「宣伝イメージがもったいない!日本製サイコ」怪物の木こり cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
宣伝イメージがもったいない!日本製サイコ
終映ギリギリにすべり込み。気づいたら一日一回上映で、勢いお正月の朝8時台の鑑賞に。それでも集う人はいて、不思議な連帯感がありました。
いわくありげな大病院の御曹司と敏腕弁護士・二宮。彼らが山奥で殺人を犯したころ、都内では不可解な殺人事件が続発。そして、二宮が突然「木こり」に襲われたことから、物語は思いがけない方向に…。
予告ではひたすら血みどろ、えげつないシーンの連続のようなイメージがありますが(そのため、普段は付き合いのよい同伴者に、今回は断固拒否されました。)、いやいやどうして。そうきたか!の展開で、むしろ登場人物たちの内面を探っていく話運び。主人公・二宮の微笑みに、心なしか変化が…。予告では「アメリカン・サイコ」的に無敵なのかと思われた二宮。彼の淡々とした言動が「不穏」ではなく「無垢」ゆえなのかも、と気付いたとき、脳内相関図は大きく逆転。真のダークヒーローは誰?敵は誰?と、新年早々、謎解き頭をフル回転させてもらいました。
物語のカギとなる、絵本「怪物の木こり」の使い方も効果的。木こりのふりをした怪物の暗躍…と思いきや、木こりのまま村人と生きようとする怪物の葛藤が見え隠れ。次第に、「怪物」の風貌さえ違って見えるようになりました。
自分の過去に罪悪感を抱いたら、どうするか…は誰もに通じるテーマ。これまで知らなかった感情に戸惑う二宮のぎこちなさは、どこか幼い子どものよう。無敵のサイコパスから非力な存在へと揺れる彼、そして脛に傷持つ(大きな過ちを過去に犯した)曲者たちから、最期まで目が離せませんでした。
身を削った罪滅ぼしの行動が、周りには理解されないどころか真逆のことに受け取られる…のは世の常なのか。やり直しや生き直しを許容しない世相にも、どこか重なります。二宮が善人スタートであれば酷と思える結果が、それもあり、と受け入れられてしまうのは、皮肉ながら鮮やかでした。すかさず被せられるセカオワのエンドテーマもぴったり。予告や宣伝ビジュアルで敬遠されてしまったとしたら、もったいなすぎる拾いものでした。(とはいえ私の場合、三池作品ならば無条件で観ます!)