「「逃げたくなったんだよね 重くなった」」風のゆくえ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「逃げたくなったんだよね 重くなった」
こちらも『まなみ100%』同様、監督の私小説的作品である
児童養護施設で育った監督の実体験を元にしてのストーリーテリングで、最近脇役としてお見かけする嶺豪一が主演 誰かに雰囲気が似ていると思ったら、色々問題発覚で表舞台から退場した新井浩文が頭に浮かんだ 勿論、本人に取ってみれば迷惑な話であり、本人に対しては陳謝したい 只、演技や佇まいに関しては名脇役になる筈だったので、私生活は真似せず、このポジションを奪い取って欲しいと願うばかりである 目の下の真っ黒いクマはチャームと成るか・・・
施設育ちという背景だけでなく、そもそもの資質もあるのだろうがネガティヴで劣等感、故に孤独と欠落感に苛まれ続ける男が、付合っていた女に急に別れ話を持ち出す 何度も踏みとどまる様、彼女は翻意を促すが男の決意は固く、渋々別れることとなる 男にとっては彼女を幸せにできる自信を得られず、自分の不甲斐なさ故、益々居心地の悪さに追い詰められるだろうと悲観的想像なのであろう 職場をリストラされたのも少なくない原因だ 貧乏ゆすりの頻度や速さも極端に病的に発生しているのは、苛立ちが抑えきれないからだ
そんな中で、以前から決まっていた台湾旅行を別れる記念みたいな形で旅立つ 旅行中も上の空の男と寂寥感で一杯になる女 もしかしたらこの旅行で前言撤回になる可能性を期待した女もある意味気持の整理がつくことは皮肉かもしれない
そして、ここからが本作のメインなのである 男はどんどん現実の辛さや、付合っていた頃の想い出に浸り続ける
なにせ、初めての男女の付き合い(恋愛だったかどうかは微妙)だったので、恋愛というかお互いの距離感や信用、信頼というものが覚束ない 別れて初めて実感が湧いてくるのだ 本来ならばそれはもっと若いとき、思春期の頃に失敗しつつ憶えていくモノだが、男にとっては呪われた幼少期、青年期だったので、今正にそれに直面したのである
段々と、女の幻影がみえてくるようになる、女を紹介した友人夫婦と食事をしてる時でも強がりを言えどもすれ、本音は明かせない 男の日課は詩的な文章を書くことなので、場面毎に、昼間でもカーテンが引いてある部屋で心情を文字に起す スクリーンには苦しく辛い文章が都度映し出される 堪えきれず女に復縁を持ち出すのだが、時既に遅し、女は新しい男を得て、新たな生活に進んでいる なんならもうすぐプロポーズの予感さえ漂う 発狂する男は、益々生活の中で彼女の幻影+みたこともない男と一緒の姿を観るようになる 過呼吸迄引き起こしてしまう神経衰弱の状況は観賞していて共感が尽きない
女との性愛を思い起こしながら自慰をする男 上に乗っている女が要求する 女はスパンキングが性癖だったのだ・・・
何が決定的なのかは分らないが、書く詩も段々希望が見え始める文面が現れる 「見失わない」「逃げない」「きちんと歯を磨く」
どんなことことでも終わりではなく人生は続く
そしてやっと女に対して感謝の思いが溢れてくる「白黒の人生に色を付けてくれてありがとう」と・・・
ラストの部屋のカーテンを開けるシーンは、長く苦しかった初めての恋愛を肯定的に受け止めることができたことに、感情が沸き立つ
臆病だった自分がやっと他人を違った目で視ることができそうなそんな可能性を表現した、ミニマルな極個人の経験である その個人の出来事をこうして映画化する事はとても重要であり、観客との対話をスクリーンを通じて交わし合い、そして追体験することで人と寄り添える 等身大の人との繋がりを再確認させてもらった