不安は魂を食いつくすのレビュー・感想・評価
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こんなラストってあるか?
未だ半分くらいの気持ちでいたら、
いきなりエンディングを迎えたので驚いた。
あれは、大丈夫なやつなのよね?
助かったやつなのよね?
エミの献身的な愛と不安、
そして終盤で出会った頃と同じように踊るダンス。
全てが不安定で、でもそれが人生で。
なんとなく地元の田舎を思い出したりしてしまったなあ。
生きづらいよな。
エミがアリと結婚後も全く臆せぬ態度でいるから
余計に好きになっちゃうんよね。
食料品店の店主や仕事仲間との関係性も良かったし。
エミとアリが見つめ合うと、
どうしてあんなにも緊張感が漂うのでしょうね。
恋なのでしょうかね。
幸せすぎて不安なの
「幸せすぎて不安なの」とエミは言う。
そう言えば、三島由紀夫の「永すぎた春」の主人公も同じことを言ってました。幸せはそうそう長くは続かないという誰もが心の奥底では気がついている真理。だから幸せって実は怖い。私は三島やファスビンダーのこういうところが好きです。
若き移民労働者と初老女性の結婚は、人々の差別意識を浮き彫りにしていました。周囲の人間は悪人ではありません。しかし悪意があります。排他性や差別の始まりは、真面目な良き隣人や身内から、というのが良く描かれていました。人々は不安から差別を作り出しますが、不安を感じたからこそ、ここまで人類は栄えたのかもしれないですよね。
多分、エミが男性だったらアリが白人だったらここまで差別されなかったと思います。そんな周囲の悪意によりエミとアリは終わってしまうかな?と思ったのだけど、、、
エミがアリを支配しつつありましたが、結婚制度の仕組み自体がそもそも双方の力関係が出る仕組みだからなあ。
ファスビンダー だからと身構えて鑑賞していましたが、意外や意外、ハッピーな気持ちで鑑賞を終えられました。
不安、良くない。差別、良くない。
移民を受け入れない限りこの映画の意義は残り続ける
23年8/14新生したルシネマで。
ファスビンダーのインタビュー本を日常的に読むのが趣味なので、本人による解説を散々読み込んだ上での何年振りかの再鑑賞。
見どころの一つである、主人公の周囲の人物たちの手の平の返しっぷり。
初見のときは呆気に取られるほどで、こんなことあるのか?というくらいの急展開に感じられたが、今回はファスビンダーの意図がよりよく読み取れたように思う。
差別心を露わにしてアリに意地悪する雑貨屋の主人は、妻に諭されて上客の機嫌を取り直す。
母から外国人との結婚を知らされた際に激昂してテレビを破壊するエミの息子は、自分の子供の保育所の空きがないので母親と仲直りして子供を預けたい。
外国人は不潔と言い放っていたアパートの住人は、事情があって物置きに荷物が増えて大変👉移民のあの人ガタイが良いし運んでもらえば解決やん?という発想で下手に出てエミに荷物運びを依頼する。
彼らはそれぞれ利益を得るために態度を豹変させているということが明白なのである。
その利というのがドラマチックなものでは一切ない、日々過ごしている中で、ちょっとこれがあると助かるんだよな〜というレベルの生活の利なのが見事である。
これがファスビンダー曰く、エミとアリの夫婦は結局「受け入れられてない」ということなのか!と膝を打った(インタビューでそのように発言している)。
この「受け入れられてない」状況からエミだけが立場を安定化する利を引き出す。
そのために2人にすれ違いが起き、そのすれ違いに翻弄されてエミとアリはそれぞれ行動する。
この関係性の変化の鮮やかさに見入ってしまうし、彼らの行動がなんとか身を結んで欲しいと思ってしまう。
しかしすれ違ったままで映画は終わってしまうので、実に悲しい終わり方だと思う。
70年代前半、西ドイツの都会ある雨の夜。 初老の掃除婦エミ(ブリギ...
70年代前半、西ドイツの都会ある雨の夜。
初老の掃除婦エミ(ブリギッテ・ミラ)が雨宿りのために職場近くの移民労働者が集う酒場にやって来る。
明らかに場違いな様子。
だが、カウンターで屯していたひとりのモロッコからの移民労働者・アリ(エル・ヘディ・ベン・サレム)からダンスの誘いを受ける。
アリは仲間から暗に圧をかけられたような恰好なのだが、ダンスの最中に、移民労働者に対す卑賤視がなく、心を開いてくれているように感じた。
彼女が頼んだ1本のコーラの代金を払い、雨の中、彼女を送っていくと申し出、寄る辺なきもの同士の一夜は、意外にも男女の関係へと発展、その後、エミの部屋の家主から同居人を置くことは認めずという達しの際、アリと結婚すると言ってしまう・・・
といったところからはじまる内容で、いまから50年ほど前のハナシだが、SDGs、グローバル化の昨今における移民問題と裏返しのナショナリズム、そんな中での個人の幸せに焦点を当てた本作、先見の明があるというか、世は変わらずというか。
「幸福が楽しいとは限らない」と冒頭の字幕で出る。
エミとアリ、どちらも寄る辺ない者。
互いにその孤独感を共有し、排他的な世間に対抗することで幸せを保っていた。
が、その寄り添う感じは少しずつ壊れる。
責められるのは、過去の価値観を有している世代に属してる(と世間から思われている)エミの方。
あんな移民・・・ 汚らしい・・・ よっぽどの好色なのね・・・と陰口をたたかれ、職場からも近隣(個人営業の食料品店に代表されているが)からも拒絶され、孤独感が募っていく。
こういうあたりをファスビンダー監督は、最小限の描写で綴っていきます。
テレビ的というでもなし、演劇的というでもなし。
やはり、映画的な簡潔演出なのだろう。
もしふたりきりで過ごせる世があるなら・・・とエミは考え、アリとふたりで小旅行に出ているうちに、世情は一変してしまう。
これまでエミへの風当たりを強くしていた人々が、環境の変化で困窮することで、手の平を返したように、エミとアリに優しくなる(それは表面的かもしれないのだが)。
そんな周囲の優しさが毒になったともいうべく、エミとアリの関係は冷めていく。
アリにとっては、やはりドイツは異郷の地。
エミにとっては、生まれ育った地。先夫はポーランド人といえども、である。
ドイツの先住主流社会の偏見・バイアスは、エミからアリに発せられ、アリはその毒を感じ、結果、なじみの酒場の女主、同郷の若い女(といっても店主なので、そこまで若くない)とヨリを戻してしまう。
崩壊ぎりぎりのエミとアリだが、もう崩れようとする寸前、関係が無に消えようかという寸前、ふたりの関係は、ふたたび「寄る辺なき者が寄せるところ」となる。
あぁ、ちょっと落涙した。
なんだかわからないが。
幸福が楽しいとは限らないが、たぶん美しい。
この映画もまた傑作だった。
ファスビンダー、恐るべし。
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