにはやっているAIを処分するというプロローグ
主人公はアメリカ陣営の人間でもともとスパイでニールマータと付き合っていた
ビジュアル面がすばらしくサイバーパンク感もあるのでブレイドランナーを想起してかなりいい
駄目な点は時たま支離滅裂な感じかな
ラストは泣けるけど すごい悲しい内容でびっくり
吹き替えで見ました
面白かった。
子役も良かったし、主人公も良かった。
ただ、今までない設定に戸惑いと納得しきれないままに見ていたので、いろいろとモヤモヤが残った映画でした。
ローグ・ワンの監督の作品。
これに期待感が膨らんでいた。
ローグ・ワンは私の中では近年見た映画のベスト5に入る作品。
スターウォーズの1~3、7~9よりも面白い名作です!
今回のレビューはバリバリのネタバレになるので、気になる方はこれ以降は読まないでください。
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人間とAIの闘い。
いままでのAIというと巨大なコンピューターが自我を獲得し人間を排除するというのがパターンだったが、この映画のAIは人格をもったロボットの事。
だがこの映画のAI(ロボット)は悪ではない。
人間に寄り添い共生を目指している。
この映画での悪者はアメリカ。
ロスで起こったヒューマンエラーでの核爆発をAIのせいにして、AI撲滅のための戦争を起こしている。
西側諸国はAIを根絶し、残ったAIはニューアジアで人間と共存していて、そのニューアジアへアメリカが戦争を仕掛けているというストーリーでした。
アメリカ人がAI(ロボット)を狩る、イラク戦争に対する皮肉も込められているのだろう。
エンジン・ハイブリッドを禁止にして、EVカーに向かう西欧諸国にも重なって見えた。
また他と違うのは、あらゆる電子機器を自由に操作するという事はなく、ロボットがアメリカ人と戦うだけ。
これにも違和感を感じた。
そしてAIの親玉というかアメリカが狙うキーパーソンは人間。
結局、人間対人間の闘いということなのか。。
そしてAI陣営の最終兵器とされるのが小さな女の子のAI(ロボット)。
ストーリーの根幹となる設定への違和感の他にも、突っ込みどころはたくさんあった。
だけど、それを上回るくらい、世界観というか雰囲気は好きな映画でした。
音楽も良かったです。
闘いの舞台となるアジア世界には、日本語なんかも見られて『AKIRA』の世界に少し似ていた。
吹替で見たら、渡辺謙の声が本人の声では無かった。。
この映画は字幕で見たほうが良いかもね。
AI(ロボット)の吹替は、市川ぼたんちゃん(小林麻央、老蔵の娘)。
ラストは、ローグ・ワンの監督らしい最後。
私は良いラストだったと思う。
最後まで時間を気にすることもなく一気に見れた。
最近見た映画と比較すると、エブエブなんかよりは遥かに面白くて好きな作品という感じです。
宣伝が少なくて知名度は低いけど、おススメです!!!
シリアスだね〜
この映画、デューンと同じで笑いが一つも無い。シリアス過ぎるが美しい。人間の創造力とAIの純粋さ、人間の残酷さとAIの可能性。全てがこの映画に詰まってて、最後まで葛藤出来る素晴らしい作品になっている。必ずこの残酷な空想を描いた物語は、現実のものになるでしょう。戦争や破壊を繰り返し、人間の役目が終わった時、本当の美しい世界が訪れるという事を伝えたかったんじゃないかな、この監督と脚本家さんは。
それにしても、ユナちゃんの圧巻の演技と渡辺謙のシリアスさに全てが持っていかれたね〜。何の予備知識も無く観たので、最後までアルフィー役のユナちゃんが女の子なんて気付かなかったわ。最後の泣き叫ぶシーンの声が可愛いなって思って調べたら女の子なんで、この映画の最大の衝撃でしたわ笑
新しさの無い寄せ集め
マ王、普段はそれなりにドタバタした生活をしてんのよ💦
映画ってマ王唯一の趣味だからストレス解消も兼ねて観に行くのよね😁
だからまぁせめて新鮮なストーリーくらいは用意してくれてると期待してたんだけどさぁ、この映画🌀
もう冒頭からデジャヴの連続😬
あまりにも多い既視感に「あれぇ〜?試写会で観たんだっけ?」と感じるほどだ😑
ザ・寄せ鍋映画、コレが率直な感想である😤
でまたストーリーもドイヒ〜過ぎて何をどうコメントしたら良いのかなのさ😵💫
兎に角、全編通してワクワクが感じない⤵️
戦争としての定義が狭くて浅い(その程度でモタモタと今日まで戦争を長引かせてたの?)
また各キャラクターはどう鑑賞しても薄口の存在に感じてしまう(せめて渡辺謙は頑張ってほしかった)
どうしてこんな映画を世に放ったのか?
と思ったらやっぱりディズニーじゃん💨
奴ら潤沢な資金でテキトーな映画を作っては「名作だぁ」と叫びながら喧伝しやがる(アナ雪辺りから)
あの会社は「ジョン・カーター」で大赤字を出しても小揺るぎもしねぇからなぁ🤨
色々と観る角度があるかもだけど、冷静に映像や物語を考察すれば過去の映画の面白そうを繋ぎ合わせたフランケンシュタイン映画(要は完璧にはなれない劣化版)
そんなワケでマ王には何一つとして響かない映画でした🥸
映画館での鑑賞オススメ度★★☆☆☆
キャラクター透明度★☆☆☆☆
ディズニー悪意度★★★★★
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